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シナノキに会いにいく / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その3

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ウエルカムパーティー♪ at たちばなや / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その2 のつづき

この日(11月15日)は楽しみにしていた、「糸績み」と「しな織」のワークショップ。
その前に、シナノキ林を見に連れて行ってくださるとのことヾ(@°▽°@)ノ

シナノキが生えている山の中も歩けるように気合をいれて、モンペ代わりの水屋袴。
ちょっと妙な後姿なのですが…、着脱が楽なように工夫されています。


庄内地方に初雪が降った寒い日で、霙まじりの雨。

「バスで近くまでは行けないので歩きますよ~」とのことでしたが、
舗装された車道でしたので、カレンブロッソで全く問題なし。
もっと鬱葱とした山の中を歩くものだと思っておりました(^_^;)

ありました! シナノキです。

シナノキの「シナ」の語源はアイヌ語の「結ぶ•縛る」からきているのだそうです。
シナノキ科シナノキ属のオオバボダイジュ、ノボリボダイジュ、シナノキの樹皮繊維を
しな布の材料としていて、地元ではオオバ、チュウバ、コバとつかいわけているとのこと。

シナノキは日本の特産種で北海道から九州まで全国に自生していますが、
オオバボダイジュは信州から北海道まで。
ちなみに江戸時代の国学者である賀茂真淵は「科野という国の名もこの木より出たる也」
と信濃の名の由来はシナノキであると書いています。

シューベルトが似合う樹だなと思ったら、菩提樹はシナノキの仲間だったのですね。

シナノキは伐採しても15年で成木になるとのこと。
山の斜面に自生するとのことでしたが、なぜかしら…(・_・;)?

シナノキの樹皮を剥がすと現れるシナノキの美しさのお話をお聞きしていたので、
(剥がす時には梨のような甘い香りがするのだそう~)
山に自生するシナノキに会えたのは嬉しかったです(〃∇〃)♪
今度は梅雨の時期にシナノキを伐採するところ(男の仕事だそうです)をぜひみたい。


しな布づくりのワークショップと「日本の自然布展」が開催されている関川しな織センターへ

こちらにもシナノキがありました。


ここは外見からは想像できないほど、内装が素晴らしいところでした!

天井の高さを生かした樹皮を剥がしたツルツルのシナノキをつかった展示が素晴らしいヽ(゚◇゚ )ノ

しな布の手提げ

カジュアルからエレガントなものまで、帽子

私はやっぱり帯と日傘が欲しい…(+_+)

しな布の魅力を伝えるのにとても効果的でした♪


つぎは、しな布づくりのワークショップです(^-^)/

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しな績みとへそかき 〜しな布づくり体験〜 / 2014年 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その4

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シナノキに会いにいく / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その3 のつづきです(^-^)/

いよいよ、しな布づくりのワークショップですヾ(@°▽°@)ノ

しな布はシナノキ、オオバボダイジュ、ノボリボダイジュの樹皮繊維からつくられます。

かつては丈夫で水に強い特性を生かして、着るものとしてだけでなく、
穀物を入れる袋や酒や豆腐を漉す布、漁網やロープとしてもつかわれたといいます。
ザックリとした手触りと素朴で落ちつきある風合いが魅力♪
現在は山形と新潟の県境にある、山形県鶴岡市関川、新潟県村上市山熊田(山北)、村上市雷
の3ヶ所の地域でつくられ、「羽越しな布」として伝統的工芸品に指定され、
布の素朴な風合いを生かしたタペストリー、帯、手提げ袋、帽子、日傘などがつくられています。


【しな布づくりの工程 ~前半~】
①「皮はぎ」 シナノキを伐採し枝を落とす。樹皮を剥ぎ表皮を剥ぐ。(6月中~下旬 1日)
②「乾燥」 天日で乾燥させる。その後屋根裏部屋などで保管。(7月中旬 7日間)
③「水つけ」 しな煮をはじめる2日前くらいに水につけておく。
④「巻く」 取出して釜に入る大きさにグルグル巻き十文字に結う。
⑤「しな煮」 巻いたしな皮、木灰、ソーダー、水を入れて10~12時間煮る。(8月上旬 4日間)
⑥「へぐれたて」 水で洗い、揉み解し、1枚1枚剥がしていく。
⑦「しな扱き」 川で流れの方向に石や竹棒で扱いていく。これによって繊維を取出す。(8月下旬)
⑧「しな漬け」 綛にし桶に入れ、小糠と水で2昼夜漬込んでから、川で洗い流す。(9月上旬 2日間)
⑨「しな干し」 軒先などに吊るして完全に乾燥させる。(9月中旬 2日間)
⑩「しな裂き」 水に濡らして細く裂いて糸にする。裂き終わると束ねて乾燥。(11月上旬 10日間)

※参考 羽越しな布振興協議会HP

ここからがワークショップです♪

⑪「しな績み」しなを績んで糸にする。
しな裂きされた束をいただきました。

薄~い干瓢(かんぴょう)のような印象でしょうか…。

自分のウエストに紐を巻いてそこに束を通します。
これによって、糸の天地の向きが狂わない。
自然布の多くが地中に生えていたときの天地の位置が重要で、地と天を績んでいきます。

幅があるところを親指をつかって裂いて穴を空けます。

裂いた一方に別の糸を並べて撚りあわせます。

もう一方も撚りをかけ、さらに逆向きに上撚りをかけます。

こうして績んで長い糸にしていきます。

関川の方々がとっても丁寧にご指導くださいましたが、私は根っからの不器用…汗
皆さまが着々と長い糸にしていく中、こんがらがっちゃったり撚りが戻ったり(>_<)

後ろで歓談する古代降り産地連絡会の皆さまの、芭蕉布はこう、藤布は、アッツシは、
八重山の苧麻は、山北では…という話が面白すぎて気になる…(-_☆)

糸づくりは古代織の各産地の中でも独自のやり方がありますが、長い間に淘汰され、
効率が考えられており、理由があります。


⑫「へそかき」
績み終わったしな糸はへそ玉にします。(11月下旬)

親指を中に入れて巻いていきます。

へそ玉の完成ですヾ(@°▽°@)ノ
績んだ糸を巻き付けたものを綜麻(へそ)といいます。なので「へそ玉」
ちなみに、この「綜麻」が「へそくり」の語源といわれています。←実はこの旅で知りました(^_^;)
へそくりは「臍繰り金」の略ですが、もとは「綜麻繰り金」で、綜麻を繰って貯めたお金のこと。
体験すると、よーーーーーーーーくわかるのですが、糸づくりは大変です。
そして糸づくりは主に女性の仕事。
器用であれば、細く長い糸を績むことができ、収入が入りました。
それによって蓄えたお金を綜麻繰り金といいます。
お金をお腹周りに隠しておいたこと、「綜麻」と「臍」が混同され臍繰り金になったようです。


つぎは、しな織体験です(^-^)/

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しな織 〜しな布づくり体験〜 / 2014年 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その5

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しな績みとへそかき ~しな布づくり体験~ / 2014年 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その4 のつづき

【しな布づくりの工程 ~後半~】
⑬「しな撚り」 へそ玉を濡らして糸車で糸に撚りをかける。(11月末~12月初旬 3日間)
⑭「枠うつし」 うったてという台に木枠をのせて、糸を移す。(12月中旬)

⑮「整経」 へばという整経台に糸をかける。 ※写真は原始布•古代織参考館

⑯「千切巻き」 織機の千切に巻いていく。間に機草(はたくさ)を挟む。
⑰「綜絖通し」 綜絖に通す。(2月中旬 2日間)
⑱「筬通し」 筬通し

⑲「織りつけ布に結ぶ」
⑳「管巻き」 緯糸を管に巻き杼に通す。


ここからがワークショップですヾ(@°▽°@)ノ

㉑「織る」 しな布を織ります。

体験用の高機でコースターを織りました。平織です。

しな糸は滑らないので緯糸を通すのが難しい。

端を美しくするには、糸を引きすぎてもダメ緩ませてもダメ。

…って、ガタガタですが(-。-;)

筬の打ち込みは強くなのかな…(・_・;)


この時に織ったしな布のコースターが送られてきましたヾ(@°▽°@)ノ

不器用な私が織った不揃いな織り目も粗野なしな布だとまた味になって良し合格
加賀棒茶を入れた備前が似合うコースターになりました♪


古代織産地連絡会のツアーに参加される方は、美大で染織を勉強されていたり、
ご自身でも機織りをされているような方ばかりで、私のようなド素人は珍しいのですが…^^;
結果はどうであれ、体験させていただくことによって見えてくるものがたくさんあります。
私の場合…、そりゃあお値段が張るのも当たり前だわ…と身を以て知る(・_・;)


次は、日本の自然布展&古代降り産地連絡会レクチャーです(^-^)/

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2014年 「ぬぬぬパナパナのぬぬ」まとめリンク

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古代織産地連絡会のしな布ツアーレポの途中ですが、
「糸からつくる」作家つながりの、ぬぬぬパナパナのぬぬ展のまとめリンク。

糸づくり…。
それは、糸となる植物を育てるところからはじまります。
忘れがちですが、自分が纏っている布の糸1本も、それは命あるものからいただいたもので、
誰かの手で紡がれて(績まれ)織られています。

そしてそれは完璧なもの(変色しないとか痛まないとか)ではありません。
素朴であり、その風合いには、生きているものから得た暖かみがあり、着ているうちに身体に
肌に馴染んでくれたらいいな…と。

自然の賜物である美しい布、日常にサラッと身に纏いたい。←願望です

そんなことを皆さまと一緒に考える井戸端会議を、
ぬぬぬパナパナのぬぬ東京展ではさせていただきました。

東京での初レクチャー講師をします! / ぬぬぬパナパナのぬぬ展
お知らせ / 「ぬぬぬパナパナのぬぬ」展 レクチャーの申込みについて
ぬぬぬパナパナ展 @ 準備中
ぬぬぬパナパナ展 はじまりました @なう
ぬぬぬパナパナ展 キモノ文化講座①「キモノ井戸端会議」at ラ•ケヤキ
10年目のうちくい 、美しすぎる布たち at ぬぬぬパナパナ展
ぬぬパナを着てみた! 小峰和子の手紡木綿 at ぬぬぬパナパナ展
ぬぬパナを着てみた! 平山ふさえの芭蕉布 at ぬぬぬパナパナ展

その後、主宰者の浦令子さんのピンチヒッターとして大阪へ。
ぬぬぬパナパナのぬぬ大阪展ではつくり手さんからお話をお聴きする役も。

大阪へ 「ぬぬぬパナパナのぬぬ展」@ なう
ぬぬパナ推奨の六寸帯 @なう
ぬぬぬパナパナのぬぬ 大阪展 at 阪急うめだ本店
ぬぬぬパナパナのぬぬ 大阪展「つくり手に聞く 素材の話~苧麻•芭蕉•棉•羊毛~」

2015年も同じ場所で開催されます。またご紹介いたしますね(^-^)/


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ポインセチアのような塩沢紬にガス灯の染め帯

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この塩沢紬はどことなくポインセチアのような花柄なので、クリスマスコーデをしてみました。

クリスマスカラーのポインセチア。赤く染まっているところは花ではなく葉。
日本には明治時代に入ってきて、和名を猩猩木(しょうじょうぼく)といいます。
伝説の顔が赤くなる猩猩に例えられているのだそう。


●越後の織物の歴史
753年(天平勝宝5年)東大寺仁王会でつかわれた屏風を入れる布袋が苧麻と大麻で
織られた麻布がつかわれており、貢納布としての記述も残っています。
これが現存する最古の越後麻布といわれています。
塩沢地方では古くから織物の技術があったことがわかりますが、麻布の技術を
絹織物に取り入れたのは江戸時代になってからのようです。

経糸に生糸と玉糸、緯糸には真綿から紡いだ手紡ぎ糸をつかい、手括りと手摺り込み捺染に
よる絣糸で織りあげた塩沢紬。残念ながら今ではほとんどつくられていません。


ポインセチア風の塩沢紬にガス灯の染め帯をコーディネート


帯あげと帯〆は龍工房
クリスマスコーデなら帯あげの色をグリーン系にしたほうがらしいのですが、
あえてお太鼓柄のガス灯の灯火も色にしてみました。

バッグはRADLEYのシグネチャーシリーズ、ぞうりは菱屋カレンブロッソ

纏の衿つきストールにアンテプリマの肘まである手袋


ちなみにこの塩沢紬、クリスマスシーズンはポインセチアとしていますが、
秋には木の実として栗鼠の帯とコーディネートしています。
抽象的な絣柄は如何様にも遊べます。


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日本の自然布展 at 関川 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その6

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関川しな織センターは、しな織の里ぬくもり館が併設されています。
中で繫がっているので、どこが境界になっているのかよくわからなかった(^_^;)

2階では「日本の自然布展」が開催。日本に今も残る古代布の展示会です。
アットゥシ織、しな布、大麻布、葛布、藤布、苧麻布、芭蕉布、太布。
量産化と効率化がすすんだ現在まで、多種類の古代布が残っているのは世界でも
珍しいことなのだそう。産業化された日本で残っているのは奇跡です。
これは日本人の先人を敬う精神や文化度の高さからきているように思います。


古代織連絡会各産地連絡会によるシンポジウムが開催されました。

進行役は、静岡県掛川の大井川葛布の村井龍彦先生。
古代織産地連絡会の事務局長をつとめられています。
この写真…、熊と連動してそうでなんだか可愛らしい…ドキドキ

北海道平取町二風谷地区のアッツシ織(アットゥシ織)、藤谷るみ子先生 
山形県鶴岡市関川のしな布、五十嵐正先生
新潟県村上市のさんぽく生業の里のしな布、國井千寿子先生

栃木県にある大麻博物館館長の高安淳一先生

京都府与謝野町の芙留庵 丹後藤布の小西暢子先生
沖縄県大宜味村喜如嘉の芭蕉布の平良美恵子先生
石垣市織物事業協同組合 八重山上布の平良佳子先生

パネリストではなかったのですが、
山形県鶴岡市関川のしな布の五十嵐勇喜先生
熊猟り絵図や猟銃関連の展示があったのは、この方がマタギだから(+_+)

山形県鶴岡市関川のしな布、五十嵐千江先生 
話が具体的なことになると呼ばれていらっしゃいました(^▽^;) しな布ものがたりの織姫です。

しな布のもう1つの産地である村上市雷からもいらしていました。

各産地の織物について、歴史、特徴などのお話があった後、それぞれでつかわれる糸に
ついての説明がありました。大麻糸ってきれいです~:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


そして、糸づくりの違い。自然布の糸はレッテイングという維管束を取出す作業に
よってつくられますが、それをどうつないで(績んで)いくのか。

撚りつなぎ◇アッツシ織、しな布、大麻布、藤布、苧麻 (大麻の糸績み体験)

結びつなぎ◇葛布(葛布の糸績み体験)

機結び◇喜如嘉の芭蕉布(芭蕉布の糸績み体験)
喜如嘉の芭蕉布の機結びは結んだ後に小刀で端を切り落とします。
なので日本三大古代織といわれていますが、あくまでも刀がでてきてからのものだそう。


そして、仕上げの方法、砧打ちをするかしないか。
このシンポジウムの中で、山形県鶴岡市関川、新潟県村上市山熊田(山北)、村上市雷の
3ヶ所の地域でつくられる羽越しな布でも、それぞれにやり方が違うことが判明(=◇=;)
というか、お互いにも知らなかったりするのですね…。
うちは糸がいいのよ!とか…、中々興味深いやりとりをお聞きすることができました。
この三産地のしな布のわかりやすい見分け方は反物の端の経糸綜絖の掛け方による織の違い。
さんぽく生業の里のしな布。経糸の端の目が詰まっています。


各産地が一同に会して、ひとつの工程について説明すると、各産地の違いがわかりますビックリマーク
そして、それぞれに理由があるのだな~と改めて知ることとなり、より理解を深めたくなりました(-_☆)

展示室で作品を見ながらのレクチャーもありました。

福木で染められた地色に赤と緑の格子のコントラストが美しい煮綛芭蕉布。
芭蕉の素朴さとモダンさを兼ね備えた憧れの帯です。

丹後の藤布は素朴ながらも上品。
上世屋の藤織り伝承交流館にはいきましたが、今度は芙留庵にも。

アッツシは晴れ着としてつくられた筒袖の装束。
男性、女性用の区別はなく、シナノキやオヒョウの樹皮からとられた繊維で織りあげられ、
木綿が貼られ魔除けとなる渦巻きや括弧文といわれるアイヌの文様が刺繍されています。
この渦巻き文様はフクロウの眼の意味もあるのだとか。


今回、興味深かったのは、各産地の糸づくりの違い。
村井龍彦先生が「「糸正直」という言葉があるんだよ」とおっしゃっていましたが、
「どんな技を凝らしても、織物の良さはやっぱり「糸」で決まる」というお話。

きものや帯が反物で売られるからには、曖昧なブランド証紙でなく、私たち消費者にも
わかりやすいスペック表示にすべきと前々から思っております。
この話はいつか別のかたちであらためます。←熱くなっちゃうので汗
「糸正直」、いい言葉です。

各産地巡りで、糸づくりを体験させていただいたり、見てお話をお聞きしたりしていましたが、
一同に会して、その違いを知り、その理由をお聞きしてみると、何と面白いことかヽ(゚◇゚ )ノ
きもの好きで興味を持たれる方、たくさんいらっしゃると思います。
一人でも多くの方がそれを体感できる機会がつくっていけるといいですね~(^-^)


庄内の旅レポつづきます(^-^)/

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染織文化講座「型紙で小紋を染める」実技講習説明会

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染織文化講座「型紙で江戸小紋を染める」実技講習の説明会が開催されました(無料)
東京スカイツリーの麓にある、五月女染工場へ。


「伊勢型紙をつかって小紋を染める」
研修は2日間で、江戸小紋の技法で型付けとしごき染めをします。

江戸小紋の細かな柄をあわせての型付けはさすがに素人には無理なので、つかう型紙は
小紋用のもの。文様は大きめですが、1色染めの小紋になります。

まず自分が染める型紙を選びます。型紙見本はこちら☆

鳥好きの私としては鴛鴦にするか鶴にするか…。

ところどころ白抜きになっているのが面白いかもと思って、こちらを選びました。
着尺を1反染めますが、私は長羽織に仕立てる予定です。そのほうが粗がわかりにくい。


講師の五月女利光先生による、「型付け」のお手本。

受講生も試してみました。斑なく防染糊をヘラで置いていきます。

36回型紙をおくる、江戸小紋の工程で最も難しい型付けの工程に挑戦します!


色は6種類ぐらいから選択することになります。濃度は変えることも可能。

色糊づくりの感触も体験させていただきました。
広がらないように混ぜるのは中々難しい~。


そして、江戸小紋といえば地色を染める「しごき染め」です。
反対側には大鋸屑が敷き詰めてあり、しごきが終わったらそちらに置いて大鋸屑を
ひいていくのだそう。


この実技は「型紙を彫る」とあわせて申し込むと、自分の名前を彫り
それを反物に入れることができるという贅沢な講座です。
http://kimono-bunka.net/seminer

講師の増井一平先生。お誂えをお願いした「雨音」の型彫師の方です。

きもの1反を染めるというのは、ド素人にはまず無理だと思われますが、最終的には
地直しをしてくださるそうなので、何とかなりそうな…。楽しみです~♪


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唐花×唐花コーディネート / クリスマスシーズンの装い

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【12月18日の装い】東京◇晴れ(風が冷たい~。大寒波)/最低気温-1℃ 最高気温8℃

焦茶色地に臙脂色の唐花文様の紬に唐花文様の織なごや帯をコーディネート。

臙脂×翡翠色で、薄ーいクリスマスカラーのコーディネート

帯はカーテン生地からつくられたもの。
軽くて締めやすいですが、お太鼓の形をつくるのが難しい。
今、右手が腱鞘炎で動かないのでかなり辛いです…(T_T)

ストールはぬぬパナの濱野太郎さんの羊毛の手紡ぎ糸のストール。

バッグはジャマン•ピュエッシュ


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黒川能の里 王祇会館 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その7

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日本の自然布展 at 関川 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その6 のつづきです

今回の旅でもうひとつ楽しみにしていたのは「黒川能」の里を訪ねることでした♪


「能」の起源ははっきりしませんが、1881年(明治14年)に能楽とされるまでは
猿楽とよばれました。奈良時代に大陸から伝わってきた散楽に端を発している
といわれますが、後に寺社と結びつき室町時代に大和四座が生まれます。
観阿弥と世阿弥によって大成し、江戸時代には徳川幕府からの擁護を受け、
武家社会での文化的地位を築きあげました。
大和四座から、観世流、宝生流、金春流、金剛流につながったといわれ、
金剛流から喜多流が生まれ、今日の能楽五流となります。

ちなみに私、若かりし頃は宝生流を嗜んでおりました。
能のゆったりした時間の流れと幽玄の世界に魅せられていたのです。

この頃は、きものに全く興味がなく(どちらかといえば好きではなかった)、着付けも
手伝ってもらわないとできない有様だったのですが、今はきもので生活している…。
不思議なものです。


「黒川能」を知るために王祇会館へ目


黒川能も同じ能楽ですが、現存している五流とは全く違った流れで、
山形県庄内地方の黒川の地に伝わりました。
これも起源ははっきりしていないようですが、「六つ目結い紋」を継承していることから、
鎌倉時代から庄内地方を領有する武藤氏(藤原北家の流れ)が関与している説が有力。
清和天皇が里人に宮中の秘事能を伝授した説、後小松天皇の皇子である小川宮が
伝授した説もあるようです。
庄内地方は武藤氏の後、最上氏、酒井氏と領主がかわります。
江戸時代に酒井藩からの庇護を受けて黒川能は発展を遂げました。


黒川能は興行ではなく神事であるため、演じるのは氏神である春日神社の氏子。
氏子が能役者なのです。
そして氏子は普通の人でほとんどが農家(今は兼業農家)の方々です。
驚いたのは、囃子方を含めて全て世襲によって受け継がれているのだそうです\(゜□゜)/

上座と下座の2つの宮座があり、それぞれに座長がいます。
万が一何かあってもどちらかの座が残るように移動は別行動。
舞台は当屋といわれる民家に持ち回りでやってきます。
かつては観客席のために家の柱を切ってまで用意したのだそうです。
黒川に嫁にやるな…といわれるほど、黒川能のためにすべてをかける意気込み。

この気構えが今に伝統を残しつづけていると思われます。


黒川地区に氏子230戸余、上座90戸、下座120戸、座に属さない氏子20戸。
役者は各座に約75名。
黒川では小学校の教育の一環として謡や仕舞が取り入れられているのだそう。

能の番組は上座•下座250番余、狂言は両座同じで50番、すでに五流では絶えてしまった
演目と演式が今も残っているとのこと。
着付けや所作には古来の手法が散在し世阿弥の痕跡がみられるのだそうです。


伝承されている能面(約300点)、能面以前の面もあります。

能装束(約500領)。国指定重要文化財の装束3領、県指定有形文化財の装束21領。
装束については、また後ほど。古代織産地連絡会のツアーで良かった!

装束も展示されています。


黒川能は春日神社に年4回神事として奉納されます。
中でも最も重要なのが、旧正月の2月1日午前3時~2日午後18時に行なわれる「王祇祭」
雪深いこの地で、何と真夜中午前3時から行なわれるのだそう…(・_・;)
春日神社の御霊の王祇様を上座、下座の当屋にお迎えし、一堂に会しての座狩りがあって、
振る舞いが行なわれます。皆さまが裃姿(かっこいい!)
こういったことひとつひとつが受け継がれているのが素晴らしい~。
「大地踏」で黒川能がはじまって、式三番、能5番、狂言4番が夜通し演じられるのだそう。


つづきます(^-^)/

※説明文は上野由部さまよりいただいたレジュメを参考にさせていただきました。
館内の撮影と「きものカンタービレ♪」への掲載許可をいただいております。

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黒川能の里 春日神社 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる その8

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黒川能の里 王祇会館 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その7 のつづき

黒川能の氏子の鎮守である春日大社。
御祭神は健御雷命・伊波比主命・天津児屋根命・比売命の四柱が鎮座します。


春日大社の創建は807年(大同2年)と伝わっています。
1609年(慶長14年)に社殿が建立され舞台がつくられました。
1674年(延宝2年)に本殿、1739年(元文4年)に拝殿が造営され、今に至るのだそうです。

拝殿の写真はありませんが、社殿の天井画から時代を感じます。


舞台には歴代の能太夫はじめ役者や囃子方の肖像画が掛けられています。

これが何とも独特な重厚感を醸し出していて、人から人へと伝承されている
ということがずっしりと伝わってくるのです。

能役者の肖像画は珍しいような気がします。
国技館の優勝力士の肖像画を連想…。相撲も神事です。


黒川能の特徴は上座と下座があること。
なので、春日神社の拝殿の舞台は両端に橋懸かりがある構造になっています。

下座は右の橋懸かりをつかうことになります。
囃子方の並び順も逆になり(笛がシテ柱近くになる)、逆勝手で演じることになるだそう。

能舞台の鏡板の松はありません。


「王祇祭」の2日目は王祇様が春日神社に還り、神前で上座と下座の両座が脇能を
1番ずつ演じます。そして、大地踏、式三番が両座立ち会いで演じられます。
春日神社の階段をご神体を手に若者が駆け上る「尋常事」 などの神事があるのだそうです。
王祇祭は豆腐祭りともいわれ、凍み豆腐を焼いた豆腐焼きが振る舞われます。
上座と下座では味付けが違うのだそう。上座は山椒が効いているとか。

農民によって500年以上受け継がれている神事、黒川能。
尋常じゃなく寒いそうですが「王祇祭」みてみたいです♪



つづきます(^-^)/

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黒川能 仕舞鑑賞•そして装束をみる / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その9

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黒川能の里 春日神社 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる その8 のつづき

春日神社の境内にある櫛引町郷土文化伝習館へ。

通称は黒川能伝習館。仕舞の鑑賞やコンサートにもつかわれる多目的ホールです。
この日は古代織産地連絡会のために、黒川能の能装束が展示されていました。
直垂、素襖、水衣など、主に麻布(苧麻、大麻)のものです。


仕舞を舞ってくださいました扇
「太瓶猩猩」
余談ですが、ポインセチアは和名で猩猩木(しょうじょうぼく)といいますが、
その元になったのはこの演目にでてくる唐の国の猩猩というお酒好きの架空の動物。
お酒を飲むと赤くなることから、冬に色づくポインセチアの和名となりました。
今ではクリスマスの風物詩ですね。


黒川能の独特、両手を広げ人差し指をだす構え。
この構えは能が発祥したころの古い構えの名残なのだとか。


「岩船」
えいさら~えいさ~、ひ~けや、い~っわふね~♪ 
旋律はあまりかわらない。勇壮で雄々しい岩船でした。


伝習所の舞台は多目的につかえるように電動式で上がり下がりができるようになっています。
舞台を下げて…。


古代織産地連絡会による装束の鑑定です。

装束の寸法をはかり

繊維が何であるか、苧麻なのか大麻なのか…、糸の績み方で時代や産地まで特定

顕微鏡(マイクロスコープ)をipadに取付けると、繊維が画面いっぱいに拡大されます。


すご~い\(゜□゜)/

布は経糸と緯糸で織られているんだ…(当たり前なんですが)
苧麻か大麻か、それとも絹との交布か、績み方で産地(国産か中国産か)、そして
紡績糸なのか手績みなのか、または自動繰糸なのか、座繰りなのか…。
産地の特徴や糸づくりの時代背景などを把握することによって、さらに正確に糸のスペックを
見極めることができるようになるかもしれません。学ぶことがたくさん!


三番叟の夏の直垂とカメラ
貴重な経験をありがとうございましたm(_ _ )m


庄内の旅、つづきます(^-^)/

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江戸小紋の廣瀬染工場へ

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新宿区落合にある江戸小紋の廣瀬染工場さんへ


あまり知られていませんが、大都会新宿にある落合は染めのまち。
神田川と妙正寺川が落ち合う落合は、染色に適している弱アルカリ性から中性の軟水の川
の水と地下水が湧くことでしられ、大正末期ごろから染色工房が多数立ち並びました。

廣瀬染工場は1930年(昭和5年)に落合の地に移転。
広い敷地にゆとりある板場、立派な蒸し箱、そしてたくさんの型紙を保有されています。


廣瀬染工場四代目の廣瀬雄一先生。
今に生きる江戸小紋をつくる方です。そのこだわりは「型と色」
そして、きものだけでなくストールや日傘などもつくられています。

型紙へこだわりは相当なもので、「こんなものがあるんですよ!」と
見せてくださるものは、定番の意匠に一味ピリッとあるもの。

江戸小紋という「一色染めならでは生きる」ものをしっかりと見極めていらっしゃいます。
ファッションの潮流に乗っている…。いえ、この先、牽引していくことになるでしょう。

私がお願いしているものはまた一味違ったものなのですが、工房見学の詳細と一緒に
別のかたちでまとめてご紹介いたします(^-^)/


廣瀬家の愛犬、名前はkomon♪

可愛い~(〃∇〃)ラブラブ

さまざまな染織作家の先生のところを訪問をして思ったある傾向。
染めの作家さんは犬を飼っている。
織の作家さんは猫を飼っている。

江戸小紋の若き作家も愛犬家でした~。


この後「エルメス展」に向かいますが、ガーーーーーーーーーーーーーーーーン汗
休館日であることを失念いたしておりました( ̄□ ̄;)!!


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松ヶ岡開墾場 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その10

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黒川能 仕舞鑑賞•そして装束をみる / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その9 のつづき

松ヶ岡開墾場へ目

明治維新の後、元庄内藩中家老の菅実秀(すげさねひで)は、代々の武士の家禄報酬が
なくなることを予測し、旧藩士のこの先の生活を考え、当時最大の輸出品であった生糸を
武士が自ら生産することを企画、それは桑畑の開墾と大規模な養蚕事業でした。
1871年(明治5年)、元庄内藩の武士3千人が刀を鍬に持ち替え、月山山麓の麓の原生林を
わずか58日で100余町歩(100ha)を開墾して桑畑をつくり、養蚕業を起こしました。
その蚕種が「松岡姫」です。

松ヶ岡の地は養蚕(松岡蚕種)、製糸(松岡製糸)、織り(松岡機業)と、絹織物の一環工程が
ひとつの場所に集約され開業した稀なところであり、日本最北の絹生産地でもあります。


1875年(明治8年)瓦葺上州島村式三階建の日本最大の蚕室が10棟がつくられました。
そのうち5棟は現在も残っていて開墾記念館とギャラリーやカフェとして利用されています。
1番蚕室が現在の松ヶ岡開墾記念館です。
屋根瓦には取り壊された鶴ヶ城のものがつかわれています。

上州島村式というのは、世界遺産に認定された「富岡製糸場と絹産業遺跡群」のひとつ
田島弥平旧宅の蚕室のこと。棟梁の高橋兼吉がこれを模してつくったといわれています。
田島弥平の「続養蚕新論」の中に明治7年に元庄内藩士22名が3ヶ月にわたって養蚕を
学んだという記述があることから、上州式の技術は庄内に伝承されていることがわかります。

長さ21間(37.8m)、奥行き5間(9m)という大蚕室は採光のために障子。
床には暖房のための埋薪(まいしん)の後があります。

刀から持ち替えた桑切り包丁

かつての養蚕室には、開墾の農具や資料そして養蚕に関する資料と道具の展示

さまざまな蚕種や生糸になる前のきびそ、びす、キャリアなど

松ヶ岡開墾場でつくられた松岡姫の原種は右側三段目

小石丸よりも小さいことに注目!


松ヶ岡の農作業衣。


松ヶ岡開墾場のなかにある観光案内所のお蚕さまの蔵では6月と9月に養蚕飼育を実施。
ここでつくられた繭は松岡製糸へ送られます。


2番蚕室はギャラリーとカフェになっています。

その名も荘内藩のカフェ侍

絹麺をいただきました♪ 養蚕室で食べるのも乙なもの。


4番蚕室は庄内農具館

中にはなぜかアフリカ、インドネシアの楽器がズラリ~♪
どちらも土に生きる農耕文化つながりなのだそう。
インドネシアの民俗音楽のジェゴクの拠点となっていて、さまざまな交流をもたれているとのこと。


松ヶ岡開墾場の本陣。庄内藩主3代酒井忠勝の高畑御殿を移築したものです。
茅葺き檜造りの平屋建て。

茅葺き屋根といえば、大麻がつかわれるのが特徴。

大麻博物館の高安淳一館長に教えていただきました。この白いところが大麻です!
神社の注連縄、横綱の注連縄、お盆の迎え火、送り火につかう麻幹、日本人の生活に
大麻は今も息づいています。


この時(11月16日)は晩秋で紅葉が楽しめたのですが、今は一面の雪景色だそうです。


屋根に石がのっているようなつくりのこの建物は、新微屋敷。
浪士組の清河八郎は庄内出身であり、新微組(しんちょうぐみ)は浪士組の流れ。
新微組の浪士のためにつくった屋敷を後に松ヶ岡開墾士のために移築したもの。


松ヶ岡開墾場…。
明治期の養蚕ということでは富岡製糸場と同じ時代なのですが、戊辰戦争での敗戦を経て、
武士の魂であった刀を鋤と鍬に持ちかえ、月山山麓の原生林を開墾し桑畑をつくった
庄内藩士たちの思いが今も閉じ込められているかのようなところでした。

庄内藩酒井氏の藩祖は酒井忠次。それ以後、領地替えすることなく明治維新を迎えます。
その間に領地替えの危機はありましたが、領民の嘆願運動によって回避しています。
戊辰戦争後も、転封撤回の嘆願運動と献金によって回避し、領民と一丸となって、
松ヶ岡開墾という殖産興業に務めることとなります。
桑畑の開墾と養蚕を提唱した、家老の菅実秀は菅原道真の子孫でもあり、荘内銀行、
松岡製糸工場をつくった事業家でもありました。ドラマが書けそうですね。


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松岡姫のきものとクリスマス

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松ヶ岡開墾場で生まれた蚕種「松岡姫」


松岡姫の生地は発色が良く色映えします。
それは13デニールという生糸の細い繊度からくるようです。(普通は21デニール)

紅型作家の城間栄順先生は紅型の顔料を美しく発色するのは松岡姫だとおっしゃっていました。
色鮮やかで且つ品位を損なわない京友禅にも適しているようです。

染の北川の月下美人の小紋

染の北川のカサブランカの小紋
きもの カンタービレ♪
染の北川のパンジーの小紋


花の季節感にとらわれず、華やかなクリスマスシーズンに着用しています♪

I wish you a merry Christmas.


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しな織創芸 石田 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その11

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松ヶ岡開墾場 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その10 のつづき

鶴岡にある「しな織創芸 石田」 へ目


石田屋さんは元は明治創業の呉服屋さんだそうですが、5代目の故石田誠さんは
しな織のプロデュースに尽力され、しな織の商品開発と普及に努められたのだそうです。

今回のツアーには6代目の石田航平さんがご同行されていらっしゃいました。

関川しな織センターのしな布の展示も素敵でしたが、こちらも素敵~(〃∇〃)ドキドキ

しな布は粗野な布の印象だったのですが…、驚くほど洗練されています。
お土産物屋さんで売っているような民芸品とは一味も二味も違う。

藍や墨で染められたものありました。

しな布の日傘と帯! いつか装ってみたいものです~。

帯には刺し子刺繍がされていました。こんな可愛らしいものもあるのですね!

しな織のタペストリーや衝立て。
需要としてはこちらのほうが大きいのかな…。


石田屋さんの建物も素敵でした。

波ガラスの格子戸としな織の御簾。

しな織の御簾、葦の御簾よりも透け感があり上品な印象。


代々伝わっている、三つ紋付きの黒振袖は桐に鳳凰文様。


趣きある家屋には、しな織の日傘があいます。

この日傘、欲しいです~♪  ←近い将来
麻よりもザックリとした存在感があるので、通年つかえそうです。

石田屋の5代目の奧様と6代目の石田航平さんとカメラ

石田航平さんと高安淳一さんには、たくさん写真を撮っていただきお世話になりました。
心より感謝を!ありがとうございましたm(_ _ )m

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2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 まとめリンク

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「2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅」のまとめリンクをつくりました♪

しな織の里である関川は今は雪景色とのこと。
降り積もった雪の中で織りあげられる「しな布」
その素朴な布には、古からの知恵と自然と共存していく豊かさが詰まっています。


クラゲドリーム♪ 鶴岡市立加茂水族館 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その1

ウエルカムパーティー♪ at たちばなや / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その2

シナノキに会いにいく / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その3

しな績みとへそかき ~しな布づくり体験~ / 2014年 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その4

しな織 ~しな布づくり体験~ / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その5

日本の自然布展 at 関川 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その6

黒川能の里 王祇会館 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その7

黒川能の里 春日神社 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる その8

黒川能 仕舞鑑賞•そして装束をみる / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その9

松ヶ岡開墾場 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その10

しな織創芸 石田 / 2014年秋 しな織の里を訪ねる 庄内の旅 その11

シナノキの魅力 / エピローグでありプロローグ しな織の里 関川と自然布 & 庄内の旅

自然布展のシンポジウムの日に「きものカンタービレ♪」をみてくださっているという方々が、
遠方から訪ねてきてくださり、お会いできたのは本当に嬉しかった。
悪天候の中をありがとうございましたm(_ _ )m
お土産にいただいたお菓子が美味しくてビックリ!

そう、山形は食べ物が美味しい♪ 

関川の金澤屋さんのお蕎麦と菊のおひたしが美味しかった~。

寒いといいつつ、ラフランスのソフトクリーム

山形といったら、やっぱりコレ。玉こんにゃく。

関川で「べろべろ餅」が食べられなかったことだけが、心残り。゚(T^T)゚。

この秋はたまたま米沢と庄内と山形の旅がつづいたのですが、
同じ山形でも山側と海川では芋煮の味付けが違うということを知りました~。

しな織の里、今度は、シナノキを伐採することろがみたいです。
また訪れたいですね(^_-)☆

古代織産地連絡会の皆さま、羽越しな布振興協議会の皆さま、鶴岡市観光課の方々、
色々とお世話になりました。
そして、ご一緒してくださった皆さま、ありがとうございました~m(_ _ )m

そういえば、鮭の川上り…。
滞在2日目の朝は見られなかったのですが、鶴岡市観光課の方が
「スミマセン、あとで鮭に電話しておきます」
といっていたら、なんと、3日目の朝にはいた( ̄□ ̄;)!!
鶴岡市観光課…、魔法使いみたいですね。楽しかったです♪


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花にギリシア神殿の柱文様の付けさげ小紋に鳳凰丸紋の帯

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街はクリスマスからお正月へと一気に衣更えしました。
夏が過ぎると追いかけられるように年の瀬がやってきたようで落ちつかない。
秋は街中がハロウィンで、すぐにクリスマスだったからでしょうか。
(あなたが忙しすぎるだけ!っとツッコミをいただきました汗)
上巳の節句(雛祭り)や端午の節句も古来中国からの影響を受け日本独自の行事となって
いったように、バレンタインやハロウィンも独自の変化を遂げて定着するのかもしれません。
そういえば…、若かりし頃はクリスマスのディナーは予約を取るのが困難で、都心のホテルも
大混雑になるようなことがありましたが、今はどうなんでしょう…(^_^;)

真冬でも日傘ですか…と驚かれますが、冬は街路樹の葉も落ちてしまい
木陰もないので、歩く時は日傘を持ち歩いています。

肌の為ではなくきものの色焼け防止です。

【12月26日の装い】東京◇晴れ(湿度28%、カラカラ) / 最低気温0℃ 最高気温10℃
花にギリシア神殿の柱文様の付けさげ小紋に龍村美術織物の鳳凰丸紋の織なごや帯。


薄紫の笹蔓緞子の帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房

バッグはジャマン•ピュエッシュ、ぞうりは四谷•三栄の十二段グラデーション
ニットのケープマントはあむあむふわわ、指先がでるロング手袋はアンテプリマ


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