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Channel: 朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba
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蔦模様の本塩沢の単衣に鳴子に稲穂と雀の織なごや帯

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きものは着脱ができないので、温度調節ができる重ね着スタイルが便利です。
公家の重ね着スタイルは季節のある日本にあった服飾様式ということでしょう。

自分の体感では、4月と10月は単衣、5月と9月は透けない薄物か単衣、6月~8月薄物、
11月~3月まで単衣か袷といった感じでしょうか…。
きもの生活では単衣が大活躍します。

きものを着て快適に過ごすには、その日の気温と陽射しにあわせるのが何より。
日常のきものスタイルは無理をして装うのでなく、清潔感が損なわれない←ここ重要!
自然な装いが良いように思います。
汗ダラダラのきもの姿は見ている方も暑苦しい…(-。-;)

美容院でセットしたヘアで隙のないピシッとした装いは素敵ですが、毎日きもの生活となると
きもの姿の中での日常と非日常のメリハリも大切です。
日常のきものスタイルは時間短縮な楽なもの、非日常はできるだけプロにお願いするというのが、
今は良いように思っております。
プロにお願いした結果、誰?となるのも困りものですが…(・_・ 三・_・)

【10月16日の装い】東京◇晴れ(秋晴れ、湿度64%) / 最低気温14℃ 最高気温21℃

蔦模様の本塩沢の単衣に鳴子に稲穂と雀の織なごや帯をコーディネート

本塩沢のシャリ感が心地いい~♪

鳴子に稲穂と雀の文様はこの時季だけ

日傘は遊中川×前原光栄商店


稲穂と雀のバッグは松枝忍、ぞうりは菱屋カレンブロッソ


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「輝ける金と銀 〜琳派から加山又造まで〜」内覧会 at 山種美術館

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この秋は楽しみにしている展覧会が目白押しメジロメジロメジロ
着眼点が面白い企画が増えていますが、こちらもそのひとつ。

「輝ける金と銀 ~琳派から加山又造まで~」 山種美術館にて開催中(~11月16日まで)

金と銀をつかった日本画の表現に着目した特別展です。
箔、砂子、金泥といった装飾技法による金銀づかいはギラギラせず鈍い光に品格があります。
思いがけないところにもつかわれていたり…。

それぞれの絵のどこに、どのような技法でつかわれ、どんな効果があるのかを、東京芸術大学の
箔装飾技法の並木英俊先生がつくられた技法サンプルも展示されています。
この企画が面白いビックリマーク
小袖や紅型の展覧会とかでも技能サンプル展示やっていただけないものかしら…。
内覧会では、並木英俊先生と山種美術館の山崎妙子館長のギャラリートークもあり、
より勉強になりました♪


「華扇屏風」 加山又造(1966年)
銀箔と料紙装飾の継紙のような背景が宇宙のよう。

加山又造は、金銀の薄板を小さく切って蒔絵の中にはめ込む截金の技法を学び、
箔による装飾も研究したのだそうです。

背景の銀、扇面の銀、よく見ると紫がかっているものから緑がかっているものもあります。
年数が経つにつれ酸化し変色する銀の性質をあえて利用しています。


「名樹散椿」 速水御舟(1929年)
うっとり~(〃∇〃)ドキドキ

金色一色の背景は金箔でなく「撒きつぶし」という金砂子を隙間ないように何度も撒いては
つぶす技法。箔よりも多くの金を必要とし手間もかかるそうですが、美しさが比類ないキラキラ


●技法サンプル● 金の輝き方が全く違うことがよくわかるビックリマーク
左「箔押し」・ 中央「金泥」 ・ 右「撒きつぶし」


「春光春衣」 松岡映丘(1917年)
金砂子と金箔が散らされた雅やかな作品。


●技法サンプル●
金箔の細かい粒子「砂子」 / 四角いもの「切箔」 / 直線に裁断されたもの「野毛」


「真昼の火山」 山本丘人(1959年)
銀箔の上に胡粉を塗りった箔絵といえる大胆に金銀がつかわれている作品。
立木は金泥で描かれています。


●技法サンプル●
左側は箔の上に絵の具を塗る前 / 右側は塗った後


「竹」 横山大観(1918年)
絹の経年劣化で黄ばんでしまったのかと思っていたのですが…←失礼(-"-;汗
絹地の裏側に金箔を貼り落ちついた輝きを効果的につかった技法でした。


●技法サンプル●
左側が何もしていないもの / 右側が裏から金箔を貼付けたもの



●道具●

雲母を粉末にしたものが雲母(きら)です。顔料を混ぜて彩色につかいます。

砂子筒や筆、刷毛。

金泥を定着させるにのに布海苔がつかわれるとのこと。

金箔には少量の銀や銅が入っています。強度を増すため、合金にすることで極限まで薄く
伸ばすことができるなど利点があるのだそうです。金の割合も純金箔、一号箔~四号箔まで。


「美術展へいったら鳥を探す」
鳥が描かれた作品も堪能:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
これらの作品にも効果的に金銀がつかわれています! 








こんな表装にも胸キュン恋の矢


山種美術館の cafe椿では、青山菊家の作品にちなんだ生菓子が楽しめます♪

ごま餡に魅かれて千鳥をチョイス。
柴田是真「波に千鳥」は後期展示(10月21日~11月16日)

内覧会では人気投票もありました。


日本画には金のつかい方に技がある。
黄金の国といわれるのは伊達じゃない。
金の生かし方に品がある。銀の経年の変色も美とする。
ご紹介しきれませんでしたが、技法サンプルは勉強になりました~♪
より作品の素晴らしさを堪能できますヽ(゚◇゚ )ノ

※山種美術館さまより撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載の許可をいただいております。

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きものでは行かないところ

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きものでは行かないところ
病院での診察と射撃場でしょうか。

久しぶりの洋装?でした。
{F1E1E728-E0FC-4CD3-8A48-0B27B4B88FDA:01}
このフォームはなっておりませんが、何とか技能試験はクリア*\(^o^)/*
{F52E68C0-3D56-42DE-B676-53444E611209:01}
日本は銃刀法により、自分の銃以外のものは撃つことができません。
{C58211A5-1421-4725-B6B3-5AED10012724:01}
私の愛銃はミロク
{76219C33-601C-4934-876D-B410E5D2F69B:01}
クレー射撃とは、空中に飛ばしたクレーといわれる素焼きのお皿を散弾銃で打ち抜くスポーツ。
狩猟目的でされる方もたくさんいらっしゃいますが、私は皿を撃つ標的射撃のみです。
射撃歴は大学時代からなので、20年以上…。
{BE94A55A-8755-4CAE-AC9E-DC6E9831A822:01}

「きもので射撃」もできないことはありません。
私の場合は、きものに草履のほうが安定感があって命中率があがる気がします。

長浜の火縄銃の射撃大会では、襷掛けで撃っていらっしゃいました。
でもこれは反動が少ない銃、しかも空砲なので肩付けしなくてもいいのでできるのかも。
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪

きものコートによくつかわれる天鵞絨(ビロード)ですが、日本への伝来は、ポルトガルから
鉄砲が伝来した際の鉄砲が包まれていた布が天鵞絨(ビロード)だったといわれています。
その後、オランダ船よりもたらされた天鵞絨(ビロード)の中に、銅線が残っていたことが
ヒントになり、織り方が解明されて、江戸の慶安年間から西陣で生産されるようになりました。
のちに西陣より長浜へ伝えられ、江戸時代末期には彦根藩によって手厚く保護されたのだそうです。
その後ジャガードによる紋織が始まり、天鵞絨(ビロード)の肌触りを着尺地に生かす工夫がされ、
輪奈ビロードのコート地がつくられるようになり、今に至ります。

私の散弾銃も天鵞絨(ビロード)の袋に入れられていましたビックリマーク



さて、今だけの秋の味覚!

セイコ蟹
{1CCB3AEF-FD1E-4FDD-8A2B-CBB61FA326FA:01}
もくず蟹
{6BE8AE85-9761-48F4-93E9-EB26617854FD:01}

ブーツで歩いたのも久しぶりのことで、足がつりそうです^_^;


「民芸の秋」な装い / 染織文化講座「江戸友禅 を描く」金彩加工 実技講習

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ザ・昭和なテイストですが、民芸調は大好きですドキドキ
昭和50年代には民芸調のきものや帯が大流行していましたが、最近はまずみかけません。
家の中用のきものにしていたのですが、先日「芹沢銈介展」をみて、このきものは組み合わせ
次第ではまだまだ街着として着られるかもひらめき電球と思い立ち、コーディネートしてみました。

秋らしい色目で統一したら、「民芸の秋」中々良いかもドキドキ ←自己満足です
HANWAYの十二支が刺繍された日傘もピッタリ♪


【10月17日の装い】東京◇晴れ(湿度34%、快適です!) / 最低気温15℃ 最高気温24℃

型絵染めの単衣の紬に幾何学文様の織なごや帯をコーディネート

この帯はきものを頻繁に着るようになった10年前ぐらいに安さにつられて購入したもの。
確か一緒に買い求めた龍工房の帯〆のほうがお値段が高額だったと記憶しております。

何にでも合いそう幾何学文様なのですが、パンチがないといいますか…、
絣のきものに負けてしまう感があってあまり着用しておりませんでした。
当初は「安物買いの銭失い」だったと悟ったものですが、生かすも殺すもコーディネート次第ですね。
こういった組み合わせならありだと思います。
年を重ねてこういった色目もも着こなせるようになったということでしょうか。
コーディネートって楽しい♪

古布デコパージュのバッグは松枝忍。こちらも民芸調といえば民芸調。


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

染織文化講座「江戸友禅を描く」 金彩加工 実技講習

東京友禅作家の岩間奨先生のご指導による、糸目糊置きと色挿し 実技講習 のつづきは、
金彩加工でした。
金彩は金加工ともいわれる、染めあがった生地に金粉や金箔をつかっての装飾のこと。

●金線描き
糸目糊置きの後を金線でなぞります。
金糊といわれるアクリル性合成樹脂に金属粉を混ぜた糊を酢酸アミールで溶いてつかいます。


●砂子
筆で糊を塗ったところに網を張った竹筒に金箔を入れ刷毛で篩い落としていきます。

金の砂がかぶさった状態

筆で糊を塗ったところに寄せます。


●切箔

小さく切った箔を糊を置いたところにのせます


金彩加工、楽しいのでやりすぎに注意です(^_^;)
これは実習なので、色々と試させていただき良い経験になりました♪


詳細は、染織文化講座HPの講座記録にUPされます。こちら☆ (10月30日頃を予定)

岩間奨先生の作品もみせていただきました。
こちらの馬の絵馬の染め帯に胸キュン(〃∇〃)恋の矢

絽に胡粉で市松状にした秋草文様の帯も素敵。これは9月単衣にしたらお洒落ですね♪


染織文化講座は、この後は型染めの実技、秩父銘仙の座学と産地見学、丹後の産地見学
などが予定されています。
詳細は染織文化振興会HPまで。こちら☆

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染織文化講座 岩間奨先生「江戸友禅 を描く」金彩加工 実技講習

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染織文化講座「江戸友禅を描く」 金彩加工 実技講習

東京友禅作家の岩間奨先生のご指導による、糸目糊置きと色挿し 実技講習 ※こちら☆
のつづきは、金彩加工でした。
金彩は金加工ともいわれる、染めあがった生地に金粉や金箔をつかっての装飾のこと。

●金線描き
糸目糊置きの後を金線でなぞります。
金糊といわれるアクリル性合成樹脂に金属粉を混ぜた糊を酢酸アミールで溶いてつかいます。


●砂子
筆で糊を塗ったところに網を張った竹筒に金箔を入れ刷毛で篩い落としていきます。

金の砂がかぶさった状態

筆で糊を塗ったところに寄せます。


●切箔

小さく切った箔を糊を置いたところにのせます


金彩加工、楽しいのでやりすぎに注意です(^_^;)


先日、山種美術館にて開催中の「輝ける金と銀」展 こちら☆ にて、箔、砂子、金泥での
日本画の装飾技法について聞いたばかりだったこともあって、さらに深く理解。
これは実習なので、色々と試させていただき良い経験になりました♪


詳細は、染織文化講座HPの講座記録にUPされます。こちら☆ (10月30日頃を予定)

岩間奨先生の作品もみせていただきました。
こちらの馬の絵馬の染め帯に胸キュン(〃∇〃)恋の矢

絽に胡粉で市松状にした秋草文様の帯も素敵。これは9月単衣にしたらお洒落ですね♪


染織文化講座は、この後は型染めの実技、秩父銘仙の座学と産地見学、丹後の産地見学
などが予定されています。
詳細は染織文化振興会HPまで。こちら☆

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織機・出羽の織座  原始布•古代織参考館 その2 / 2014年秋 米沢染織巡りの旅 その5

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ぜんまい織•編衣 原始布•古代織参考館 その1 / 2014年秋 米沢染織巡りの旅 その4 のつづき(^-^)/

米沢最後の機蔵を改装した2階には、織機が展示されています。


麻織、からむし織の地機


上杉鷹山が桑の栽培と養蚕に力を入れ麻織物(からむし)から絹織物に転換した際に、
丹後より高機を導入します。現存しているのはこの高機のみ。


アジア各国の織機もありました。
日本で古代織といわれる、アッツシやカッペタとてもよく似ています! 
これぞ織機の源流です。

台湾ヤミ族(タオ族)の織機


台湾パイワン族の織機 


ネパールのグルン族の織機


タイのカレン族の織機


韓国傾斜式織機


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

初代館長である山村精氏が行なった、研究と復刻は現在も「出羽の織座」で
受け継がれています。

しな布はシナノキの樹皮を剥ぎ繊維を取り出して糸とします。

「へば」といわれる、しな布の整経台


原始布の材料となる靭皮繊維からつくられた糸玉


日本各地から集められた、貴重な原始布


細~い糸のからむし織の小絣。


からむし織の裃袴


大黒帳を裂いてつくる紙糸からつくられる「紙布」。

紙布の帯はとても締めやすいのだそうです。

「紙は水に溶けてしまうのでは?」という疑問をもたれる方もいらっしゃるかと思うのですが、
昔の和紙は楮からつくられているので洋紙とは違うものと考えて良さそうです。
ぬぬぬパナパナの宮下利津子さんの紙布の裂を帯に挟んで耐久性を調べていますが、
全く変化ないことを実感しています。着用してみないとわからないこともあるので実践中。
汗で黄ばんだかどうかは経年しないとわかりませんが、絹よりも強そうです。


こちらは「葛布」の帯 葛の花が染められているのが素敵~(〃∇〃)ドキドキ


いらくさ布の正藍染めの帯


「出羽の織座」には、古代織の技術を復刻した素敵な帯がありました。
資料としての展示品の充実度に驚きすぎて、落ちついてみれなかったのが残念!
あ…、懐的には助かったのかもしれませんが…(^_^;)

北国ならではの、刺し子(南部菱刺し、津軽こぎん刺し、庄内刺し子)について
は別記事でまとめます。

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12弁菊模様の経絣の結城紬の単衣に洛風林の鹿文様の織なごや帯

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冷たい雨の降る1日でした。
まだ単衣…!?と言われそうですが、雨コートを着るこの時季の単衣の結城紬は重宝します。

【10月22日の装い】東京近郊◇雨(ざんざんしとしとの雨) / 最低気温17℃ 最高気温20℃

12弁菊模様の経絣の結城紬の単衣に洛風林の鹿文様の織なごや帯をコーディネート

帯あげ、帯〆ともに龍工房

経絣とは模様になる部分(絣部分)を木綿糸で括って染めあげた経糸と無地の
緯糸で織り上げた紬のことです。
経糸の絣のみで文様が表されているため結城紬といえど求めやすい価格合格
軽さ、保温性、丈夫さは、結城紬であることに変わりなく、軽くて暖かく
着心地抜群で、とても重宝しております。
濃紺色に紺鼠色そして赤で織りだされたレトロな菊文様もお気に入り(〃∇〃)

HANWAYの24本富士絹クライシスの雨傘

蛇の目傘文様の雨コート


車移動ならカレンブロッソでも大丈夫

山帰来と菊に小鳥の古布のデコパージュされた籠バッグ

コーディングされているので雨の日も大丈夫なのですo(^▽^)o


明日は師走の寒さになるのだそうです。
皆さま、風邪などひかれませんようにご自愛くださいませ。


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いろはにキモノ vol.3 本日発売!/ 「ミレーな装い」チョコ色赤城紬に洛風林の鹿の帯

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「いろはにキモノ」本日発売です!

「伝統的な技を誂えで楽しむ」
 P89、P112
のコラム2ページを担当させていただきました。
「いろはにキモノ」は「美しいキモノ」の姉妹誌ですが、読者層は30代~40代と
若い読者層をターゲットにしています。
気軽にお洋服感覚できものを楽しんでもらうための企画が盛りだくさんです。

その中で私は、若い世代にもぜひ興味をもって欲しいと願っている「伝統的な技法」
をつかったモダンなきもののお誂えをご紹介しています。
新しい着眼点としては、Webから「本物」のお誂えのご相談ができることでしょうか。
これからも、つくり手と着る人(お金を払って買う人)の双方に役立つ情報を
お届けしたいと思っております。お役に立てれば幸い♪

今回、ヘアメイクとカメラマンは編集部がプロの方をつけてくださったのですが、
校正の原稿を作家さんに確認していただいたとき「モデルさんは誰ですか?」と
言われるぐらい別人となっております…σ(^_^;) 


デジタル版付きで便利です♪ ぜひご覧くださいませ~。
amazonから購入できます矢印

いろはにキモノ vol.3

【10月23日の装い】東京◇雨のち曇り(師走の寒さでした) / 最低気温13℃ 最高気温16℃

この秋はじめて、袷のきものに袖を通しました。

チョコレート色の赤城紬に洛風林の鹿文様のすくい織なごや帯をコーディネート。

帯と帯〆は昨日と同じもの。しりとりコーデです。

ぞうりは菱屋カレンブロッソ

晴雨兼用の日傘はHANWAY

バッグはRADLEYのシグネチャーシリーズ


ちなみ柄で装ってイベントに参加していると周りの方からも喜んでいただける
こともあり自己満足+素直に嬉しい♪


向かった先はこちら! 別記事でレポートします。


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蔦文様の本塩沢に銀杏の染め帯に濱野太郎さんの手紡ぎの羊毛のストール

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ぬぬぬパナパナの濱野太郎さんの手紡ぎの羊毛ストール、纏ってみました。
羊の毛を洗い、染め、解毛して紡いだ糸で織られる布は美しい絵画のよう。

柔らかく暖かで軽い。コンパクトに畳めるのも魅力です。
単衣のきものにストールぐらいがお出掛けには重宝します♪


【10月24日の装い】東京◇晴れ(湿度53%) / 最低気温13℃ 最高気温21℃

蔦文様の本塩沢に銀杏の染め帯をコーディネート

縮緬の帯あげは加藤萬、帯〆は伊藤組紐

金線加工を生かした銀杏文様。銀杏(ぎんなん)がなぜピンク…(・_・;)?

バッグはRADLEY

ぞうりは菱屋カレンブロッソ



今日は「いろはにキモノ」でも特集されている廣瀬雄一さんの工房へ(^-^)
別記事でレポートします。


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「ボストン美術館 ミレー展」内覧会 at 三菱一号館美術館

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三菱一号館美術館にて開催中の「ボストン美術館 ミレー展」(~11月24日まで) 内覧会へ


ミレーは本国フランスよりも日本での人気が高いといわれますが、日本人の根底に
流れる自然への畏敬の念、命あるものから食べるものと着るものを頂いているという
感覚が、作品から感じとれる…。共に農業国ならではの感覚でしょうか。


ミレーはフランスのフォンテーヌブローの森のはずれバルビゾン村に定住したことから、
バルビゾン派といわれています。

「自画像」 ジャン・フランソワ・ミレー 
農民画家といわれますが、ミレー自身が農民であったわけではなく、農民を描いた画家であり、
ラテン語も話せるインテリジェンスであったとのこと。


農村での労働を描いた「種まく人」
この作品に親しみがあるのは、岩波書店のシンボルマークとしてつかわれていたかもしれません。
農夫が巻いているのは麦の種だといわれるのは、聖書から主題がとられたという説によるもので、
実際はミレーの故郷である寒冷地のノルマンディー地方で収穫された蕎麦の種ではないかと
いうお話が学芸員の安井先生によるギャラリートークの中でありました。

「ソバの収穫、夏」


ちなみにノルマンディー地方はそば粉のガレットが郷土料理。
三菱一号館美術館がある丸の内ブリックスクエアにあるロブションのガレットナイフとフォーク


フランスは農業国なのだなあ…、とあらためて。
「羊飼いの娘」の少女はガーターで羊毛を混ぜて糸をつくろうとしているところ。

こちらは羊毛の糸紡ぎの様子が描かれています。


フォンテーヌブローの森が描かれたバルビゾン派の作品
光のつかい方がきれいですね。


コンスタン・トロワイヨン
バルビゾン派にしてはこってりした印象。動物画として画境を切り開いた画家だそう。


ジュリアン・デュプレ
ミレーの農村風景は夕暮れっぽい雰囲気ですが、こちらは明るく快活な印象


またお目にかかりましたね…。ご挨拶したくなる、三菱一号館美術館所蔵
「グラン•ブーケ」 オディロン・ルドン


一番心魅かれた作品はこちら恋の矢
「花輪を摘む若い女性」 カミーユ・コロー


秋の芸術鑑賞にはピッタリです。

ミレーで連想するものといったら「茶色」「落葉」

ミレー展にちなんでの茶色の装いでした。 バレンタインデーにもつかえるかも?

重厚感あるイギリスクィーンアン様式の外観の美術館にはきものが似合うと思います♪



※三菱一号館美術館内での撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載の許可をいただいております。



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きもの文化検定 お疲れさまでした! / 酔芙蓉の小紋に幾何学文様の帯

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今日は「きもの文化検定」の試験日だったのですね。
皆さま、遺憾なく実力を発揮されましたでしょうか。

きもの文化検定は、結果よりもそのために学んだ知識の蓄積が何よりの宝であると思います。
何度も1級にチャレンジされていらっしゃる方の努力たるや、何にも代え難い素晴らしいものです。
私も見習って、これからも学ぶ精神を怠らないようにしたいと思っております。

今年の1級問題は出題の不具合(源氏物語の出題範囲)があったとお聞きしましたので、
採点としてはサービス問題になるのではないかと…。

何にせよ、お疲れ様でございました。
ゆっくりお休みくださいませ。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

【10月26日の装い】東京◇晴れ時々曇りのち小雨 / 最低気温16℃ 最高気温24℃

酔芙蓉文様の小紋に幾何学文様の織なごや帯をコーディネート

酔芙蓉の花は、咲きはじめの朝は白くだんだん色つき午後には薄紅色、夕方には紅色に
なります。お酒に酔って顔に赤みを帯びることに似ていることから酔芙蓉と名づけられました。

開花時季は9月~10月。そろそろ季節はずれなので慌てて着用(^_^;)

帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房

年配の方や海外の方とご一緒するときは、華やかな小紋の装いが喜ばれます。
酔芙蓉は花の由来も話の糸口になっていいですね♪


ビーズバッグはジャマン•ピュエッシュ


秋の味覚は朴葉焼き。

菊の花が散らされた牡蠣のおこげ



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日本三大刺し子 原始布•古代織参考館 その3 / 2014年秋 米沢染織巡りの旅 その6

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織機・出羽の織座  原始布•古代織参考館 その2 / 2014年秋 米沢染織巡りの旅 その5  のつづき

北国には実用性の中から生まれた美の世界があります。
少しでも暖かく、そして丈夫に…。

山村幸夫館長に寒冷地ならではの知恵と工夫から生まれた「刺し子」に
ついて教えていただきました。

庶民が麻織物しか着ることが許されなかった江戸時代にはじまった刺し子。
水に強く比較的強度はある麻織物も農作業のような労働の作業着としては心もとなく、
さらに涼しい素材であり、あまり暖かくはありません。
そこで、麻布を藍染めすることで生地に強度をもたせ(蛇よけの効果もあり)、
さらに布を重ねて細かく刺し縫いすることで、耐久性と保温性を高めました。

布を重ねて刺し子されつくられているので吸水性があることから、火消しの際に水を通し、
防火の役目をはたした火事装束にもつかわれています。


●津軽こぎん刺し◇津軽地方(青森県弘前のあたり)
江戸時代は麻織物に麻糸で刺し、明治になって木綿糸での刺し子が主流となります。
北国では木綿は貴重であり農民が身につけられるようになるのは明治期になってから。
嫁入り前の娘は幼少からこぎん刺しの技を身につけ、自分用と夫用の刺し子きものを
嫁入り支度に用意したのだそう。
経糸に沿って奇数の目をすくって刺します。(例外もあるそう)


●南部菱刺し◇南部地方(青森県八戸、十和田あたり)
歴史的背景は津軽こぎん刺しと同じ。しかし、津軽地方と南部地方は隣でありながら相容れ
ないところもあり、相互関係によったものではなく、状況と用途から別々に生まれたものだそう。
経糸に沿って偶数の目をすくって刺します。横長の菱になります。

アッツシ織の襟の部分が、南部菱刺しでした。

からむし織の南部菱刺しの暖簾


●庄内刺し子◇庄内地方(山形県酒田あたり)
歴史的背景は、津軽こぎん刺し、南部菱刺しと同じであり、日本三大刺し子といわれます。
刺し目は計算されたものでないのが特徴。
斜に襷のようになっているのはそり引きのための補強の布であることから。

こちらも、そり引き用の袖無し


原始布•古代織参考館、ここだけでも米沢まで来る価値があります!
知らないことがたくさんあるなあ…と沁沁。。。

山村幸夫先生、ありがとうございましたm(_ _ )m


米沢の旅、まだまだまだつづきます。
当初の目的であった、きもの文化検定工房見学会もこれからです! ←レポート渋滞中
終わらないうちにまた山形にいくことになりそう…(・_・;)

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「生誕130年 竹久夢二展」at 横浜髙島屋ギャラリー

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お茶のお稽古の後、最終日ギリギリに駆け込みました(^_^;)

「生誕130年 竹久夢二 展」へサーチ ※京都、岡山、日本橋の巡回展も終了しています。


「ベル・エポックを生きた 夢二とロートレック」
この展覧会は二人の関連性がテーマ。
19世紀末から第一次世界大戦まで「ベル・エポック」といわれたパリの良き時代には
ジャポニズムのブームがありました。ロートレックは浮世絵の影響を強く受けたといわれています。
そして竹久夢二は「日本のロートレック」と評されフランスのミシュランで紹介されました。

画壇に属さず、肉筆画でなくポスターや版画を芸術的域に高め、幅広くデザインを手掛けた
マルチアーティスト的なところが共通点でしょうか。

夢二ゆかりの作品や関連資料などが200点以上展示されています。
見応えがあったのは、夢二が描いたたくさんの美人画の屏風絵。

♪~待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな~
そういえば「宵待草」は竹久夢二の作詞だったのですね…。
こちらは晩年に訪れたハワイで描いたとされる作品。ハワイ版「宵待草」


「あら、夢二さん…ドキドキ
この展覧会は会場の中に撮影スポットが設けられていますカメラ
撮影ポイントの夢二の等身大パネルがセピア色なので、セピア色で撮影してみました♪


1914年(大正3年)日本橋呉服町に「港屋絵双紙店」を開店。
夢二がデザインした小物を扱うお店です。店長は前妻の岸たまき。

現代の「港屋絵双紙店」ミュージアムショップで購入した、マスキングテープ


見どころはこれだけでない、髙島屋ならではビックリマーク
こちらも撮影スポットカメラ

創業450年京友禅の老舗「千總」による、きものと帯の再現です。
千總13代目の奥さまのご実家は髙島屋の前身である飯田呉服店の飯田家。


「加茂川」 加茂川を眺める舞妓ちゃん。

肩あげされた桜が描かれた振袖を裾を引いて着ています。襟は赤。

だらりの帯は、墨色の地に白あげした後に描き友禅で表現。


「立田姫」 立田姫は秋の豊穣の女神のこと。
首が長くなで肩の女性はきものが似合うとはいえ、ここまで首が回ったらろくろ首ですが…汗

地色の赤は絵の色にあわせて何度も染め実験をし染めあげたものだそう。

帯に描かれてるのは梅。
この頃は花の開花時季を気にせず意匠としたものが多く見られます。


「秋のいこい」 黒船屋のモデルお葉が描かれた夢二の代表作。
お葉は藤島武二のモデルでもあった佐々木カネヨのことです。関連記事は こちら☆

縞文様に見えますが、写し糊の技法で縞っぽく丹念に描かれたもの。

帯は絵ではほとんど描かれていないため、夢二の「南枝早春」を参考に柘榴の実を描いたもの。
柘榴も初秋の果実なので、季節感は無視されているようです。


きもの好きなら見ておきたい、展覧会でした♪ 
最終日、間にあって良かった~ヾ(@°▽°@)ノ



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長崎巌先生のお話「絞りの歴史」/草紫堂の松葉文様の紫根染 / 「型紙の美 展」後期展示

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NHK文化センター×美しいキモノのコラボ講座
長崎巌先生の「絞りの歴史」のお話φ(.. )

かつて身分制度があった頃は、身分の違いによって着用できる素材が決められていました。
繊維と技が結びついて生まれた絞りは、絹を纏うことが許されなかった庶民の衣生活と
つながっています。
いわゆる布といわれた、樹皮繊維、麻、そして木綿の文様づけは防染によるもの。
型染めは紋織物の代用から生まれたという話が以前にもありましたが、→こちら☆
簡単な道具と材料でできる絞りは、最も古い模様染めであり、
平安時代以降、上流階級である公家の染織品では用いられることがありませんでした。
公家が纏ったのは絹の紋織物の装束。
庶民から成り上がった武士、江戸時代経済的に裕福であった町人の間で、高度な技の
絞りのきものがつかわれるようになったというのがポイントですひらめき電球

現代においても「礼装に絞りのきものは向かない」といわれるのは、こういった時代背景が
あるからかもしれません。

絞りがテーマですので、絞りのきものでコーディネートしてみました♪
長崎巌先生とカメラ


【10月28日の装い】東京◇晴れ(湿度28%、快適~♪) / 最低気温14℃ 最高気温20℃

草紫堂の松葉文様の紫根染の絞りのきものに鳴子と稲穂に雀の帯をコーディネート

麻の葉文様の刺繍の日傘は遊中川×前原光栄商店

籠バッグは竹に雀の古布のデコパージュ


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

「型紙の美 ~朝田家型紙コレクション~」(~11月16日まで) 石神井公園ふるさと文化館
後期展示がはじまっています。 前期の様子はこちら☆

宮津城主の本庄家の定紋の麻の裃

子供用となっていましたが、身幅と袖丈からすると、つくりなおしたもの?

裾部分にだけ文様が…。松竹梅紋地に几帳に桜の文様の小袖。


石神井公園ふるさと文化館の中にある、饂飩屋さんは美味しいらしいです(^_-)☆

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宮坂考古館 / 2014年秋 米沢染織巡りの旅 その7

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日本三大刺し子 原始布•古代織参考館 その3 / 2014年秋 米沢染織巡りの旅 その6 のつづき

原始布•古代織参考館を後にして、次に向かったのは宮坂考古館。
郷土史家であった宮坂善助が私財を投じて解説した施設の博物館でしたが、
現在は財団法人の宮坂考古館となっています。



米沢藩初代藩主の上杉景勝をはじめとして、傾奇者(かぶきもの)として語られる前田慶次、
4代上杉綱憲(吉良上野介の実子)などの鎧甲冑が展示されています。

「花の慶次」にも登場する朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足南蛮笠式はこちら。


分室には、江戸時代の小袖と古式銃、屏風などが展示されています。


初代館長の宮坂善助氏は米沢藩古式砲術保存会の前身である尚武要鑑会のつくった人
でもあり、砲術家でもありました。
火縄銃保存会は全国にありますが、現在でも実践射法を伝承しているのは、米沢のみです。

1860年代のスペンサー銃。
会津戊辰戦争で新島八重がつかったものと同じ7連発の形式のものが展示されていました。


上杉家所縁の小袖

上杉鷹山の側室のお豊の方所用の藍地手描き友禅帷子
帷子なので夏の麻地のきものです。染料は藍と刈安とありました。
お豊の方は上杉鷹山の養蚕と絹織物の産業政策に協力し、自ら蚕を育て藩内の子女に
織物を伝授したのだそうです。

8代上杉重定の正室の豊姫(尾張徳川宗勝の娘)所用の白絹綸子地松竹梅鶴亀摺疋田刺繍打掛
竹の部分は摺疋田になっています。


※館内での撮影と「きものカンタービレ♪」への掲載の許可を宮坂考古館さまよりいただいております。

この後は、本来の目的であった、きもの文化検定主催の工房見学です(^-^)/

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ハロウィンにちなみ南瓜色の装い / 志ま亀の巻物文様の小紋に貝桶の染め帯

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Happy Halloween~こうもり

日本でハロウィンが定着したのはいつごろなのでしょう?

遠い昔の話ですが、私が大学生の頃、まだハロウィンという行事はとってもマイナーでした。
アメリカ育ちの帰国子女の先輩の発案により、「ハロウィンの夜は仮装をして後輩の家に

突然訪問する」というイベントが企画されますが、私たちは仮装の意味をどこか取り違えていて、

バイト先の警備員の格好だったり、太極拳の格好だったり、剣道着だったり、私は某有名女子高校

の制服(後輩からの借り物)だったり…。仮装というより、間違ったコスプレでした…あせ

車での移動中に警察官から尋問され「ハロウィンの仮装です!」っと説明するも、
ハロウィンを理解してもらえず…。
こんなにポピュラーな行事として日本に定着するとは思いませんでした。


古代ケルト人は1年の終わりを10月31日としていて、その夜には死者の魂が親族のもとへ

帰ってくるとされていました。何だか日本のお盆に似ています。そして死者の魂だけでなく

精霊や魔女といった魑魅魍魎があらわれるとされ、彼らから身を守るために自らも魔女や

お化けに仮装して魔除けの火を炊いていたのが、ハロウィンの由来とされています。

ハロウィンの名は、11月1日の万聖節の前夜にあたることから、All Hallows(万聖節)の

eve(前夜)のHallowseveがHalloweenになったのだそうです。


【10月31日の装い】東京◇曇りのち小雨(湿度66%) / 最低気温15℃ 最高気温21℃

ハロウィンにちなんで、なんとな~く、南瓜色で整えてみました。

志ま亀の巻物文様の小紋に貝桶文様の塩瀬の染め帯をコーディネート


山帰来に小鳥の古布デコパージュのバッグ

側面には糸菊、野菊もあります。


ハロウィンが終わると街中がクリスマスになります。

光陰矢の如し…。


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小袿・桂袴道中着 / 高円宮典子女王殿下の装束 / 衣紋道高倉流 ふたあいの会 その1

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衣紋道高倉流たかくら会のふたあいの会へぼんぼり・・・?

「小袿(こうちき)」で投扇興♪


高倉流宗会頭の仙石宗久先生のお話は「皇女の誕生から結婚まで」

平安時代、宮仕えする女房(清少納言や紫式部)が主人にあうときに着装したのが
「五衣唐衣裳(十二単)」です。それ故に、女房装束といわれます。
身分が高い中宮(定子や彰子)は寛いだ装いが許され「小袿」でした。

公家社会から武家社会へ政権が変わると、公家装束の文化は簡略化の一途を辿ります。
十二単は重ね袿の上に直接唐衣と裳をつけただけで正装となってしまい、本来の十二単は
大礼服となってしまったそうです。小袿は十二単に代わり礼服となりました。

江戸時代になって政治が安定すると、十二単が復興されます。
仙石先生のお話によると、きっかけとなったのは後水尾天皇にお輿入れされた
和子さま(家康の孫)のご成婚ではないかとのこと。
和子さま(後の東福門院)のために童女の正装である汗衫と十二単がつくられます。

明治になると十二単は即位の礼や皇族のご成婚などだけの最高位の装束となり、
通常の儀式などでは小袿の装いが定着します。
身分の高い方がお召になられるものは小袿、女官や夫人のものは袿といわれます。

西洋化がすすめられたこといより、宮中ではきものが着られることはなく、洋服か装束かになり、
1884年(明治17年)には小袿姿を簡略した「袿袴」が宮廷服となりました。

宮廷装束が隆盛であった平安時代、武家が台頭しその後衰退していった江戸末期、
そして開国後の明治から平成の現在まで、時代背景と共に宮廷装束も変化しているのです。

左◇袿袴道中着 / 右◇細長


2014年10月5日に出雲大社権宮司の千家國麿さんと高円宮女王典子殿下のご結婚式が
出雲大社にて執り行なわれました。

出雲大社の参道を歩かれた典子さまの装束が「袿袴道中着」のお姿です。
道中着姿とは移動するときにお召になられるときの装いのこと。
切袴には共布でつくられた靴を履かれます。濃色(紫色)の袴は未婚~第1子ご誕生まで。
この靴の下に履いているのは、襪(しとうず)という足袋のようなもの。

日本は畳文化で靴を履くようになったのは明治からといわれていますが、
公家の装束では畳以外では、浅沓、烏皮履、絲鞋(絹糸で編まれたズックのようなもの)
などを履く文化がありました。
女性も五衣唐衣裳、五衣小袿長袴の際にも沓をはいていました。

1873年(明治6年)富岡製糸工場を昭憲皇后と英照皇太后が行啓された際、
袿袴装束に切袴と同じ生地の靴を履いていたことが話題になったのだそうです。
荒井寛方◇「富岡製糸場行啓」聖徳記念絵画館壁画も展示されています。
袿袴装束に切袴と同じ生地の靴に注目です。緋色の切袴は既婚をあらわします。

千家國麿さんの束帯の地紋は出雲国造家の家紋。
高円宮典子女王殿下の小袿は黄色地に朱色向鸚鵡文様に萌黄色の草文様の二陪織物。


ご結婚式に先立ち、2014年10月2日、高円宮典子女王殿下は宮中三殿にて
賢所皇霊殿神殿に謁するの儀に臨まれました。
これは皇族としての別れを告げる儀式なのだそうです。
高円宮典子女王殿下の髪型は「わらわ」
三笠宮百合子妃殿下が貞明皇后より贈られた生地でつくられた小袿に濃色の長袴の装い。

皇女が天皇家からはなれる儀式である、謁するの儀の装いは、
昭和天皇の皇女であられた島津貴子さん、池田厚子さんも小袿に長袴、
黒田清子さんは今上天皇の即位の儀のときと同じ十二単だったそうです。

出雲国造家の家紋に典子女王殿下のお印の蘭の花のボンボニエール


●袿袴の道中着姿の着装● 2回の着装実演をまとめました。

袴の腰の上に太い丸くけ紐を結びます。

後姿はこんな感じ

お方さまに袿を打ち掛けを上側から差込いれ裾をたくり上げます。

たくし上げた中に折り畳んだ和紙を入れ込みます。

完成です。

後姿はこのようになります。


皇女の細長、十二単、束帯の着装は別記事でまとめますφ(.. )

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細長 / 衣紋道高倉流たかくら会 ふたあいの会 その2

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小袿・桂袴道中着 / 高円宮典子女王殿下の装束 / 衣紋道高倉流 ふたあいの会 その1 のつづき


高倉流宗会頭の仙石宗久先生のお話「皇女の誕生から結婚まで」のつづきですφ(.. )

細長にはふたつのものがあります。


「産着の細長」
こちらは、盤領(あげくび)についている蜷結びの絹糸に糸細工の飾りがついています。
高倉家伝来の「装束寸法深秘抄」から復元したもの。

誕生のときの産着としてだけではなく、男女ともに3~4歳ぐらいまで身につけていた
子どもの装束で、元は日常着としての褻の装束だったものが晴れ装束になります。
ちなみに汗衫ははじめから女児の晴れの装束。
江戸時代になると、徳川家に男児の世継ぎが誕生すると朝廷から祝いとして贈られる
のが慣例となりました。
形式的なものとなってしまい、寸法が大きく仕立てられたものが、残っているそうです。
今の皇室では、産着の細長はつかわれていません。


もうひとつの「細長」 

女児の装束とされていますが、婦人も着用したようです。
特徴は袵がないということ、これは両脇があいている闕腋になっています。

江戸時代からは皇女の幼少期の礼装となり、深曽木の儀などでつかわれたのだそう。
現在は未成年の皇族が女性用の細長をお召しになります。
着袴の儀の装束は細長。←きもの文化検定1級問題向き
近年では、紀宮清子内親王は紅亀甲地に白松唐草の上紋の二陪織物、眞子内親王は
紅亀甲地に白菊折枝の二陪織物、敬宮愛子内親王は紅三重襷地に白菊折枝の丸の
二陪織物の細長をお召になられています。

細長を纏った女の子が可愛い~(〃∇〃)ドキドキ


現在の皇室の儀式の装束はあまり公開されていませんが、こちらには写真ものっています。
平安期から平成に至るまで、そして現在の皇室の装束がわかります。

amazonから購入できます
十二単のはなし―現代の皇室の装い


ふたあいの会では十二単と束帯の着装実演もありました。珍しい後姿。


束帯でお菓子をお召し上がりになるの図

小袿なので身分の高い設定? ←女房にしか見えませんが

座るとこんな感じになります。

出雲のお菓子が取り揃えられていました~。

装束男子に囲んでいただきパチりカメラ 
ありがとうございましたm(_ _ )m


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いのち輝くみんなの未来-子ども・若者育成支援に関する国民運動にご理解とご協力を

吉例顔見世大歌舞伎へ / 歌舞伎座 2階 西桟敷席

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「吉例顔見世大歌舞伎」 歌舞伎座へ

初代 松本白鸚三十三回忌追善 公演
松本幸四郎丈と中村吉右衛門丈のお父さまです。


はじめての2階桟敷席西側での観劇でした。

花道も見えますし、舞台も近い。
「寿式三番叟」では迫りがあがってくるところが上から覗きみることができて面白い。

観客席もよく見えます。 

お昼は柿の葉ずしを割り箸
2階の桟敷席はお茶はついていませんが、机付きなのでゆったり~(〃∇〃)♪


休憩時間もゆったり緞帳をみて楽しみました♪

川島織物「夕顔図」 / 製作◇川島織物セルコン


上村淳之「水辺の四季」 / 製作◇川島織物セルコン

翡翠が可愛い(〃∇〃)ドキドキ


2階吹き抜けロビーや廊下には歌舞伎座所有の名画も展示されています。

川端龍子「青獅子」


上村松園と伊東深水の美人画

展示されっぱなしなので、色焼けしそうな気がしますが、名画を鑑賞しながらお弁当を
食べられるのはここだけのような…。


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