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金沢城下をグルッと散策 金沢城〜兼六園〜尾山神社 / 2014年夏 金沢の旅 その5
「前田家伝来 ~夏衣裳と調度展~」at 成巽閣 / 2014年夏 金沢の旅 その4
のつづき(^-^)/
今回の金沢の旅は雨がよく降りました
日本海側の鈍色の空が加賀友禅の美しさを生み出したともいわれますが、金沢の街には
雨が似合います。この時は雨傘を持ち合わせていませんでしたので歩き回ることができず
タクシーで金沢城下をグルッと散策することにしました。
加賀百万石の居城、金沢城ヽ(゚◇゚ )ノ こちらは兼六園側の石川門です。
一般的な観光コースでは石川門から入りますが、城郭巡りオタクにいわせると、
石川門から入るのは邪道で大手門から入れ!とのこと。←ものすごく遠回り
織田信長を悩ませたという加賀一向一揆。ここは浄土真宗の尾山御坊があったところで、
元は石垣が張り巡らされた要塞のような本願寺の寺院であったといわれています。
信長によって一揆が制圧され、信長配下の佐久間盛政が築城したのが、金沢城の成り立ち。
賤ヶ岳の戦いで佐久間盛政は豊臣秀吉によって滅ぼされ、秀吉は前田利家に加賀の地を
与えます。1583年(天正11年)前田家初代利家が入城し、廃藩置県に至るまで14代に
渡って前田家がこの地を治めました。
金沢城は典型的な平山城で櫓を多様した造りとなっています。
1602年(慶長7年)に落雷で天守閣が焼失、その後は二の丸御殿と本丸櫓の城となりました。
1759年(宝暦9年)に大火に見舞われ金沢城は全焼してしまいます。その後は実用性を
重んじた造りとなったのだそうです。
廃藩置県後は陸軍省のものとなり軍司令部が置かれ、戦後は金沢大学のキャンパスとして
つかわれました。
登城が通学だったころの金沢大学、日本文化に傾倒している今なら通いたいところです。
1995年(平成7年)金沢大学が移転し、翌年から金沢城趾公園となります。
現在も復元整備事業が行われ、川北門、いもり堀が復元され、石川門も改修されました。
う~ん、時間があったらじっくりと見学したかった!
おお~っ\(゜□゜)/と歓声をあげたくなる、金沢城の本丸南面の高石垣
復元された、いもり堀
日本の城郭巡りは心が躍ります♪
刀剣好きで、クレー射撃が趣味なので、武器好きともいわれますが、武器や要塞の形には
一切の無駄がなく洗練されたもので、そこには何とも形容し難い美があるのです:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園のひとつ兼六園。
江戸時代を代表する池泉回遊式庭園としてその特徴をよく残していることから国の
特別名勝に指定されています。
加賀前田藩の庭園として造られたことに端を発し、5代藩主綱紀から始まり
13代斉泰の頃にほぼ現在の形になったといわれています。
兼六園と命名したのは寛政の改革を行った松平定信です。
雪から樹木を守るための雪吊りは11月1日から行なわれます。
こちらは↑↓2010年にきもの学会の加賀友禅研修旅行
で金沢を訪れたときの写真。
尾山神社です。ここもゆっくり見たかった!
前田家初代藩主の利家と正室の芳春院(松)が祀られています。
1599年(慶長4年)前田利家が薨御すると2代利長は利家を祭神とし祀ろうとしますが、
徳川幕府を憚って公然とはできなかったといいます。
そこで守護神としていた物部神社と八幡神を勧請し、卯辰八幡社を創建し合祀しました。
徳川の治世が終わり廃藩置県後、旧加賀藩士は前田家300年の仁政と利家の功績を
残すため、尾山神社を建立します。
何とも不思議な神門…、和漢洋の三洋式の折衷したつくりです。
オランダ人のホルトマンによる設計で、1875年(明治8年)に造立。
日本で初の避雷針がつけられました。
前田家の家紋は梅鉢紋として知られていますが、正式には剣梅輪内。
菅原氏の流れを汲むことから加賀前田家は梅を家紋としたとされています。
神門のぎやまんのステンドグラスは夜にはライトアップされます。
それはそれは美しいのだそう。
その光はかつては日本海を航行する船からも見えたのだそうです。
旧金谷御殿から移築された入母屋造屋根の拝殿
欄間には欅の一枚板の梅の花の透かし彫りがあります。
尾山神社の神苑は古代舞楽の楽器を模した地泉回遊式庭園といわれているそうです。
残念ながら今回は時間がなく見ることができませんでしたが、次回はゆっくりと拝観したい。
ランチは、金沢名物のハントンライス
オムライスに海老フライ、ケチャップとタルタルソース
金沢の旅レポ、まだまだつづきます(^-^)/
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染織文化講座 富岡製糸場 @なう
染め実習の装い 雪花絞りに博多帯 / 染織文化講座 富岡製糸場産地研修と草木染実習 その1
染織文化講座 群馬県富岡市に産地研修にいってまいりました(^-^)/
染織文化講座の素晴らしいところは、事務局の方の行き届いたお心遣い。
地元上毛新聞の富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産決定時の号外や特集した記事、
群馬県観光情報誌などが受講生1人1人に揃えられ配られました。
そして、大日本蚕糸会の武井先生が同行してくださり、向かうバスの中で見どころを解説。
富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産に登録されたことを記念して出版された
大日本蚕糸会会頭 高木賢編著「日本の蚕糸ものがたり」が受講生全員にプレゼントヽ(゚◇゚ )ノ
そしてお茶とお菓子まで用意され至れり尽くせり。
早朝から夜まで、充実の大人の修学旅行でした
染織文化振興会のHPはこちら☆
秋からの講座も魅力満載で楽しみです~(〃∇〃)
富岡製糸場見学と草木染実習レポートは別記事で。
染織文化講座の講座記録
と併走してまとめます(^-^)/
なので、ザックリとだけ。
繰糸場内は1987年(昭和62年)の操業停止時のまま保存され、当時の最新式であった
繰糸機が設置されたままとなっています。
ちなみに、創業時のフランス式繰糸機は岡谷蚕糸博物館で見ることができます。
先日、行ったばかりだったので、より深く理解することができました。
※富岡製糸場内での撮影及び掲載は、事前に許可をいただいたものです。
さて、この産地研修は、富岡製糸場の見学だけでなく、草木染めの実習もありました。
急に秋の気配が感じられる涼しさになりましたが、まだまだ暑く、雨も降りそうな気配…。
草木染めの工房には冷房はないであろうと予測し、洗濯機で洗えるきものと、長時間の
バス移動や立ちっぱなしでも軽いように博多帯の装いにいたしました。
【8月29日の装い】富岡◇曇り /最低気温21℃ 最高気温27℃
黒×白の綿紅梅の雪花絞りに博多帯をコーディネート
真っ赤な帯、さすがに難しいのですが好みだったりします。
草木染めの実習では、襷掛けに前掛けスタイル。一等工女風の赤い襷ですv(^-^)v
割烹着も持参したのですが、工房内の暑さを考えると襷掛けでよかったように思います。
草木染伝習所主宰の山崎樹彦先生の草木屋での染め実習体験。
山崎樹彦先生は、草木染めの命名者であり作家の故山崎斌氏のお孫さんです。
今回の染め実習は、紫~水色の藍の煮染、桜のアルミ媒染、五倍子の鉄媒染を
絹のスカーフに染めます。どれも美しい~
私が染めたのは、明治以前までお歯黒の染料だった五倍子の鉄媒染。
各染めの詳細は、別記事と講座記録に併走してレポートします(^-^)/
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由水煌人先生の工房を訪ねる / 2014年夏 金沢の旅 その6
金沢城下をグルッと散策 金沢城~兼六園~尾山神社 / 2014年夏 金沢の旅 その5
のつづき(^-^)/
加賀友禅の由水煌人(ゆうすいあきと)先生の工房へ
煌人先生に4年ぶりにお会いすることができました。
由水煌人先生は、初代由水十久先生のご長男で二代由水十久先生のお兄様です。
故森口華弘先生のもとで修行され、技法だけでなく様々な薫陶を受けられたとのこと。
華弘先生からの教えは「常日頃のおこないがいつかモノ作りをするときに、線にでる、
色に出る、形に出る、余白に出る、空間にでる、それが気品となってすべてにでるよ」
ということだったとお話しくださいました。
煌人先生のお宅の露地には、打ち水がされ、床には季節の花が生けられていました。
茶道の世界に造詣が深くていらっしゃることが伺えます。
そしてそれはすべての作品に、森口華弘先生の教えのままに表れていました。
この結び文のような形をしたものが何だかおわかりになりますでしょうか?
烏瓜の種なのだそうです。
ある雑誌で加賀友禅の作家が共通のテーマで各々作品をつくり発表するというという
企画があったそうで、「愛の讃歌」のテーマのときに煌人先生が題材とされたのは烏瓜。
烏瓜は公孫樹と同じく雌雄異株であり、雌と雄の花の花粉を虫が受粉します。
そして種は結び文のような形であることが「愛の讃歌」のイメージに共鳴したことから、
烏瓜を描いた訪問着をつくられたのだそうです。
この日の先生のお宅の塀には烏瓜が咲いていました。
由水十久先生の作品は童がモチーフの印象が強いですが、煌人先生の作品はそれとは
全く違ったもの。季節の花が空間を生かした躍動感のある構図で描かれています。
ちなみに、煌人先生が当時加賀友禅では行なわれていなかった、ゴム糸目糊を
加賀に持ち帰ったことであの由水十久作品の童の細かい描写が可能になったのだそう。
煌人先生の作品を見せていただきました。
蒲公英の花でなく綿毛が描かれているのは珍しい~。物語がありそうです。
花を描くときは、その花のデッサンを念密に様々な角度から書いてみるのだそう。
そして時間によって変化するその影までもが意匠になることも。
こと細かく正確なデッサンから煌人先生の手を通してモダンな意匠に生まれ変わります。
煌人先生は茶道や日舞に精通していらっしゃることから、女性の所作とその着姿を想定して
柄を入れられています。後の八掛にチラッと花が描かれているのは、階段を上るときに
見えるから。鋭い観察力をお持ちです…。
つくり手の方のお話をお聴きすると、その背景にあるものを知ることができて楽しい♪
作家の観察力と感性と弛まぬ努力と技から生まれる美しさ。
堪能させていただきました。ありがとうございましたm(_ _ )m
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PR: 9月6日、7日 FIAT 500 PELLE フェア
加賀の料亭 大友楼 / 2014年夏 金沢の旅 その7
由水煌人先生の工房を訪ねる / 2014年夏 金沢の旅 その6
のつづき(^-^)/
1830年(天保元年)に創業し加賀前田藩の御膳所をつとめた老舗の名料亭大友楼へ
染織文化講座 金沢編をアテンドしてくださいました、加賀友禅PRマネージャーの
鶴賀雄子さんにご案内いただきました。ありがとうございます!
金沢の料亭らしく石打ちされた土間があり、緑が美しい中庭を望めます
趣きある個室をご用意してくださいました。
玄関には万年青に雉?の銅板画
1603年(慶長11年)徳川家康は家臣から献上された3鉢の万年青を江戸城入城の際に
床に飾らせました。その後、徳川の太平の世がつづいたことから、万年青は吉祥や繁栄を
意味し、引っ越し祝としても贈られます。万年青に迎えられるのは縁起が良い。
涼感ある夏の室礼です。
床のお軸は向日葵に石竹。センタークロスは柳に団扇文様でした。
花寄せの簾屏風の足元には水鳥が…。
映画「武士の献立」の監修を大友楼のご当主がされたことから、「武士の献立」に
登場する加賀料理を堪能させていただきました。
これは饗応料理といって武士が大切なお客様に対する最高のおもてなしの料理なのです。
輪島塗のお膳に盛られた八寸
万年青の九谷焼にはゴリの佃煮
蓋につく露も美しい朝顔の塗りの椀は鱧と松茸
焼き鮎
鯛の唐蒸し
中には甘辛く味付けされたおからが入っていました。
烏の漆塗りの治部椀
治部煮を考案したのは、バテレン追放令の後に前田利家によって客将として迎えられた
キリシタンの高山右近であったといわれています。それによって南蛮風味が加わったとも。
江戸時代は砂糖は貴重品ですが、加賀の地が北前船によって交易の中心地でもあり
加賀藩の豊かさから砂糖をつかった料理や砂糖をたっぷりつかった金花糖が伝承されます。
治部の鴨肉が柔らかくて美味しい~(〃∇〃)♪
器のひとつひとつも楽しめました♪
金沢の地酒もいただきほろ酔い~(〃∇〃)♪
外は大雨だったのですが、雨の音にも負けない?きものオタクトークで夜は更け…
夏の室礼と加賀料理、眼にも舌にもたっぷりと加賀の文化を堪能させていただきました
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9月のきものと帯 / 萩文様の絽の小紋に秋草文様の絽のなごや帯
昨日はとても涼しく、このまま秋になってくれるかと思いきや…、
今日の陽射しは残暑のそのもの。最高気温は30℃を超えました。
「9月は暑くても単衣を着ますか?」とのご質問をいただいておりますが、
日常着に関しましては、その日の陽射しと着心地によって選んでいます。
温暖化の昨今、無理せずきものを楽しむには、ルールに縛られるよりも着心地よく着たいもの。
彼岸までは、絽や紗、琉球壁上布、夏大島、夏結城、生紬など、透け感の少ない薄物の
きものを着ています。(式典やお茶席での礼装や準礼装は周りの方にあわせます)
かつては自分の中で「薄物は重陽の節句まで」としておりましたが、温暖化に伴って、
中秋の名月まで、お彼岸までと、薄物を着用する時季が長くなりました。
しかし現代の洋装のように、ラフになりすぎるのは好みません。
冬でもノースリーブのようなメリハリのない装いが定着してしまうのはつまらない…。
薄物ではあっても、透け感の少ないもの、文様は秋らしいものを選ぶようにしています。
四季のある国ならではの季節感を大事にしつつ、そして適度に快適にというのが理想でしょうか。
※ご参考までに
9月の装い•暑くても単衣?帯は?帯あげは?帯〆は?→こちら☆
衣更え→こちら☆
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
衣紋道高倉流たかくら会東京道場の重陽の節句行事へ
東京道場会頭の荘司礼子先生と
ご用意してくださったお菓子は、うさぎ尽くしでした
宗会頭の仙石宗久先生による「有栖川流の書」「重陽の節句」「女児の汗衫(かざみ)」のお話
菊被綿づくり
重陽の節句までに別記事でまとめますφ(.. )
「美しいキモノ2014年秋号」←只今発売中
きものカンタービレ♪誌上連載は「有職故実研究のススメ」
高倉流の節句行事での装いをご紹介しております。ぜひ、御覧くださいませ♪
amazonより購入できます
美しいキモノ 2014年秋号
【9月2日の装い】東京◇晴れ(湿度56%、陽射し強く残暑、秋の風が心地良し)
/ 最低気温20℃ 最高気温30℃
萩文様の絽の小紋に秋草文様の織なごや帯をコーディネート
日傘は遊中川×前原光栄商店、古布デコパージュの籠バッグは松枝忍
籠バッグは両面ともうさぎ文様ですが印象が違う古布がつかわれているのでお得な感じ。
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日本に居乍らにして音楽の都♪ / 鳥尽くしのコーディネート
日本に居乍らにして音楽の都♪
ウィーンで最もエレガントといわれるカフェ•ラントマン
重厚感あるつくりはウィーン本店のインテリアを忠実に再現しています。
本店は1873年創業。フィガロの結婚やベートーベン交響曲第1が初演された
ブルグ劇場の近くにあります。
ウィーン料理も本格的、グーラッシュスープとヴィナーシュニッツエル
ブランデー入りのウィンナコーヒー。
テラス席からの景観もウィーンにいるかのよう~♪
高層ビルと大聖堂の夜景というのが面白い。
【9月3日の装い】東京(晴れ、吹く風は秋風。湿度67%) / 最低気温22℃ 最高気温27℃
葦の葉に鳥文様の京紅型の絽小紋に月に雁の紗の織なごや帯をコーディネート
千鳥文様の絽縮緬の帯あげは加藤萬、葡萄色の帯〆は龍工房。
サハラガラスの根付も小鳥、帯あげにもチラッと千鳥がいます。
この雁は、前柄は月に向かって飛んでいる、お太鼓は月にかぶさって飛んでいる。
黒地に水玉の絞りの麻の日傘は遊中川×前原光栄商店
古布デコパージュのバッグは松枝忍
両面とも鳥がいますがイメージが全然違うのです~ヽ(゚◇゚ )ノ
「きものカンタービレ」のfacebookページを開設してちょうど1年が経ちました。
「いいね!」をしてくださっている皆さま、ありがとうございます。
心より感謝を。これからもどうぞ宜しくお願い申し上げますm(_ _ )m
朝香沙都子拝
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長町武家屋敷 〜 武家屋敷跡 野村家 / 2014年夏 金沢の旅 その8
加賀の料亭 大友楼 / 2014年夏 金沢の旅 その7
のつづき(^-^)/
染織文化講座の日、金沢は早朝から大雨が降っていました
早朝、雨に濡れても大丈夫な小千谷縮で長町武家屋敷跡の散策へ。
土塀と石畳の路地のつづくこの街には雨の風情が似合う。
長町武家屋敷跡界隈で唯一公開されている、前田家重臣野村家の屋敷。
1583年(天正11年)前田利家の金沢城入りに直臣として従った野村伝兵衛信貞から
11代に渡って奉行職を歴任した野村家。明治に入ってからは幾度か住人は変わりましたが、
今も尚、昔の面影を伝えています。野村伝兵衛が着用した甲冑がお出迎え。
こちらのお屋敷は何といっても、小さいながらのお庭が素敵。
濡れ縁のすぐ下には曲水の池があり過不足なくまとまった日本庭園。
庭に出ずとも縁側から鯉に餌があげられるのがいいなあ…。
大聖寺藩士山口梅園の白牡丹の襖絵のある謁見の間
襖絵に描かれた花鳥画にうっとり~(〃∇〃)
どの襖絵も保護のためガラスが入っているので反射してしまい写真は今ひとつ…。
奥にすすむと…
石畳の階段があり不莫庵というお茶室。お茶もいただけます。
2階のお茶室から眺めるお庭もまた良し
ピンぼけしていますが、佇まいが何とも素敵な1枚。
朝からリフレッシュしたところで、染織文化講座に向かいます^^/
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染織文化講座 加賀友禅伝統産業会館 / 2014年夏 金沢の旅 その9
長町武家屋敷 ~ 武家屋敷跡 野村家 / 2014年夏 金沢の旅 その8
のつづき(^-^)/
染織文化講座 金沢編は加賀友禅伝統産業会館にて開催されました。
1階の展示スペースには、名だたる加賀友禅の作品群が飾られ中央には加賀友禅に
欠かせない、鹿刷毛、平刷毛、片刷毛、面相筆、小刷毛、ふのり、なども展示されています。
奥の特別展示室には、重要無形文化財保持者である故木村雨山の屏風
貴重なスケッチブック。臨場感溢れる筆致、日本画の技法を駆使した写生であり、
色彩は大和絵を思わせるものが多い木村雨山のタッチはこうしてできるのか…。
加賀友禅の始祖(友禅染の始祖)といわれる宮崎友禅斎の像も。
現存する資料から、友禅斎は友禅染めの技法や創作、改良などにも関わっていないことが
判明しています。ではなぜ、友禅の名が友禅染めにつかわれるようになったのか?
これが、染織文化講座 金沢編での大きなテーマでもありました。
丸山伸彦先生の講義の詳細は、染織文化講座の講座記録にてレポします。
2階の畳敷きのホールには、木村雨山、談義所英二をはじめとした戦後の加賀友禅
を築き上げた、故人の作家の素晴らしい加賀友禅が特別に集められ、展示されていました。
談義所栄二の豪華な檜扇文様の黒振袖
加賀友禅の特徴として刺繍はないとされますが、昔の加賀友禅は刺繍も金彩もあるものも。
松竹梅に鶴の黒振袖。
成竹登茂男の訪問着
作者不明の褄文様の振袖
上前と下前のみに文様が描かれた五つ紋付のきもの
※会館内での撮影及び掲載の許可をいただいております。
加賀友禅の特徴は、写実的な絵画調の花鳥風月、虫食い葉、先暈かし、
加賀五彩(臙脂、藍、黄土、草、紫)の色づかい。
加飾することなく鈍色の空の下の自然を写しとった美とされています。
京友禅との違いは、分業制でないこと。(工程の中で分業はあり)
作家の個性が強いのが特徴ですが、その原点を見た気がいたします。
現代の加賀友禅の見比べてみることができたのは興味深いものでした。
あらためてご尽力くださいました方々に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
1階には加賀友禅作家の森田耕三先生の実演コーナーもあります。
森田耕三先生と
お会いしたのは4年ぶりだったのですが、先生お変わりない!
開通式で飾られる加賀友禅のタペストリーに彩色をさせていただきました。
加賀友禅作家の森田耕三先生による企画。
新幹線の車輪に黒色を彩色。
これは開通式に見にいくしかないでしょうо(ж>▽<)y ☆
講師の丸山伸彦先生も彩色されました。
この友禅彩色された人の中から、抽選で北陸新幹線がデザインされた名刺入れが当たります。
いいなあ~о(ж>▽<)y ☆
ちなみに開通式では「加賀友禅でお出迎え」という企画があるそうです。
加賀友禅プロモーションマネージャーである鶴賀雄子さんによるもので、今回の
染織文化講座金沢産地研修の受講生の中からも参加したいという声が上がっていました。
私は…、「加賀友禅で迎えていただきたい」ほうなので、←発想がオヤジといわれた
開通式の日の北陸新幹線で金沢を訪れたいと思ってます~。
東京から東京友禅か江戸小紋を着て加賀友禅にお出迎えしていただく、そして加賀友禅を
着て帰るとか…?←妄想が膨らみますね(^_^;)
つづきます(^-^)/
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第21回 沖縄工芸ふれあい広場 「沖縄の工芸展」at 時事通信社ホール
つくり手とつかい手の相互交流を深めるコンセプトで開催されている
第21回 沖縄工芸ふれあい広場「沖縄の工芸展」へ(~9月7日まで)
喜如嘉の芭蕉布、読谷山花織、知花花織、首里織、琉球紅型、琉球絣、久米島紬、宮古上布、
八重山上布、八重山ミンサー、与那国織、ウージ染めの12の琉球染織の産地組合と
琉球漆器、琉球ガラス、三線の3つの琉球工芸の産地組合が出展されています。
●喜如嘉の芭蕉布
平良美恵子先生のお話
歴史的背景のお話の中には、宮城文著「八重山生活史」によると豊臣秀次の遺骸には
芭蕉布の羽織が羽織らせてあった(※その話のもとが何であるかの記載はないそう)、
毛利家伝来の史料には尚寧王と徳川家康の対面についての史料があり、琉球からの進物
には芭蕉布(はせを布)があることからも、かつては「はせを」といわれ、琉球がここぞという時に
差し出した布であるという話がいくつかありました。
漢方薬としてもつかわれ、幹の内側からは繊維が取られ、外側は紙になり、
葉は包むものとしてつかわれ、葉幹の汁は熱冷ましなど薬としてもつかわれた芭蕉布は
その姿も貴婦人のように美しいとされ、円山応挙が唐子と芭蕉を描いた襖絵があるという
お話もあったので、調べてみましたφ(.. )
兵庫県香住町にある大乗寺にある芭蕉の間の襖絵のことで、中国の故事となっている、
唐の皇帝につかえた郭子儀が芭蕉布の葉で遊ぶ子どもを見ている様子が描かれています。
芭蕉の葉が紙の代わりとしたという故事に基づいたもののようです。
●読谷山花織
池原栄子先生によるお話
琉球の大交易時代であった14世紀に読谷山花織の技法のもととなる絣や浮織が伝来し、
その後、独自に織られるようになった読谷山花織は明治以降衰退し幻の織物となりますが、
1964年有志によって復活し、現在は伝統的工芸品となりました。
現在107人が組合に属し、織り手は27歳~92歳まで。
色糸で浮きだす花織の模様にはそれぞれに意味があります。
紅露(グール)といわれる琉球染織ではよくつかわれる、サルトリイバラ
ゲッキツ(月橘)の名は花が蜜柑のような芳香を放つことからきているようです。
●琉球びんがた
屋富祖幸子先生のお話
琉球染織の中で唯一の染めのきもの。
紅型は型紙がつかわれる型染めのきものですが、白地紅型、染地紅型、返し型、朧型、藍型
と分けられています。
左が染地紅型の型紙◇模様に色挿しした後に、その上に糊伏せし、地を染める。
右が白地紅型の型紙◇地の部分に防染糊が置かれるので白地に仕上がる。その上から
模様部分に糊伏せをして、あらためて地を染めるのが返し型
琉球舞踊でつかわれる衣裳、化繊のプリントのものと絹地の本紅型を比べてみる。
観光施設などでは化繊のものが多く見られるが、実際に踊る場合は身体に沿う感が大事
となるので、踊りの大会では絹の縮緬地の本紅型がつかわれるとのこと。
↓左が本紅型、右が化繊のプリント
●ウージ染め
ウージはサトウキビから染められた織物
美しい色~。
きものや帯であったら素敵だと思うのですが、つくられるようになったのは近年のことで、
今は小物やタペストリーが主流だそうです。
サトウキビを刈り取る季節によって色が変化するのだそう。
深い黄緑色は太陽を浴びた後の季節の8月~9月の、黄色はその前の若い時季。
冬になるにしたがって、色は渋い色になります。
●美しいキモノ編集長の富川匡子さんの講演
琉球染織によるコーディネートの提案のお話でした。
琉球絣に花織の帯を若い方向けにご提案
こちらはシックに大人の女性向けに。
琉球絣に紅型の帯
この紅型に描かれている花は、サガリバナという、梅雨が明けた夏の夜に咲く花なのだそう。
どことなく神秘的で心魅かれました
紅型のきものは帯あわせが難しいとされますが、琉球染織つながりで、シックな花織を
あわせるのも素敵。
美しすぎる編集長と
会場では、実演や体験もあり、琉球染織好きなら会期中ずーっといても見飽きない…。
もちろん販売もされています。←おそらくこちらが主
琉球染織のワンダーランドのようです:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
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甦った飛鳥•奈良 染織の美 〜初公開の法隆寺裂〜 at 東京国立博物館法隆寺宝物館
東京国立博物館法隆寺宝物館にて開催中の
「甦った飛鳥•奈良 染織の美 ~初公開の法隆寺裂~ 展 」(~9月15日まで)へ
東京国立博物館法隆寺宝物館は1878年(明治11年)に法隆寺から皇室へ献上され、
戦後に国へ移管された300件あまりの宝物を収蔵、展示しています。
広い東京国立博物館の中ではひっそりしたところにあり、昔は週1日のみの公開の穴場でした。
新しくなった宝物館も穏やかで静寂を感じられる空間だわ~と思ったら、谷口吉生先生に
よる建築。なるほど…。
谷口吉生先生の奥様は、元LVMHウォッチ・ジュエリージャパン取締役でもある谷口久美さん。
今はオペラ界で活躍されているファッション界の才媛でいらっしゃいます。
世界最古の伝来の染織品は、日本の上代裂(古代裂)の法隆寺裂といわれています。
法隆寺裂は7世紀後半から8世紀前半のものが大半(その後のものもあり)、法隆寺裂と
上代裂の双璧とされる正倉院裂は8世紀中期以降のものなので、法隆寺裂は正倉院裂
よりも約120年前のものとなります。悠久の昔の100年は同じように捉えがちなのですが、
100年は実は長いです。
2000年の時を経てきたものとの出会い。
天寿国繡帳◇絹製 平織、羅、刺繍。622年(推古天皇30年)
聖徳太子の薨去を悼んで妻の橘大郎女が発願しつくらせたという現存する最古の
繡仏であり刺繍。天寿国は聖徳太子が往生した阿弥陀仏の住む西方浄土の世界のこと。
この眼で見ることができて感動~\(゜□゜)/
左上の亀は甲羅と足?雲気と蓮華文様はしっかりと残っていてよくわかります。
その隣に展示されていたのは…ん? 鎌倉時代?
天寿国繡帳がつくられたのは622年といわれますが、その後は所在不明となっていて、
1274年(文永11年)中宮寺の中興の祖といわれる信如という尼僧が夢のお告げによって
法隆寺の蔵から見つけ出したと伝わっているのだそう。←教えていただきました!
飛鳥時代のもののほうが糸の撚りが強く中心部まで染められていたことにより
保存状態がいいのだそうです。
赤地広東裂◇絹製 経絣。飛鳥~奈良時代(7~8世紀)
経絣は法隆寺の幡や褥に見られますが正倉院ではみられない。経絣は前漢時代のもので、
唐の時代に緯錦が完成し織られるようになると経錦は織られなくなったともいわれます。
経錦は文様を織りだすための色糸の整経が困難であるというお話は、染織文化講座で
龍村美術織物社長の龍村旻先生によるお話でもありました。講座記録はこちら☆
赤地七曜紋絞纈平絹幡足◇絹製 奈良時代(8世紀)
退色しないこの赤色!
連珠円文綴織◇絹製 綴織。飛鳥~奈良時代(7~8世紀)
裂地の端をみると綴であることがわかります。
金地竜蓮華文綴織◇絹製 綴織。飛鳥時代(7世紀)
地の部分は和紙に金箔を貼った平金糸の箔糸だったが、ほとんど残っていない。
茶地花卉鳥文摺絵平絹◇絹製 平絹、摺絵。奈良時代(8世紀)
木版に墨で摺だしたものが今もクッキリ残っている。正倉院に所蔵されている
法隆寺裂のものの断片と合わせると、向かい合う鳥と草花があるのがわかるようです。
赤地ほら羅◇絹製 ほら羅。飛鳥時代(7~8世紀)
経糸を捩った捩り織りでさらに透き模様がある染織史上、重要な裂。
綾織の地紋もクッキリわかります。平織との違いをチラッと説明すると、
経糸と緯糸を1本づつ交互に組み合わせて(交差させて)織るのが平織。
綾織は経糸が緯糸3本をまたぐ、緯糸1本下を通って、緯糸3本をまたぐ、といった織り方。
糸の交差点が斜めに走ります。平織よりも伸縮性がありしなやかに織りあがるのが特徴。
青緑地綾•紫地綾縫い合わせ◇絹製。飛鳥~奈良時代(7~8世紀)
淡縹地七曜文入亀甲繋文綾◇絹製。飛鳥~奈良時代(7~8世紀)
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この日は「甦った飛鳥•奈良 染織の美 ~初公開の法隆寺裂~ 展 」のギャラリートークが
ありました。講師は研究員の三田覚之先生。
法隆寺裂と正倉院裂は年代が一部年代が重なっていることと、皇室から法隆寺裂が
献納された時に東京国立博物館がなかったため、正倉院に仮置きされることになり、
その後、博物館が完成し移送される時に、染織品が納められた唐櫃の一部を正倉院の
もとと間違えて運んでしまったことがあり、混同されることとなってしまった。
近年の研究により、染織品の技法と文様の違いから両者の判別が可能となったのだそう。
淡茶地白虎文描絵綾天蓋垂飾◇絹製 平絹浮文綾、描絵。飛鳥時代(7世紀)
こちらの裂についての考察のお話が主となりました。
これは現存する日本最古の絹本の絵画。
生地は綾織。糸の交差点が斜めに走っています。
復元のときに、ポツンと離れた箇所にある位置はなぜわかったのか?
以前のもの(右)は、胴にくっつけていたが…。
裂地を外し裏からみると、平地浮文綾の織で亀甲繋文であったことがわかり、
それによって離れた部分の正確な位置が判明したとのこと。なるほど!
龍のようにも見えるが、奈良薬師寺の台座にある白虎からイメージするとこんな感じに
なるのだそう。
垂飾とは、天蓋の周囲についている垂飾り(ペナントのようなもの)として用いられたもので
蛇舌ともいわれる。時代が下がるにつれて鋭角に変化。
正倉院御物と混同されてしまった法隆寺裂の中に、セットと思われるものが残っているのだそう。
白虎の姿は高松塚古墳やキトラ古墳との近似性とそれよりも古い様式であること、
描いた画師は黄書画師、高麗画師が想定できる、などのお話もありました。
1点に絞って詳細にご説明くださったのが、とても良かった!
他の裂についても機会があったらぜひお聞きしたいものです。
裂地は展示することによっての劣化があるため、次に公開となるのは5年後。
悠久の流れに今も残る、糸と色と織を堪能できる貴重な機会です。
※撮影及び掲載の許可をいただいております。
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首里織を織る / 第21回 沖縄工芸ふれあい広場 「沖縄の工芸展」 at 時事通信社ホール
第21回 沖縄工芸ふれあい広場 「沖縄の工芸展」at 時事通信社ホール
2日目
首里織のコースターを織りましたo(^▽^)o
経緯の平織10段に花綜絖をつかった紋織が3段のコースター(こちら↓は見本です)
緯糸は5色から選べます。
粗雑が目立たないように薄紫色をチョイス。←あまり関係なかった
足元の踏み木①を左足で踏んで緯糸を左から右へと通してトン。
踏み木②を右足で踏んでトントン。
右足で踏み木②を踏んだまま右から左へ緯糸を通してトン。
左足で踏み木①を踏んでトントン。
この繰り返しが平織です。
花織の模様は手前の花綜絖を足元の踏み糸で動かして、経糸を沈めたところに
緯糸を通すことによってできます。
左足で踏み木①を踏みながら右足で白の踏み紐を引いて左から右に緯糸を通すと
こんな感じで浮きでてきます。ここでトン。
踏み糸から足を離して踏み木②に踏み換えてトントン。
2種類の踏み紐を踏み換えることによって交互の模様が浮きでます。
綜絖の仕組み…。考えると眼が廻りそう(@Д@;
でもコースターが織りあがる頃には何となく仕組みがわかって楽しくなってきた♪
こんな感じで織りあがりました(〃∇〃)
所要時間20分ぐらい。
自分は不器用すぎて、とてもとてもつくり手にはなれませんが…、(だから憧れているの…)
糸と糸が織り成す仕組みに魅かれています:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
楽しかったです~♪
首里織、宮古上布、久米島紬、八重山上布のレクチャーについては別記事で。
最終日は、貧血で倒れていけませんでした(T_T)
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重陽の節句 菊被綿づくり / 衣紋道高倉流たかくら会
涼やかな秋の風に虫の音
今年の9月は過ごしやすいですね~♪
今日は重陽の節句。
9月2日に行なわれた衣紋道高倉流の重陽の節句レポートです。
宗会頭仙石宗久先生と
床のお軸は有栖川宮威仁親王殿下筆
「山人の 折る袖にほふ 菊の露 うちはらふにも 千代は経ぬべし」(新古今和歌集より)
藤原俊成(定家の父)が後鳥羽天皇の妃の入内に詠んだ歌です。
有栖川流の書は、高松宮宣仁親王妃喜久子さま(お母さまは有栖川宮威仁親王の次女。
お爺様は徳川慶喜公)から常陸宮華子さま、現在は秋篠宮文仁殿下に受け継がれています。
菊は奈良時代末期に唐から伝来し、当初は薬草として使われ後に観賞用になります。
平安時代に極限られた人々によって栽培されますが、一般に普及したのは江戸時代に
なってからといわれています。
平安時代には陰暦9月は菊月とよばれ、9月9日は9が重なることから重陽の節句とされ
宮中では、菊の花を浮かべたお酒を飲む菊花の宴、菊花の杯で邪気を祓いました。
節句の前日に菊の花を真綿で覆い菊の香りを移し、翌朝に露に湿ったこの真綿で顔をぬぐい
長寿を祈願するという日本独自の行事が生まれます。
これが「菊被綿(きくのきせわた)」です。
菊被綿をつくってみましょう。
蘇芳を煮て椿の灰汁で媒染した染料をつかって染められた真綿。
2枚にわけ中身となるほうはクシュクシュと丸めてお団子のようにします。
外側になるほうを上から膜のように被せて丁寧に撫でていきます。
菊被綿は3色。
完成です!
旧暦の9月9日の重陽は、新暦ですと2014年10月2日になります。
10月1日の夜には菊の花に被せて、若返りを祈願したいと思います~♪
ちなみに高倉流では皇室にお納めされるものにのみ花芯をつけられるのだそうです。
雅やかな節句行事、大切にしていきたいですね
童女の正装である汗衫(かざみ)装束と総角(みずら)のお話は別記事で(^-^)/
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染織文化講座の講座記録が更新されています。こちら☆
富岡製糸場が世界遺産になったこともあり、日本の近代化を担った製糸技術と産業遺産に
注目が集まっています。富岡製糸場レポも検定前にあげたいところですが…(・_・;)
きもの文化検定1級を受験される方は、資料を丸暗記するのではなく、繰糸機の
フランス式とイタリア式の違い、なぜフランス式ではなくなったのか。
共撚り式からケンネル式。
諏訪式繰糸機、多条繰糸機、自動繰糸機への移り変わり。
こういったことを系統立てて理解することをおススメいたします。
ちなみに、岡谷蚕糸博物館には富岡製糸場のフランス式繰糸機をはじめとした、
ほとんどの繰糸機が今も残っています。
さらに宮坂製糸場による、座繰りの諏訪式、上州式が動態展示として見学できます。
岡谷にも近代産業遺跡群があり、こちらも要チェック(-_☆)
岡谷蚕糸博物館レポと共に近々「きものカンタービレ♪」にてアップする予定です。
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9月の雨の日の雪花絞りと犬の帯
今年は秋があっという間にやってきたようです
重陽の節句も過ぎましたので、基本的には単衣のきものに衣更えですが…、
日常のきもの生活ではまだ自由に着ています。
初秋は台風もやってきますし、このごろはゲリラ豪雨のようなトンデモナイ大雨も降ります。
なのでお彼岸前までは、水に強い綿や麻を着たいところ。
雨コートを着ると暑くて蒸れるのです。
雨は防げても汗だくになってしまったら、かえってお手入れも大変
もうしばらくは透け感のない薄物で、中旬からは単衣になると思います。
「化繊のきものはどうですか?」とご質問いただくのですが、
お茶会やお香席、能鑑賞で屋外を歩くときなら化繊のきものを着ることも考えますが、
手持ちの化繊のきものは滅多に着ることがありません…。
【9月8日の装い】東京◇曇りのち雨(湿度71%) / 最低気温20℃ 最高気温24℃
綿紅梅の雪花絞りに犬の描かれた麻の帯
透け感のない綿紅梅の雪花絞りはきものとして葵祭のころからお彼岸まで着ています。
有史以来、人間にとって友ともいえる犬。
きもの好きは圧倒的に猫好きが多いそうで、きものや帯の意匠として
犬はあまりみかけません。猫も好きですが、私は犬好きです
晴雨兼用の傘は遊中川
古布デコパージュのバッグは松枝忍。
ぞうりは菱屋カレンブロッソの花緒サンダル
犬だけでなく、鹿も好きです
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この雪花絞りは、有松絞りの張正さんによる板締め絞り。
2013年に張正さんに工房見学で伺った時に発注したもの。こちら→ 2013年有松絞りを巡る旅
張正の鵜飼良彦先生が先日ご逝去されたことを偶然に知りました。
夏にお嬢さんの小百合さんとお話しした時には回復に向かっているとのことでしたので
驚くとともに、声にならぬ思いです。
工房見学に伺った時、鵜飼良彦先生のキリッと黙々とお仕事に取り組まれていらっしゃる
そのお姿は弛まぬ職人のオーラーに包まれていていました。
中々お声掛けできなかったのですが、その技を間近でじっくりと見せていただき、板締めの
緊張感、そして水槽で広がる雪花絞りの万華鏡のような美しさは感動的でございました。
八つ畳の雪花絞りは、鵜飼良彦先生しかつくれないとお聞きしております。
大切に着たいと思います。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
朝香沙都子拝
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染織文化講座 「友禅」/ 千總に志ま亀の京友禅鉄板コーデ / 2014年夏 金沢の旅 その10
染織文化講座 加賀友禅伝統産業会館 / 2014年夏 金沢の旅 その9
のつづき
能登へは能登上布を着ていったのですが、(きものの里帰り~♪)
金沢には加賀友禅…?
私、夏物の加賀友禅をもっておりませんでした(・_・;)
加賀友禅は基本的に手描きによるものなので、小紋はあまりつくられていないのです。
(坂口幸市先生の加賀小紋は別)
夏の小紋は滅多にお見かけしません。
丸山先生の「友禅染」の講義の中では、千總の西村總左衛門の話がでるであろうと
予測して←当たりました 金沢へは京友禅でまいりました。
千總の鷺草文様の絽小紋に志ま亀の団扇文様の絽塩瀬の染め帯をコーディネート
「京友禅」の老舗による鉄板コーデです。
丸山伸彦先生による「友禅」のお話 ※詳細は染織文化講座HP→こちら☆
(今週末に掲載)
「友禅染」は、糯米をつかって「糸目糊置き」をし、多彩な色挿しによって
日本画のように文様表現できる技法のこと。
その名前の由来となった、宮崎友禅斎が元禄期に創案したものといわれていますが、
現存する資料から、友禅斎は友禅染めの技法や創作、改良などにも関わっていないことが
判明しています。
いわゆる「常識」を払拭し、史料を読み解きながら「真実」を検証する。
染織文化講座の真の意義はここにあるようです 開催にあたって→こちら☆
江戸時代、日本では町人文化が花開き流行が生まれます。
17世紀、世界的に見ても、流行を自覚、享受するという現象は日本のみであり、
さらに雛形本の刊行という、メディアをつかった戦力は、ヨーロッパより100年早く、
これは日本のモードの早熟さを表します。
友禅染は技法であり、基準作はないが、これほど「友禅」の名が残ったのは、
宮崎友禅斎はメディアが生みだした最初で最大のスターであったから。
このことのほうが、遥かに大きいというお話でした。
3時間にわたる濃い内容だったので、頭に糖分が欲しいところ…。すると何と!
石川県菓子工業組合青年部さまより、生菓子の実演と提供がありましたヾ(@°▽°@)ノ
加賀五彩の藍、臙脂、黄土、草、古代紫がつかわれた「加賀友禅」
金沢は茶の湯文化が発達した和菓子どころでもあります。
加賀友禅には箔はないのですが、金沢は日本の金箔生産の99%のシェアを占めています。
だからでしょうか、贅沢に金箔入りです
眼にも舌にも美味しく頂戴いたしました。
ありがとうございましたm(_ _ )m
いよいよ、加賀友禅の実地研修です(^-^)/
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