衣紋道高倉流の七夕の節句行事へ
七夕は、古代中国の星伝説と乞巧奠の風習に日本の棚機女が結びついたもの。
今回の七夕の節句行事のテーマは「たなばた姫と七人のけんぎゅう」
白雪姫と七人の小人を換骨奪胎でしょうか…?
どことなく白雪姫っぽいかも 今回のたなばた姫。
きものでこのヘアスタイルはあり得ないと思いますが、装束だと以外にも大丈夫。
平安時代にも花で髪を飾るということは行なわれていたそうです。
公家装束は文様や小物など、古代中国経由でペルシアなど西方から渡来したものが多く、
グローバルなものというお話もあり、納得
棚機女(たなばたつめ)とは、豊作をもたらす神の神衣を織る乙女のこと。
棚機女と織女が奈良時代に結びつき七夕の名前の由来になったといわれています。
以下、衣紋道高倉流宗会頭の仙石宗久先生のお話を元にまとめましたφ(.. )
●夏の小袿装束●
塩山文様を元につくられた夏の小袿に濃色(こきいろ)の幸菱文様の単、濃色(濃紫)の長袴。
濃色は結婚するまでの乙女の色です。
●蛮絵装束●
随身とは近衛府の官人。大臣は8人、大納言は6人の随身を天皇から授かります。
右が熊、左が獅子の蛮絵。奈良時代は摺絵、後に型染め、今では刺繍でも表されます。
あくまでも活動的に動けることを目的としてつくられ、冠は巻纓冠を固定する老懸(おいかけ)。
●狩衣装束●
もともとは絹ではなく布(この時代は布といえば麻のこと)でつくられていたので、布衣(ほい)
と呼ばれた、盤領(あげくび)タイプの庶民の衣服のひとつ。装束の下克上!形式昇格です。
着用が簡単で動きやすいことから、上級貴族が鷹狩り用につかいはじめ、狩衣と呼ばれるよう
になり上級貴族が着用するようになって綾織物などの絹織物でつくられるようになります。
狩衣は私的なものなので色や文様に制約はありませんが、←ただし禁色はさける、
年齢を表示する約束事があります。最も細かく年齢を示すのは、袖括りの紐の種類。
紐だけは夏は生糸、冬は練り糸とかわります。
●水干装束●
平安期から鎌倉時代までの子供用の装束でしたが、室町時代以降は礼装にまで昇格します。
狩衣と同じ盤領の一つ身仕立て。こちらの水干は錦と精好の片身替わりですが、精好の方が
錦より強いのだそう。
●鎧直垂の装束●
鎧直垂は戦の鎧甲冑のしたに着るもの。相撲の行司装束とほぼ同じもの。
菊綴は上衣は背中と両袖の5カ所、袴は膝上と腿だちの相引きの4カ所についています。
太刀をつける紐がまたカッコイイ!
戦場から無事に帰った暁には紐は切って落とし、具足は神社などに奉納するものだったので、
再びつかえるように解きやすくとかは考えないものなのだそう。
●夏の直衣●
二藍の三重襷(みえだすき)文様の穀織(こめおり)の袍、赤の単(ひとえ)。
夏の直衣の色は、二藍で若年ほど赤を強く年齢を重ねるごとに藍を強く宿老になると色を淡く、
さらに極老になると白くと変化していきます。文様は三重襷です。
●御小直衣●
御小直衣は、直衣や束帯の袍の裾についている襴を狩衣につけた装束。
冠は御金巾子(おんきんじこ)。
金箔を張った巾子紙(こじがみ)を留め具にして巾子ごと纓を挟んだ冠。
現代の皇室では節折(よおり)の儀に御小直衣で着装。今は髷がないので紫の掛紐を用いるそう。
節折の儀とは、6月12月に今も宮中で行なわれる儀式。
「たなばた姫と七人のけんぎゅう」+私♪
装束の世界は、遠い昔のものでコスプレと思われがちですが、今に息づいているものもあります。
知れば知るほど面白い!
仙石先生、荘司先生、たかくら会の皆さま、ありがとうございましたm(_ _ )m
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