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いとなみの自然布展「大麻布レクチャー」at シルクラブ / 紺仁の更紗の綿縮にインド茜の交布帯

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「いとなみの自然布展」シルクラブにて開催中(~6月30日まで)

祝い大麻飾りと大麻博物館の高安淳一館長とカメラ
地元で写真屋さんをしながら、日本でただひとりといわれる大麻の種まきから織りまでの技術
を保持する方に師事し、大麻づくりの研究をされています。
高安先生がお召しになっているものは、大麻で織られた装束。


受講の記念にくださった、大麻の繊維の裂。

このゴールドにキラキラ輝いているのは撚りがかかる前の糸。
何て美しいのでしょう…:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

こちらは、績まれた大麻。いわゆる麻布のような固さはなく、しんなりしています。


●高安淳一先生による「日本古来の麻」●

日本人にとって大麻は、古の時代から神事に欠かせないものであり、伊勢神宮の神宮大麻
というお札にもなっています。
お払い箱の語源は、先年の伊勢神宮の神宮大麻を入れた箱というお話。
お祓いとお払いをかけて、つかえなくなったものをお払い箱というようになったようです。

古来から日本で栽培されてきた大麻草には麻薬成分をほとんど含まず、戦前までは
漁網や釣り糸、自家用の衣類や縄などにもつくられつかわれていました。
第二次世界大戦終戦後アメリカからの指示によって禁止され、現在では許可制のみで
つくられるようになります。それは何故か?
大麻は戦争中の重要な軍事物資であったため、(アメリカでは大麻農家は徴兵免除の例あり)
日本に戦争をさせないための政策として大麻栽培を禁止します。
大麻は1年草のため、1年以上種まきがされないと次の発芽が難しい。
そこで一部の農家に大麻の栽培を許可することになりました。これが大麻取締法の成り立ち。

大麻は成長が早いので、麻の葉文様は子供の成長を願う文様としてつかわれ、
学校校歌や校章にもよくみられます。


大麻の糸は、弓道の弓の弦、横綱の綱、茅葺き屋根の庇につかわれています。
現在の日本の流通規格では、麻は苧麻(ラミー)、亜麻(リネン)。大麻は指定外繊維。
大麻布の良さは、繊維はチューブ構造になっているので、空気を含み湿気を放出すること。
夏涼しく冬は暖かいこと。とても柔らかくしっとりした風合いです。


績んだ糸を入れるオボケ(結城と同じ)

菱川師宣の画にも糸をつむぎオボケにいれるところが描かれています。


糸にする時に重要なのが、地中に生えていたときの天地の位置。

糸を裂くとき、自然に天から地の方向に向かって裂けていくのが特徴

麻引きをし、糸を撚る前に麻打ち(あさぶち)という工程があります。
大麻布の工程については、近々体験させていただくことになったので、そちらでレポートします!


【6月26日の装い】東京◇曇り(湿度23% ジメジメ汗)/ 最低気温20℃ 最高気温28℃

紺仁の更紗の片貝木綿の綿縮に前津雪絵のインド茜の交布六寸帯をコーディネート

2日連続でカラテア結び。この日は10分で着付け完了。
きものの柄がたくさんあるので、カラテアのビラビラの数を減らしてみました。
この帯結びは適当でも形になります。色々楽しめていいですね♪


葛布の柿渋の日傘、次はこれかなラブラブ


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指宿のたまて箱号 / 奄美&鹿児島の旅 その10

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薩摩切子と雪花絞り at 城山観光ホテル / 奄美&鹿児島の旅 その9  のつづき(^-^)/

錦江湾沿いを走る観光列車で指宿へ地下鉄

たまて箱号、通称「いぶたま」。竜宮城伝説から名づけられているのだそうです。

ドアが開くと、煙に見立てたミストがでてきます(+_+) ←玉手箱だから


車内はノスタルジックかつメルヘンな雰囲気音譜

トンネル通過中に窓ガラスに写った車内のようすを撮ってみました。

某図書館カフェのようです。

錦江湾をグルッと。

桜島は眼をこらしてボンヤリ見えるかな…という残念なお天気。

それでも、流れ行く車窓風景は楽しい♪


海外からの旅行者の方もたくさんいらっしゃいました。
日本人のきもの姿を喜んでいただけるなら、きものを着ることはそれだけでも良いこと。


さて、電車に乗り込む前に、鹿児島新幹線の改札口で両棒餅を発見した私。
早速、知覧茶と一緒にいただきました~、が…。

しかし…、それは失策汗両棒餅は美味しかったですよ(^_^;)
ですが、この「いぶたま」号には、いぶたま限定スィーツなるものがあったのですビックリマーク
黒ごまプリン。卵と黒ごまと2層仕立てになってます。

指宿サイダーといぶたまブレッド

黒パンはオクラとチョコチップ、白パンはパッションフルーツ\(゜□゜)/


いぶたま号が通る時は、指宿の方がお迎えとお見送りをしてくれます。

車内サービスも良し合格 鹿児島~指宿間の往復は鉄子にはたまらない楽しい時間でした♪


※先日の大雨によるいぶたま号の脱線事故で怪我をされた方々にお見舞い申し上げます。
路線が不通となっていましたが、本日より運転が再開されるそうです。
いぶたま号は7月19日からの三連休までに修理を終え開通の見込み。
素晴らしい観光電車です!どうか良い旅を♪


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いとなみの自然布展「葛布レクチャー」at シルクラブ / 青地格子琉球壁上布にカエル一家染め帯

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きものは1本の糸からできている…、それは自然と共存しつつ人の叡智が生み出したもの。
当たり前のことなのですが、あらためて気がつかせてくださったのは、古代織産地連絡会です。

かつて布といえば麻のことでした。
ですが人は麻が栽培される前、野山に自生する植物から繊維を取り布を織っていました。
それらを古代布といいます。
アットゥシ織、しな布、大麻布、葛布、藤布、苧麻布、芭蕉布、太布。
日本には古の昔から量産化と効率化がすすんだ現在まで、多種類の古代布が残っています。
これは世界でも珍しいことなのだそう。
さらに産業化された日本で残っているのは奇跡に等しいといわれています。

大井川葛布の村井龍彦先生とカメラ カメラを忘れてたため携帯ショットで残念(ノ_・。)


きもの暮らしをしていると、さまざまな布が気になります。
ここぞというときの装いは、立場的に絹の染めものになることが多いのですが、
今では超高級品になってしまったけれど、自然布を日常にサラッと着こなす、
そんな生活に憧れています:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

経帷子となるものは葛布がいい!と今から思っておりますが、まだ早い。
まずは日傘から。朝香スペシャルの留柄といっていただいた黄檗と紫鉱による染め。


●村井龍彦先生による「葛布の歴史と未来」●

葛布は葛の茎を繊維にして織りあげた布のこと。
撚りをかけずに糸にすることができる繊維であるけど、撚りをかけていないので強度はない。
遠州地方の葛布は経糸に綿糸をつかい緯糸に撚りをかけていない平糸の葛の繊維をつかっています。

葛布の歴史は気が遠くなるほど古く、中国の神話には、治めずして治まったとされるころ、
葛天子という帝王が人々に葛から縄のない方と衣服のつくり方を教えたとあるのだそう。
司馬遷の史記に「夏日は葛衣を着る」とあり、6300年前の葛布も出土しています。

日本では太宰府菖蒲ヶ浦古墳より出土された古墳時代のものといわれる道鏡に付着した
葛布が最古のもの。

平安期には貴族の装束としてつかわれ、蹴鞠装束の指貫袴は今でも葛布。
戦国時代には鎧下につかわれ、江戸期には裃装束、陣羽織、火事羽織、道中着にも。
「いとなみの自然布展」でも一部、展示中サーチ


葛布の裃。江戸後期のものだそうです。


●葛布の葛結びの体験●
刈り取り→煮る→室入れ→発酵→室だし→苧洗い→乾燥
ここまでの葛を葛苧といいます。 左が葛苧、右が葛糸

レクチャー用にいただいたもの。ビニール紐は練習用です。

葛苧を裂いていきます。天から地に向かうようにだと裂きやすい。

結び端が同方向にくるように結び目をつくります。

これを「葛布結び」といいます。

八の字になるように棒に巻き付けていきます。

乾燥したままの葛苧は切れやすい。力を入れすぎると切れちゃいます。

八の字に巻いていくとこんな感じに。これを「葛つぐり」といいます。


自然布の中でも糸づくりはさまざま。ちょっと体験で触れさせていただくだけでも面白い♪
自然布の現代における意義について別記事で補完します(^-^)/

【6月28日の装い】東京◇雨時々曇り(湿度80%、鬱陶しい霧雨) / 最低気温21℃ 最高気温25℃

青地格子の琉球壁上布に中野スズミのカエル一家の絽縮緬染め帯をコーディネート

途中から大雨にて撮影中止(x_x;)

雨なので、松枝忍の河童の籠バッグ。


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夏越の祓の茶事 / 志ま亀の青海波に貝文様の小紋に団扇文様の絽塩瀬の帯

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光陰矢の如しと申しますが、今年は鉄砲玉のように過ぎている気がします。
今日は社中の夏越しの祓の茶事でしたお茶

待ち合いの床飾りは能「水無月祓」
お互いに想いつつ別れた男女が下鴨神社の夏越の大祓で再会し結ばれるというお話。
シテの室津の女は木綿襷を掛け茅の輪のついた笹を持って舞います。

茶室のにじり口には「蘇民将来」の茅の輪。
お軸は「雲悠々 水潺々(くもゆうゆう みずせんせん)」 鵬雲斎大宗匠の筆

先生のお手製の懐石。眼に美しく美味しいラブラブ 堪能いたしました…:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

夏越の祓の日に水無月をいただけるというのも嬉しい♪
宮中では氷の朔日(旧暦6月1日)に氷室をあけ氷を取り寄せたという習慣があります。
白い外郎は氷を小豆は氷についた泥を表しています。水無月はこの習慣の名残。
小豆には悪魔祓いの効果もあるとされていました。

時候にあった素晴らしいお席。
名水点てのお水は京都醒ケ井の水、清代の古染め付けの水指、音羽山の落穂手茶入、
夏越の祓にちなんだ、蘇民将来の札の前端春斎のお塗りのお棗、お菓子は人形と茅の輪、
香合は七夕の節句にちなみ北斗七星、お茶杓は笹の葉、ご亭主のきものは笹文様でした。


1年の半分にあたる節目の日であり、多くの神社で犯した罪や穢れを払う大祓の儀式が
おこなわれます。こちらは2011年山王日枝神社の夏越の大祓。詳細はこちら☆

白い紙ふぶきを左右と自分の身にかけ、人形に息を吹きかけ穢れを移し、茅の輪くぐりを
します。左回り右回り左回りの順に三回、8の字を描くようにくぐります。

茅の輪は茅(イネ科のちがや)や芒、稲、蒲の穂などを束ねてつくられます。
茅の輪の由来となったのは、備後国風土記にある蘇民将来の故事によるもの。

昔々あるところに、蘇民将来と巨旦将来いう兄弟がいました。
ある日夜のこと、武塔の神が一夜の宿を請いますが、裕福な暮らしをしていた巨旦は
これを断り、貧しい暮らしをしていた蘇民は粗末ながらもおもてなしをします。
武塔の神は再び訪れ、巨旦の妻となっていた蘇民の娘に茅の輪をつけ、娘を除く
巨旦の一族を滅ぼしてしまいます。我は素戔嗚尊であると名乗り、以後は茅の輪をつけていれば
お前の一族は災厄を逃れるだろうと言い残した…。という説話です。※異説もあります。


【6月30日の装い】東京近郊◇晴れ後曇り(湿度61%、単衣でも大丈夫でした!)
/ 最低気温21℃ 最高気温28℃

このところ、突然の大雨だったり雹がふったり…、天候不順で困ります。
今日は雨が降らなくて良かったヾ(@°▽°@)ノ

志ま亀の青海波に貝文様の単衣小紋に団扇文様の絽塩瀬の染め帯をコーディネート

バッグはかづら清老舗、しな布のぞうりは四谷•三栄


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いとなみの自然布展「紡錘車での糸紡ぎワークショップ」at シルクラブ

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いとなみの自然布展(~6月30日) シルクラブにて開催中。

十絲の会の方々。
右から、大熊眞智子先生、小峰和子先生、永井泉先生とカメラ


私たちの生活に一番馴染みが深い繊維となっている木綿ですが、今私たちの周りにある
綿といわれる素材は、米綿といわれるもので長毛の繊維。産業革命後、量産化と効率化が
求められ機械紡績が主流になると、それまで日本で栽培されていた和綿はつくられなくなりました。
現在の日本の和棉の自給率は0%といわれています。

棉花はアオイ科の植物。和綿は春に種を蒔き秋に収穫します。


和綿は中に空洞があって空気を含むことから、保温性があり吸湿性と速乾性に優れた繊維。
まさに高温多湿の日本の風土に適している素材です。
ですが、短毛で機械紡績に向かない…。
手紡ぎというとても手のかかる工程が必要となります。


●紡錘車をつかっての糸紡ぎの工程を体験させていただきました。

紡錘車とは、独楽の回転力をつかって撚りをかけて糸にするための道具。
古代エジプトの壁画にも紡錘車をつかった糸づくりがみられ、日本では弥生時代の
遺跡から土器をつかった紡錘車が出土されています。

棉花から種をとり綿打ちしほぐしたものを平らに広げて巻いてつくった「篠巻き」

篠巻きの綿から糸を少し引き出して、右手の親指と中指をつかって撚りをかけます。

これがまた、不器用な私には至難の業だったりする…。

糸が20cmぐらいできたら、紡錘車にセットします。

糸を固定させてフックに向かって芯棒に巻いていきます。

綿から引っ張られた状態

はじめ、綿の引き加減がわからず太さが酷いことに…。 

これぐらい均一だといいのですが…。このレポのために家でやり直しました(^_^;)

紡錘車を回転させるスピードと綿を引き出す手加減が難しい(゚_゚i)

指の力を抜くとすぐに撚りが戻ってしまい、それを引っ張ると切れてしまいます…(ノ_-。)

切れてしまっても綿の上に糸の端をのせて紡錘車を回すと、綿を巻き取ってつながってくれます。

しっかり撚りがかかっていると糸だけ持っても大丈夫。
紡錘車を独楽のように回して回転させ糸を巻いていきます。

理想としてはこんな円錐形になっていきます。


こんな可愛らしい棉花が糸になっていく…。
糸づくりって面白い~♪ 

和棉をつかって織られた布。
着るととてもホッコリしそうです。以前、小峰先生の和棉のきものを着させていただきましたが、
きものを持った時はズッシリと重量感を感じたのに、纏ってみると軽かった!のが印象的でした。


自然布をつくるという手仕事は気が遠くなるような作業ですが、つくられた布をみているだけで
とても豊かな気持ちになれます。

大井川葛布の村井龍彦先生によると、植物からはさまざまな繊維が取れるが衣服として
つかわれている繊維は20種類に満たないのだそう。
何千年、何万年という歴史の中で淘汰され、そして今も残っている。
「服薬」という考え方は、薬となる染料で染めた布を纏うことで、肌から身体に薬を取り入れる
と考えられていた。それでも効かない場合には煎じて飲むこと。これが今日の内服薬の語源。
中国最古の歴史書である「書経」には、「草根木皮は小薬、鍼灸は中薬、飲食衣服は大薬」 
とあり、古代から人は衣服が薬であると知っていたといいます。

着るものはお薬…。
そう、何より心に効きますねドキドキ


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染織文化講座 本藍染めと絞りの実技講習 / 原田弘子 藍染め展 at 一穂堂スタジオ

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化学染料の全く入っていない本藍染めは日本で10件に満たないといわれています。
国内で藍をつくっているのは徳島の4件(そこから枝分かれしたところはあり)

天然藍を安定させ染めるということの難しさを身を以て知った貴重な機会でしたビックリマーク


染織文化講座2014実技•藍染め作家の原田弘子先生による「本藍染めと絞り」 
原田弘子先生とカメラ 2013年座学•講座記録はこちら☆

下染めのしてある綿の膝掛けか絹の帯あげ(3種類)から選びます。
私はこちらの絹の帯あげをチョイス。
何で下染めしてあるのだろう…?と思ったのですが、その訳はあとでよくわかります。

絞りにつかう、たこ糸、チャコールペン、ビーズ、手袋などもご用意くださいました。

十数種類の絞り見本の中から好きな技法を選べます。
1枚の中で数種類の絞りの技法を試しても良し、藍染めのみでも良し、独自の技法でも良し。


こちらが、本藍のみの藍甕。染めに的確なph値を計っているところ。


まずはじめは綿の裂地で絞りと藍染めの練習から。
裁縫が苦手な私は、折り畳んでいく絞りがいいと思ったので、山道絞りをやってみることに。

布の端を入れ籠むように折り畳んでいき最後は真ん中で括るだけ。

先ずはお水につけて、よく絞りタオルで水気をとります。

そして藍甕へ。

その後、水で洗いタオルで水分をとって…、

糸をほどきます。

山道絞りのはずが、氷割れのようなよくわからにものに…(゚_゚i)


う~ん…。
やはり絞りらしい絞りのほうがいいかな~と、本番の帯あげは別の絞りの技法に変更!
時間がないので、着付けたときに見えるところだけ豆入り絞りをすることにしました。

みえるところをチャコールペンでチェック。これを大体の目安にします。

豆を入れてグルグルと糸を巻き括ります。あとで解きやすいよう巻き方にコツあり。

等間隔でなく、かな~り無造作。チラッと見えたとき左右比対称のほうが面白いかなと…。

お水に入れてよーく絞ってタオルで水気をとり…、

藍につけると緑色に、空気に触れて酸化すると青になります。

ここで空気に触れさせてはいけなかった!

染め上がりはこんな美しい水色♪

糸を解きます。クルッととれるので面白い~。

じゃ~んビックリマーク
こんな感じに出来上がりました。


しかし、藍染めは最後のほうだったので、すでに藍に元気がなく…。
原田先生は日本酒を投入し何とか状態を安定させようとしてくださったのですが、
さすがに、ド素人50人×2回では、藍がくたびれてしまったようでした汗
自然のものは、人の思い通りにはいきません。
だからこそ味わいがあり心魅かれるのでしょう…:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

水に濡らした状態で持ち帰り、帰宅後は水に晒し3回洗い、その後は9ヶ月ぐらい箪笥へ。
さらに出してから水洗いをし藍の灰汁を取り除くようにとのこと。

苛性ソーダもハイドロコンクも入っていない、純正の本藍染め。
とても貴重な体験をさせていただきました。
ありがとうございました~。

私の帯あげは乾燥したら絞りがよくわからない状態になっていました…σ(^_^;)
でも下染めしてくださってあったので、充分素敵な帯あげとなりました。
染織文化講座、素晴らしい~ラブラブ


この講座を受講された皆さまへ。
染織文化講座の講座記録 用に作品のお写真をご提供いただけると幸いです。
(次回の講座に作品をお持ちくださるとありがたいです)
ご協力お願いいたしますm(_ _ )m

「原田弘子•藍染め展」 銀座の一穂堂スタジオにて開催中(~7月5日まで)

深い深い深淵の青は夜空を感じさせてくれます。

講座で原田先生がしていらして、素敵だな~と見ていた藍染めのスカーフもありました!

藍にはさまざまな効能があるといわれています。
身も心も洗われるような、良い色ですね~♪


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画を纏う衣裳 / 琉球壁上布に麻の帯 河鍋暁斎「蟹の綱渡り」と作者不明「鵜」

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花鳥風月が描かれた一幅の画を纏う…。
きものが他の民族衣裳と異なる面白いところだと思います。
色や素材のみで季節感を表す装いも素敵ですが、きものならでは装いというのは楽しいものです♪

川鍋暁斎の戯画「蟹の綱渡り」を麻に写した染め帯をコーディネート。

河鍋暁斎は幕末から明治にかけて活躍した絵師。たくさんの戯画や風刺画が残されています。
妖怪や蛙や蛇のグロテスクな絵が多いのですが、この蟹は可愛らしくてお気に入り♪
纏や扇子を持ったり三味線を弾きながら綱渡りをしている、ユーモラスな意匠です。


【6月29日の装い】東京◇晴れ(湿度71%、蒸し蒸し汗) / 最低気温21℃ 最高気温29℃

格子文様に絣柄の琉球壁上布にコーディネート。日傘は大井川葛布の葛布の紫鉱染。

河童は妖怪ですが、こんな可愛い妖怪を生み出す日本人の感性はいいものですね~♪


紅型染めの日傘に日本画というのは互いを相殺しかねないのですが、墨画なら何とか…。

作者不明の日本画を写したもの。鵜の表情が可愛い~(〃∇〃)ドキドキ


【6月27日の装い】東京◇曇り時々雨時々大雨(湿度86%) / 最低気温23℃ 最高気温26℃

二玉のトゥイグワーとヒキサギーの琉球絣の琉球壁上布にコーディネート
日傘は瀬底島の紅型工房べにきち。鳥に鳥コーデで遊んでみました。

ビーズ刺繍のバッグはジャマン•ピュエッシュ


きもののコーディネート、自己満足ですがホント楽しいですね♪

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「ヴァロットン 〜冷たい炎の画家〜」内覧会 at 三菱一号館美術館

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三菱一号館美術館にて開催中の「ヴァロットン ~冷たい炎の画家~」へ(~9月23日まで)

展示室の入口脇には、さりげなくヴァロットンが(ノ゚ο゚)ノ


ヴァロットンという画家をきちんと認識したのは、昨年秋に三菱一号館美術館で開催された
「近代のまなざし~印象派と世紀末美術~」展だったと思います。
白黒の版画というモノクロの良さを生かした大胆なコントラストで、何だかよくわからないけれど、
意味深な男女がとてもオシャレに描かれているな~という印象。
子どもの頃に夢想した大人のお洒落な世界?はこんな感じだったのかも…。

その時に高橋館長が「来年は大規模なヴァロットンの回顧展をしますから!」と熱弁?を
ふるわれていたのですが、正直なところヴァロットンは地味じゃないかしらんと思っておりました。


ヴァロットンこと、フェリックス•ヴァロットン(1865~1925)
スイスローザンヌの生まれで16歳にパリへやってきます。これは20歳のころの自画像。

こちらは30代のころの自画像。木版画で注目され版画を革新したといわれたころでしょうか。

写実画や合成風景に力をいてれいた50歳の頃。
60歳の誕生日の翌日に亡くなっているので晩年を迎えたころの自画像となります。


19世紀末のヨーロッパは多くの芸術家がジャポニズムに傾倒しますが、ヴァロットンも
国貞や歌麿の浮世絵を所有しています。自身の絵画にもチラリと描かれています。
その歌麿の浮世絵を隣に展示するという中々の趣向。


こういった木版画ばかりの作家だと思っていたのですが…、


こんな素敵な作品もありますドキドキ
浮遊しているような男女の踊り、筆でシュッと描かれたような
身体の線が踊っている躍動感をだしていて、とても魅力的な絵。


部屋に入りこんだ陽射しがつくり出した陰影がいい!


う~ん、ヴァロットンは、美しい~!とかでなく、どこといいようがない陰があって、
何だかそこが大人のオシャレな感じがする…。超ビターなチョコレートのよう。
と表現している自分はミルキーかしらん(・_・;)
ヴァロットンの世界観がこの展示会場にはとてもマッチしていると思います。


こちらはヴァロットン特有の皮肉に満ちたユーモアが込められた作品だそう。


ボールを追いかけている少女の動きを上から捉えた作品。これも影が決めてのような。

二枚の写真を合成した構図になっているそうです。


背中はヴァロットンの背中。周りは彼の家族、疎外感と距離感が如実にでています。


竜ならぬワニを退治するペルセウスとみているアンドロメダの表情が…汗


冷たい炎の画家を称されるように、一筋縄ではいかない何か…。
ヴァロットンには不思議な魅力があります。
後味を確認したくなるような…。
この感覚、私にとっては幼い頃に妄想した大人の味に近いのかもしれません(・_・;)


※美術館展示会場内での撮影及びきものカンタービレ♪への掲載は、主催者さまより
許可をいただいたものです。

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「たなばた姫と七人のけんぎゅう」at 衣紋道高倉流たかくら会

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衣紋道高倉流の七夕の節句行事へ七夕
七夕は、古代中国の星伝説と乞巧奠の風習に日本の棚機女が結びついたもの。


今回の七夕の節句行事のテーマは「たなばた姫と七人のけんぎゅう」
白雪姫と七人の小人を換骨奪胎でしょうか…?

どことなく白雪姫っぽいかもドキドキ 今回のたなばた姫。
きものでこのヘアスタイルはあり得ないと思いますが、装束だと以外にも大丈夫。
平安時代にも花で髪を飾るということは行なわれていたそうです。
公家装束は文様や小物など、古代中国経由でペルシアなど西方から渡来したものが多く、
グローバルなものというお話もあり、納得ひらめき電球

棚機女(たなばたつめ)とは、豊作をもたらす神の神衣を織る乙女のこと。
棚機女と織女が奈良時代に結びつき七夕の名前の由来になったといわれています。


以下、衣紋道高倉流宗会頭の仙石宗久先生のお話を元にまとめましたφ(.. )

●夏の小袿装束●
塩山文様を元につくられた夏の小袿に濃色(こきいろ)の幸菱文様の単、濃色(濃紫)の長袴。
濃色は結婚するまでの乙女の色です。


●蛮絵装束●
随身とは近衛府の官人。大臣は8人、大納言は6人の随身を天皇から授かります。
右が熊、左が獅子の蛮絵。奈良時代は摺絵、後に型染め、今では刺繍でも表されます。
あくまでも活動的に動けることを目的としてつくられ、冠は巻纓冠を固定する老懸(おいかけ)。


●狩衣装束●
もともとは絹ではなく布(この時代は布といえば麻のこと)でつくられていたので、布衣(ほい)
と呼ばれた、盤領(あげくび)タイプの庶民の衣服のひとつ。装束の下克上!形式昇格です。
着用が簡単で動きやすいことから、上級貴族が鷹狩り用につかいはじめ、狩衣と呼ばれるよう
になり上級貴族が着用するようになって綾織物などの絹織物でつくられるようになります。
狩衣は私的なものなので色や文様に制約はありませんが、←ただし禁色はさける、
年齢を表示する約束事があります。最も細かく年齢を示すのは、袖括りの紐の種類。
紐だけは夏は生糸、冬は練り糸とかわります。


●水干装束●
平安期から鎌倉時代までの子供用の装束でしたが、室町時代以降は礼装にまで昇格します。
狩衣と同じ盤領の一つ身仕立て。こちらの水干は錦と精好の片身替わりですが、精好の方が
錦より強いのだそう。


●鎧直垂の装束●
鎧直垂は戦の鎧甲冑のしたに着るもの。相撲の行司装束とほぼ同じもの。
菊綴は上衣は背中と両袖の5カ所、袴は膝上と腿だちの相引きの4カ所についています。

太刀をつける紐がまたカッコイイ!
戦場から無事に帰った暁には紐は切って落とし、具足は神社などに奉納するものだったので、
再びつかえるように解きやすくとかは考えないものなのだそう。


●夏の直衣●
二藍の三重襷(みえだすき)文様の穀織(こめおり)の袍、赤の単(ひとえ)。
夏の直衣の色は、二藍で若年ほど赤を強く年齢を重ねるごとに藍を強く宿老になると色を淡く、
さらに極老になると白くと変化していきます。文様は三重襷です。


●御小直衣●
御小直衣は、直衣や束帯の袍の裾についている襴を狩衣につけた装束。
冠は御金巾子(おんきんじこ)。
金箔を張った巾子紙(こじがみ)を留め具にして巾子ごと纓を挟んだ冠。
現代の皇室では節折(よおり)の儀に御小直衣で着装。今は髷がないので紫の掛紐を用いるそう。
節折の儀とは、6月12月に今も宮中で行なわれる儀式。


「たなばた姫と七人のけんぎゅう」+私♪
装束の世界は、遠い昔のものでコスプレと思われがちですが、今に息づいているものもあります。
知れば知るほど面白い!
仙石先生、荘司先生、たかくら会の皆さま、ありがとうございましたm(_ _ )m


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指宿で砂風呂〜鹿児島市内をグルッと / 奄美&鹿児島の旅 その11

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指宿のたまて箱号 / 奄美&鹿児島の旅 その10 のつづき

錦江湾に浮かぶ桜島をみながらの指宿への旅~。
残念なことに霞んでいて桜島は見えなかったのですが、ノスタルジックな観光電車
のいぶたま号を満喫いたしました。楽しかった~(〃∇〃)♪ ←鉄子

指宿へやってきたのは、奄美大島紬産地研修の疲れを癒すための砂風呂。

砂むし会館の砂楽です。


砂風呂は1703年(元禄16年)から行なわれ1843年(天保14年)編纂の「三国名勝図会」
に効能が記述されています。世界でも類をみない珍しい温泉。
温泉が海岸に向かって流れ出ているそうで、この地熱を利用しています。
温泉の温度は80~90℃と高熱。海水も暑いのだそうです。


砂風呂初体験ビックリマーク
脱衣所で渡された浴衣に着替えます。発汗の妨げになるので下着などは身につけません。
脱衣所から砂蒸し場までこの姿で歩くのが恥ずかしい…(><;)
係の方に指定された砂の上に仰向けに寝ます。

50~55℃ぐらいの砂をかけられます。ズッシリと砂の重みがありますが、心地よい。

海水の温度は70℃以上と熱いので湯煙が立っているのが幻想的

生首がたくさん(=◇=;)
入浴は15分ぐらいだったと思います。

係の方は観光客慣れされていらして、写真を撮ってくださったりカメラが濡れないように
ビニールに入れてくださったりと親切。日よけの傘も置いてくださいました。


砂風呂の後は、シャワーを浴びて併設の温泉へ。
とっても気持ちよくサッパリしました~。足が軽いビックリマーク
海の近くにはよらないでくださいとのことだったのですが、どのくらい熱いのかしらん。


きもの学会の産地研修は立ちっぱなしでハードなのですが、疲れも癒えましたヾ(@°▽°@)ノ



鹿児島市内は鹿児島シティービューという観光バスでグルッと一周。

西郷隆盛像

鶴丸城跡

仙巌園

桜島もクッキリとよく見えました~♪

路面電車が走る街は情緒があって素敵ドキドキ


そして鹿児島空港でも足湯につかるという温泉三昧。
雪花絞りを単衣のきものとして着るというのがちょうど良かったです。
でも帰りの羽田空港では浮いておりました。夜ですしササッと帰りましたが…(・_・;) 


奄美大島~鹿児島の旅、とても充実いたしておりました。
また近いうちに訪れたいです(^-^)/


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装束雑事抄から学ぶ「青摺に津賀利袴」「小忌衣に日蔭の絲」/ 七夕の節句 乞巧奠の室礼

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有職文化研究所主催による「雑事抄を中心に宮廷装束を見る」勉強会へメモ


宮中の神事の装束のところ。
衣紋道高倉流宗会頭の仙石宗久先生のお話からザックリとですが…、

●青摺衣と津賀利袴●
神事に舞う東遊の舞人陪従の着る装束
「春日権現記絵巻」は正確な描写がされている絵巻もののひとつ。

応仁の乱以降途絶えていた宮中行事を復興したのは東山天皇(1675~1710)。
父である霊元天皇の譲位(院政を行なう)により即位。大嘗祭を復活させます。

右肩を肩脱ぎして舞う舞人は普通は右肩につける赤い紐を左肩につけるのが特徴。
薄縹色の袴には紐のゆとりがあり下袴の赤い色が見えている。
下着を見せる文化は舞人からはじまっているとのこと。つがりの糸は白と藍の段染め。
後に、この津賀利袴を略して、白の平絹に青摺の文様の摺袴を履くようになる。

葵祭での舞人の青摺袴


●小忌衣(おみごろも)と日蔭の絲●
小忌衣とは白地の麻に胡粉をひいて青摺で文様を描いたもの。
大嘗祭では悠紀方は菊に蝶、主基方は松に鶴。悠紀とは素晴らしいお酒の意。主は次。
1915年(大正4年)の大礼祭から小忌衣は諸司小忌(しょしのおみ)のみ。
冠の巾子に日蔭の絲をつけます。

冠につける日蔭の絲は、シダの一種の日蔭蔓(ヒカゲカズラ)。
古事記の天の岩戸の伝説のところにもでてきます。

白い絹糸を撚って蜷結びにしたもの八筋

これを前の左右、後の左右と垂らします。


「装束は常に同じものがつづいていると思われているが、(よく平安王朝絵巻と表されます)
その中で着方や考え方は変化している…」とのお話。
日本は今も皇室があり、宮中での祭祀は行なわれつづいていいます。

本日は7月7日。七夕の節句七夕
東京は朝から雨がふっておりますので、織姫と彦星は出会えないかもしれません。
星伝説とは、娘である機織上手な織女(琴座のベガ)と働き者の牛追い牽牛(鷲座のアルタイル)
が結婚したことによって働かなくなってしまったことに怒った天帝が、天の川で二人の中を隔てて
引き離してしまいます。ですが年に1度の7月7日だけ会うことを許し、この日は鵲が天の川に橋を架け、
二人は会うことができるようになります。雨が降ると天の川の水かさが増し橋を渡ることができず、
二人は会うことができないというお話。星の逢引であることから星合ともいわれます。

乞巧奠は、女性が針仕事が上手くなるように織女に供え物をする宮中行事のこと。
現在の宮中では行なわれていないようですが、京都の冷泉家では乞巧奠が行われています。
梶の葉をに和歌を書き、五色の布に吊るします。星の座といわれるお供えをし、角盥に水を張り
梶の葉を浮かべて星を映す用意をし、琴と琵琶もお手向けしているそうです。

短冊に願い事を書くのは乞巧奠の風習から、短冊や笹を川に流すのは禊からきたもの。
昔は梶の葉の裏に和歌を書いていました。葉脈があって書きにくいのですが風流ですね。

高倉流では衣紋道に相応しく、衣紋紐と檜扇が供えられていました。


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七夕にちなんで「笹に蟹」の装い / 琉球壁上布に蟹の綱渡りの染め帯に笹に雀のバッグ

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グレゴリオ暦になってからというもの、七夕の節句は梅雨の真っ只中。
これでは、織姫と牽牛は中々出会えそうにありませんね…(ノ_-。)
旧暦ですと今年の七夕の節句は8月2日になります。
このころなら梅雨も明け星空がみえるかもしれません。

【7月7日の装い】東京近郊◇雨のち曇り(湿度88%) /最低気温22℃ 最高気温25℃

七夕にちなんだ「笹に蟹」の装いでお茶のお稽古へお茶

江戸時代の小袖文様には謎解きのような意匠が多く見られます。
笹に蟹は蜘蛛の古名であり、枕詞では織るということ。
細蟹姫(ささがにひめ)は蜘蛛が糸をかけるところからついた織姫の異称です。

クヮンカキー(環掛)カサビグムー(重ね雲)の琉球絣の琉球壁上布に川鍋暁斎の戯画
「蟹の綱渡り」を麻に写した染め帯をコーディネート。


籠バッグに笹に雀の古布をコーティングしたもの


七夕の謎解き文様には、織姫と牽牛をあわせるために鵲が橋を架けたことから、
「笠に鷺」というのもあります。
これは新暦でやってみようかしらん~♪

お茶のお稽古の主菓子は五色の糸

御干菓子は天の川

社中の先輩の高野山のお土産の五智


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2014年5月 日本きもの学会奄美大島産地実地研修旅行 奄美大島&鹿児島の旅 まとめリンク

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力士の夏のきものコレクション / 2014年5月場所 両国国技館 入り待ち

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大相撲名古屋場所がいよいよ今週末13日からはじまります軍配
国技館でしか観戦したことがないのですが、名古屋もいってみたい…。
関取の夏のきもの姿が好きなのですドキドキ

まわし姿や十両以上になると着用が許される紋付羽織袴姿はメディアなどで見ることがあっても、
勝負に賭ける思い、郷土愛、四股名などが衣装に表わされた、力士の個性的な夏のきもの姿
を知る人は少ないと思います。これを見ることができるのは、入り待ちだけ。
海外巡業などでは、夏きものの着流し姿のことがあるようですが、国技館の入り待ちで
見ることができるのは五月場所と九月場所になります。

大関以上になると、車で国技館の車寄せまで横付けして入ってしまうので、彼らを入り待ちで
みることはできません。
鶴竜は大関時代も歩いてきてくれて嬉しかった~♪

2014年5月場所の入り待ちでみた力士のきもの姿です目
松凰山の鳳凰が美しい~キラキラ

佐田の海の波が糸目糊風になっているのが新鮮!

安美錦の後姿が格好良すぎるっ!

北大樹の帯は極楽鳥でしょうか?

荒鷲のトリコロールの帯も素敵ドキドキ

隠岐の海の闘牛柄に芥子色の帯もオシャレ♪


力士のきもの姿は、番付によっておおよその規定があります。
序の口、序二段は、浴衣かウールのきもの、足袋の着用は許されず素足に下駄。
三段目は足袋の着用は許されませんが、エナメルの雪駄は許されます。
三段目からは、羽織の着用が許されます。
三段目以下は、帯はベンベルグ。博多帯が許されるのは幕下からです。
幕下からは、襟巻、コート、足袋の着用が許されます。
正装である紋付羽織袴の着用が許されるのは十両から。畳敷きの雪駄も許されます。

夏のきもの姿は、関取も素足ですのでわかりにくいのですが、
視覚的に番付を表現することは、向上心を煽る効果もあると思われます。

前姿&後姿をと楽しみあれ♪






















髷を結った遠藤をはじめてみました!
しかし…、このアメリカンコミックのようなきものが、う~ん(-。-;)


行司装束も近いうちに~軍配

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いとなみの自然布展「アイヌの文化と織物 〜アッツシ織〜」at シルクラブ

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先月シルクラブにて開催された「いとなみの自然布展Ⅲ ~植物の力 人の知恵~」
自然と共存し、植物から布を生み出した人の知恵を知る、自然布レクチャー。

2013年北海道ではじめての伝統的工芸品として指定されたアットゥシ織(アッツシ織)
のお話を聞く事ができたとっても貴重な機会でした~♪

藤谷るみ子先生とカメラ
藤谷先生はオヒョウの樹の皮から樹皮を剥ぎ、煮て川で洗って乾燥させ繊維を取り出す
糸づくりから、織り、刺繍、仕立てまで全てお一人でやっていらっしゃいます。


アイヌは文字を持たない文化であったため、史料が残っていないのだそう。
最も古いものは江戸時代後期の「蝦夷嶋奇観」に記されたもので、オヒョウやシナノキの
樹皮繊維やイラクサでつくった服、鮭や鱒の皮をつないだもの、鹿や熊の毛皮などがあった
ことがわかるそうです。
アッツシにつかわれた木綿は日本本土から交易によって得た貴重品。

アッツシは晴れ着としてつくられた筒袖の装束。
男性、女性用の区別はなく、シナノキやオヒョウの樹皮からとられた繊維で織りあげられ、
木綿が貼られ魔除けとなる渦巻きや括弧文といわれるアイヌの文様が刺繍されています。
この渦巻き文様はフクロウの眼の意味もあるのだとか。

アッツシが帯として織られるようになったのは、わりと最近とのことなのだそうです。
独特の質感がありながらも以外にも他の産地のものと相性がよくて合わせやすい。


●アッツシ織の工程●
北海道平取町二風谷地区はアイヌ文化の遺跡や史跡が残っているところ。古くからの風習を
今に伝承するアイヌコタンが集まる地域として有名。アッツシ織もここで織られています。

原料となるオヒョウは、二風谷にあるというわけでなく、許可のでた国有林や道有林から採取。
水分の多い春先がいいのだそう。直径15~20cmぐらいのオヒョウの樹が望ましい。
こーんなに大きな樹から、クルクルと皮を剥ぐのにビックリ\(゜□゜)/
真っすぐ同じ幅で剥がないと良い糸にならない。これは重労働で男性の仕事。

採取したオヒョウの皮の外皮を剥ぎ取って内皮を内皮で束ねます。
この辺りは芭蕉布の糸づくりに似ていました。

樹皮を伸ばして乾燥させ(2日ぐらい干す)

木灰で煮ます。昔は沼や温泉につけて柔らかくしていたのだそう。

流水で樹皮のぬめりを洗い落とします。

いらないぬめりがあると糸が弱くなるそうで、ぬめりを落とす事がポイントだそう。

天日干にします。天日に晒す事で色が抜けるのだそう。雨にあたるのも良いのだとか。

アッツシ1反には1500gの糸が必要。

糸づくりは「はた結び」。喜如嘉の芭蕉布と共通しています。こちらはハサミをつかって糸切り。

糸玉をつくります。

織機にかける経糸づくり。糸伸ばし。

そして、驚くなかれ…。これが機織機なのですビックリマーク

経糸210本、上下の糸で300本ぐらい。35cm×9m。

糸がかけられるとこんな感じになります。

衝撃的だったのですが、織機は柱にくくりつけてつかいます( ̄□ ̄;)!!

腰機による織り。

経糸の間にペラといわれる大きなヘラをいれて織っていきます。

こんな感じ。

織り進むと前進していく形になります。

織りあがるとハサミで裁断。残りの糸は仕立ての縫い糸にするのだそうです。
う~ん、やはり自然布はその糸で仕立てるのが自然なのかも…。

木綿布を貼り刺繍の糸を染め仕立てます。


※工程の映像はアイヌ文学研究者の萱野茂氏の監修でつくられたもの。
藤谷先生に許可をいただき、レクチャーでの上映とわかるようにご紹介させていただきました。

仕立てあがったものがこちらのアッツシ織♪

水に強く通気性に優れたオヒョウの樹皮繊維。
想像していたよりも固くはなく思っていたよりも軽かったです。

刺繍につかわれている糸は黄檗とハスカップで染められたもの。

藤谷先生がご主人のためにつくられたという貴重なものですが、羽織らせていただきました♪

こちらは揃いの籠手。

袖口や裾の文様は悪い霊が入り込まないように、魔除けの意味があります。
この文様で道内のどこのものかわかるのだそう。サハリン(樺太)にもあり。

祈りが込められ思いがズッシリとつまった装束。
大変貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございましたm(_ _ )m


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宮古上布と能登上布の見分け方 / 水草に金魚のアンティークの帯にブーゲンビリアの紅型の日傘

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蠟引きされたような美しい光沢のある上布キラキラ


こちらの上布のきものは、宮古上布とお聞きしてあるところで購入したものなのですが、
宮古上布ではなく、能登上布と判明いたしました。

未着用品であったこと、寸法が自分サイズに近かったこと、お仕立ても丁寧だったこと、
何よりこの色と飛び柄の絣と光沢が気に入っての購入なので、問題ないといえば問題ない
のですが、正直なところ残念な気持ちもあります。
その場で見抜けなかった自分の眼にもガッカリ汗

宮古上布だから~というわけではない、でも宮古上布に憧れはある…。
売られている方も宮古上布と能登上布その違いがわからなかったということなのでしょう。


琉球織物の特徴のひとつ「耳じるし」
宮古上布にはあるけれど、能登上布にはないのだそう。
そういえば…、琉球かすり会館で、琉球絣と米琉の判別の仕方をお聞きしていたビックリマーク
しかも「きものカンタービレ♪」でレポしてるのにぃ~(=◇=;)

琉球かすり会館へ / 琉球染織巡りの旅 その13
絣の模様が設計図案とあうように筬通し幅でつけられる印を「耳じるし」といいます。
これも琉球絣にみられる特徴のひとつ。

宮古上布も琉球染織のひとつ。「耳じるし」があります。
袖の袂の内側の反物の端をみると判別できます。
宮古上布には反物の端の部分に白い絣糸がでている。こちらは宮古上布↓

能登上布にはない。こちらは能登上布↓


偶然ですがご一緒した方が宮古上布をお召しでいらっしゃったので撮影させていただきました。
そうそう、私もこんな宮古上布が欲しかったのですぅ~(ノ_-。)
こういった飛び柄の地あきの宮古上布、今ではほとんど織られていないのです。
なので、アンティークものを探すことになるのですが、状態の良いものをみつけるのは難しい。


宮古上布の藍色は青っぽいですが、能登上布の藍色は黒に近い茄子紺。
この黒に限りなく近い色は、宮古上布のように琉球藍に何度も浸けるのではなく、
墨をつかったものなのだそう。確かに…、この色は宮古?と疑ったのですが、
藍色でない宮古上布もあることから、この色もあるのだと思っておりました。
どちらかというと、能登上布について知らなすぎる…。
蚊絣、櫛押し捺染…、ぐらいしか知識なし。

宮古上布の光沢はサツマイモの糊と砧打ちによってできるものですが、
能登上布は糊(蒟蒻糊だったかな…?)でつくられたもの。
能登上布の糊は仕立てる前に湯通しして落とさないといけないと聞いたこともあり、
むむむ…。やはりこれは能登へいってみようビックリマークと決めました。
わからないことは、現地にいって自分の眼と耳で確かめます。
なので詳細は来月に…。


【7月12日の装い】東京◇晴れ(陽射し燦々。湿度53%) / 最低気温27℃ 最高気温33℃

墨黒地の能登上布に金魚のアンティークの帯をコーディネート。
ブーゲンビリアの日傘は瀬底島のびんがた工房べにきち。


水草と金魚と金魚の稚魚が描かれたアンティークの帯。
ところどころ刺繍がしてあり立体感もあります。

ヨットと金魚の玩具で遊ぶ犬の古布デコパージュのバッグ。
金魚つながりでコーディネートしてみました♪


「朝香さん、こういった柄好きなんですね~。大島でも買っていませんでした?」
といわれ…。確かに! 似ています。
産地が違っても好きなテイストってあるのですよね(^_^;)


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市川右近さんの歌舞伎座楽屋訪問 / 沢瀉に鶴の役者紋と演目にちなんだ装い

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7月大歌舞伎、昼の部へ歌舞伎・定式幕
お招きくださった方からのご好意で、20分の休憩時間に、市川右近さんの楽屋を
訪問させていただきました。
五代目歌舞伎座になってからの楽屋訪問ははじめてですヽ(゚◇゚ )ノ

こちらが市川右近さんの楽屋。お隣は左団次さん。


市川右近さんとカメラ

「正札附根元草摺」の上演後なので、荒事の隈取りの化粧のままのお姿。
右近さん、お若い!
お疲れのところお話しくださって感激です(≧▽≦)


演目や役者さんにちなんだ装いで歌舞伎鑑賞をする…。
自己満足の楽しみなのですが、今回は演目と楽屋訪問させていただく右近さんの紋が
リンクしている…という、めったにないシチュエーション。

右近さんの紋は「沢瀉鶴」


右近が演じられた「正札附根元草摺」
「曽我もの」といわれる鎌倉時代の曽我の兄弟の仇討ちものの一演目です。

草摺とは鎧についている防具の鎧縅のビラビラのこと。
右近さんの楽屋にありました(-_☆) 


引き合って力を競い合うことを「引合い事」といい、歌舞伎の荒事のひとつです。
もともとは日本古来からある民俗信仰の引事などからきています。綱引きが好例。
この演目は、曽我五郎が父の仇にところに血気盛んに向かおうとするところを、
舞鶴が草摺を引いて引き止める、二人の引き合いが見どころ。

曽我五郎が小脇に抱えた鎧は逆沢瀉

舞鶴の装束は向鶴に鶴丸紋


これにちなんで…。
【7月13日の装い】東京◇晴れ後スコールのような通り雨後晴れ(湿度58%、ムシムシあせる)
最低気温26℃ 最高気温28℃

沢瀉や菖蒲などの水辺の花と観世水の絽小紋ドキドキ

小紋なので、沢瀉は逆さになってるとこもあり。

バッグは鶴の古布デコパージュをあわせましたドキドキ

松枝忍作品では珍しいタイプ♪


絞りと刺繍の文箱文様の帯は京都に志田のもの

帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房

しな布のぞうりは四谷•三栄


歌舞伎座の楽屋とチラッとみたバッグステージ、出演前の左団次さん、吉弥さんも
お見かけすることができて感激でした~。
わずかな時間だったのでお写真は撮れませんでしたが、貴重な経験をさせていただきました。
ありがとうございましたm(_ _ )m

演目のきものについては別記事でレポします(^-^)/




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