「寿初春大歌舞伎」へ 2日間に渡って、昼の部と夜の部を観劇いたしました♪
睦月の歌舞伎座は正月飾りです
紅白の繭玉飾りにの餅花にはお多福や宝尽くしが…。
昼の部の幕間では、カフェ檜の赤トンボのサンドイッチ。そしてめでたい焼を
昼の部の演目は…「廓三番叟」「義経千本桜~鳥居前」「梶原平三誉石切 ~鶴岡八幡宮社頭の場」「茨木」
どの演目も面白かったのですが、「茨木」がとにかくとっても素晴らしかった
ザックリあらすじを説明すると、羅生門にて渡辺綱(松緑)は鬼の片腕を切り落としました。すると安倍清明より7日間の物忌みを告げられます。物忌み明けまであと1日のところ伯母の真柴(玉三郎)が訪ねてきます。花道を老婆の真柴が歩いてくるのですが、花道脇でみていても気配が感じられない…。物忌み中と対面を断られた真柴の恨みつらみを聞き、結局、綱は真柴を招き入れてしまいます。太刀持ちの音若(左近)が舞い、さらに真柴も舞います。実は羅生門で腕を切り落とされた鬼である真柴の舞は始終左手を隠したまま。一切の無駄のない流れるような舞です。そして鬼の片腕を見せてほしいと懇願し、腕をとりあげると鬼になって飛び去ります。そして鬼の形相で再び登場するのですが……、、、恐ろしかった!!!
人情味溢れ男らしい松緑の綱の見得切りが素晴らしい。左近(松緑の息子さん)は、わずか9歳とのことですがキリッと美しい舞。そしてそして、玉三郎…、老婆から鬼女にかわる瞬間には妖気が漂っていました。
夜の部は千秋楽に♪
幕間に吉兆にてお弁当をいただきました。お正月なのでお屠蘇で乾杯♪
デザートのフルーツゼリーまでしっかり美味しかったです!
しかし30分で食べるのは早食い競争のようで堪能している余裕なし(゚_゚i)
夜の部の演目は…「猩猩」「二条城の清正/二条城大広間の場•淀川御座船の場」「廓文章 ~吉田屋」「雪暮夜入呑畦道 ~直侍」
「二条城の清正」では秀頼(金太郎)が清正(幸四郎)に「爺、いつまでも生きていてくれ」というシーンがリアルとオーバーラップ。わずか10歳で長い台詞をよどみなくこなす金太郎はこれからが楽しみ。「雪暮夜入呑畦道」の直次郎(染五郎)の色男ぶりがすごい…。高麗屋三代の競演。
「廓文章 ~吉田屋」の藤屋の若旦那(鴈治郎)は嵌まり役。そしてそして傾城夕霧(玉三郎)が美しい~。最後に夕霧が纏う鳳凰に牡丹が金糸の刺繍された赤い打掛は、染の聚楽(ギャラリー泰三)さんが大和屋さんからの依頼でつくったものだそうです。
歌舞伎座でお気に入りの絵画、川端龍子「青獅子牡丹」の前で
お世話くださった方、ご一緒してくださいました方、ありがとうございましたm(_ _ )m
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寿初春大歌舞伎 昼の部と夜の部 at 歌舞伎座
「魔笛」at 新国立劇場オペラパレス / 家庭画報アカデミーのオペラ鑑賞会
オペラ「魔笛」の鑑賞に新国立劇場オペラパレスへ
指揮はロバルト•パーテルノストロ、オケは東京交響楽団♪
ザラストロは妻屋秀和、タミーノは鈴木准、夜の女王は佐藤美枝子、パミーノは増田のり子、パパゲーノは萩原潤、パパゲーナは鷲尾麻衣。
鳥刺しのパパゲーノを意識して、緑色のきものに鳥柄の帯をチョイス。
公演鑑賞の前に、新国立劇場音楽ヘッドコーチである指揮者の石坂宏先生によるレクチャーがありました。石坂先生のお話は設定と聴きどころが中心。役柄によって楽器が使いわけられているとの説明があったので、今回はそこを重視して鑑賞しました♪
~「魔笛」のあらすじ~
王子タミーノは森の中で大蛇に襲われますが3人の侍女に救われます。タミーノが眼を覚ますとそこには鳥刺しのパパゲーノがいて大蛇を倒したのは自分だと自慢、しかし侍女が現れて嘘がバレてしまいます。そこへ夜の女王が姿を現しザラストロにさらわれた自分の娘パミーナを救ってほしいとタミーノに懇願。パミーナの肖像画を一目見て恋に落ちたタミーノは承諾します。夜の女王はタミーノには魔笛をパパゲーノには魔法の鈴を与えます。ここまででは、夜の女王は善人でザラストロが悪人のように思えるのですが…。ザラストロは実は偉大な指導者であることをタミーノは知ります。ザラストロはタミーノとパミーナが結ばれるための試練を与えます。夜の女王が現れパミーナにザラストロを殺すようにと短剣を渡し有名なコロラトゥーラによる超絶技巧のアリアを歌います。ザラストロからの試練によりタミーノは口を聞くことができず悲観したパミーノは自殺をしようとしますが、3人の童子に助けられて、タミーノと試練に挑みます。最後は夜の女王は雷鳴と共に夜の世界に落ちていきタミーノはパミーノと結ばれて幕~。
「魔笛」はフリーメーソンの理念をモーツァルトがオペラ化したものだともいわれ、フリーメーソンで重要視されている3という数字や3つの和音がつかわれています。
興味深いのは、王子タミーノの装束が元々は日本の狩衣の設定であること。今では舞台演出として合わないとされるのか、狩衣で登場することはほとんどないようですが、遠い国の王子の装束として狩衣がヨーロッパに伝わっていたことが驚きです。
日本人と日本人のオケによるオペラ鑑賞をする機会があまりなかったのですが、とても良かったです♪
来日公演はガッカリすることも多く、日本でのオペラ鑑賞は今ひとつだな~と思っていたのですが。その印象を覆しました。やはりホームグランドでの公演というのが良いのかもしれませんね…。
終演後には指揮者の石坂宏先生とタミーノ役のテノールの鈴木准さんも交えてのお食事会がありました。
左が鈴木准さん、右が石坂宏先生
鈴木さんは大学で心理学を学び卒業後は企業に就職してから芸大に入り直してオペラ歌手への道へ入った異色の経歴の持ち主。第61回文化庁芸術祭大賞を受賞されています。
石坂先生も経済学部卒の異色指揮者。子どもの頃から英才教育で音楽の道一筋の方が多いような印象がありますが、才能がある方は成人してからその道を歩みだすこともあるようです。
イタリアンレストラン「マエストロ」は終演後2時間のみオープンしています♪
入口には世界的な指揮者や演奏者のサインがぎっしり。
「魔笛」のDVDをお土産にいただきました♪
ライティングが良くないところで撮影してしまったので、きものの色が違ってみえてますが、こんな色目です。最近は訪問着率が高いように思いますが、私的には観劇やオペラは演目にあった小紋で装うのが格式ばらず好みです♪
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節分
2月3日は節分です
節分とは本来、季節を分けることを意味するので、立春、立夏、立秋、立冬の前日年4回。
江戸時代以降は立春の前日2月3日のことを指すようになりました。
旧暦では立春が新年の始まりとされていたため、立春の前日の節分は大晦日にあたます。季節の変わり目には邪気が生じると考えられていたので、それを祓うための行事として行われたのが、追儺(ついな)鬼遣(おにやらい)。源氏物語にもでてきます。元々は中国から伝わり、平安初期から宮中で行われていたそうです。追儺とは方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を払う役目を負った役人と、脇に仕える侲子(しんし)と呼ばれる役人20人で、大内裏の中を厄払いで回った行事のこと。金色の四つ目の面に矛と盾を持った方相氏が、逆に鬼として扱われるようになり、現在の節分のように豆を撒くことになったそうです。
豆には魔滅(まめ)の意味合いが含まれ無病息災を願い、鬼に豆をぶつけ邪気を払います。これは室町以降の風習らしいです。柊と焼いた鰯の頭を門口に挿して鬼を払う柊鰯。焼臭(やいかがし)ともいいます。
2012年の節分に水天宮にて豆まきをしたときの写真
この時は鬼も描かれている大津絵文様の小紋に半纏を羽織って豆まきをしておりますが、気持ち的には紋付江戸小紋のほう良いかもしれません。しかし…、元気よく撒いているわ~(^_^;)
今夜は関東でもすっかり定着した恵方巻きをいただきます♪
夜には写真が追加されるかも…。
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川平織の深石美穂先生を訪ねる at からん工房 / ぬぬパナ八重山勉強会の旅 その16
八重山の藍、ナンバンコマツナギの畑へ 藍布工房 / ぬぬパナ八重山勉強会の旅 その15 のつづき(^-^)/
いつか着たい!と思っている憧れのきものはたくさんありますが…、その中で筆頭なのが、川平織♪
第61回日本伝統工芸展出品作の市松花絽着尺「花籠」
深石美穂先生と深石隆司さんと
ようやく念願の工房見学が叶いました~ヽ(゚◇゚ )ノ
お茶目な先生のポージング♪ このお写真、気に入っております
深石美穂先生は、琉球染織の技法である、手結いの絣、ミンサー織、花織、道屯織(ロートン)織などの技法を習得し、石垣島の川平湾にご自分の工房を開かれました。それがこちらの「からん工房」です。
そして、このからん工房で織られたものを「川平織」とされています。
八重山の自然に囲まれた素敵な工房なのです♪
私が川平織を知ったのは、美しいキモノの立松和平氏の連載「染めと織りと祈り」でした。
経緯絣の美しいかすり具合にキラっと光る花織。そして複雑な市松の絽。何よりこの透明感
このような美しい織物をみてしまったら、どんな方がどうやって織られているのだろう…と知りたくなります。
どうやって織られているのか…。
深石先生自らご説明いただいたのですが、あまりにも複雑な織なもので…、ド素人の私では理解できておりません。はい。
織りあがった市松花絽織の着尺の最後の部分。
反物を取り出す寸前のところを実演のために織ってご説明くださいました。
琉球染織の首里織の技法の中には、花織と絽織を交互に織る花倉織と経糸を浮かせて織る道屯織がありますが、川平織は深石先生によるアレンジ…といったものでしょうか。
花織の模様を出すために、地綜絖の他に花綜絖といわれる紋綜絖がつかわれます。
紋綜絖に対応した踏み木と踏み糸で操作しています。
複雑な踏み糸がごちゃごちゃにならないのかしら…(・_・;)
川平織の市松花絽織。染料は福木と琉球藍…だったような。
琉球藍とインド藍の市松花絽織
特性のチャイを入れていただき(美味しかった!)、多良間島のお土産の黒糖サーターアンダギーをいただきながらガーデンテラスで島の植物から染められる糸のお話も。
昔は川平産の繭をつかった座繰り糸でつくられていたのだそう。それが絹織物を織るようになったきっかけ。そして今は群馬県産の生繭が多いとのこと。
島の草木から染められます。しかもこの近くにある植物。ということでご案内いただけることにヽ(゚◇゚ )ノ
こちらはブーゲンビリアで染められた糸。チタン媒染でこんな美しいオレンジ色になるのですね!
ブーゲンビリア染めの川平織…、あったら素敵すぎます:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
つづきます(^-^)/
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知念貞男の藍型小紋に読谷山花織の帯 / いしかわ伝統工芸フェアへ
琉球もので揃えてみました♪
【2月5日の装い】東京◇晴れ(湿度30%) / 最低気温1℃ 最高気温13℃
知念貞男の藍型小紋に読谷山花織の帯をコーディネート
帯あげは加藤萬、帯〆は伊藤組紐
バッグは松枝忍の時代布コラージュ、草履は菱屋カレンブロッソ
藍型は紅型のひとつ。琉球藍の藍甕に浸染で染められたものです。
常夏の国でつくられる紅型の型紙の意匠には季節感はなく、本土の染織への憧れが反映されているといわれています。
菊に流水文様の藍型小紋ですが、ところどころに梅の花が散っています。
南国の染織コーデの装いで向かった先は、東京ドームシティ プリズムホール。
「いしかわ伝統工芸フェア」が開催中です(2月5日~7日まで)
なぜか、きもので射撃!?
つづきます(^-^)/
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山中漆器•能登上布•牛首紬•加賀友禅 いしかわ伝統工芸フェア at 東京ドームプリズムホール
いしかわ伝統工芸フェアへ 東京ドームシティ プリズムホールにて(2月5日~7日まで)
加賀前田家は徳川幕府体制下における外様大名という立場から、加賀藩の文化政策に力を入れ軍事放棄を表明したといわれています。そのおかげで、金沢をはじめとする石川県には、加賀友禅、加賀繍、金箔、加賀蒔絵、九谷焼、加賀水引、輪島塗、山中漆器、など今に伝わる伝統工芸品が多くあります。
コレは何につかわれるもの…(・_・;)?
なんと…!山中塗の輪ゴム銃です!
●山中漆器●
石川県加賀市山中温泉地区で生産される漆器。天正年間に越前より木地師が移住しその挽きものの技が伝わったといわれています。山中温泉の湯治客の土産物としてつくられていたものが、江戸時代後期から蒔絵、糸目挽き、加飾挽きの名工が誕生し、山中漆器の発展へとつながりました。
手にしたときの漆塗りの重厚感が気持ち良い
しかし輪ゴム銃にこの価格…(°д°;) ?っと驚いたのですが…。需要はあるとのこと。
調べてみたら、日本ゴム銃射撃協会というものがあり、公式競技にもなっていました。
ちなみに私、大学時代は、エアライフル射撃とクレー射撃をやっておりまして、日本ライフル射撃協会、日本クレー射撃協会に入っていました。現在はクレー射撃のみ。
で、試しにやらせていただきましたが…、照準をあわせる照星もなく、思ったよりも難しい。
どうやらゴムの掛け方にコツがありそう(-_☆)
射撃の世界も絶滅危惧が危ぶまれていますが…。まだまだ私の知らない世界があるようです。
●能登上布●
かつては京都でも夏のきものといえば能登上布という、能登上布隆盛の時代があったそうですが、昔は140件あったという織元も今は山崎麻織物1件のみです。伝統工芸フェアの中でも「希少伝統的工芸品」として出展されています。
山崎麻織物の山崎隆先生と 工房見学させていただいた時の詳細レポは こちら☆ と こちら☆
能登上布は昭和になってから、ラミーといわれる紡績による苧麻糸がつかわれています。ラミーの糸の利点は糸の太さが均一であり手績みの苧麻よりも丈夫であること。能登上布につかわれるラミーの糸は蒟蒻糊で固めることによって、毛羽立ちがなくしなやかに織りあがり、尚且つシャリ感があります。
能登上布の絣の特徴は、絣糸はロール捺染、櫛押し捺染による捺染絣。
●牛首紬●
平治の乱で敗れた源氏の一族が技を村人につたえたのがはじまりといわれています。この地方は山間地で畑が少ないため養蚕で生計をたて、品質の良いものは売りに出し、残りのくず繭といわれる玉繭(ひとつの繭に2個の蚕)で織られた反物が牛首紬です。
糸繰りの歴史には中国に端を発し東周りの日本古来の座繰りの形式とヨーロッパを経由した西回りの座繰りがあります。牛首紬は東周りの日本古来の伝統的なやり方。そして玉糸からつくられる緯糸は「玉糸機(たまいとばた)」で織られます。
主に玉糸は緯糸につかわれますが、経糸も玉糸をつかった牛首紬もつくられています。ふっくらとした風合いになり節の十字が現れます。そして軽くて薄く着やすい牛首紬をということで従来の3分の2の細さの玉糸づくりに取組み2割りほど軽くなった牛首紬も開発されたのだそう。
●加賀友禅●
加賀友禅の起源は約500年前の加賀独特の染め技法であった梅染といわれています。梅染とは梅の樹皮や芯材を細かく砕いて炊きだした染液につけ石灰などで媒染する無地染めのこと。梅染の染法で黒味を帯びた色に発色させたものは黒梅染と呼ばれました。模様が施されるようになったのは加賀御国染めとよばれる兼房染や色絵、色絵紋が確立された17世紀中頃で、この頃に現在の加賀友禅の基礎が確立されたようです。
加賀友禅はこの加賀御国染を基に京友禅の創始者といわれる扇絵師宮崎友禅斎が、晩年金沢の太郎田屋に身を寄せ、加賀御国染にデザインを持ち込み確立した染色技法とその作品といわれていますが、この友禅斎の出世譚が岸駒に酷似していること考察され、現在では宮崎友禅斎はあくまでも扇絵師でありデザイナーであったとされています。現存するもので、宮崎友禅斎の手によるものと確定しているものは扇1本のみです。
6年前に日本きもの学会の加賀産地研修にて大変お世話になりました。懐かしい~♪
柿本市郎先生と
展示されている中で、コレ欲しい!!!と思った「加賀友禅師事系図」
加賀友禅の組合がつくったものではなく、京都の問屋さんがつくられたものなのだそう。
囲われているのは故人というわけではなく、加賀友禅の組合に入っていないということのようです。加賀友禅の作家の息子が京友禅や東京友禅の師匠につくということもよくあるのか、ややこしいですが、一覧にすると師弟関係がわかって良いですね。
次は体験レポです♪
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ブログについて考えた / ブログの日
●どうしてブログをはじめたのか…?
もともとは自分用の日々のコーディネート覚書でした。それを発信することによって、「朝香沙都子は常にきものを着ている人」と定着させてしまおうと考えました。「なんできものなの…?」と聞かれるのが面倒だったのです。そして、誰もができるブログという形で発信することで、日本人がきものを着るということは特別なことでなく、あくまでも日常の延長線上にあるもの…と、広めようと思ったというのが、毎日更新する理由です。
●ブログをつづける理由
ブログは無料で公開にしていますが、広告バナーは貼っておりません。故にブログからの収益は1円もありません。疑問にもたれる方もいらっしゃるようですが、広告バナーがあるとブログが見にくいのです。ブログは私にとっては商売でなくオタクの道楽の一つです。自分磨きのお稽古事のようなものでしょうか。ですが人にみていただくことで、内容に責任が生じることを自分に課しております。そしてここから派生した他媒体への寄稿(著者としての仕事)などはあります。※ちなみに三越のイベントなどは無料ボランティアです。
「きものカンタービレ」は多くの方に見ていただいて少しでも楽しんでいただければ幸い。取材先、好奇心ありありの私、きものカンタービレ読者、多方面にwinwinの関係になれることを望んでいます。
企業秘密は死守しておりますし、ネガティブなことは極力書いておりません。ですが、きものエンドユーザーとして、売り手の方に対してとても厳しい目線で見ております。
私はあと50年はきもの生活をしたいと思っています。果たして50年先にも自分が着たい!!と思うようなきものがつくられるかどうか…とても危惧いたしております。きものエンドユーザーとして情報配信することでできるだけ多くの人にきものに興味をもっていただけること、そしてきもの業界の活性化を願って日々更新しています。
ブログが過疎化しているといわれていますが、今でも日に50,000~70,000PVのアクセスがあります。
2016年1月のアクセスは1,8775,356PVです。
もちろんみてくださる皆さまのおかげでございます。感謝いたしておりますm(_ _ )m
facebookページのインサイトで確認すると20代~30代(25-34)の読者の方が急増しています。これは良い傾向なのでは♪
きものブログ毎日更新5年目を区切りとして、この春より新たな道へと進んでいきたいと思っております。
今度ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
朝香沙都子拝
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輪島塗の沈金に挑戦♪ いしかわ伝統工芸フェア at 東京ドームシティ プリズムホール
私は柘榴を選択。漆板に下絵を貼り間にカーボン紙を挟んでなぞっていきます。
漆板にうっすらと跡が残ります。
本来は美濃和紙に下絵を描き下絵の裏面を水で溶いた白粉でなぞって写し取ります。置き目という工程。
沈金用の金属ノミは角度で太さを変えることができます。
まずは練習!
これは難しい~っ!!!
刃がたたない、曲線が書けない、○にいたっては○にならない。
1時間の体験で上手に彫るというのは絶対無理とわかったので、ザックリ感覚でやってみることに。
荒彫りしてから細かな線や点を彫る仕上げ彫りをしていきます。
彫りあがったら、漆引。塗板の面に漆を塗ります。
少し置いて拭き取ります。彫った部分の凹みに残った漆が接着剤の役目となるのです!
柘榴の花と落款には純度の高い金粉を
葉と枝には青っぽい金粉を、凹みに入るように叩き込みます。
漆黒の闇に光る金は美しい~
トレーにあるのが、手前から青っぽい金、金、漆
絶対にプロにはできない…、大雑把すぎる作品が完成しました(=◇=;) ←棟方志功っぽい?
お隣のブースでは、加賀友禅と加賀繍のワークショップが開催中。
右の美人は加賀繍の高田千春先生。昨年のワークショップでお世話になりました!
真ん中の前は加賀友禅協同組合事務局長の中川聖士さん、後ろは加賀友禅作家の山田武志先生。
昨年体験させていただいた、加賀繍も楽しかった~♪ レポートはこちら☆
北陸新幹線の開通で近くなった石川県。
観光しつつ、その地域の伝統的工芸品をもっと深く知りたいところです♪
金沢は美味しいものがたくさんあるし、美人が多い!
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BLOG of the year 2015 表彰式&懇親会 at ザ•プリンスパークタワー東京
BLOG of the year 2015 表彰式へ♪
ameba公式トップブロガーのひとりとしてお招きいただきました。
会場はザ•プリンスパークタワー東京。梅の花が満開です
「BLOG of the year」は、アメーバーが主催しているその年で最も注目を集めたブロガーの表彰式。
芸能界のブロガーさんが主体ですので、多くのメディアが取材にきていました。
年間で6000超回もブログ投稿をされるという、市川海老蔵さんがプレゼンター。
最優秀賞◇北斗晶さん、佐々木健介さんご夫妻。
優秀賞(オフィシャル)◇樽美酒健二さん、ぺこさん、土屋太凰さん、後藤真希さん、織田信成さん、高橋克典さん。※写真は日刊アメーバーニュースより転載
壇上は芸能人オーラーでキラキラ 海老蔵さんは歌舞伎のときより良い声だった気がする…。
トークセッションでは芸能人の方のブログに対する思いやエピソードという貴重なお話を拝聴。皆さんコメント欄を活用したり楽しんでいらっしゃるようで正直びっくり。
優秀賞(一般)◇「半径3メートルのカオス」「コバヤシの、ハードロックな介護」
Ameblo公式トップブロガーコンテスト(←はじめて知った)のグランプリ受賞者なのだそうです。
どちらもイラストレーターさんのブログ。実物も素敵な方々でした♪
芸能人の人気ブログは、何気ない日常(プライベート)の一コマを切り取る。
一般人の人気ブログは、日常を紹介できるイラスト力+鋭い観察力、もしくは超!得意分野がある。
ということのようですヽ(゚◇゚ )ノ
芸能ニュースなどで紹介されておりますのでそちらをどうぞ☆
表彰式の後には、公式トップブロガーの懇親会がありました
女子率が高しでデザートはあっという間になくなりましたがお料理は食べきれないほどいっぱい。
ビンゴ大会では、一眼レフカメラ、ルンバ、家事代行サービス、お食事券、ディズニーワールドチケットなど豪華賞品が!私は残念なことに当たりませんでした~。
お土産は、amebaくんのペットボトル、たべっ子どうぶつビスケット。ビンゴの残念賞のチョコレート。
※Amebloの担当者さまが写真を送ってくださいました! ありがとうございますm(_ _ )m
懇親会用につくってくださったブログ紹介のスライド
ビンゴ大会の様子♪
ブログもSNSも人と人の交流ツールとしてつかわれる方が多い中で、コメント欄も開かず、ブログ友達もつくらず、一方的発信のみの私ですが、極めている!人の話をお聞きするのは大好き♪
トップブロガーの皆さま、サイバーエージェントの皆さま、ありがとうございましたm(_ _ )m
きものブログは覚えていただきやすく、そしてとにかく目立つ!
ブロガーとしては利点だと思いますが、人様にみられて困るようなことはできないと改めて知る…(^_^;)
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ドレスコード自由の式典の装い / 天平聖武絹の後染め暈しに双鴛鴦文の唐織帯
日本人は散り際が良い桜を好むといわれますが、ほのかに香りこぼれ落ちる梅も大好き
メジロも梅の香に誘われて来たのでしょうか。メジロの撮影に夢中
~ BLOG of the year 2015 表彰式の装い ~
ホテルでの式典ですが、「ドレスコードは自由」と事前にお知らせがありました。
和装でいくのはきっと自分だけだろうな…と予想。←当り
紋付というほど畏まらず、でもきちんと感がある装いで。
しゃれ紋の入った色無地感覚の暈しの付けさげに唐織の帯を選びました。
ヘアセットは美容院にお願いしました。
牛田織物の天平聖武絹の後染め暈し付けさげに双鴛鴦文の唐織のなごや帯
刺繍紋はきもの学会仲間の月聖子の加藤美恵子先生にお願いしました♪
花喰鳥の色は自分で糸を選んでお願いし誂えたもの。
帯の格は、文様と織で決まります。唐織のなごや帯はセミフォーマルまで対応。
帯あげは京都きねや、帯〆は龍工房
バッグは平緒文様のバッグはかづら清老舗、ぞうりは四谷•三栄の12段グラデーション
式典ですのでヘアは美容院にお願いいたしました。
きものがシンプルなので、ボリュームをだしてクラシックに♪
旧正月のこの日は、授賞式に相応しい、まさに新春の陽気でした♪
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志村ふくみ先生のお弟子さんの紬裂地 × 菱屋カレンブロッソ
松葉杖でもきもの生活で驚かれましたが、靴では歩けなかった…というのも理由のひとつです。
草履の中でも、やはりカレンブロッソは軽くて歩きやすい!
今ではきもの愛好家のカレンブロッソ率が高くて、迂闊に草履を脱ぐと他の人のものと交じってわからなくなってしまうこともあります(^_^;)
そこで、オリジナルのカレンブロッソをつくろう!と、いくつかお願いいたしておりました。
ずいぶん前にできあがりました!とご連絡いただいていたのですが、松葉杖でも出歩くものの、なかなか六本木ミッドタウンに伺えずようやく受け取りました♪ 廣田さん、お手数をおかけいたしましたm(_ _ )m
志村ふくみ先生のお弟子さんの紬の裂地を花緒の表地につかいました。
※志村ふくみの裂地と書いてしまいましたが、お弟子さんの織られたものでした。訂正しお詫び致します。
それにあわせて、カレンブロッソで選んだのは、スウェード調の合成皮革花緒の裏地と前坪。
光沢のある絹地風の草履の天生地。
台は木目調のものをチョイス。
紬地のブルーと花緒裏のブルーが相俟ってとっても良い
前坪の臙脂色も効いています!
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紀元節 〜 建国記念の日 / 諏訪好風の毘沙門亀甲文様の茜染に椿の染め帯
2月11日は建国記念の日です
その由来は、日本を統一したといわれる神武天皇の即位の日。
古事記では、神倭伊波礼琵古命(カムイヤマトイワレヒコノミコト)
日本書紀では、神日本磐余彦尊(カムイヤマトイワレヒコノモコト)
と称され、奈良時代に淡海三船により歴代天皇の諡号(高貴な方の死後におくられる美称)を漢風に一括選定、追贈されたときに神武天皇とされました。
日本書紀によると、神武天皇が大和橿原の宮にて即位されたのは「辛酉年春正月庚辰」とあり、歴代天皇在位年数をもとに逆算すると、西暦紀元前660年にあたるそうです。
即位月が春正月、即位日は庚辰とあるので、それにより神武天皇即位の日を紀元前660年2月11日としたそうです。※他にも説があります。これが戦前に行われていた四大節のひとつ紀元節です。
現在は宮中祭祀において紀元節祭は行われていませんが、昭和天皇と今上天皇は2月11日に宮中三殿で臨時御拝を行い、橿原神宮へ勅使を派遣されています。
神武天皇を橿原の地へと導いたのは八咫烏。
三本足の烏といわれますが、古事記も日本書紀も足が三本であるとは書かれていないため、
後世になってから中国の三足烏と混同されたという説が有力です。
安達吟光「神武天皇東征之図」 Wikipedia commonsより
四大節とは、四方節(元旦)、紀元節(のちの建国記念の日)、天長節(昭和天皇誕生日~みどりの日~昭和の日)、明治節(明治天皇誕生日~文化の日)。
天長節とは、今上天皇のお誕生日のことです
大正天皇のお誕生日は8月31日でしたが、明治天皇の崩御直後だったために大正元年には行われず、翌年は祝われたものの翌々年は猛暑で行事催行が困難とされ2ヶ月後を天長節としたのだそうです。崩御後に誕生日も天長節も祝日とすることがなかったので、現在でも祝日になっていません。
ちなみに、皇后陛下のお誕生日は、地久節(ちきゅうせつ)といいます。現在は10月20日です。
【2月11日の装い】東京◇富士山が良く見える日本晴れ(湿度25%) / 最低気温2℃ 最高気温12℃
野の花工房の諏訪好風の白山紬地の毘沙門亀甲の茜染にデフォルトされた椿の染め帯
帯あげは京都きねや、帯〆は龍工房
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深石隆司さんの植物染料探訪ツアー at からん工房 / ぬぬパナ八重山勉強会の旅 その17
川平織の深石美穂先生を訪ねる at からん工房 / ぬぬパナ八重山勉強会の旅 その16 のつづき(^-^)/
川平織の透明感をつくりあげるのは、八重山の植物たち。
それらは、工房の周りに自生しているとのことで、深石美穂先生のご主人の隆司さんに案内していただきましたヽ(゚◇゚ )ノ
<ヤエヤマアオキ>アカネ科の植物で樹皮や根が朱系の染料になります。
インドネシアではバティックの染料としてつかわれているもの。
ヤエヤマアオキの実が「ノニ」といわれる健康食品の素です。そういえば、ノニジュースとかありますね。
<ゲッキツ> 月橘と書きます。月の橘!良い名前~♪ ミカン科の植物で花はジャスミンのような良い香りがするのだそうです。黄緑色、媒染によってコクがあり美しい灰色になります。
<オオタニワタリ>シダ科。
石垣島の森の賢者というお店で天ぷらでいただいたのですが美味しかった!!!筍のような味がします。
この植物染料探訪ツアー、工房の周りなのですが…。どんどんジュラシックパークのような鬱蒼とした森の中へ歩いていきます。
この日、ギプスをはずして松葉杖生活4日目のことで…、じつは歩くのが精一杯。
メモも取れずで、、、教えていただいた植物の名前と色が今ひとつ一致していない(・_・;)
途中で待っていようかな…とも思ったのですが、本当に恐竜がでてきそうなところで…、必死でついていきました(^_^;)
染織探訪の旅は、ときに大冒険となります…
無事に生還♪
ほとんど手で歩いたようなものですが、ものすごく達成感がありました~\(゜□゜)/
この日はお天気が曇りだったのですが、晴れていたらこんな美しい川平湾がみえます。
青い空と青い海、そして太古の森のような大自然から川平織は生まれます。
深石美穂先生とチームぬぬパナ♪
からん工房の皆さま、ありがとうございました!
市松花絽織の川平織…、いつか着てみたいです:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
八重山染織探訪の旅はまだまだつづきます。まだ前半です(ノ゚ο゚)ノ
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からん工房の深石美穂の一玉絣の変り井桁絣の川平織に読谷山花織の帯
からん工房の深石美穂の川平織です! しかも大好きな大きな絣!! 一玉!!!
「玉」は絣の単位。琉球では身分の高い人ほど大きな絣を着ることが許されました。反物幅に絣一つは一玉。身分が下がっていくほど絣の数は多くなります。
今は大きな絣は好まれないから…と琉球絣や宮古上布などでもあまりつくられていませんが、私は大きな絣が大好きです。
赤城の座繰りの節糸の羽糸がつかわれています。
撚りはかかっていないので独特の柔らかい風合いです。織りのときに駒糸を加え張りをもたせて、柔らかいけれど頼りなくない感じをだしたのだそう。赤みがかった灰色は、石垣島の椎の木と月橘で染められています。
「四十八茶百鼠」といわれるほど、江戸時代に町人たちは茶色、鼠色に多様で繊細な色をつくりだしました。粋で洒落た色です。こういった色目のものは上質でないと、只人が着こなすことは難しい。この川平織には、絹本来の光沢と草木染めの淡く深い色の力があります!スゴイ!!
【2月13日の装い】東京◇晴れ(暖かい!花粉が飛んでいます!!) / 最低気温8℃ 最高気温22℃
からん工房の深石美穂の一玉の変り井桁絣の川平織と読谷山花織の帯とコーディネート
大きな絣のきものには、細かな花織の帯。文様のバランスをとります。
帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房
上原久美の八重山上布のシーサーを帯飾りに。琉球染織でまとめてみました♪
バッグは松枝忍の古布コラージュ、ぞうりは菱屋カレンブロッソ
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三島由紀夫「女神」に、カクテルはドレスの色にあわせて選ぶ…と父が娘に教えるシーンがあります。
帯あげの色にあわせて、キウィのカクテルを選んでみました♪
実は、この川平織、ぬぬパナの浦令子さんより頂いたものなのです♪ ←大きな誕生日プレゼント
セント•バレンタインデー♡ / ハートに見える文様、チョコに見える紬
2月14日はバレンタインデー
ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は兵士の志気が下がるという理由で婚姻を禁じますが、キリスト教司祭のウァレンティヌス(ヴァレンタイン)はこの禁令に背いて結婚式を執り行ったために処刑されてしまいます。処刑の日となった2月14日は結婚を司る女神ユーノーの祝日でもあり、ルペルカリア祭という男女の出会いの祭のはじまりの日でもありました。後にキリスト教はルペルカリア祭は風紀を乱すとして廃止するために、ウァレンティヌスを殉教者として祀る祭日とします。そしてこの日は恋人の日として定着していったというのが定説です。
日本では女性から男性へチョコレートを贈って愛を告げる国民的行事となっています。
日本のバレンタインの起源は1936年のモロゾフによる広告掲載が最初といわれています。メリーチョコレート&伊勢丹説、ソニープラザ説もありますが、メリーチョコレートの創業者はモロゾフの菓子職人とのことなので、後発なのでしょう。女子が男子にチョコを贈るという習慣は1970年以降に定着したもののようです。
知らなければこう見える…。
葵文様はハートのように見えます
こちらは板チョコのようにも見える紬
記念日やイベントが生活に定着する背景には、商業的な戦略がありありと見えます。
でも楽しければ、それに乗せられるのもやぶさかではない。それが日本人だと思います。
消費者が楽しめるのなら「きものの日」「呉服の日」も盛りあがるような気がするのですが、<業界の活性化>というお題目にだけに目がいっていて、肝心のきものを着る人が楽しめる日ではないのが、盛りあがらない原因なのでは…(・_・;)
現在は商業的なイベントといわれる、クリスマスやハロウィンのほうが、きものエンドユーザーも楽しむことができるのが現状です。
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「季節感表現」の出現と流用 / 共立女子大学の博士学位請求論文の公聴会へ
共立女子大学の博士学位請求論文の公聴会へ♪
染織服飾研究の第一人者でいらっしゃる、長崎巌先生よりお声がけいただきました。
発表者は金井光代さん。大学卒業後に社会人としてメーカー勤務された後、大学院博士課程に進まれています。
論文のテーマ「日本人の〝衣服の季節感表現〟に関する研究 ~その特徴と文化史的背景~」
公聴会の聴講は久しぶりのこと。染織関連でははじめてです。
論文の概要は割愛いたしますが…、眼から鱗だったことをφ(.. )
「季節にあわせた装いを~。」などと、今日常的につかっている「季節」という言葉。「季節」という言葉は古くからあったものでなく、明治中期以降にあらたに出現した言葉なのだそう。日本の伝統文化と深く関わっていると思われる「季節」の語は、実は英語のseasonの訳語。従来のものでは表現できなかった新しいものゆえに生まれた言葉でした。なので今の季節という言葉の認識は明治前の日本人の感覚とは違うということ。
平安時代の「かさねの色目」は季節感表現のひとつだが、見立ての技法のひとつと解釈。この時代は平和だったゆえに、衣服による表現があったが、武家社会になると形骸化して失われていく。※生きるか死ぬかの時代は、祈りのような吉祥文様などが尊ばれる傾向だったと、以前に長崎先生の講義でもありました。
明治以降に衣服による季節感表現が大きくでてくるのは、三越の前身であった三井呉服店の衣服の流行をつくりだし季節の変わり目こそ新しい衣服の買い時という広告戦略によるものであった。という知見でした。
これは衣服の季節変化に対する心理的対応の説であって、衣更えなどの物理的対応の話ではなかったのですが、たいへんに興味深いものでした。
戦後に日本人の季節感覚が失われつつあることに危惧しだしたときに「季節感」という言葉がつかわれるということを鑑みても、現在のファッションの潮流に重なるものもあるような…。こういった研究と流通が上手く連動できないものなのだろうか…。←と、なぜか一般人の私が考えてしまう(+_+)
専門分野の先生方による質疑応答も含めて、とても勉強になりました。面白かった!
長崎巌先生と金井光代さんと
長い歴史の中での季節と衣服という事例、要因、さまざまな関連性の立証は、膨大な文献を漁ることになります。ここまで深く突き詰め研究されるということが羨ましくも思いました。
こちらは長崎先生の染織文化研究室。
膨大な染織関連資料と現存遺品、そして長崎先生から教えを受けるという贅沢さ!
学生時代は本当に学びたいことが把握できておりませんでしたが、今ならわかる…。
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養蚕の当銘光子さんを訪ねる / ぬぬパナ八重山勉強会の旅 その18
深石隆司さんの植物染料探訪ツアー at からん工房 / ぬぬパナ八重山勉強会の旅 その17
昨年の「ぬぬぬパナパナのぬぬ」大阪展の「朝香沙都子がつくり手に聞く」というレクチャーの中でご紹介した八重山で養蚕をされている当銘光子さんを訪ねました。
石垣島には戦前から養蚕農家があり蚕を育て繭を本土に出荷していました。養蚕組合もありましたが、1980年代に中国産の繭の大量輸入によって繭の価格が大暴落してしまい、ほとんどの人がやめてしまったのだそうです。現在は当銘光子さん、森田みゆきさん、上原久美さんらほんの数人の方がされています。
当銘光子さんはサトウキビとパイナップル農家と兼業しながら、養蚕~糸繰り~精練~染め~織りと、一環工程すべてをこなし、石垣島の養蚕と絹織物の技を今も伝承されているのです。
当銘光子の石垣島で養蚕から染め、織りまでされたストール。
森田みゆきの石垣島の養蚕、染め、織りまでされたストール
「朝香沙都子がつくり手にきく」のレクチャーの様子。※写真をいただきました
説明くださっているのは、上原久美さん。上原さんは八重山上布と養蚕と両方をされています。
上原さんの手前にあるのが、石垣島の養蚕からつくられた着尺。
ぬぬパナの原点•アトリエMORIへ•芭蕉布と上布 / ぬぬパナ八重山勉強会の旅 その19
養蚕の当銘光子さんを訪ねる / ぬぬパナ八重山勉強会の旅 その18 のつづき(^-^)/
ぬぬパナの原点、森泉さんと故森伸子さんの宅「アトリエMORI」へ。
「ぬぬぬパナパナのぬぬ」について、あらためて。
沖縄八重山地方の方言で、ぬぬぬ→布の、パナパナ→端々、ぬぬ→布のこと。
糸を紡ぎ染め織りあげる作家さんと、そのぬぬ(布)を纏う人のハシとハシをつなぎたいという想いが込められています。この会は主宰者の浦令子さんが染織作家の故森伸子さんと出会ってはじまりました。
故森伸子の八重山上布
東京生まれの森伸子さんは石垣島に移住し染織に従事します。そして2002年からインド南部地方のある村で実芭蕉(バナナ)の繊維からの糸づくりの技を伝える活動をされていました。その村には実芭蕉はあるけれど、産業というものがなかった。そこで実芭蕉の繊維から糸つくって布に織りあげ販売につなげるという試みをされるのです。残念なことに2007年にご逝去されてしまわれました。
日本では芭蕉布になる糸は、糸芭蕉からつくられます。
沖縄本島の喜如嘉では機結び、八重山では撚りつなぎで糸績みされます。こちらは喜如嘉の糸芭蕉。
こちらが実芭蕉(バナナ)。比べてみると違いがわかるでしょうか。
森伸子さんは実芭蕉からとる繊維は煮ずに生引きにされています。この製法は皮芭蕉、生芭蕉ともいわれ西表では昔からされていた方法。※ちなみに、ぬぬパナの亀田恭子さんが糸芭蕉から生引きの皮芭蕉の作品をつくられています。
森伸子さんのご主人、森泉さんと
泉さんは染織の勉強をとくにされたわけではなかったそうですが、伸子さん亡き後、機に掛かったままになっていた上布を織りあげてしまいます!
もともと何でもつくってしまう方で、この家も工房も、そして織機も!泉さんがつくったものなのだそう。伸子さんの染織のために道具づくりをしていたことが、その技を継承することにつながった…。
「島の暮らしはね、何でも自分でつくるんだよ~。つくっているときが一番楽しい。」とのこと。
自然布には暮らしの能力?のようなもの(自然との共生力含む)が反映されているように思います。私にはその環境も能力もない…。だから自然布に魅かれるのかな…とあらためて気がつきました。
ぬぬパナ技術担当の原千絵さんによる出前レクチャー中。
インドの実芭蕉(バナナ)からとった繊維の芭蕉糸をみせてくださいました。キラキラした美しい糸です。
森泉さんが織った芭蕉布は、経糸ラミー(機械紡績苧麻糸)×緯糸インド芭蕉(バナナ繊維)。
八重山では、経糸と緯糸の異種の糸をつかった織物は交布(ぐんぼう)といいます。
芭蕉の糸ならでは張り、そして独特の透明感がありました。
インドの実芭蕉(バナナ)の葉脈繊維からつくられた糸を緯糸にしたインド芭蕉布(八重山交布)です。
森泉の八重山上布。
上布の定義は苧麻糸をつかって織られた極上の麻布のこと。宮古上布は経糸、緯糸、どちらも手績みの苧麻糸がつかわれていますが、八重山上布は原材料不足から経糸にラミー(機械紡績苧麻糸)がつかわれることもあります。経糸、緯糸が共に手績みの苧麻がつかわれたものは、石垣では本上布といわれていました。 ※帯は瀬底島のべにきちの紅型麻帯。
経糸ラミー(機械紡績苧麻糸)ー×緯糸手績み苧麻糸。
ぬぬぬパナパナでは、糸は何か、染料は何か、そして誰の手でどこでつくられているものなのか、わかりやすくスペック表示されています。 ※帯は亀田恭子の絹×苧麻の交布
森さん宅で、風を纏うように着る<ぬぬパナ小袖>をチームぬぬパナで思案。
今年の初夏のぬぬぬパナパナ展では、森泉さんの経糸ラミー×緯糸インド芭蕉のインド芭蕉布の小袖を纏った浦さんをぜひチェック!?してみてください。
そして翌日の夜も再び森さん宅へ。
和裁師の松下妙子さんによる、自然布の仕立てにまつわるエトセトラ講義。
つくり手向けレクチャーなのですが、自然布を知らない呉服屋さんや和裁師さんがいるこの時代です。きものを着る側は知っておいたほうが良いのかもしれません。
森泉さんにはアレコレと…、上原久美さん、平良佳子先生には八重山滞在の最終日にも空港まで送っていただきました。そして石垣島の皆さま、本当にお世話になりました。ありがとうございました~m(_ _ )m
さあ、次は日本の最西端の島へと向かいます♪
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