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Channel: 朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba
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綾の手紬染織工房へ♪

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宮崎2日目は綾へ♪

綾の手紬染織工房で藍の仕込みをさせていただきました。

4石の藍甕に入って蒅をつかった藍建ての仕込みを。
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40℃の灰汁の入った藍甕に入って身体をつかってかくはんさせます。滝のような汗をかきました(・_・;
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モグラ叩きのようにみえる!?
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綾には日本最大級の綾の照葉樹林があります。素晴らしいところでした~☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
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詳細なレポは改めて後日に♪

神の国 高千穂へ♪

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宮崎滞在3日目

神々の国 高千穂峡へ♪
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待ち時間0分でボートに乗れた♪
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5月30日の装い 
日傘は綾の手紬染織工房の藍染
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生紬の透け感を抑えるために黒地の長襦袢を
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旅から旅への1週間。最終日の宮崎♪

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ぬぬパナ大阪展での大阪滞在からから宮崎へ。旅から旅への1週間、先ほど無事に羽田空港へ到着いたしました♪
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宮崎滞在4日目の最終日は都城の東郷織物へ
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そして染織巡りの旅では珍しく、神々の国ならではの観光もたっぷり。
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宮崎の青い海と緑豊かな山々の自然も満喫いたしました♪
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日向神話活用プロデューサーでもある染織こだまの児玉健作さんにはとってもお世話になりました。感謝です‼︎ ありがとうございました~☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
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そしてお会いすることができましたすべての方々に感謝申しあげますm(__)m
このご縁を繋げていけますように。

宮崎は魅力溢れる地でありました♪
ひと月後には、仕込んだ藍に会い再び訪れる…かも。
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レポは追い追いあげて参ります!

衣更えの日

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何度も申しあげていることですが、日常着としてのきものは気候と場所にあわせれば、とくに決まりはないと考えています。きものも洋服と同じく着るものですから、機能性や利便性を重視するのが当然のことです。温暖化の昨今、無理せずきものを楽しむには、衣替えの習慣にとらわれるよりも、気候や陽射しにあわせて着たいものです。しかし現代の洋装のように、冬でもノースリーブのようなメリハリのない装いが定着してしまうのはつまらない…。やはりきものは季節感を大事にしつつ、そして適度に快適にというのが理想です♪

現在のきものの衣更えの習慣は、明治政府の定めた洋服の衣替えに倣ったもの。明治に入ると西洋化政策がすすみ、1872年(明治5年)11月9日には改暦が発表され23日後の1872年(明治5年)12月3日を1873年(明治6年)1月1日と改めて、グレゴリオ暦(太陽暦)に改暦されます。明治政府は、役人.軍人.警察官の制服の衣替えを新暦の6月1日~9月30日を夏服、10月1日~5月31日を冬服と制定しました。

これによって、目安としたのが現在の衣替えです。ザックリと大雑把にまとめると…。
6月1日~30日、9月1日~30日は単衣(裏地のないきもの、絽ちりめん、紗あわせ)
7月1日~8月31日は薄物(麻、絽、紗、透ける織物)
10月1日~5月31日は袷(裏地のついているきもの)

きものが日常着だった頃はあくまでも目安であって臨機応変に対処されていたようですが、きものを着ることが非日常となり、さらに着付け教室の台頭によって定着するものとなりました。

しかし温暖化の影響、そして日常着にきものを着る人が増えたことによって、5月から単衣というような臨機応変な方が増えています。これは良い傾向~♪


旅から旅へ…、レポが溜っておりますので、つづけてアップしていきます!

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首里城を巡る 城郭と門 / 2016年GW 沖縄の旅 その1

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2016年のゴールデンウィークは沖縄本島で過ごしました。その旅の記録です。家族の意向を汲んでの観光旅行ですので染織巡りは予定せずの旅。琉球染織の地にいて染織巡りをしない…というのは、大好物が目の前にあるのにお預けをされている状態でもどかしくもあるのですが、産業資源となっている観光名所を知るということも興味深い。そして歴史的背景や風土は染織について知ることにもなります。

というわけで、久しぶりの首里城へ♪
琉球王朝の王城(グスク)です。創建は不明。第二次世界大戦で破壊されてしまい城壁と一部の建物のみが残っています。現在のものは戦後に復元されたもの。染色家の鎌倉芳太郎の尽力によって再建されました。鎌倉芳太郎は戦前より琉球文化を研究し「紅型」の名づけ親でもあります。芳太郎の琉球芸術や文化の資料があったことが、琉球染織そして首里城の再建を可能にしたといわれています。ユネスコの世界遺産には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として登録。登録されているのは首里城跡であり復元された城壁や建物は世界遺産ではありません。

首里城は第二尚氏王朝時代の15世紀後半~16世紀前半にかけてつくられた外郭と、第一尚氏王朝時代の15世紀前半につくられた内郭という二重の城壁に囲まれています。まずは門巡り♪

首里城外郭の北側にある「久慶門」 別名「ほこり御門」
第二尚氏の尚真王の時代(1477~1526)につくられましたが、第二次世界大戦で焼失。1983年に復元されました。主に女性の通用門であったといわれています。琉球石灰岩が積上げられたアーチ状が美しい~♪


第一の正門である「歓会門」 別名「あまえ御門」

歓会とは歓迎するの意味で、冊封使といわれる中国皇帝の使者などを歓迎し招き入れることから名づけられています。首里城への正式ルートのひとつで国王をはじめ男性がつかう門。

久慶門と同じく、尚真王の時代につくられましたが焼失し1974年に復元されます。

魔除けのシーサーが迎えてくれます。口を閉じたシーサーは雄。


首里城内郭にある第二の門「瑞泉門」 別名「ひかわ御門」
門の手前に龍樋といわれる湧き水があり、それにちなんで瑞泉と名づけられています。久慶門や歓会門ができるまではここが正門でした。1470年頃に創建。焼失後1992年に復元されます。

首里城の城郭の角の部分は丸みがあって上を向いています。これを隅頭石といいます。

角には悪い気が溜ると信じられていて、角を無くすことでそれを無くすということのようです。諸説あります。

瑞泉門には櫓が乗っているのが特徴。これは日本の城門に似ています。


御庭(うなー)からの出口「右掖門」 別名「寄内御門」へつづく石段。


御内原への表門である「淑順門」 古称は「うなか御門」
御内原は国王と家族の住まいがあるところ。創建は不明で2010年に再建されました。なので新しい。


首里城の城郭の特徴はなだらかな曲線を描いているところ。

日本の城郭よりも中国の影響のほうがありそうです。

龍のようにもみえなくもない。


世界遺産に認定されている「園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)」
尚真王が1519年に創建。竹富島出身の西塘が築造。2010年に復元。

国王が各地の巡行前に道中の安全を祈願した拝所。 聞得大君(きこえおおぎみ)が斎場御嶽での即位式の前に祈願した聖地でもあるそうです。


首里城のシンボル的な大手門である「守礼門」
第二尚氏時代、中国からの冊封使が着いたときには守礼門前まで国王が迎え三跪九叩頭の礼で迎えたといわれます。創建は尚清王(1527~1555)の時代。1958年に再建。沖縄県指定有形文化財です。


首里城御庭、正殿につづきます(^-^)/

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樋口隆司の白地に縞文様の絹縮に龍村美術織物の燕に燕子花の織なごや夏帯

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【6月2日の装い】東京◇晴れ(湿度21%、快適な陽気♪) 最低気温16℃ 最高気温26℃

小千谷の樋口隆司の白地に縞文様の絹縮に龍村美術織物の燕に燕子花の織なごや夏帯をコーディネート


燕子花の色にあわせて、KOMON HIROSEの江戸小紋両面染めの日傘


樋口隆司先生は小千谷縮の作家。絹縮は麻でつくられる小千谷縮の技法をつかった絹糸100%の単衣~薄物の時季にかけてのきもの。経糸緯糸ともに上質の生糸をつかい緯糸に撚りをかけ少し巾広に織りあげておいて、湯もみすることによって縮む凹凸をだしてできる縮地のような生地です。柔らかくて軽いので着ていてとても楽。シワにもあまりなりません。


燕子花はその花の姿が燕が飛んでいるところに似ていることから燕子花という字があてられています。江戸時代の小袖の意匠では燕と対で描かれています。


絽縮緬の帯あげは京都きねや、帯〆は志ま亀
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レポは溜っておりますが、学ぶことは尽きず…、記事がまったく追いついておりません。
できるだけリアルタイムでは「日々の装い」や会期中のものを優先してあげていきたいと思っております。旅レポや工房見学、終了したイベントは保存版となるように、そして次への布石になるようにじっくりあげていく所存です。

それからお願いでございます。現在時間的余裕がなく…、大変恐縮でございますがお問い合わせは、まずはブログ「きものカンタービレ♪」の中のブログ内検索でご自身でお調べいただいてから、ご連絡をいただければと思っております。どうぞ宜しくお願いいたしますm(__)m

命を守るために知ってほしい「特別警報」-政府広報: PR

訪庁の装い / 藍地の石下結城紬に枇杷の絽塩瀬の染め帯

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経済産業省製造産業局繊維課へ。
省庁を訪問する装いは洋装でしたらスーツが多いと思います。ならば、きものの場合は江戸小紋が妥当だとは思いましたが、あえての紬です。
陳情ではないことと、「きものの日」を制定し、きものでの出勤を呼びかけ、きものでの執務を実行した課への訪問ですので、通勤や執務に耐えられるものであり、省内を行き交うきもの姿を想像し、尚且つ、四季のある日本のきものならではの季節の染め帯を選んでみました。

担当の方はスタンドカラーのシャツにデニムきものというリアリティある装いでいらっしゃいました。現代の書生スタイル風。こういう方が担当であるうちに、和装振興を活性化させていただきたいものです。


きもの業界と一口でいってもさまざまです。一部の偏った業界関係者の意見だけでなく、幅広くきもの業界の現状とこの先の展望を聞いていただきたいと切に願っております。

そして、和装振興をするには、きものを購入する側であるきものエンドユーザーの意見を知っていただくことが不可欠だと思います。きものエンドユーザーもさまざまです。実際に身銭を切ってきものを購入している人(これが大事)、これからきものを購入したい人の意見の中にきもの業界の活路があるのではないでしょうか。

※関連記事
「きものの日」のニュースで考えた
「きものスチューデント♪」始動

中央省庁の再編後に経済産業省で仕事をしていたことがあるので、省内は懐かしい。当時はこのようなセキュリティーはなかったなあ…と、時代の変化を感じました。


【6月3日の装い】東京◇晴れ(湿度49%) / 最低気温14℃ 最高気温24℃

藍地の石下結城紬に枇杷の描かれた染め帯をコーディネート。


枇杷は梅雨の頃に実をつけますが、最近はずいぶんと早くから枇杷の実が店頭にならんでいます。きものや帯の意匠としては珍しい。

ですが、葉の上に果実をつけるところや大きな葉は絵になります。


綾の手紬染織工房で購入した秋山真和の藍染めの日傘をコーディネート。
バッグは松枝忍、ぞうりは菱屋カレンブロッソ


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首里城を巡る 正殿 〜 国際通り首里天楼 / 2016年GW 沖縄の旅 その2

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首里城を巡る 城郭と門 / 2016年GW 沖縄の旅 その1 のつづき

琉球には日本の鎌倉時代頃から按司といわれる地方豪族がいました。1429年に尚巴志が按司を統括し統一権力を確立したのが、尚家の琉球王国のはじまり。第一尚氏王統といわれています。1469年の金丸のクーデターによって開かれたのが第二尚氏王統。1609年に薩摩藩が首里城を占拠するとその後は清国に朝貢しつつ薩摩と徳川幕府にも従属するという独自の国交をし、1879年の明治政府の廃藩置県によって琉球王国は滅亡しました。
ちなみに琉球の正史である「中山世艦」には、初代琉球国王とされる舜天(1166~1237)は、保元の乱で敗れ伊豆大島に流された源為朝が琉球へやってきて、その地の豪族である大里按司の妹と結婚し生まれ後に中山王になったとあります。この逸話は滝沢馬琴「椿説弓張月」で描かれています。実在の史料はなく伝説の域ともいわれていますが、だとすると源頼朝の従兄弟が初代琉球王ということになります。

首里城の正殿
国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)。中国風でもあり日本風でもあり…。創建は14世紀末。現在の正殿は18世紀のものを1992年に復元したもの。


正殿の前の広場である御庭。
年間を通してさまざまな儀式が行われたところ。真ん中の道は浮道といわれ、国王や冊封使など限られた人のみ通ることが許されました。
地元のボランティア案内人の方は親分の装いでした♪


左奥が南殿。別名南風御殿(はえのうどぅん)といわれる日本風の儀式が行われたところ。
手前が番所。首里城へ登城した人の手続きを行なったところ。
現在は番所から入り、資料展示がされています。


正殿の二階は大庫理(うふぐい)とよばれ国王と親族と女官が儀式を行うところ。

御差床(うさすか)といわれる国王の玉座です。柱には龍と五雲が描かれています。

何か驚いて変な顔になっていますが、絢爛豪華な朱金の椅子に注目してください。

玉座の椅子は尚真王(1477~1526)の肖像画から再現されたものです。


一階は「下庫理(しちゃぐい)」主に国王自ら政治や儀式を執り行うところ。

真ん中の畳敷きが御差床といわれる玉座です。ここで国王は政務や儀式を執り行いました。


首里城正殿の遺構
今の首里城は遺構を残すために、70cm嵩上げして建築されています。この遺構こそが世界遺産。


ディナーは琉球宮廷料理と島唄と琉球舞踊がある首里天楼へ割り箸

琉球紅型と四つ竹

琉球舞踊の装束の絣は大きいものが多い。舞台映えするからかしら…。

そして、最後はやはり歌って踊る…。


つづきます(^-^)/

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きものでセーリングクルーズ♪ / 2016年GW 沖縄の旅 その3

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首里城を巡る 正殿 ~ 国際通り首里天楼 / 2016年GW 沖縄の旅 その2 のつづき

沖縄滞在中は「ザ•ブセナテラス」でのんびり~♪

1997年の開業以来、ゴールデンウィークはこちらで過ごすことが多いです♪

東シナ海に突き出た部瀬名岬一帯がブセナリゾートになっています。奥に見えているのは海中展望塔。

こんな感じでお魚をみることができますうお座


さて、ブセナテラスが所有するヨットでセーリング♪

部瀬名岬には魚がいっぱい。透明感のある海の中がよく見えます。

そしてヨットの周りにはなぜかいつもハリセンボンがたくさん。


きものでヨットというと驚かれますが、このクラスになると動くホテルのようなものなのです。

なので救命胴衣の着用もなし。

ヨットの船首に立つのも気持ちが良い♪

下のネットで寝そべることもできるのです。


この日は風が強くて帆を張ることができなかったので、セーリングでなくクルージングでした。

晴れていて風がなければこんな感じになるのです♪


東シナ海をゆったり贅沢にクルージング。お天気が今ひとつですが、陽射しが強すぎても照り返しが辛いので、サングラスなしでも大丈夫なこれぐらいの空も良し。

ブセナテラスのアクティビティプランは、クルージングの他にパラセーリングやマリンウオークなどもあります。パラセーリングは昔挑戦しましたが、ベルトの上に乗っているだけなのでかなーり怖かったです^^;


セーリングにあわせてヨットの古布コラージュのバッグ

リボンのような蝶のような折縫い絞りは有松の張正で誂えた石下結城紬です。スレン染料のセルリアンブルーが強烈なのですが沖縄の海にはピッタリ♪ブーゲンビリアの帯と日傘は瀬底島のべにきち。

奥に見えているのが美ら海水族館のある本部町のあたりで瀬底島もあるはず目

帯あげは小林染工房の丹後ブルーの暈し染め

菱屋カレンブロッソのぞうりの花緒は小林染工房の丹後ブルーのしけ引き。カレンコバッソというらしい…。


つづきます(^-^)/

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美の壺 file314 でご紹介した日傘

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美の壺file314「光を装う日傘」が、このところたてつづけに再放送されているようで(このひと月で4回目?)、たくさんのお問い合わせをいただいております。

出演したのは、弐のツボ「着物と日傘の不思議な相性」


それは美の壺のディレクターの方より「日傘をさす理由」についてご質問をいただき、「きものの色焼け防止のためですが、ファッションとしてきものに日傘はあうと思っています。」とお答えしたことからはじまりました。「そもそも日傘は洋傘(パラソル)で西洋のものが主流なのに、日本のきものにあう理由はなんだと思いますか?」とかなり具体的に突っ込まれ、あらためて「きものに日傘が似合う理由」と考察することになったのです。

江戸時代末期の開国後から日本の美術(浮世絵や型紙)が海外に大量に流出したことによって西洋で巻き起こるジャポニズムの流行。それと同時に日本の文明開化と西洋化によって生まれた日本独自の和洋折衷のファッション、男性のきものに山高帽や女性のきものに日傘のバランスの妙。西洋では日傘はあまりみられなくなっていきますが、日本の夏のきもの姿に日傘はファッションとして、さらに涼感を演出する「美」と定着したという面白さ。

西洋ではシャネルの出現により女性はコルセットから解放され、後に手足をだした装いが主流となります。するとパラソルは似合わない。頭上に布がある装いはバランスが悪いです。日本のきものは手足を隠し全身を布で覆うもの、そして帯をします。布が頭上にきても衣装が負けることなくバランスよく着こなせます。コルセットと帯という共に身体を締めるものに、頭上で開く傘がバランスが良いのも興味深いもの。ファッションとして淘汰された結果、日傘は、西洋では実用性のみに、日本ではオシャレとして、さらに涼感を演出する美として残った。

というのが、朝香沙都子のザックリ私的見解でした。


美の壺でご紹介した日傘は、私が買いそろえたものですので、今はつくられていないものもあります。

黒地に絞りの麻地に桜の持ち手の日傘。「遊中川×前原光栄商店」


ブーゲンビリアの紅型の麻地にエゴの木の持ち手の日傘。「びんがた工房べにきち」


江戸小紋の両面染めのムガシルク地に楓の持ち手の日傘。「KOMON HIROSE」

外側は鮫小紋に雨縞、内側は貝文様の江戸小紋両面染め。
雨縞が日に透けると映り込んで波のようにみえる夏らしい日傘。


水玉に金魚文様の麻地にエゴの木の持ち手の日傘。「遊中川×前原光栄商店」


紫鉱染の葛布地の日傘。葛布は光沢があり光を通すと一層映えます。「大井川葛布」


日傘は纏うことでなく陽にかざすことで布の素材感を楽しむことができます。葛布の日傘は繊維がキラキラしてさしていてテンションがあがる逸品です♪

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ダチョウに会いにいく♪ at ダチョウらんど / 2016年GW 沖縄の旅 その4

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きものでセーリングクルーズ♪ / 2016年GW 沖縄の旅 その3 のつづき(^-^)/

今帰仁村にある「ダチョウらんど」へ♪

ダチョウは飛ぶことができない大きな鳥。体長は2mぐらいでしょうか。私よりも遥かに大きい\(゜□゜)/
ヤンバルクイナの帯でダチョウとご対面♪ ヤンバルクイナも飛べない鳥です。

足が早く、時速60kmぐらいで走れるのだそうです。

座っているダチョウははじめてみた目


ダチョウらんどではダチョウに餌をあげることができます♪

餌は、沖縄でさし草といわれるアワユキセンダングサ。

餌をみせるとすぐに近寄ってきます。

わ~食べてる♪

人に対しての警戒心はないようです。奈良の鹿に近い…?

すごい勢いで食いついてくるのですが、ダチョウには歯がなく噛まれても痛いだけ!?だそう。

しかしダチョウの首が長いので、私が餌をあげるのを見ているほうはハラハラしていたようです…(^_^;)

鳥というよりも何となく恐竜に近いような…?

立派な脚、これならチョコボのように乗って走れそう…(-_☆)

じつはダチョウらんどでは、ダチョウに乗る…、のではなく、ダチョウの両脇に台を置いてダチョウに跨がってダチョウに乗ったようにみせて撮影することもできます。

しかしここのダチョウ達は羽が毟られているのでちょっと可哀相。オーストリッチが剥き出し(T_T)


立派な羽のダチョウもいました。

ダチョウの羽は古くはマリーアントワネットの髪飾りとしてつかわれたのが有名です。宝塚のトップスターの羽飾りもダチョウの羽がつかわれます。静電気を帯びない特性から電子機器のダスターとしてつかわれるのだそう。


そして、これがダチョウの卵。大きい~(ノ゚ο゚)ノ 約1.5kgぐらいあります。


ダチョウらんどに隣接している食堂では、ダチョウが食べられます。
ダチョウを見る前に食べてきました。さすがにダチョウと遊んでからでは食べにくいので…(・_・;)

これがダチョウのもも肉。
鶏肉というより上質の牛肉のようにみえます。

そしてとても美味しかったです!! 臭みがまったくありません。鶏肉というより臭みのない羊肉?

地元の常連さんには、きもので鉄板焼きを食べることにビックリされました…(^_^;)
きもので生活をしていたら、きものでジンギスカンもいただきますよ♪


つづきます(^-^)/

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武士の嗜み「馬」衣紋道高倉流 端午の節句会 at 衣紋道高倉流東京道場

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2016年6月9日は旧暦の端午の節句です菖蒲 あやめ

端午とは端(はし)の午のこと。元来は月はじめ(端には始まりという意味合いもあり)の午の日のことでしたが、午は五と音が通じることから毎月5日のこととなり、のちに奇数月と同じ日が重なる日を特別な日と考える中国の重日思想と、田植えの前に女性だけが家に籠もり身を清める日本の五月忌みの風習が結びついたのが、端午の節句の始まりといわれています。端午の節句に鎧兜を飾るようになったのは鎌倉時代。旧暦では端午の節句は現在の6月頃になり(2016年は本日!)、この頃に甲冑の虫干しをしたこと、そしてこの時季に咲く菖蒲の花と尚武をかけて男児の節句として定例化したのだそうです。

端午の節句につかわれる、尚武にちなんだ菖蒲(サトイモ科)と花菖蒲(アヤメ科)と杜若(燕子花)は全く違う植物です。菖蒲には食欲増進、疲労回復などの薬効成分があり、菖蒲湯は冷え性にも効果的といわれています。この薬効成分が邪気を払うとして古代中国の浴蘭節につかわれたのが、菖蒲湯の始まり。花菖蒲には薬効も香りもありません。ですが、菖蒲の花は余りにも目立たないので、←蒲(ガマ)の花に似ています
菖蒲に草姿の似ていた、湿地に咲くアヤメ科の花を花菖蒲とし、端午の節句の花としたようです。
平安後期から鎌倉期の和歌集には「はなあやめ」という表記があり、(漢字だと「花菖蒲」)、最古の花伝書といわれる室町時代の仙伝抄にも「五月五日のしんにははなしゃうぶ」とあるので、端午の節句が一般に普及する江戸時代中期(元禄期)以前には混同していたものと思われます。平安末期の甲冑などにみられる菖蒲革のモチーフは花菖蒲です。
よく混同される杜若は昔は杜若の花の汁を布に押し付け染めたので掻付花(カキツケバナ)と呼び、それが転じて杜若(カキツバタ)となったそうです。 燕子花と表記することがあるのは、花の姿が燕が飛んでいるようにみえることから。花菖蒲よりも開花時季は早いのですが夏の意匠としてつかわれることが多いです。


先日開催された衣紋道高倉流の端午の節句会は、仙石宗久宗会頭より武士の嗜みとして「馬」についてのお話がありました。日本古来の馬から馬具、そして和式馬術について。

江戸時代後期の位の高い武士の和式馬具。

乗馬をされる方ならおわかりになるかと思いますが、西洋馬術は左側から騎乗しますが、和式馬術では右側から騎乗します。これは武士は腰に刀をさしていたからだそうです。時代劇などでは西洋馬術と同じく左側からの騎乗シーンもありますが、おそらく帯刀していたらやりにくいのではないかと…(^_^;)

鞍、面懸(おもがい)、胸懸(むながい)、臀懸(しりがい)、轡(くつわ)、鐙(あぶみ)、泥障(あおり)など、貴重な和式馬具一式を拝見することができました~ヾ(@°▽°@)ノ

素晴らしい蒔絵の鐙

現在の和式馬術ではつかわない泥障でしっかりとガードされていました。鶏と雛の泥障とは…、珍しいですね。

鞍の装飾も素晴らしい~。


葵祭の近衛使代の馬は唐鞍で飾馬といわれ、銀面をつけ輪鎧を用いて尾袋をつけ唐緒に結ばれています。


こちらは走馬の儀の馬


鎌倉時代~江戸時代の戦乱の世で馬具は実用品であり武士の誇り。江戸時代になると様式美として芸術品となり有職故実の対象となっていったとのお話でした。




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地震に備えて!住宅・建築物の耐震化のススメ-政府広報: PR

古宇利オーシャンタワー at 古宇利島 / 2016年GW 沖縄の旅 その5

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ダチョウに会いにいく♪ at ダチョウらんど / 2016年GW 沖縄の旅 その4 のつづき(^-^)/

沖縄本島の周りにはいくつか小さな島が点在し、そこには大きな橋が架けられ絶好のドライブスポットとなっています。

古宇利島へ車 
アダムとイヴのような伝説が残る島で古宇利島の語源は「恋島(くぃじま)」といわれています。

古宇利島へは名護の屋我島と古宇利島を結ぶ古宇利大橋を渡ります。

橋には起伏があるので両サイドにエメラルドグリーンの海が広がるのです~ヾ(@^▽^@)ノ


空から見た古宇利島と古宇利大橋目 

古宇利大橋は2005年に開通。全長1960mある橋です。

この日はお天気が今ひとつだったのですが、それでも充分に透明感のある海が楽しめます。


2013年にできた古宇利オーシャンタワーへ♪
バベルの塔のよう…(・_・;)

※上記4枚の写真はフライヤーより引用させていただいております

駐車場から展望台のある古宇利オーシャンタワーへはカートで登るのですヽ(゚◇゚ )ノ

百合の花に囲まれた道をゆっくりと進みます。

カートは自動運転となっていました。

ゆっくりと進みながら古宇利島の景色も楽しむことができるというシステム♪

グルグルと廻りながら傾斜を進むことによって島の展望をゆったり堪能できます。

人工的ではありますが南国の植物に囲まれた道を通って、エメラルドグリーンの海と古宇利大橋の見ながら歩かずに上まで登れるというのは、子どもからお年寄りまで楽しめるのでとっても良いと思います♪

この日は曇り空でしたが、青空の時にもう一度来てみたいですね♪


タワーの中は貝の博物館になっています。

世界中から集められた1万点以上の貝殻が展示

貝を貨幣としてつかった歴史のパネル展示なども充実しています。


古宇利島の歴史も紹介されています。この島には人類の発祥伝説があります。
~ 昔々、空から古宇利島のシラサ岬へ男の子と女の子が降り立ちます。彼らは一糸まとわぬ裸で天から落ちてくる餅を食べて幸せに暮らしていました。しかしある日、もし空から餅が降らなくなったらどうしよう…、という不安を抱き少しずつ餅を蓄えるようにしたところ、それ以来餅は降らなくなりました。天に祈りを捧げても餅は降らないことから、海で漁をし生活をはじめ、ジュゴンの生態から男女の違いを知って、身体をクバの葉で隠すようになります。この二人の子孫が琉球人となりました。~という伝承です。


最上階の展望室からの眺め目

この日は風が強かった!


オープンテラスの展望カフェもあります。が、風が強すぎてでられず、ガラス越しで(^_^;)

古宇利島の特産品のかぼちゃをつかったシュークリームとバナナジュースを。


碧い海に囲まれた伝説の島へあっという間にいけてしまうのも味気ないようにも思いますが、きもので松葉杖生活をしてみてバリアフリーの有り難さを実感した身としては、誰でも楽しめるとても良い観光名所だと思います♪


つづきます(^-^)/

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ザ•ブセナテラス♪

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古宇利オーシャンタワー at 古宇利島 / 2016年GW 沖縄の旅 その5 のつづき

ザ•ブセナテラス

沖縄で一番のお気に入りリゾートホテルです♪

リゾートに求めるものは休息と安心感。こちらのサービスは素晴らしい…:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


北、中央、南、そしてコテージがあり、客室のタイプはさまざまです。

クラブフロアがある南側は緑が豊か。

北のコーナーの高層階の景観も良いものですドキドキ


開放感あふれるロビー。

吹き抜ける風が心地よい♪
ここでチェックインをすると、身体を癒しにこれたドキドキと実感します。

ホテルの中ではスイッチが切れるのであまり写真がないのですが、館内にはライブラリーやアフタヌーンティーがいただけるティーサロンもあります。


ブセナテラスはさまざまなところにセンスが行き届いています。
沖縄の工芸品を扱っているスーベニアショプもオシャレ。

ここには宮古上布の裂地をつかった素敵な籠バッグがありました♪


プールとビーチ

私、ほぼ毎日のように泳いでいますが、沖縄ではほとんど泳ぐことはない…。


ブセナリゾートの敷地は広いので赤いバスが走っています。


ディゴの花は少しだけ残っていました

満開の時に訪れたいですね


ブセナテラスの朝

ブセナテラスのサンセット


チャイニーズダイニング「琉華菜苑」

ブセナテラスには3連泊するとディナーのプレゼントがあるのです。今回は中華を選びました♪


このホテル滞在の一番の楽しみかもしれない、メインダイニング「ファヌアン」
お味もサービスも素晴らしいです:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

テラス席が気持ちが良くお気に入りなのですが…

メインの頃には手元が真っ暗になります(^_^;)


つづきます(^-^)/

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社会人のための歌舞伎鑑賞教室「新皿屋舗月雨暈 〜魚屋宗五郎〜」at 国立劇場

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社会人のための歌舞伎鑑賞教室へ目

国立劇場の母体である日本芸術文化振興会により伝統文化育成の為のひとつとして、より多くの世代に楽しんでもらえるよう、毎年6月と7月は「歌舞伎鑑賞教室」が開催されています。代表作がわかりやすい解説付でお手頃価格で楽しめるようになっているのです。社会人のための歌舞伎鑑賞教室の開演は19時と会社帰りにも立ち寄れる時間です。

演目のあらすじと解説、そして出演者へのインタビューもあるパンフレットも無料配布されます。


●解説「歌舞伎のみかた」

セリの廻り舞台が波打つように上下する中幕が開き、花道脇のスッポンから萬太郎丈が現れました!
萬太郎丈の声は滑舌が良くてらっしゃるので心地よく聞きとりやすい♪今年の解説は昨年よりもさらに固さがとれて余裕が感じられました。近い将来には司会業で活躍されるのでは…と予想。逸材だと思います。

まずは、廻り舞台、スッポンの解説、付け打ち(役柄や場面にあわせて拍子木で音をだす演出)と立役と女形の走り方の違い、荒事と世話物の違い。荒事の説明では景清が登場。立回りから飛び六方で去っていきました。世話物では髪結新三と弥太五郎源七が現れて深川閻魔堂のシーンを再現します。なんと贅沢な解説でしょう~♪ そして下座音楽についての解説では黒御簾から演奏者が登場しました。これも新鮮。

舞台前のお忙しい中、来てくださった萬太郎丈とお母さまである時蔵丈の奥様とカメラ


じつは舞台鑑賞の前に、萬屋さんと懇意にしていらっしゃる方の主宰による「着物で歌舞伎」という企画による茶話会が国立劇場に隣接しているグランドアーク半蔵門のカフェにてありましたヾ(@°▽°@)ノ

舞台の前の役者さんとお話ができる!そして詳細な見どころ解説のレジュメ付き。←ありがとうございますドキドキ
着物好きならではの鑑賞ポイントや梅枝丈、萬太郎丈へのインタビューも興味深し。


●「新皿屋舗月雨暈 ~魚屋宗五郎~」

御家騒動に巻き込まれ無実の罪で殿様に殺されてしまった妹のことを知り、禁酒をやぶって飲んでしまう魚屋宗五郎…。その殿様も酒乱でありそこを悪い家来に利用されてのことなのですが…。この辺りのお話は、一枚、二枚…、の皿屋敷が下敷きになっています。でも怪談としては描かれていません。お殿様の萬太郎は幼さの中に品格があって、通しでは見ていなくてもその後の展開が、なるほど~と思わせるものでした。

魚屋宗五郎は、酒乱の宗五郎とその家族の小気味よいテンポが楽しい芝居。橋之助の宗五郎、梅枝のおはま、意外なペアだったのですがとても良かった! お姫様が似合う梅枝のしっかりものの女房役があんなに嵌まるとは、ちょっとびっくり。花道で宗五郎を追いかけていくところはキュンとします。

梅枝丈と奥様、そして七代目時蔵? 


お土産にいただいた芝榮太樓の新神もち。青梅と生姜のお餅でした。美味しい~o(^-^)o


●歌舞伎鑑賞の装い

魚屋宗五郎にちなんで魚文様、皿屋敷にちなんで和皿文様も考えたのですが、季節ものを選びました。

【6月10日の装い】東京◇晴れ(湿度50%) / 最低気温18℃ 最高気温28℃

志ま亀の貝文様の単衣小紋に扇面に八つ橋文様の絽塩瀬の帯をコーディネート

杜若は5月には開花しますので着納めでしょうか。着用時期が短いのですが好きな意匠なのですドキドキ

帯あげは京都きねやの絽ちりめん、帯〆は志ま亀

バッグはかづら清老舗の松尽くし文様、ぞうりは小林染工房の丹後ブルーのしけ引き花緒のカレンブロッソ


麻の日傘は遊中川。麻の葉文様の刺繍がされています。


歌舞伎鑑賞の装いにはとくに決まりはありません。私はよく<ちなみ柄>を選びますが、あくまでも自己満足でございます。楽しい装いは人それぞれですので、自由で良いと思います♪

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琉球古民家を巡る at 琉球村 / 2016年GW 沖縄の旅 その7

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ザ•ブセナテラス♪ / 2016年GW 沖縄の旅 その6 のつづき(^-^)/

恩納村にある「琉球村」へ♪

沖縄にはちょくちょく来ていますが、目的が染織巡りなので、観光地らしい観光地にはあまり訪れることがなく、今回はじめてやってきました♪


琉球村には有形文化財に指定されている古民家の多くが移築されています。

琉球瓦の特徴はこの赤い色。これは鉄分を多く含んだ泥状の土をつかってつくられています。乾燥させ素焼きし酸化させることによって琉球独特の赤瓦となります。

琉球赤瓦は18世紀につくられるようになりましたが、赤い色は高貴な色として、首里城や王府、役所、神社などでつかわれ、庶民がつかうことは禁じられていました。禁令が解かれたのは1889年(明治22年)のことだそうです。

屋根にシーサーが置かれるようになったのは、禁令が解けてからのことといわれています。


明治期に建てられた旧島袋家の住居と高床式の穀物倉。


久米島より移築された旧花城家の住居

あっ、山羊がいた! 山羊をみると「ユキちゃん…」といってしまう。幼い頃の記憶ってひきずるわ~。


もとは琉球王府の重鎮であった与那原親方の邸宅です。後に糸満市に移築し旧大城家の住居


製糖工場でつかわれる水牛もいました。


琉球村は撮影のロケーションにピッタリです♪


つづきます(^-^)/

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