今日のテーマは、赤と黒。そして中国。
ある場所にあわせて選んだのですが、そのレポートは後ほど。
【6月12日の装い】東京◇雨のち曇り(湿度が高い) / 最低気温21℃ 最高気温23℃
立涌文様の単衣の紬にれえすの花の金魚の絽の染め帯
れえすの花といえば、アンティークを復刻した刺繍やアップリケの帯が多いですが、
元々は引き染めをやっていらしたお家だそうで、糸目友禅の素敵なものもつくっています。
引き染めに巻きぼかしの技法をつかった糸目友禅。
大きな金魚が大胆です
楊柳の帯あげは渡敬、レースの帯〆は龍工房
二枚張りの雨傘はHANWAY
革にラフィアとビース刺繍のバッグは、ジャマン•ピュエッシュ
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赤と黒がテーマの装い / 立涌文様の紬にれえすの花の金魚の染め帯
製織《絣の種類、配列、絣糸の数》at 本場大島紬協同組合 / 奄美&鹿児島の旅 その6
日本きもの学会 来島記念 本場奄美大島紬産地交流レセプション at 奄美&鹿児島の旅 その5
のつづき
日本きもの学会産地研修の2日目は再び、本場奄美大島紬協同組合へ
大島紬は1935年(昭和10年)から生産品の均一化のために紬糸から本絹糸になりました。
昔は奄美には桑の木が多く自生し養蚕が盛んで、その頃は真綿糸を泥染めして地機で
織られていたといいます。本絹糸になってから高機で織られるようになります。
真綿から紡ぐ手紬糸ではなくなってからも、呼称はそのまま大島紬です。
本場奄美大島紬は締機は男性の仕事ですが、機織りは女性の仕事とされています。
締機はご高齢の男性ばかりでしたが、機織りは若い女性もいらっしゃいました。
管に巻き取った緯糸を杼に通して、高機で織りあげます。
約7cm織るごとに、経絣糸をゆるめて針で経絣糸を1本1本調整し、
経緯の絣を正確に絣柄を合わせていきます。
絣の細かさによるそうですが、1日平均で15cmぐらいしかすすまないそう。
熟練の方で1尺(30cm)ぐらい。
伝統的な龍郷柄。やっぱり素敵
う~ん、たとえヘビ女のようだといわれても、やっぱり龍郷柄が着たい(-_☆)
経糸の絣をみているだけでウットリ~(〃∇〃)
龍郷柄は13算(よみ)。80本が1算なので、経糸が1040本です。
こんなカラフルな色大島もあります。
さて、大島紬というと、7マルキ、9マルキ、片ス(かたす)、一元(ひともと)…。
何だか呪文のようです(x_x;)
産地研修で現地の方にシツコクお聞きしたのですが、わかるようでわからない。
記事にしたら、さらに謎が…
それでも、お聞きしたことをまとめてみましたφ(.. )
●絣の種類●
経緯絣(たてよこがすり)は、経の絣糸と緯の絣糸をあわせて模様を表したもの。
緯絣(よこがすり)は、経糸は地糸、緯糸だけが絣糸で模様を表したもの。
●マルキ●
経糸に含まれる絣糸の本数の単位がマルキです。1マルキは絣糸80本。
マルキ数は、5マルキ、7マルキ、9マルキ、12マルキに分類されます。
一般的に9マルキと呼ばれている大島紬は経絣糸768本で正確には9.6マルキ。
7マルキと呼ばれているものは576本で7.2マルキ。
絣糸の数が多いほど、絣合わせは難しくなります。
●算(よみ)●
1cmの中に糸が何本あるかを表す単位のこと。
本場奄美大島紬は13算・15.5算・18算の筬がつかわれています。
織筬の羽と羽の間に経糸を2本通すので、織筬1cmの間に13算ならば13×2の26本の糸があり、
経糸80本が1算なので、1040本の経糸がつかわれるということになります。
●絣の配列●
大島紬の絣の配列方法とは、地糸と絣糸をどう組み合わせるかということ。
交代締めの開発によって1本の糸に絣模様の順番通りに締め加工し、1丁の杼で大柄の絣模様も
織られるようになった大島紬ならではのものです。
☆片ス(かたす)式絣(T字の絣)
絣の配列◇絣糸1本+地糸3本の4本の繰り返し
(経絣糸1本、経地糸3本、1、3、1、3、…)×(緯絣糸2本、緯地糸2本、2、2、2、2、…)
そのため、絣糸が地糸に隠れてT字になるのだそう。←この理屈が今ひとつなんですが…。
糸4本のうち1本は絣糸ということです。
現在はこの片ス式絣が主流。
9マルキ片ス式の本場奄美大島紬の泥大島(本場奄美大島紬産地交流レセプションにて着用)
☆一元(ひともと)式絣(風車のような十字の絣)←千鳥格子のようにみえなくもない
絣の配列◇絣糸2本+地糸2本の4本の繰り返し。
(経絣糸2本、経地糸2本、2、2、2、2、…)×(緯絣糸2本、緯地糸2本、2、2、2、2、…)
一元の元は2を意味します。なので、一元は1×2で数字の2を表すのだそうです。
☆二元(ふたもと)式絣もあるのだそうです。こちらは2×2で4。
絣の配列◇絣糸2本+地糸4本の6本の繰り返し。
片スは経緯1本ずつを絣合わせしますが、一元は経緯2本ずつ、計4本の絣合わせが必要。
なので一元は熟練の職人でなければ織ることはできないのだそうです。
7マルキ一元式の本場奄美大島紬(日本きもの学会産地研修旅行2日目に着用)
7マルキ一元式の本場奄美大島紬の龍郷柄
☆割込式絣(T字と十字の複雑で立体感のある絣)← EとIの組み合わせに見えなくもない。
絣の配列◇絣糸2本+地糸2本+絣糸1本+地糸1本などの6本の繰り返し。
(絣糸2本+地糸1本+絣糸1本+地糸2本もあり)
不規則な絣糸の配列によって複雑な味のある絣を表します。
戦前は多くつくられたそうですが、残念なことに今、奄美ではつくられていないそうです。
5マルキ?割込式の本場大島紬(日本きもの学会産地研修旅行1日目に着用)
う~ん、大島紬の織りについて、今ひとつ理解できていないです。
奄美大島、もう一度いかなくちゃ…。
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販売会と資料館 at 本場奄美大島紬協同組合 / 奄美&鹿児島の旅 その7
製織《絣の種類、配列、絣糸の数》at 本場大島紬協同組合 / 奄美&鹿児島の旅 その6
のつづき
日本きもの学会の産地研修旅行に参加したのは4回目。
今回の産地研修でははじめて、お買い物時間がありました。
きものの展示会は好きですが、販売会のようなものはどうにも苦手な私…。
とくに即断即決を求められるような売り方をされると、買い物意欲が激減
「今だけ!」という売り文句の呉服屋さんがいたら、まず信用しないことにしています。
きものはお値段もそれなりにするもの、そして流行のあるお洋服と違って長く着るものです。
慌てて買うよりも、じっくり考えてから購入できたほうが良いように思っています。
ですが、旅先だけは例外。とくにその産地のもので欲しいものがあれば尚更なのです(^▽^;)
好みの龍郷柄を探している私。(手持ちの龍郷柄は大柄すぎる。そしてすでにボロボロ)
今は百貨店や呉服屋さんで龍郷柄をみかけることがありません。たまにあっても小柄の6玉。
私が探しているのは蘇鉄柄の立体感が美しい←ここがポイント中柄のものなのです。
さらに赤が入っているものが良いのですが…。
しかし売り手の皆さま(奄美大島紬婦人会の織元の奥さま)から
「え~っ今時、龍郷柄(しかも赤入り)はないでしょう!」っと止められました
着ていたものが、一元式の泥大島で龍郷と似通っていたのもあったのでしょうね(^_^;)
そこで、赤なしの龍郷柄をあててみると…、う~ん、これではへび女みたい
龍郷柄はハブの模様なので当たり前なんですが…
赤なしならもっと大柄の龍郷柄が良いのです。
んっ…? 、あの織られていたのが良かったかしらん(-_☆)
龍郷柄ではないのですが、泥大島の柄づけとしては、こちらも素敵
他にも盛んにイマドキの本場奄美大島をおススメいただきましたが、今ひとつピンとこず…。
今回はこちらを購入することにしました~♪
本場奄美大島紬協同組合の100周年記念でつくられたという復刻柄。←古いもの好き(-。-;)
奄美大島紬の伝統的絣模様で、さらにどっぷり泥染めの泥大島。
比べてみると泥大島の黒も色々で、こちらはとても深~い漆黒でした。
本場奄美大島紬らしいものを選びました。帯あわせもたのしめそうです
龍郷柄と秋名バラは、気長に理想通りのものを探すことに。
これってつくってもらうことになるのかしらん(・_・;)?
いそいでおりませんが、この先はつくれる人がいなくなるかも…という心配があるのが、
今のきもの業界の現状なんですよね…。う~ん。。。
帰り際に慌てて組合の中にある資料館へ
大島紬は昔は糸芭蕉をつかって織られていたという「芭蕉衣製法絵巻」
奄美でかつて養蚕がされていたこと、当時つかわれた地機も展示されていました。
糸の染め見本
本場奄美大島紬は1反450gのうち50gがテーチ木(車輪梅)の染料です。
普通のきものは1反600gぐらいなので、軽い。鉄媒染によって虫はつきにくく汚れにくい。
正藍大島紬は戦前につくられたもの。今は極わずかしかつくられていません。
色大島は化学染料をつかって地糸や絣部分を染色します。
次は、奄美パークと田中一村美術館です(^-^)/
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IKESYOKU展 at 新宿伊勢丹 / 墨色の雪花絞りに墨描きの枇杷の画の染め帯
新宿伊勢丹にて開催中のIKESYOKU展へ(~6月17日まで)
脈々とつづく技を伝承しつつ新しい感性でものづくりをするイケテル職人さんたちの集まりです。
江戸小紋の廣瀬雄一さんと有松絞りの鵜飼小百合さんと
廣瀬さんの地張りと型付けの実演
糊がずいぶんと黒い(・_・;)?
活性炭入りの防染糊なのだそうです。
型紙は白く残る部分が彫られています。
生地の上に型紙を置き糊を塗ることで彫られた部分に糊が置かれ白く染め抜かれます。
目印の星をあわせて型紙をおくります。星は柄の継ぎ目の端っこにある小さな穴のこと。
実演でつかった生地のゆくえですが…
蝶ネクタイやシュシュになるのだそうです。良いアイディアですね!
私がいいな~っと思ったのは、林檎と籠文様の両面染めの絽の江戸小紋。
絽の生地の両面染めは大変なのだそうです。そうでしょうねえ…(^_^;)
そして、両面染めの日傘
傘は内側が目立つので、両面染めがとっても映えるのです。
この日傘は廣瀬さんの作品。
生地は東南アジア産の野蚕、持ち手は楓の樹。洋装にもあうつくりになっています。
着用しているきものは張正さんの折縫い絞り♪
江戸小紋の両面染めは、外側は鮫小紋に雨縞、内側は貝殻文様。
外側の雨縞が陽にかざすと透けて波に貝殻のようにみえます
張正さんに工房見学に伺ったときにお願いした、墨色の雪花絞りを里帰り~♪
小百合さんに着用姿をお見せしたかったのです(^-^)
雪花絞りをはじめ有松工房見学レポはこちら
小百合さんによる雪花絞りの実演
長さ13m幅41cmの木綿の生地にアイロンをかけ屏風畳みにしていきます。
生地のタワーをつくるのです。
実演されていたのは、麻の葉の板
板は4種類。基本のかたちは三角、斜め格子、麻の葉の3つ。
雪花絞りの中でも細かく小さく畳んでいくものは熟練された技術が必要で、できるのは
小百合さんのお父さまである伝統工芸師の鵜飼良彦さんだけだそうです。
布に染料を浸透させる場所と時間のさじ加減などでさまざまに文様がかわります。
スレン染料に浸ける前に水を浸透させ滲ませる技法をつかうと、こんな
ノスタルジックな趣のある麻の葉の絞りになるのだそう。
黄色や紫色の雪花絞りも素敵ですね
雪花絞りではありませんが、トリエさんのこの近江縮の麻綿の浴衣がカッコイイ
仕立ての柄あわせが難しそうですが、とってもモダンで素敵ですね。
【6月14日の装い】東京◇晴れ(湿度が低くて壮快) / 最低気温20℃ 最高気温29℃
墨色の雪花絞りをきものがわりに。
「墨に五彩あり」といいますが、墨色の濃淡は無彩色でありながら色以上に多彩な色を
表現しているような気がします。絞りの濃淡、手描きの濃淡。
墨描きで枇杷の実が描かれた絽塩瀬の染め帯をコーディネート。
墨でササッと描かれた枇杷、粗野な感じが気に入っております
枇杷の葉の固そうな質感も墨描きでよく表されています。
絽縮緬の帯あげは京都きねや、帯〆は龍工房。
墨色を生かすように色数を抑えて枇杷の実と同じ黄色で統一。
松枝忍の籠バッグも色の少ないものをチョイス。
ポイントで真っ赤な葛布の日傘をあわせました。サングラスも赤ですσ(^_^;)
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サムライブルーの色 / 藍色地の蛇籠に四季草花の絽小紋に龍村美術織物の燕に燕子花の織なごや帯
【6月15日の装い】東京◇晴れ(湿度低く快適晴れ)/最低気温20℃ 最高気温30℃
藍色地の蛇籠に四季草花の絽の小紋。
サムライブルーの色、ジャパンブルーの装いにしてみました
1875年(明治8年)にイギリス化学者アトキンソンが来日したおり、藍染めの深い青色を
ジャパンブルーとして、提唱し賞賛したことから、日本の藍は世界中に知れわたることになります。
ラフカディオ•ハーン(小泉八雲)も日本は神秘なブルーに満ちた国と、日本の藍色を絶賛しています。
世界的な藍色の量産化は、1880年にドイツ人のバイヤーが化学合成によるインシゴを成功させ
1883年に化学式を確定、1887年ドイツにおいて工業的生産がはじまり、1897年からBASFに
よる工業量産化がはじまってからのことです。
帯は龍村美術織物の流水に燕に燕子花の夏帯。
杜若を燕子花と表記することがあるのは、花の姿が燕が飛んでいるようにみえることから。
小袖の意匠に燕と対でよくつかわれています。
杜若もしくは燕子花(カキツバタ)は、昔は杜若の花の汁を布に押し付け染めたので
掻付花(カキツケバナ)と呼び、それが転じて杜若(カキツバタ)となったそうです。
「かきつはた 衣に摺りつけ 大夫(ますらお)の 着襲(きそ)ひ狩りする 月は来にけり」
という歌が万葉集に残っています。
燕子花の開花時期は5月中旬頃。花菖蒲よりもひと月くらい早くに見頃を迎えます。
なので、夏帯であるこの帯を、燕子花の開花時季にすることは…、まずありません(-。-;)
帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房
バッグは松枝忍
両面違う古布がつかわれているので、2倍楽しめます
日傘はKOMON HIROSEの江戸小紋両面染め。
燕子花の紫色と日傘の外側の紫色をリンクさせました。
初夏ですね~♪
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「歩く生き物図鑑」犬犬コーデ / 幾何学文様の絹紅梅に犬の染め帯
30℃超えの日中の普段着は無理せず薄物を着ております。
【6月16日の装い】東京◇晴れ(風があって心地よし)/ 最低気温22℃ 最高気温30℃
お茶のお稽古へ
水屋当番でしたので、襷掛けに前掛けスタイル←写真なし
涼やかな絹紅梅のきものに麻の帯で。
涼感がですぎないように、赤を基調にコーディネートしました。
日傘は、大井川葛布。黄檗とラックタイで、真っ赤に染めていただきました。
かつてある方に「歩く生き物図鑑」と評していただきましたが…、
そうですね、否定はいたしません(^_^;)
画を纏って歩けるという感覚は、平面構成の装束である、日本のきものならではの楽しみ。
洋服っぽい着こなしや洋装の中でも浮かない装いということは、全く意識しておりません。
きものらしいきものが好きなのです♪
季節感あるもの、微笑ましくなるような躍動感ある生き物が描かれた意匠に魅かれます
何とも愛嬌のある犬たち
帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房
籠バッグにも犬
裏面にも犬たちが…
久しぶりの炭手前
数寄屋袋、懐紙入れ、黒文字入れ、古帛紗、帛紗なども赤系で揃えてみました
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長谷寺の紫陽花の径(あじさいのみち) いざ!鎌倉 紫陽花巡り その1
紫陽花の名所といえば…、鎌倉
人混みは苦手なのですが、人が集まるにはやはり理由があるのです。
この時季ならではのお楽しみ。行って参りました♪
十一面観音像の長谷寺。奈良の長谷寺は牡丹の名所ですが、鎌倉の長谷寺は紫陽花。
こちらの十一面観音は、大和の長谷寺の十一面観音と同じ楠の大木でつくられているといわれ、
721年(養老5年)に大和の長谷寺の開基である徳道が十一面観音像を2体つくり、
1体は大和の長谷寺に、もう1体は海に流したところ流れ着いたのが相模の国、
それを安置し建立したのが鎌倉の長谷寺のはじまりとされています。
十一面観音像は室町時代につくられたものと推定されているので、あくまでも言い伝えですが、
奈良の長谷寺も鎌倉の長谷寺も、観音信仰の霊場として多くの人が参詣し、花の名所として
人々に愛される名刹です。
紫陽花の径は、整理券が配られます。すご~いシステマティック!
待ち時間は平日でも1時間待ち。
お参りしている間にあっという間に1時間ぐらい経つので、待ち時間は気になりませんでした。
紫陽花の花鈴守をお土産に。PASMOケースにつけてよう♪
紫陽花の径へ
境内の裏山が散策路になっています。由比ケ浜の眺望も良いところです。
40種類以上の紫陽花が約2500株、色とりどりの紫陽花が楽しませてくれます~♪
つまみ細工のような紫陽花も!
可愛らしい、なごみ観音
今年は紫陽花の開花時季が例年よりも早いようです。
人は多いですが眺望よく空気がきれいなので、癒されます:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
ランチは、境内にある眺望の良いお食事処の海光庵の名物、お寺のカレー
境内の藤棚には涼感ミスト
長谷寺の経蔵。回転式の書架があります。
一回転させると全ての経典を読んだと同じ功徳があるとされる輪蔵。
読まないのなら経典の意味をなしていない気がするのですが、深く考えすぎるのも宜しくないな…と
思うことも多い今日この頃なので、さらに奥深い悟りの境地のお話なのかもしれません。
仏足石
仏様の身体に備わっている、32のみてすぐわかる特徴と80の微妙な特徴を
三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう)といいます。32相のひとつ。
地を歩くときは髪の毛ほどの隙間もない足と足の裏の輪型の相が特徴。
長谷寺にて命名される新種の紫陽花の鉢植えもありました~♪
花菖蒲も見頃でした
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成就院〜由比ケ浜 いざ!鎌倉 紫陽花巡りその2
長谷寺の紫陽花の径(あじさいのみち) いざ!鎌倉 紫陽花巡り その1
のつづき(^-^)/
ノスタルジックな江の電と雪花絞りは相性良し
極楽寺切り通しの途中にある成就院(じょうじゅいん)へ。
縁結びの不動明王像がある、真言宗の寺院です。
境内にある不動明王(ご本尊)の分身の写真を携帯の待ち受けにするとご利益があると、
パワースポットとして女性誌に紹介されたこともあるようで…。
その真偽はともかくとして、成就院というお名前はご利益がありそうな良い名前です♪
成就院の参道からは由比ケ浜が見渡せます
参道の両脇には紫陽花の花がビッシリ
紫陽花の壁なのです(ノ゚ο゚)ノ
成就院の紫陽花は枝ぶりもよく生き生きとしていました
紫陽花の数は般若心経の文字数と同じ262株。
参道の階段の数は108段。人の煩悩の数と同じ。
除夜の鐘は108の鐘を撞くことで煩悩を追い払いますが、この参道は108段の
階段を上り下りすることで、煩悩を払うということでしょうか。
紫陽花は日本固有の花。原種はガクアジサイです。
花弁(花びら)にみえるのは、顎弁。
「夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐの よひらの露に 月もすみけり」 藤原俊成
藍色が集まったもの「あづさい(集真藍)」から「あじさい」になったといわれています。
花の色が変わることから「八仙花(はっせんか•あじさい)」、
四枚の花びらのような顎弁から「四片(よひら)」いわれました。
紫陽花という漢字表記は白居易がライラックにつけた名が誤って広がったという説が有力です。
紫陽花は土壌によって色が変わり、酸性なら青、アルカリ性なら赤になるといわれています。
この色とりどりの紫陽花は、土壌ではなく品種の違いのようですね。
梅雨の時季を彩ってくれる美しい花です♪
この色が好きなのですが、きものとするのには中々に難しい。
紫と緑、そして青から紫へのグラデーションが好き
咲き始めのものもあり、成就院の紫陽花は今週いっぱいは楽しめそうです♪
成就院から参道を下りて、由比ケ浜海岸へ
【6月17日の装い】鎌倉◇晴れ(湿度65%、ちょっとジメジメ) / 最低気温20℃ 最高気温27℃
紫陽花にあわせて、紫色の雪花絞りに蛇籠に千鳥の麻の染め帯をコーディネート。
綿紅梅の雪花絞り、私はきもの代わりに着ています。
歩き回って汗だくになっても洗濯機で水洗いできるのが良いのです
帯あげは渡敬、帯〆は龍工房
流水に蛇籠に千鳥の描かれた麻の染め帯は初代桐山紫香。
籠バッグは松枝忍。雪花絞りと麻の葉絞りの古布のバッグをあわせてみました。
矢羽根文様の遊中川の晴雨兼用の日傘。
美しいものと対峙するといつも思います。
生き方も価値観も幸せも人それぞれ。
相手を追い詰めることに意味はなく、自分が学ぶべきことは多々あり。そして時間は有効に。
ただ自然と向き合うことが何よりの答えになることもあるように思います(^_-)☆
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「描かれたチャイナドレス」展 内覧会 at ブリヂストン美術館
「描かれたチャイナドレス」展の内覧会へ
ブリヂストン美術館にて開催中(~7月21日まで)
※撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載を主催者さまより許可いただいております。
チャイナドレスを着た女性が描かれた日本画として真っ先に思いつくのはこちら。
安井曾太郎「金蓉」
モデルの女性は、上海領事のご令嬢で才媛として誉れ高かった小田切峰子。
細川護立が安井曾太郎に依頼し描かせたものだそう。
ん?
チャイナドレスを着ている日本人を描かせたもの?
かつて中国は文化先進国であり、古代から日本人にとって憧れの国でした。
明治維新以後、日本は西欧化の方向に進みますが、中国への憧れは残り、大正期には
日本で中国趣味が流行します。文豪は中国をテーマにした紀行文や小説を次々と発表、
美術界でも中国ブームが巻き起こりました。
1920年代、上海モダニズムが起こり、今のチャイナドレス(旗袍)がファッションとして
大流行し、それは日本のファッション界にも影響を及ぼすことになります。
1930年代には日本でもチャイナドレスが流行します。
光沢ある鮮やかな色彩、そしてボディラインを強調するシルエットに魅かれたのでしょうか…。
戦前までのまだ日本人にとってきものが日常的だった時代には、日本女性がチャイナドレス
を着ることがそう珍しいことではなかったようです。
今は自国の民族衣裳であるきものを着ていると珍しがられるという…(-。-;)
藤島武二「匂い」
藤島武二はチャイナドレスを好み、50着以上集めていたのだそうです。
この作品が油彩で描かれたチャイナドレスを着た女性像の初出。
チャイナドレス、とても妖艶な雰囲気を醸し出しますね。画家に好まれた由縁でしょうか。
藤島武二「女の横顔」
モデルの女性は佐々木カネヨ。竹久夢二「黒船屋」のモデルとして有名なお葉のこと。
首が細くて長くなで肩の美しい女性です。美しすぎるだけに色々あったようですね…。
藤島は横顔がその人を表すといっています。さらに、日本の女の横顔に美しいものがない。
横顔になると美が半減するといっていたのだそう。
自虐的なアングルで撮影してみました(-。-;)
右のパネルは、現在所有者がわからずパネルでの参考展示。
藤島武二「芳蕙」
チャイナドレスは「女の横顔」のものと首周りのデザインがちょっと違っていますね。
衿の形は如意頭という幸せな暮らしを意味する付け衿。
こうした横顔はイタリアルネッサンスの肖像画にある構図だそうで、藤島はルーブルで
模写し研究をしたのだそうです。
正宗得三郎「中国服を着た女」
こちらのモデルの女性も小田切峰子。経済界ではつとに有名な女性だったようで、
そして、チャイナドレスの展示もありました。※謝黎コレクションより
チャイナドレスとは和製英語で、旗袍(チーパオ)といわれるワンピース型の衣服。
清朝満州族の騎馬民族のスリット入りの装束が原型で清朝の貴族の女性の衣裳となります。
漢人といわれた漢民族は上衣下裳のツーピース型の衣服を着ていましたが、アヘン戦争後
の西欧化で、デザインが混同していったようです。
そして、チャイナドレスといわれる旗袍の中には、京派(けいは)と海派(かいは)があるのだそう。
広東料理と四川料理の違いのようなものです。
京派は北京。伝統を重んじる内陸文化。モチーフは古典柄。装飾は刺繍やテープ。
海派は上海。流行に敏感でファッションにこだわる。上海モダニズムを生み出したところで、
プリント生地をいち早く取り入れる。
清朝期の伝統旗袍。衿の形は漢人女性のつけ衿である如意頭。
衿の形は漢人女性のつけ衿である如意頭。
牡丹と花瓶は富貴と平安の象徴。
清朝の皇族や役人の礼服の龍袍。
山と海原を組み合わせた海水江牙という意匠で平和な世界を意味しています。
チャイナ服の原型となった女学生の服
西洋風の衿のデザインを取り入れた旗袍。
アールデコの影響を受けたチャイナドレス
立体感のある花柄はアールデコの影響なのだそうです。
こちらの本を参考にさせていただきました。
衣服の文化史は、風土や文化を理解するのに肌で感じることができる学問だなあ…とつくづく。
amazonより購入できます
チャイナドレスの文化史
さて、この展覧会はチャイナドレスや中国服で来館すると割引のサービスが用意されています。
この日の内覧会もチャイナドレスでいらした方が何人いらっしゃいました。
チャイナドレスでチャイナドレスを着た女性の絵画を鑑賞する。素敵ですね
私は…。
きものですが、金魚は中国原産といわれる魚なので金魚の染め帯にしました。
バッグはジャマン•ピュエッシュのシノワズリっぽいデザインをチョイス。
この展示室にあうように赤と黒をテーマにして装ってみました~(^_-)☆
ウエルカムドリンクとフォーチュンクッキーをいただきました♪
フォーチュンクッキーはサンフランシスコに移住した日本人がはじめたもので、アメリカの
中華料理店の食後のサービスとしてつかわれるようになったのだそうです。
このフォーチュンクッキーの年代と今回の描かれたチャイナドレス展の年代があうことから、
ブリヂストン美術館ティールームのジョルジェットでチケットの半券を提示すると、
フォーチュンクッキーがいただけます。
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葦に鳥文様の単衣の付けさげに流水に花の絽綴れ帯
暑い季節は暑い国のものがいただきたくなります。
甘辛くてサッパリしたタイ料理でした。美味し~い♪
鹿児島料理にどことなく通じるものがあるような…。南の土地つながり?
タイシルクの光沢はタイの装束にこそあっているような気がします。
その国々の装束、良いものですね。
日本にいながらでもレストラン巡りで民族衣裳探訪ができるかな…(-_☆)
【6月20日の装い】東京◇曇り(湿度61%、少し風あり) / 最低気温22℃ 最高気温28℃
葦に鳥文様の単衣の付けさげに流水に花の絽綴れ帯をコーディネート
ブーゲンビリアの日傘は紅型工房べにきち
帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房、懐中時計の根付紐は藤岡組紐、水鳥は海馬ガラス
帯の花は、菖蒲のような春蘭のような…。抽象的なのでこだわらず夏の間活用しています。
ビーズ刺繍のバッグはジャマン•ピュエッシュ
白地のきものは色飛びしやすくて撮影が難しい( ̄_ ̄ i)
この鳥は鴛鴦それとも雉でしょうか。葦に水鳥の意匠、大好きです♪
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富岡製糸場、世界遺産へ / 小田島克明の浮花織の生紬にれえすの花の木賊に兎の刺繍帯
世界遺産というものは、人の心を動かすものでなければならない。
2014年6月21日カタールの首都ドーハで開かれたユネスコ(国連教育科学文化機構)
の第38回世界文化遺産委員会にて、富岡製糸場と絹産業遺跡群が世界遺産に決定しました。
昨年の秋、ユネスコ諮問機関イコモス(国際記念物遺跡会議)の調査委員として
中国国立シルク博物館館長が富岡製糸場とその周辺の絹産業遺跡群の田島弥平旧宅、
高山社跡、荒船風穴を視察した際に「世界のシルク工業遺産の中で抜き出ている」と絶賛。
明治政府の日本の近代化政策として、海外輸出品の生糸の品質向上と量産のために
つくられた官営模範製糸場の富岡製糸場。ここから、日本の近代化がはじまるのです。
※写真は2013年染織文化講座、講座記録より。講座記録はこちら☆
今年の夏は、染織文化講座の富岡製糸場の産地研修があります!
一等工女の赤い襷がけ。流行ったら面白い♪
富岡製糸場の世界遺産登録で、日本の絹、そして日本の民族衣裳であるきものへの
新たな風が吹くことを願っております。
きものを着ていると、海外では一目おかれます。
今後ますますその傾向が強くなるのでは。
国際社会で日本人として認められたいなら自国の文化を学ぶことは必須です。
富岡製糸場が世界遺産に認定された記念すべき2014年夏至の日、この日は
美しいキモノ編集部主催による「美しいキモノ•アカデミー」の開講日でしたφ(.. )
休憩時間には両口屋是清による、生菓子づくりの実演
銘は露の撫子
美しいキモノに連載中の桂宗裕先生による、点てだしのお抹茶もあり
学術的というよりは、幅広くきもの好きが楽しく学べる講義でした♪
講座レポートは別記事であげます。レポート渋滞中(@@;
【6月21日の装い】東京◇晴れ(湿度64%、予報は雨だった)/最低気温23℃ 最高気温28℃
小千谷の産地問屋である西脇商店社長の講義の日だったので、小千谷の生紬を。
おだきんの小田島克明の生紬の浮花織にれえすの花の木賊に兎の刺繍帯をコーディネート。
生糸の精練を途中で終わらせてセリシンを残した糸をつかった草木染の夏紬地(生紬)に
ムガシルクの金糸が浮花織の技法で織りこまれたもの。
セリシンがたっぷり残っているのか、シワになりやすいので、正座をする場所には着ていけない…。
れえすの花の刺繍帯、ウサギの眼がちょっと怖い…(^_^;)
木賊に兎は間接的に月を連想させる文様。
能「木賊」の中では、信州の園原という木賊の原っぱの中で月の代わりに兎が登場します。
帯あげ、帯〆は木賊の緑色と兎の眼のピンク色
絽の帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房
明る過ぎてきものの色が飛んじゃってます
天使と栗鼠の刺繍の日傘はHANWAY。
松枝忍のバッグも兎。持ち手がオシャレ~♪ですが、収納力がなくサブバッグをもつことに。
富岡製糸場、世界遺産を祝って祝杯~ヾ(@°▽°@)ノ
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奄美パーク&田中一村美術館 日本きもの学会産地研修旅行 / 奄美&鹿児島の旅 その8
販売会と資料館 at 本場奄美大島紬協同組合 / 奄美&鹿児島の旅 その7
のつづき
奄美の自然と文化を学ぶテーマパーク、奄美パークへ
奄美大島の文化を手繰る、奄美の郷。
日に焼けて色が退色したままの奄美大島紬が展示されていました
秋名バラ、龍郷柄、どちらも絣の真骨頂!なのに…、ひどすぎるY(>_<、)Y
リメイクやこういった展示が、大島紬を古びた感じに連想させてしまう気がします。
海の道。珊瑚礁の水槽の上をきもので歩けます。
シマの道。後ろで少女が倒れ込んでます(^_^;)
昔、奄美大島では糸芭蕉から糸を紡いだバシャギン(芭蕉衣)が織られていました。
隣に立てかけてあるのは、苧倒しした芭蕉の樹。
苧績みし糸にしていくのは、琉球の芭蕉布と同じ。
ガス綿糸で括りつくられた絣筵も展示されています。
蘇鉄の実を加工している人と見ている山羊。
森の道。奄美大島には瑠璃懸巣(ルリカケス)が生息しています。見れなくて残念。
大島紬にあわせるルリカケスの描かれた帯が欲しい(-_☆)←ヤンバルクイナの次
パーク内にある田中一村美術館へ
田中一村は50歳で奄美大島に渡り、大島紬の摺り込みの染色工をしながら
奄美の自然を描いた画家です。
生前は知られることがなかったそうですが、1985年にNHK「日曜美術館」で紹介され
全国区で知られることとなります。
一村の作品は、琳派風のものもあれば、西洋画のようなものもありました。
モチーフは奄美でも、作風は色んな作家の影響を受けてるな~という印象。
パークの中は奄美の植物が花盛り
蘇鉄と鉄砲百合。
奄美には蘇鉄の群生地があるそうです。いってみた~い。
珊瑚紫豆(サンゴシトウ)の花
アメリカディゴの花と糸芭蕉
高さ20mの展望台へ
展望台から見えているドーム型の建物が、奄美の郷です。
奄美2日目は朝から大雨、午後には雨はやみましたが、空はどんより。
エメラルドブルーの海がみられず残念!
次は鹿児島に向かいます。日本きもの学会産地研修旅行はここまでです。
産地研修旅行の1日目、奄美大島の地元新聞社2社が取材で同行されていて
奄美新聞と南海日日新聞 の朝刊に掲載されました。
朝、宿泊先のホテルのフロントやレストランの方が教えてくださいました。
地元の方への影響力は絶大だったようで、昼食の食堂や空港でも、
「新聞に載っていらした方々ですよね?」とお声掛けされることに…。
雨の中、きものを着ている人というのは目立ったようです(・_・;)
その後も、奄美の方から「きものカンタービレ♪」みました!っと、メールをいただいたり、
facebookページをフォローしていただいたりと、あらたな出会いもありました。
大島紬でつかわれる糊は、海藻のいぎす。味噌漬けにしていただくと美味しいのだそう。
奄美空港で売っています。
さて、鹿児島の旅はどんなかしら~(*^▽^*)
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腰原きもの工房のパラソルの染め帯にkohaの蓮文様の晴雨兼用傘
雨の日のお出掛けを楽しくするために、傘にはこだわりをもっておりますが、
いつのまにやら傘フェチになり、傘文様も気になるようになりました。
お気に入りのカラフルなパラソルの描かれた染め帯
豪雨ではつかえませんが、雨の日を華やかに彩ってくれます。
蓮の花のプリントの晴雨兼用日傘
大柄の傘は、きものや帯とのバランスが難しいのですが、これはこれで良しとします。
お茶のお稽古へ
東貴人且座と法磨之式
もう、ただいるだけで精一杯でございました…(@@;
【6月23日の装い】曇りのち落雷注意報(湿度58%) / 最低気温20℃ 最高気温28℃
花織風の西陣の花格子紬に腰原英吾のパラソルの絽の染め帯をコーディネート。
蓮の花が咲く夏ももうすぐ
帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房
腰原きもの工房の腰原英吾先生の作品。傘のひとつひとつがとても丁寧に描かれています。
バッグは松枝忍、ぞうりは菱屋カレンブロッソ
蓮文様の折りたたみ晴雨兼用傘はkoha。京都の捺染染めの職人による染め。
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薩摩切子と雪花絞り at 城山観光ホテル / 奄美&鹿児島の旅 その9
奄美パーク&田中一村美術館 日本きもの学会産地研修旅行 / 奄美&鹿児島の旅 その8
のつづき
鹿児島といったら、桜島
鹿児島のお宿は、桜島の眺望が抜群の城山観光ホテルです。
ここの露天風呂から見る桜島の夜明けが素晴らしいのと、
おススメされていたので、朝5時起きして露天風呂へ。
薄曇りでぼんやりとでしたが、桜島の朝日みることができました。
この写真はホテルの方が露天風呂より撮影した別の日の朝日。お写真いただきました。
鹿児島といったら、薩摩切子
薩摩切子は、薩摩藩第10代島津斉興により1846年(弘化3年)に長崎から伝来した外国の
ガラス製造の書物をもとにしてつくられました。蘭癖といわれた11代島津斉彬は、さらに
殖産興業として、ガラス製造に力をそそぎ、当時日本で不可能だった紅・藍・紫・緑・などの
発色に成功します。薩摩ビードロといわれ将軍家や大名への贈り物として、さらに欧米諸国
へも輸出されますが、幕末から西南戦争にかけての混乱で、明治初頭に薩摩での技術は
途絶えたといわれています。その後1985年(昭和60年)から薩摩切子の復刻が試みられています。
斉彬のころつくられた紅色の薩摩ガラスはその美しさからとても称賛されました。
復刻が試みられてからもその再現は難しく今も珍重される色です。
現在は島津家32代島津修久さんが会長をつとめられている島津興業がつくっています。
【5月9日の装い】鹿児島◇晴れ時々曇り(湿度50%) / 最低気温18℃ 最高気温26℃
さて五月はじめのこの頃、本来ならばまだ袷なのですが…、朝風呂あがり~さらに…、
ということもあって、雪花絞りの浴衣をきものがわりに着ました。
雪花絞りと薩摩切子、似ているつながりです。
南国のエメラルドブルーを意識したコーディネートの帯あげと帯〆
鹿児島の旅レポ、つづきます(^-^)/
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「いとなみの自然布展 Ⅲ」へ / 墨色地に赤の向日葵の結城縮に絹と苧麻の交布の六寸帯
シルクラブにて開催中「いとなみの自然布展 Ⅲ ~植物の力 人の知恵~」(~6月30日まで) へ
布の原点である自然布。麻を栽培し繊維を取る以前、遥か昔の話(縄文時代から)ですが、
古代の人々は野山に自生する靭皮繊維から布を織っていたといいます。
昔々はその地域で織られ受け継がれてきたものですが、現在では保存会で技術を継承して
いく形になっています。
今年の1月の「喜如嘉の芭蕉布と自然布ツアー」でお世話になった、古代織産地連絡会。
沖縄への旅は琉球染織の里帰り / 琉球染織巡りの旅 まとめリンク
いとなみの自然布展では、作品をみるだけでなく、今でも植物と共生し糸をつくり布を織る
つくり手の方々から直接お話が聞けるレクチャーと糸づくりのワークショップがあります。
芭蕉布、アットゥシ織、大麻布、葛布、和棉、科布、そして宮古上布(出品のみ)。
「きものカンタービレ♪」でもチラッとご紹介しますが、布は肉眼で見て触ってこそです。
自然布に興味のある方、この機会を逃さず、シルクラブへ!
各産地のビデオ上映や昔の自然布の展示もあり。
きものや帯は中々手が出なくても、洋装の方向けのショールや小物もあります。
●平良美恵子先生による「芭蕉布、今と昔」●
喜如嘉の芭蕉布つくりのワークショップでお世話になった平良美恵子先生に久しぶりに
お会いできました。
実はレクチャーは遅刻してしまい後半のまとめ部分しかお聞きできませんでした(x_x;)
いただいたレジュメによると、芭蕉の種類と布になる部分、沖縄染織の歴史のお話。
今、喜如嘉できものの反物として生産されるのは年間33反。
織るということは、人として本能的な部分で人本来の性に合っている。
時代に竿さし流れされないようにすること、とどまることにはエネルギーがいる。
それを私たちはやっている…。とのお話。
レクチャーの後、芭蕉布のお仕立ての糸について美恵子先生にお聞きしてみました。
細い木綿糸で縫うのがいいでしょうとのこと。
なぜなら、絹糸は芭蕉の生地よりも強いので糸よりも生地が裂けてしまうとのこと。
そして木綿の糸のほうが馴染みが良いのだそうです。
芭蕉布展の復元品は絹糸による仕立てだったのですが、それはあくまでも展示品であり
着用しないという状況のもとでのことで、実際にきものとして着るのであれば木綿糸が
いいそうです。
そして、気になっていた芭蕉布を水に通すと縮むということについて。
芭蕉布が縮むのは前提なので、自分の寸法よりも10%は大きく仕立てるものだそうです。
10年ぐらいは縮むと思っていたほうがいいというお話でした。
●藤谷るみ子先生による「アイヌの文化と織物」●
2013年北海道ではじめての伝統的工芸品として指定されたアットゥシ織。
藤谷先生はオヒョウの樹の皮から樹皮を剥ぎ、煮て川で洗って乾燥させ繊維を取り出す
糸づくりから、織り、刺繍、仕立てまで全てお一人でやっていらっしゃいます。
アットゥシ織りの工程の製作映像をみせていただきました。
工程は別記事でご紹介しますφ(.. )
藤谷先生がご主人のためにつくられたアットゥシを羽織らせていただきました。
固くて重そうに見えたのですが、纏ってみると想像していたよりも軽くて身体に沿う生地です。
刺繍や切伏(アップリケ)がついているものは、晴れ着。
袖口や背、衿、裾に刺繍がされるのは、魔除けの意味があるのだそうです。
【6月25日の装い】東京◇晴れのち大雨のち曇り(突然の集中豪雨に落雷で停電も!)
/ 最低気温21℃ 最高気温26℃
私、日頃着付けは5分でできるといっておりますが、この帯結びに30分かかりました
カリスマ着物ブロガーchocoさん考案のカラテア結び。←の変形版大人バージョン
すみれ庵の西岡万紀先生に大阪で教えていただきました♪
日頃はお太鼓ばかりなので、前結びに慣れていない…、そして中々形がつくれず、やり直しに
やり直しを重ねた結果、きものは着崩れてしまうし、着付けに30分以上かかってしまいました(T_T)
元々不器用なのです。日頃のきものは慣れの賜物。慣れないことをすると初心に還ります。
日傘は大井川葛布。特別に緋色でつくっていただきました。
向日葵文様の結城縮の単衣にぬぬぬパナパナの前津雪絵の交布(ぐんぼう)の六寸帯をコーディネート。
籠バッグに古布を張りつけコーティングした松枝忍先生の作品。
同じ音楽がモチーフですが両面で印象が違うものになっています♪
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