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Channel: 朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba
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透け感に注意 / ククヌチムチリーとトーニーの琉球壁上布にアンティークの金魚の染繍の絽塩瀬帯

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街にゴジラがいました…。

しかし…、危険を感じたのはゴジラより撮影した写真をみたときの、きものの透け感(・_・;) 涼し気でいいのですけれど着つけには注意が必要です。

壁上布は上布と名前がついていますが、上質の細い苧麻糸で織られた上布ではなく壁糸の絹織物ですので、紗と同じくかなり透け感が強いのです。

ちなみに黒地の長襦袢を着用すると透け感がおさえられ単衣の季節に着用しても違和感がありません。おなじきものなのに印象が変わります。薄物といわれる夏のきものですが、温暖化の一途を辿るこれからは着こなしの工夫次第で着用時期が増えていくと思います。


【8月4日の装い】東京◇晴れ(湿度60%) / 最低気温24℃ 最高気温33℃

ククヌチムチリー(9つの群れ)とトーニー(餌箱)柄の琉球絣の琉球壁上布にアンティークの金魚の染繍の夏帯をコーディネート

金魚に稚魚の群れというのが珍しい。金魚草が描かれているのも水の流れを感じさせ涼感がまします。

日傘は遊中川の絞りの麻地に桜の柄。

帯あげと帯〆は井澤屋

ワニやアヒル、魚のビーズ刺繍のバッグはジャマン•ピュエッシュ


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祇園祭(7月13日) きもの文化検定 レクチャー&懇親会 / 2016年祇園祭 その7

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祇園祭(7月13日) 船鉾と岩戸山の挽き初め♪ / 2016年祇園祭 その6 のつづき(^-^)/

きもの文化検定 祇園祭工房見学会 1日目は 祇園祭についてのレクチャー がありました。この工房見学会は第11回きもの文化検定の受験申込者と過去の1級合格者に申込み資格があり、その中で先着順。1級合格者にとっては貴重な合格者特典のひとつです。


講師は、公益財団法人 黒主山保存会副理事長、山鉾保存会評議委員の古川貴士先生です。黒主山だけでなく、函谷鉾の囃子方でもいらっしゃり、レクチャーでもお囃子を一節演奏してくださいました。


○祇園祭の歴史について○

祇園祭は、遥か1100年昔の平安時代、869年(貞観11年)に疫病が流行しそれを鎮めるための御霊会を神泉苑にて行なったことが起源とされています。日本全国の当時の国の数であった66の鉾を立て、祇園神(牛頭天王•素戔嗚尊)を祀り、神輿を送って疫病の平癒、災厄の除去を祈願したことにはじまります。※祇園神については、八坂神社の稚児行列のところで後述します。
970年(天禄元年)の祇園社での御霊会から定例化されます。しかし1467年(応仁元年)の応仁の乱によって祇園祭は33年中止となります。1500年(明応9年)より復興、祭礼は安土桃山時代には盛大に催され「洛中洛外図屏風」「祇園祭礼図絵巻」などに描かれています。鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになったのは、安土桃山時代に南蛮貿易人が渡来し、経済力のある町衆が舶来品のゴブラン織や毛綴織などを競って用いられるようになってから。その後、1943年(昭和18年)太平洋戦争により中止となりますが、1947年(昭和22年)には長刀鉾と月鉾が復興、1952年(昭和27年)には戦前通りに29基の山鉾巡行が行なわれ、今につづきます。

山桙巡行がクローズアップされがちですが、祇園祭の本質は17日の神幸祭と24日の還幸祭であり、山鉾巡行は露払いとして行なわれるもの。神幸祭は八坂神社の本殿に祀られている神霊を3基の神輿に遷して御旅所に迎える神事のことで,17日の山鉾巡行終了後に行われます。八坂神社本殿に稚児が昇殿して神事があり、その後,宮本講社の人々が神宝を預かりって御旅所に向かいます。神輿3基は15日から拝殿に安置され、神輿会のかき手が担ぎ、拝殿回し・さし回しの後に渡御して御旅所に進みます。神職による着輿祭の後、神輿は所定の位置に還ることになります。

しかし、華やかなのは動く美術館と称される山桙巡行です。レクチャーでは、過去の巡行ルートのお話、懸装品についてのお話もありました。


祇園祭の懸装品にキリスト教関連の題材のものが多いことから、キリスト教と祇園祭の関連性が謎として語られていることがあるけれど、それは関連性がなく、舶来品の珍しく美しいものが珍重されたからなのだそう。出自伝来がはっきりしているもののお話も。

黒主山の前掛けは、16世紀の中国綴織「波濤飛龍図」
琉球王国の最後の王であった尚寧王が江戸に向かう途中で出会った袋中上人に御礼として贈ったとされるもので、中国の萬歴帝即位の折の御服であったといわれています。現物は現在京都国立博物館にあり。


○祇園囃子について○

祇園囃子は、太鼓、笛、鉦の三種類の楽器で構成。囃子方は曲目を覚えるために、鉦を十年以上担当し、その後に笛か太鼓を演奏することに。譜面はなく口伝による伝承です。函谷鉾では毎月練習会をしているのとのこと。笛は旋律を奏で、太鼓で音頭統制をし、鉦で音色を響かせます。

鉦は10歳ぐらいから練習をはじめるます。函谷鉾の少年たち。

鉦には縮緬の布と釣りの飾り紐がついていて、この紐の動きが揃っているかどうかの見た目でも上手いかどうかわかるとのこと。なるほど。


祇園囃子は、各鉾、曳山、傘鉾によって特徴があり違うもの。←これに驚いた。各鉾で共通の曲も含めて30〜40曲あり、演奏は、四条通り、四条河原町の辻廻し、河原町通り、河原町御池の辻廻し、御池通、御池新町の辻廻し、新町通り、四条新町の辻廻し、などの場所によって違うとのこと!出囃子、地囃子、戻り囃子、とあるようです。

こちらは懇親会での様子ビール
古川先生は浴衣に着替えていらっしゃいました。

函谷鉾の浴衣と帯がカッコイイ。毎年1枚しかないので、祇園祭の期間はほぼ毎日洗濯し着ているのだそう。


実は、私も懇親会の前には着替えました。祇園祭の夜は、やっぱり浴衣でしょう〜♪


函谷鉾の会所拝見へつづきます。

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祇園祭(7月13日) きもの文化検定 函谷鉾の会所拝見とお囃子♪ / 2016年祇園祭 その8

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祇園祭(7月13日) きもの文化検定 レクチャー&懇親会 / 2016年祇園祭 その7 のつづきです(^-^)/

函谷鉾の会所拝見へ目
事前にレクチャーいただいていたので、見どころをきちんとおさえることができたように思います。会所でもあらたに函谷鉾の所泰司さんに歴史や懸装品についてのご説明をいただきました。

函谷鉾は応仁の乱以前に起源をもつ、長刀鉾につぐ くじ取らずで二番目に巡行する鉾。1839年(天保10年)にはじめて稚児人形を考案し、昭憲皇太后の兄君である一条実良卿(喜多丸)が稚児人形のモデルとなっています。天明の大火で鉾を焼失し再建の費用が嵩んだことで稚児をだせる家がなかったことからの策によるもの。ちなみに女人禁制だった鉾に女性が上ることを解禁したのも函谷鉾が先駆け。


函谷鉾の前掛け「イサクに水を供するリベカ」。旧約聖書創世記の説話が題材となっています。

16世紀ベルギー製の飾毛綴織(ゴブラン織)のタペストリー 。1718年(享保3年)に沼津宇右衛門により寄贈されたもの。当時から「水を汲む女」とよばれていて聖書からの題材とは気がつかなかったのだそう。文化庁の調査によって明らかに。後に重要文化財に指定。

復元新調したのは、龍村美術織物。裏地の色焼けしていない部分から元の色を解析し糸を染めるのに1年を要したもの。54色の色彩がつかわれています。


1839年(天保10年)に弘法太子筆と伝えられる「金剛界礼賛文」を紺地に金文字で複織した見送り


17世紀李氏朝鮮の毛織段通「梅に虎文」

17世紀の中国段通「玉取獅子文」


1998年(平成10年)皆川泰蔵寄贈による「モンサンミッシェル」前掛け


函谷鉾の公益財団法人50周年の記念事業として新たに新調されたものは、すでに鉾にありました。

狩野探幽「飛鶴図」を元に製作された、川島織物セルコンによる「天井幕」です。高純度の本金箔の紋織地に肉厚な刺繍で立体感をだしたもの。


そしてこの日は、きもの文化検定の工房見学会のために函谷鉾の囃子方である喜多丸会の方々がお囃子を演奏してくださいました♪
 
鉦方は10歳ぐらいから練習がはじまります。10年余りの修行で40曲の祇園囃子を覚えていきます。そして曲だけでなく、幅広い世代と一緒に演奏することで、上下関係やマナーも身につけることになるのだそう。練習の準備や後片付けも社会勉強。


お囃子の調子を整え掛け声を掛ける太鼓方。囃子の流れをつくります。

太鼓方だけに、とてもノリがよい方々でした♪


囃子の旋律を奏でる笛。祇園囃子は巡行で聞くよりも夜に聞くほうが風情を感じます♪


13日の夜はまだ駒形提灯が灯っていないところもありますが、人が少なくて会所拝見をするにはとても良かった。この後、各鉾の会所巡りへつづきます(^-^)/

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祇園祭(7月13日) 夜の山鉾巡り♪船鉾と岩木山の会所拝見 / 2016年祇園祭 その9

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祇園祭(7月13日) きもの文化検定 函谷鉾の会所拝見とお囃子♪ / 2016年祇園祭 その8 のつづき♪

13日は宵宵宵宵山。夜は涼やかな風が通り、人通りもそう多くありません。そぞろ歩きが気持ちよいドキドキ

夜の山鉾巡りが良いのは、駒形提灯の灯りです。「月鉾」の駒形提灯の文字は薄墨色で何とも魅かれました。この時は月鉾でお茶席を催されていて会所拝見できず。月鉾では江戸時代に町内の豪商の岩城九右衛門が宵山の早朝に朝茶事を行なった記録があり、その名残りなのかもしれません。駒形提灯が灯る中でもお茶席、何とも風情がありますね。


日中に挽き初めをした、船鉾と岩戸山のある新町通りへ。
祇園祭(7月13日) 船鉾と岩戸山の挽き初め♪ / 2016年祇園祭 その6 ←日中の様子

夜の通りに駒形提灯に灯された「船鉾」。駒形提灯で隠れていますが、鉾が船の形をしています。神功皇后の三韓征伐の軍船に由来。

応仁の乱より昔、祇園祭には、神功皇后ゆかりの出陣の鉾と凱旋の鉾があったと伝わり、船鉾は出陣の鉾。凱旋の鉾は1864年(元治元年)に焼失した大船鉾ですが、2014年(平成26年)に後祭の殿として復活。

船鉾に搭乗しました♪

格子天井画は江戸時代に描かれたもの。20枚の四季草花丸紋で毎年1枚が選ばれ拝観券の図案につかわれます。

船首の鷁を鉾からみた後姿! 大海原を悠々と渡っていけそうです。

天水引の刺繍の重厚感が素晴らしい〜。意地の悪そうな目つきの鳳凰ですね(^_^;)

船鉾の由来については、浴衣美人が説明してくださいました♪

船鉾は朱塗りの高襴が張り出していて、そこに囃子方が乗っているのが優雅。

櫓の高覧下の下水引は西村楠亭による下絵の「金地雲龍の厚肉入刺繍」。龍の眼には玻璃という石がはめられています。水引は鳳凰、麒麟の刺繍。見送りの大舵は狩野派の鶴澤探泉下絵による、右舷に昇り龍、左舷に下り龍の綴錦織「黒漆塗青貝螺鈿」。夜目にはビニールがかかっていると反射で見えず、山鉾巡行のレポに期待してください!


「岩戸山」は天の岩戸の説話をあらわした曳山です。巡行では、くじ取らずで22番目。

鉾への搭乗は会所の2階の渡り廊下を通りますが、岩戸山は山なので、下からハシゴであがります。

おお〜、臨場感があって良い感じ

岩戸山のご祭神の天照大神は男性。鶺鴒とともに屋根裏にもいらっしゃいました。この鶺鴒図は今尾景年の弟子であった中島華鳳筆

屋根先の裏には今尾景年による「極彩色四季草花図」。この製作中に景年は亡くなり、中島華鳳に引き継がれました。

ぞうりの一脇の脇坂一之さんにご案内していただきました。


旅先の夜は長く、この後は路地裏のBARで飲み♪
そして翌朝からは懸装品がつくられる現場へ工房見学です。

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祇園祭(7月14日) きもの文化検定 川島織物•織物文化館見学♪ / 2016年祇園祭 その10

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祇園祭(7月13日) 夜の山鉾巡り♪船鉾と岩木山の会所拝見 / 2016年祇園祭 その9 のつづきです。

きもの文化検定の工房見学会2日目は、川島織物セルコンの見学へ。

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祇園祭の勉強会に、こちらははずせないでしょう(-_☆)  川島織物本社は京都中心部から離れた洛北にあり、京都に来ていてもなかなか来ることができないのです。こちらには本社と工房、織物文化館、そして川島テキスタイルスクールが併設されています。

こちらへはこの装いで来たかった( ̄▽+ ̄*)
蛇籠に扇面に夏の草花文様の絽の小紋に川島織物の朝顔の夏唐織のなごや帯をコーディネート。

お茶会などセミフォーマルまで着用できる汎用性がある帯で気に入っております(〃∇〃)ドキドキ


川島織物は明治期から、祇園祭の懸装品の製作、復元新調をしています。1989年(平成元年)に京都府選定保存技術、山•鉾•屋台•懸装品等の保存団体に川島織物技術保存会が認定されました。

川島織物の美術工芸織物の緞帳製作は、明治26年(1893年)歌舞伎座(京都南座)の平安神宮大極殿の図の刺繍引幕に始まります。祇園祭の懸装品は、公開されている納入実績によると、明治期の放下鉾の水引と天井幕が最初のようです。

川島織物の広い工房では、緞帳が製作中でした(どこからの依頼かは非公開とのこと)。緞帳製作の工房は天井が高い吹き抜けになっていて、2階の回廊から現場を見ることができます。
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川島織物は意匠考案から糸染め、織りまでを一貫工程で仕上げます。綴織の技術とそれを生かし制作されているのが、絵画特有の色調。懸装品や緞帳など、1000色以上の色を染めてつかっても暈しの連続感が得られない場合、近い色糸を新しく組み合わせ撚り合わせて中間色をつくり(これを杢糸という)、それをつかって織りだす割杢(わりもく)の技法をつかって立体感と臨場感ある絵画敵な織りを生みだしています。

もうちょっと端的に説明すると、綴織はたくさんの色の撚り糸を緯糸につかうことができますが、それでも表現できない微妙な色は、撚り糸と杢糸(同じ太さの違う色糸を2色以上で撚り合わせた糸)で色の比率を変えグラデーションを表現するのが割杢の技法。

※参考までに、川島織物セルコン2016年製作の長刀鉾の<見送り> 伊藤若冲「旭日鳳凰図」


国内では最も古い企業博物館である、織物文化館へ目 
※現在、見学は予約制となっています。
初代川島甚兵衛、二代甚兵衛が世界各国から蒐集した、古代裂、名物裂やコプト裂などや装束、小袖、綴れ技法を駆使して織られた写実的ともいえる室内装飾画が所蔵されています。


祇園祭に関連して、川島織物の所蔵コレクションから、祇園祭の懸装品がつくられた同時代、同時期のものも比較展示されていました。(〜2016年7月31日まで)

国宝「洛中洛外図屏風(上杉本より祇園祭)」の右隻第三扇下部を綴織で製織した壁掛けと織り下絵は、1969年(昭和44年)に川島織物が製作。白楽天山・鶏鉾・岩戸山・船鉾が描かれているのがわかります。

※写真はプレスリリースより

16世紀ベルギーで製作されたゴブラン織のタペストリー「トロイ王プリアモスと将軍たち」、「パリスとメネラウスの妃へレネ」、17世紀中国で製作された綴錦の壁掛け「遊百子桃源文綴」なども展示。
ホメロスの叙情詩「イーリアス」を題材にしたタペストリーの現存するものは世界でも少なく貴重。

今年は、長刀鉾の<見送り>、伊藤若冲「旭日鳳凰図」を製作されていることもあり、隣接されている織物文化館では、「京絵師 伊藤若冲を世界へ」展も開催されています。(〜2017年4月28日)
綴織壁飾原画◇奥田瑞寛模写「老松孔雀図(動植綵絵)」

※写真はプレスリリースより

動く美術館といわれる、山鉾の懸装品。その源流を知ることができ、有意義な見学会でした♪
前にも何度か来ているのですが、目的をもって見るとまた違う…。そして展示も変わりますので、要チェックですね。いつか、川島テキスタイルスクールのワークショップに参加したい:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

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祇園祭(7月14日) きもの文化検定 菊水鉾のお茶席と鉾搭乗♪ / 2016年祇園祭 その11

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祇園祭(7月14日) きもの文化検定 川島織物•織物文化館見学♪ / 2016年祇園祭 その10 のつづき

川島織物を後にして、お料理屋さんでランチをいただき、菊水鉾へ向かいます。ランチの後、バスに乗ったら突然の大雨雨 これは大変なことになるかな…と案じましたが、四条烏丸でバスから降りた途端に小雨に。菊水鉾の駐車場で、菊水鉾の歴史、懸装品についてのお話をお聞きし、会所の拝観券とお茶券をいただいて、きもの文化検定の工房見学会はひとまず解散。振興会の皆さまありがとうございました!

私は一旦ホテルに戻ることに。祇園祭の京都はきものよりも浴衣のほうが過ごしやすいことが体感できたので、これから祇園祭の長い夜に向けて、チャチャッと浴衣に着替えました。ホテルが近くて重宝しました♪


菊水鉾はこの町内の金剛能楽堂に古くからある「菊水の井」という井戸が由来。1864年(元治元年)の蛤御門の変で鉾を焼失してしまいます。数々の懸装品は隣の山伏山に、鉦は函谷鉾、鶏鉾、月鉾へと譲渡されたようです。1952年(昭和27年)に88年ぶりに復興。その後、懸装品は山鹿清華、皆川月華、皆川泰蔵などの昭和の作家で揃えられることに。

菊水鉾の稚児人形は菊丸。菊つながりということでしょうか、能の枕慈童です。魏の文帝の頃、勅使が酈縣山の麓から涌く霊水の源を探しに行くと菊の花が咲く山の庵で少年と出会います。その少年は周の穆王に仕えていたというのです。周というのは遥か昔の国(紀元前11世紀~紀元前256年?※諸説あり)の700年も昔の国のことでいぶかしむと、少年は周の穆王に仕えていたが、王の枕をまたいでしまったことから、罰としてこの山に配流されたとのこと。でも少年に悪意のないことを知って憐れんだ王が、その枕に法華経の二句の妙文を書きそえて少年に与えました。その文字を菊の葉の上に写して書くと葉の露が霊薬となって少年は700年も不老長寿のままだったというお話からきています。

菊水鉾のお茶席は13日〜16日。その日によって流派が違うのだそうです、お茶席は巡行中の辻廻しの時にも荷ない茶屋にて、町役の人にお茶がふるまわれます。しかしそれによって巡行が遅れることなどもなく手慣れたものなのだそう。

菊水鉾町内の亀廣永の「したたり」。菊の露を飲み長寿を保つという故事にちなんで付けられました。

黒糖が効いていてかなり甘いのですが、お抹茶が美味しくいただけます♪


菊水鉾の会所拝見と鉾搭乗

菊水鉾の特徴は、唐破風の屋根とその軒先に下がる翠簾です。極彩色の鳳凰飾りが華やか〜キラキラ

そして、鉾には赤い薬玉の房がついています。

天井画は墨で描かれた龍。

菊水鉾はさまざまに雅やか。

音頭取りの団扇が菊の葉の形をしていて、これがまたカッコイイのです。巡行レポで。


祇園祭…といったら、八坂神社です。つぎは、八坂神社へいきます!

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暑さ対策アレコレ / セルリアンブルーの琉球壁上布に染谷唯の魚の紅型の麻帯

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まるで沖縄の海のようですが、日本海です♪
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澄みきった青空の下の海は美しい〜。
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セルリアンブルーの琉球壁上布に染谷唯の熱帯魚の紅型の麻帯をコーディネート


「きもので暑くないですか?」と聞かれますが、正直なところ暑いです…。が、慣れてしまえば、肌の露出が洋装より少ないせいか、きものや浴衣のほうが快適だったりもします。暑さ対策もしておりますので、ご参考までに。

●暑さ対策アレコレ●

①下着類は冷蔵庫で冷やす+シャツクールをつかう。
下着類は冷蔵庫に入れて冷やしておきます。主成分のI-メントールが汗を伝って冷たさを感じさせるというスプレーを下着や長襦袢にスプレー。汗ばむとヒンヤリ~してきます。冷感の持続性は2時間弱ぐらいでしょうか。

②ひんやり日焼け止めをつかう。
最近は色んなものが開発されていますが、こちらも優れもの。泡状の日焼け止めですがメントールが入っています。

③ポケットタイプのタオルハンカチに保冷剤を入れて持ち歩く。
保冷剤はビニールコーティングのものよりも和紙のようなもので包まれたもののほうが、水滴がつかず便利です。実は背中に入れていることもあります。


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祇園祭(7月14日) 祇園神と八坂神社 長刀鉾の稚児行列 / 2016年祇園祭 その12

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宵宵宵山から山桙巡行の日まで、八坂神社へ長刀鉾の稚児社参の提灯行列があるとおききして、八坂神社へ目 稚児行列を待つ間、かき氷を。めったにいただかないのですが、この暑さでとても美味しかった♪

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祇園祭は八坂神社の祭礼ですが、山鉾は四条烏丸付近に点在しているので、山鉾巡りや会所拝見では八坂神社へはいきません。14日の夕方の四条烏丸付近はすでに大勢の人で賑わっていましたが、祇園付近はいつもよりもひっそりしていました。


山桙巡行は神輿巡行の露払いのようなもの。今年は見ることが叶いませんでしたが、今度は神幸祭もみたいものですね♪


八坂神社のご祭神は、祇園精舎の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)。日本では蘇民将来説話の武塔神(むとうしん)と同一視され素戔嗚尊(すさのおのみこと)とも習合されています。

蘇民将来の説話
武塔神は旅の途中で宿を乞いますが、裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)は断り、貧しかった蘇民将来はもてなしました。後に武塔神は再び蘇民将来を訪ねて茅の輪を渡し、その茅の輪をつけているものは疫病の役を免じされると約束します。ゆえに、祇園祭では「蘇民将来子孫也」記した粽が授与され、この粽を飾っている家には1年間疫病を免じられるというご利益があるのです。


素戔嗚尊が牛頭天王が同一されていることには諸説ありますが、八坂神社の社伝では、656年(斉明天皇2年)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるといわれています。

牛頭天王は釈迦が説法したというインドにある祇園精舎の守護神。

〜祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し〜

言わずと知れた「平家物語」の冒頭ですが、江戸時代この祇園精舎はアンコールワットであるという間違った情報が日本には伝わっていたのだそう。実際のインドの祇園精舎には鐘がなかったそうで、2004年に日本国祇園精舎の鐘の会が鐘と鐘楼を寄贈しています。

稚児行列がやってきました。お稚児さんと禿さんは、ほとんどの神事で和化粧といわれる白塗りのお化粧をします。なので口元の化粧だけのほぼ素顔を拝見できるのはこの提灯行列でぐらいでしょうか。

お稚児さんを先導する禿は長刀鉾の肩上げした紋付に雲立涌文様の袴。

八坂神社で炊いた<をけら火>を、長刀鉾の提灯に移して稚児家に持ち帰り祭壇に供えるのだそうです。

お稚児さんは孔雀の羽根の蝶蜻蛉の冠

肩上げされた振袖は、花筏文様、裾濃いの暈しの袴には菊綴がついています。

皇室の男性皇族の着袴の儀の落滝津文様の振袖の上に前張の大口の袴に近しいもののように感じました。

足元は地面から高い、ぽっくりの下駄です。

長刀鉾の皆さまの集合写真。この後に摂社を詣られるようです。

そして、長刀鉾の会所まで行列がつづきます。いづ重で鯖寿司を買ったり、かづら清老舗に寄ったりしていたら、追いつきました♪ 鴨川を渡る提灯行列です。

暑い中での、慣れないであろう装束を纏ってのご奉仕。しかし汗も見せず立派なものですね〜。

四条通りは、片側通行になります。

このような光景も祇園祭ならでは。さすがは悠久の都といったところでしょうか。


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山の日

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今年からはじまった国民の祝日「山の日」

今日から夏休みの会社の方が多いようですね〜。皆さまよい休日をお過ごしくださいませドキドキ


きもの生活ですと、靴よりも草履のほうが断然歩きやすいので、山でもきものです。きもので自転車にも乗りますし、車も運転します。←ペーパードライバー返上努力中。。。



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祇園祭(7月15日) 会所巡り♪太子山 / 2016年祇園祭 その13

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祇園祭(7月14日) 祇園神と八坂神社 長刀鉾の稚児行列 / 2016年祇園祭 その12 のつづき(^-^)/

祇園祭の京都滞在3日目。この日の最高気温は27℃。心地よい風もあって歩きやすい日和でした♪

「太子山」

太子山の会所となっているのは、京都市有形文化財に指定されている秦家住宅。蛤御門の変で焼け今の家屋は1869年(明治2年)に建てられたもの。緋色の和傘と緋毛氈が会所前に用意されていてなんとも風情がある佇まい。
秦家は江戸時代からつづいた薬種業。初代松屋與兵衛は小児薬「竒應丸」の製造販売の元祖といわれています。「竒應丸」といわれてもピンとこなかったのですが、関東でいうところの「宇津救命丸」のようなものなのだそうです。
竒應丸の成分は、麝香・黄牛・龍脳・オケラ・ニンジン・沈香などの生薬。効能は、虚弱体質、ひきつけ、嘔乳、夜泣、疳の虫など。
天秤で担ぐ茶席セットの荷茶屋。風炉釜、水指、茶碗、茶杓などが2つの箱に収まっています。江戸時代は山鉾巡行の間に茶席を設けお茶を振る舞ったとされています。この荷茶屋は2013年に復元新調したもの。

太子山は、聖徳太子が祀られています。聖徳太子が四天王寺建立のために自ら山にはいって良材を求めた逸話から、他の山は松の木を建てていますが、こちらは杉の木です。

粽にも杉の葉がついています

会所には巡行でつかわれる、懸装品が展示されています。


懸想品に掛かっている七宝に組まれた組紐と山の四隅につけられる角房掛けの今にも飛び出しそうな金の龍が特徴。

前掛けの「阿房宮」は秦の始皇帝の宮廷が織りだされています。1999年(平成11年)に龍村美術織物が復元新調。見送りの「波龍」は2002年に龍村美術織物が復元新調。


祇園祭レポ、つづきます(^-^)/

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10月から社会保険の加入対象が広がります-政府広報: PR

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将来の年金が増えるなど、手厚い保障も!パート・アルバイトの皆さん ご確認を!

きもので旅行の供 グローブトロッター♪/ グローブトロッター 日本初の旗艦店

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国内旅行はできるだけ宅急便を利用しますが、この夏はプチ旅行がつづいているので、荷造り&宅急便も間に合わず…、グローブトロッターが活躍しています。

グローブトロッターの日本ではじめての旗艦店が今春、銀座にオープン♪

ジョージアン様式のお店構えがとても好みドキドキ
そういえば…、建築や車(というか馬車)はイギリス様式のものに魅かれるのだった(〃∇〃)


エリザベス女王陛下の生誕90年を祝して「クィーン•エリザベス展」が開催されていました。※会期は終了しています。

エリザベス女王陛下の公式行事だけでなくプライベートなショットも含めた写真のパネル展示もあり。

特別コレクションの「クィーン•エリザベス」。ロイヤルクラレットといわれるボルドー色は女王陛下のみが許される英国王室指定色です。


フランスの旅客機「コンコルド」の就航40周年の限定コレクションはネイビーにバーガンディのワインレッド


現代的なものとクラシカルなものが融合している雰囲気。


銀座店オリジナルのビビッドカラーのトランクもありました。


2階にはクラブハウスとビスポークラウンジといわれる特別空間があります。


ビスポークは対話しながら製品をつくりあげるお誂えのこと。こちらでは最新技術を導入してバーチャルで素早く試着が可能。これは今のところ日本の旗艦店のみのサービス。

65色から本体の色を選んで、持ち手、金具部分、内側のクロス、ストラップなど、細かく誂えることができるのだそう。180億通りのバリエーションになるとのこと\(゜□゜)/

自分だけのオリジナルトロッターをつくると、特別なクラブに入会できます(-_☆)


サファリシリーズが気に入っているので、次に購入するならオリジナルよりサファリの26インチトロリーケース。しかし、トランクが歩いているみたいになっちゃいますね…(・_・;)


トロッターの汚れは消しゴムをつかって落としています。革はずいぶんと飴色になりました。


旅の証ともなるシールですが、貼られるのが嫌で機内持ち込みにしています。使い込まれたトロッターは旅の想い出と共に味わい深いものになりますねドキドキ



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奈良井宿@なう

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奈良井宿@なう
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山の谷間に江戸時代の宿場町が残っています
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きものが似合うところです♪
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空飛ぶ茶室@諏訪

きもので旅行 / 帯1本にきもの3枚のしりとりコーディネート

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夏は避暑地に拠点を置いてプチ旅行をしています。
なので限られたワードローブでコーディネート。

砂色地の砂色のトイグヮー(燕)ミディ・フム(水雲)ヒチサギー(引下)の琉球絣の琉球壁上布に唐花のすくい織の夏帯
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帯〆を変えるだけでも印象が変わりますね。
小さな面積のものが印象を左右する、きもののコーディネートの面白い所です。
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「きもの1枚に帯3本」といいますが、私は「帯1本にきもの3枚以上」になるように考えています。
とくに旅行中は何があるかわかりません。
延泊になることもありますし、汗や汚れも心配。
雨や気温対策も考えて、きものは必ず複数枚持っていきます。
ですが帯は合わせやすいものを選んで少なくしております。
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祇園祭(7月15日) 会所巡り♪蟷螂山 / 2016年祇園祭 その14

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祇園祭(7月15日) 会所巡り♪太子山 / 2016年祇園祭 その13 のつづき♪

「蟷螂山(とうろうやま)」

蟷螂とはカマキリのこと。中国梁の時代の「蟷螂の斧を以て隆車のわだちをふせがんと欲す」という、力のないものが大敵に向かう勇敢さを賞した故事に由来しています。南北朝の時代、足利義詮に挑んで戦死した四条隆資の戦いぶりが「蟷螂の斧のようであった」ということから、四条家の御所車に蟷螂(カマキリ)を乗せて巡行したことがはじまり。幾多の戦渦にあい巡行が休止されていましたが1981年(昭和56年)から再開。

この蟷螂(カマキリ)は鯨の髭をバネとしてつかって、羽根が広がり、首や手鎌が動く仕掛けになっています。からくり師の玉屋庄兵衛によって復元新調されたもの。

懸装品は、前掛け、胴懸、見送り、水引、すべてが重要無形文化財「友禅」保持者である羽田登喜男の製作。色焼けしない染料がつかわれているのだそうです。

懸装品が友禅のみの山は蟷螂山だけ。


蟷螂山には、蟷螂(カマキリ)のおみくじがあります

ハンドルをクルクル廻すと蟷螂が回転して木の玉を受けとります

からくりになっていて蟷螂の羽根がバタバタ広がるのです(ノ゚ο゚)ノ

結果は「吉」でした♪


蟷螂山の粽には、たくさんの蟷螂。

とっても人気があるそうで、会所でもせっせと折っていらっしゃいました。


つづきます(^-^)/

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創設80周年特別展「沖縄の工芸」at 日本民藝館 / 琉球壁上布に江戸紅型の麻帯

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「創設80周年特別展 沖縄の工芸」が日本民藝館にて開催中(〜8月21日まで)

日本民藝館は、柳宗悦による「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠地として、1936年に開設されました。柳宗悦は1938年から戦前の沖縄に4度滞在調査して本土へ沖縄の文化を伝えます。この時に集められ日本民藝館に所蔵された染織品が戦後の沖縄染織の復興に役立つことになりました。普段は退色を避けるために展示を控えられているものが多いそうですが、日本民藝館創設80周年の記念展として数多く展示されています。


19世紀の琉球染織を主とした所蔵品が展示されています(2012年11月撮影)

※館内の写真は、2012年「沖縄復帰40周年 沖縄の紅型展」にて撮影したものです

日本民藝館は玄関を入ると開放感がある吹き抜けになっています。漆喰の壁と飴色になった柱や階段が美しい。展示ケースの壁は葛糸がつかわれていました!

今回は、会期の終わりが近づいていることも会って事前撮影許可をお願いしていませんでした。
ですので、2012年の「沖縄の紅型展」の会場の様子をご参考までに。


ちょうど柳宗悦の生活の拠点でもあった西館の開放日♪

石屋根の長屋門の中は風の通りが心地よい和洋折衷の日本家屋になっていました。


【8月17日の装い】東京◇晴れ(湿度63%) / 最低気温23℃ 最高気温34℃

日本民藝館に行くことを意識して、民芸色が濃い装いを♪

鈍色がかった青鈍色の琉球壁上布

百合に沢瀉に流水の紅型の麻帯

帯あげは京都井澤屋、帯〆は龍工房

日傘は江戸小紋の両面染めのKOMON HIROSE 、ぞうりは丹後ブルーのカレンブロッソ、バッグは松枝忍


日本民藝館は各所に座るところが用意されているので、1日こちらでのんびりと過ごしたくなります:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

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祇園祭(7月15日) 会所巡り♪放下鉾 、その他 / 2016年祇園祭 その15

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祇園祭(7月15日) 会所巡り♪蟷螂山 / 2016年祇園祭 その14 のつづき

「放下鉾」

逆さミッキーにみえる文様は、日、月、星の三つの光が下界を照らす形なのだそう。州浜に似ていることから州浜鉾ともいわれます。


放下鉾は新町通り沿いの鉾と会所とその奥にある土蔵が一直線につながっていて、祇園祭のときには会所の2階から土蔵の2階へ19mの長い橋を架けます。これも見どころ。


1929年(昭和4年)から生稚児ではなく、稚児人形に。巡行では3人の人形遣いによる稚児舞が披露されます。


鉾は長刀鉾と同様で女人禁制ですので会所から拝見

水引は「華厳宗祖師絵伝」


見送りは麻地に臈纈染の皆川泰蔵の「バグダッド」


天井幕は柴田是真が皇居内明治宮殿の千種の間の天井画として描いた四季草花図を原画として2010年(平成22年)に多雨村美術織物が新調したもの。


会所拝見、まだまだあるのですが、巡行レポと合わせてご紹介します。
次は宵山です♪

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地獄谷野猿公苑@なう / 朱色の琉球壁上布

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地獄谷野猿公苑@なう

猿も着物が気になるらしいです^^;
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琉球絣事業共同組合の後継者育成研修制度で織られた琉球壁上布

大きな絣の朱色の壁上布が欲しかったのです♪
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八重山上布に栗山紅型のヴァイオリンの帯 / 草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル

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草津の音楽祭に来ています♪
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八重山上布に栗山紅型のヴァイオリンの帯
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きものカンタービレ♪のエンブレム
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