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雨の日を楽しむために / 和傘の魅力、蛇の目傘文様の染め帯に雨コート
蛇の目傘の和紙から透ける光は柔らかく、和紙に響く雨音も風情があります♪
傘を押し広げるための子骨と親骨をつなぐ木綿糸の美しいこと
和傘は生地が骨の内側に畳み込まれるため円錐形の棒のような形になります
和傘の骨は1本の竹を均等に割ってから、ロクロという木製部品につなぎ、
割った通りの順番に組み立てるので、元の竹のように綺麗に閉じるようになるのです。
傘好きの私は、和傘を何本か所有しておりますが、日常で使うことはほとんどありません。
どれもとても気に入っているのですが、大きすぎて人の多い都心部でこの傘をさして歩くのは
人様の迷惑になってしまうのです(ノ_-。)
大きいからこそ、きものや帯を濡らさずに済むのですが、むずかしいものですね
スコールのような雨が降る現代においては、防水加工がしてあるとはいえ、和傘はやはり
紙でできているもの。破れてはしまわないかとビクビクしながら、傘をさすことになって
しまうので、結果的にはあまり使わなくなってしまいます。
【4月18日の装い】東京◇雨のち曇り / 最低気温12℃ 最高気温18℃
唐花文様の紬に柳に燕と蛇の目傘の描かれた染め帯をコーディネート。
蛇の目傘は祇園かさ源。矢絣の傘袋に入っています。
雨コートは蛇の目傘文様、バッグは松枝忍
染めもの中野の中野スズミ先生と打ち合わせφ(.. )
ヤンバルクイナの帯のお誂えです。
素敵な下絵を描いていただいたのですが、ワガママを申しあげて別デザインを
描いていただくことにしました。
中野スズミ先生のリアル可愛い世界観、大好きなのです。一目惚れしました
その分思い入れも強く、理想も高くなってしまい…( ̄_ ̄ i)
このところ、お誂え遭難中のこともあり、後悔しないようご無理を申しあげました。
こういった要望を相談できお応えくださる作家さん、とっても貴重だと思います。
充分、可愛い構図なんですけどね。。。
そして、昨年秋にお願いした、オタマジャクシと蛙の絽縮緬の染め帯は、
色焼けがあるので、地色の暈し染めをして直しましょうか?と、お持ちくださいました。
こういった事をご提案くださるのは作家の姿勢としてとても誠実、そしてこれが本来の
きものの良さだと思います。
ですが私の場合、着ていたらすぐにまた色焼けはするであろう…と思いあたり、
暈かし染めをしていただくよりは、絽縮緬のこの生地の面白さを活かしたいと思って、
そのままでのお仕立てをすることにしました。水色は色焼けしやすいと理解してます。
この帯も雨の日が楽しくなりそうです♪
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置賜紬に紅型の帯、ブーゲンビリアの紅型の日傘
4月20日は二十四節気の穀雨です。
穀雨とは「雨降って百穀を潤す」という作物全てを潤すという意味があります。
この時季には柔らかい雨が降るのです。
その雨は作物の成長に良いとされ、種まきにも適しているのといわれています。
潤いをもたらす雨は昨夜降っていました。
今日は曇り空ですが冷え込みそうです。羽織纏って出かけよう…。
【4月19日の装い】東京◇曇りのち小雨 / 最低気温9℃ 最高気温19℃
置賜紬に紅型の帯をコーディネート
無地の縮緬の帯あげは加藤萬、葡萄色の帯〆は龍工房
鉄灰色の置賜紬は老けてみえるので、若々しい紅型の帯をあわせてみました。
バッグは松枝忍
両面で印象が全く違う古い布がデコパージュされています。
ブーゲンビリアの描かれた紅型の日傘は、沖縄瀬底島の紅型工房べにきちの作品。
「ぬぬぬパナパナのぬぬ」展に、べにきちの吉田誠子さんの帯が出展されます。
べにきちさんの東京、大坂での出展ははじめてのこと(というか、初企画展参加だそうです)
私も楽しみにいたしております~。
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「人間国宝 玉那覇有公展 〜至高の紅型両面染めの世界〜」
銀座もとじにて開催中の「人間国宝 玉那覇有公展 ~至高の紅型両面染めの世界~」へ
玉那覇有公先生は沖縄復帰40年の記念すべき年であった2012年、はじめて
銀座もとじにて個展をされました。その時のレポートはこちら☆
その際、ギャラリートークでお客さまと共有できた時間がとても楽しかったとのこと。
何よりも玉那覇先生の作品を着た人を見ることができたことが嬉しかったのだそうです。
それによって実現可能となった、今回の個展のテーマは、「紅型両面染め」です。
玉那覇有公先生と 2年ぶりにお会いすることができました(〃∇〃)
琉球王朝時代の琉装の多くは両面染め。沖縄は暑い土地ですし、琉装は着装の仕方も
本土のきものとは違うものです。単衣で仕立てるものは裏がチラっとみえますが、
ならば、両面染めのほうが好まれるはず。私もいつか欲しい… ←願望です。
表と裏がきっちりあった文様にするには、正確な型置きの技術、そして色挿しが必要となり、
片面染と比べると大変な労力を必要とします。5~6倍の時間がかかるとか。
現在、紅型両面染めをされる作家さんは玉那覇有公先生だけです。
紅型両面染め7点。美術館に納められるような作品ですが、出展された7点は観賞用でなく、
ぜひ人に着て欲しいということで、販売されました。
じっくり見たかったのですが、すでに買い手がついているものは、(羨ましいですね…)
ギャラリートーク後にはササッと下げられてしまい。。。
それでも自然光に近いところで、ガラス越しでなく肉眼で両面染めを見ることができて
嬉しかったです(〃∇〃)
幾何学的な文様と植物の意匠を組み合わせた、かつての紅型にはなかった独自の世界観。
色も、紅型の強烈なカラーとは違って現代的でどことなく透明感があります。
道具はすべて手作り。突き彫りのための道具は傘の骨の先を削ってつくったもの。
突き彫りを受ける台は、島豆腐を乾燥させオイルにつけてつくったルクジュウ。
糊を置くヘラは、レコード盤を割ってつくったもの。
差し刷毛は女性の髪200本でつくられています。
糊引きの筒袋は米軍の落しもののパラシュートの布に先は銃の弾丸です。
紅型の特徴である顔料による色挿しと隈取りについて。
この白味暈しが高度な技がいるとのこと。
玉那覇有公先生の奥さまの道子さんは、城間栄喜先生の1人娘であり栄順先生の妹さん。
幼少の頃より城間家で育った道子さんの色の感性は絶大で、ご子息の有勝先生は、
色のことはお母様の道子さんに、その他のことは有公先生に聞くことになっているのだそう。
米ぬか3、餅米1升の割合。これは化学染料でなく顔料であることから。
色挿しは力によって色がかわるので1人1色を担当したほうがよいとのこと。
色はつかう分だけをつくって、色ごとに摺り込みの筆を用意。筆の大きさは揃える。
玉那覇有公先生が城間家に入られたときには、型紙を彫れる人がいなかったのだそうで
有公先生が0からはじめ、栄喜先生に認められるまでになったとのこと。
毎日デッサンとスケッチを欠かさずしたことによって、自然に生きているものが、
独自性のある文様としてできてくるようになったのだそうです。
もとじオリジナルの生地である、プラチナボーイに染められた帯。
プラチナボーイは発色がよく、白地が底光りするのだそう。
生地が貴重なので練習も失敗もできず緊張するとのこと。
珍しい、藤布に藍型で染められたシーサーのお太鼓柄の帯。
この藤布、古代織産地連絡会の加畑兼四郎氏による丹後藤布でした(ノ゚ο゚)ノ
玉那覇有勝先生と 「きものカンタービレ♪」をみてくださったとのこと。光栄です!
今年の秋には工房見学をさせていただくことになりました~♪
ギャラリートークでは、有公先生の武勇伝?のお話もあり、とても楽しかったです。
玉那覇先生の密度の濃い空間表現の紅型の意匠。着てみたいもののひとつです
いつか…という妄想の世界ですが、着てみたい!と思える作品があるというのは、
とても幸せなことですね。
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五事式の茶事
御深曽木の儀@なう
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鎧直垂の着装実演@なう
「昭憲皇太后百年祭記念 〜明治の皇后〜」展 at 明治神宮文化館 宝物展示室
アメリカのオバマ大統領が明治神宮を訪れるという日の前日(4月23日)、参集殿にて
衣紋道高倉流たかくら会による「祐宮(後の明治天皇)の 御深曽木の儀」の再現が
行なわれました。 ※こちらは別記事にて後ほど詳細にご紹介いたします
この日はまだ警戒態勢はとられていませんでしたが、それでも各所に警察の方が、、、。
同じ日にならなくて良かった…(-。-;)
オバマ大統領は内拝殿にて玉串を捧げ参拝され、その後流鏑馬を見学なさったそうです。
が…、ぜひ見ていただきたかった!のは明治神宮内明治神宮文化館の宝物展示室。
今年は明治天皇の皇后であられた昭憲皇太后が崩御されてから100年の節目にあたります。
百年祭の一環として、昭憲皇太后にゆかりのある史料が一堂に展示されているのです
こちらの宝物展示室、美術鑑賞好きにもあまり知られていませんが、皇室にまつわる史料の
所蔵展示が充実しているので、おすすめです。
展示会場内の風景
※明治神宮の禰宜の方の立ち会いのもとに、撮影及び「きものカンタービレ♪」への
掲載の許可をいただいております。
奥に見える楕円形の肖像画。とても神々しく立派なものでした。
これは天皇皇后両陛下の御真影(写真)がイタリアに送られミラノの画家ジュゼッペ•ウゴリーニ
によって描かれたものです。当時の日本は油彩画を描ける画家がいなかったのかもしれません。
そして見どころは、昭憲皇太后の御大礼服です。後期は2領が展示。
こちらの鑑賞の前に、お食事会で仙石宗久先生による講話があり、
この大礼服についても説明がありましたφ(.. )
御大礼服(マント•ド•クール)は最も格式が高い礼服。
明治~昭和初期の戦前まで、即位の礼や新年の拝賀に着用されたのだそうです。
ワンピースのように見えるのですが実はツーピース型。それは何故なのか?
それは、「お清」と「お次」という宮中の習わしからきています。
以下、仙石先生のお話からまとめます。
「お清」は天皇皇后両陛下の御腰より上のもの。中には「大清」と「中清」があります。
大清は両陛下の賢所•伊勢神宮御拝の衣服のことで、つかうと「お次」になります。
その後の使用はできないのだそう。
中清は両陛下の御道具類のこと。御品で「ちゅうきよ」とあるものはこれのこと
「お次」は両陛下の下半身の衣服、下半身(腰から下)にふれてしまった物や人すべて。
お次になってしまった人は「手清し」という7回半の洗浄をしてお清に戻るのだそうです。
なので、上半身をお着せする女官と下半身をお着せする女官がいることになり、
衣裳はすべてツーピースの仕立てになるとのことでした
西洋文化が入ってきた明治期は建物も衣裳も和と洋が混在したものが多くありますが、
この頃の感覚は大好きです
深緑色のベルベットの肩から引き裾にかけて菊が大きくなっていく意匠の刺繍が素晴らしい。
生成色のものはフランス製だそうで、薔薇なのか菊なのか曖昧な文様になっています。
昭憲皇太后がお召しになられた小袿やきものも展示されています。
明治神宮所蔵のものだけを撮影許可いただきました。
冬の小袿 蘇芳小葵地鸚鵡丸文二重織
皇后の小袿の文様は鸚鵡の丸の上文(上紋)が最も正式とされたとキャプションにあり。
冬御袿に緋袴と扇
立枠に四菱、尾長鶏の丸文の二重織物
御縫御召 単衣です。田子ノ浦の松に藤の意匠の刺繍
葦の生い茂る水辺には河原撫子と鶴が描かれています。
1873年(明治6年)富岡製糸工場を昭憲皇后と英照皇太后が行啓された際の、
荒井寛方◇「富岡製糸場行啓」聖徳記念絵画館壁画も展示されています。
袿袴装束に切袴と同じ生地の靴に注目です。
※フライヤーより転載
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆
長崎巌先生の型染ゼミナール、五事式の茶事、御深曽木の儀、鎧直衣の着装実演、
どれも素晴らしかったです:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
が…、他にも色々ございまして、バタンキューでございます(@@;
「なう」でご紹介しましたが、詳細レポートはこれから復習を兼ねて書きます。
「ぬぬぬパナパナのぬぬ」展のご案内状、本日発送いたします~。
23日の夜、お会いできますことを楽しみにいたしております。
お茶とお菓子を用意して待ってますので、会社帰りにどうぞ♪
お申し込み受付は5月8日からです。先着順となっております。
受付はこちらではございませんのでご注意を!
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芍薬と牡丹の違い / 木綿の紫根染に牡丹の染め帯
外苑前の銀杏並木が青々としていました~♪
漢方ミュージアムの滋養あるお鍋。
【4月25日の装い】東京◇晴れ / 最低気温13℃ 最高気温22℃
南部絞りの木綿の紫根染に牡丹が描かれてた染め帯をコーディネート
帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房
この花は、芍薬それとも牡丹?
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」
芍薬は、すらっとした茎と葉の先に花を咲かせることから、立っている姿が美しい。
牡丹は、枝分かれしながら横に広がって葉の中に花をつけるので、座っている姿が美しい。
百合は、風で靡く姿も美しいことから、歩く姿が美しい。
諸説あるようですが、美しい女性の例えとなったのはこんな理由だったと思います。
芍薬と牡丹の花はとても似ていますが、芍薬は草(多年草)で牡丹は木(灌木)。
芍薬は花の宰相、牡丹は百花の王と讃えられています
近年では交配が進み、さらに両花の区別がつきにくくなっていますが、
葉の切り込みが深く、蕾が丸いのが芍薬です。
とすると、葉の切り込みが深くて、でも葉の上に咲いているこの花は…?
数年前の足利フラワーパークでの写真ですが、この花は芍薬として販売されていました。
お店の方に「あなたの帯に描かれている花も芍薬と牡丹の交配がすすんだものですね~」
と教えていただきました。
以来この帯に描かれている花は、4月5月は芍薬、それ以外は牡丹としております。
なので、袷の季節いつでもつかえるという…。気の持ち方ひとつで楽しめます♪
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長崎巌先生による「型染の歴史」の話
NHK文化センター青山教室×美しいキモノのコラボレーション企画
長崎巌先生による「型染めの歴史」の講座へ
型染めは量産するための技法と思われがちですが、元々は違います。
型をつかうことによって、手間が省ける量産品となったのは、江戸時代後期以降のこと。
明治になり武家社会が終わるとともに、大量の型紙がヨーロッパに流出します。
産業革命後のヨーロッパでは、日本の型紙は洗練された工業的意匠として賛美され、
アールヌーボーやユーゲントシュティールに影響を与えました。
そして浮世絵と共にジャポニズムの大ブームを巻き起こすことになるのです。
日本の型紙がヨーロッパに渡ったことで、型紙の紗張りからスクリーン捺染が発展。
そして日本へは化学染料が輸入され、広瀬治助が考案した写し糊によって型友禅が普及します。
明治期の染織の技法や意匠のヨーロッパと日本の関係は、数多くの美術工芸品に反映され
ているので、掘り下げていくと面白すぎて止まりません…(^_^;)
これらのお話は長崎先生が監修された「KATAGAMI style 展」の頃に学びました
以下、長崎巌先生による「型染の歴史」の話からザックリまとめますφ(.. )
曖昧だった点がストンと腑に落ちてスッキリ
技法の詳細についての解説などは、美しいキモノ2014年春号の「型染めゼミナール」
に詳しく書かれているので省きます。
型染めは、古くは上流階級の装飾品につかわれた紋織物の代替品。←長崎先生による仮説
文様を繰り返し染める、これは紋織物は型(パターン)を繰り返し織られるもので、
有職織物にみられる特徴である。
日本の型染めの起源は、摺絵、夾纈、臈纈といった、木型をつかったもの。
紋織物は文様が浮き上がって見えるのが特徴だが、その部分は宿命的に弱い。
耐久性がない故に、物理的強度を考えて型染めがつかわれたのでは?
正倉院御物には麻のものと絹のものがあるが、強度を要する敷物や袋物は麻のもの
に木型をつかった型染めのものが多い。模様が織物でほぼ同じものがあるのは、
紋織物と同じく繰り返しの文様を表すためだったと考えられる。
奈良から平安時代になると、庶民は麻地に無地か絞りの染め(当時は布といったら麻のこと)、
上流階級である公家は絹の紋織物を着ていた。
参考資料◇有職織物の代表である二陪織物
この時代には蛮絵、踏込型といった型染めも行なわれている。
熊や獅子の丸紋を浮き彫りにした木型に墨を塗って生地に押し付けて模様を写す技法で、
奈良時代の摺絵に類する。
随身装束の褐衣の意匠で、身体を動かすのには適さない紋織物の代替品としてつくられたもの。
左右近衛府の武官だけでなく防人も着用。
身体を動かす武官のためのもので、紋織物の代替品としてつくられたために丸紋←ポイント
参考資料◇衣紋道高倉流たかくら会所蔵の平安期の蛮絵装束のレプリカ
参考資料◇天野神社伝来の室町時代の蛮絵装束。「大神社展」の内覧会
より
参考資料◇葵祭の随身装束の蛮絵。近世では刺繍で表されます。
随身装束はあくまでも活動的に動けることが目的につくられているので、身頃1巾の狩衣
と同じつくり。ただし袖と身頃は縫い合わされています。
踏込型は、踵で踏んづけて、革に文様を食い込ませることからついた名前。
鎧の革の部分に模様を表すために用いられた。
現存するものでは、法隆寺伝来の鎧の雛形の窠文を踏込型で表したものが最古。
これによっても、紋織物の代替品であったことが推測される。
この後に、より繊細な文様表現を求め、木型から型紙へと移行していく。
染料の摺り込みから防染へ。臈防染から糊防染へ。
型紙染の現存する最古のものは、源義経が所有していたと伝えられる籠手の家地。
家地とは甲冑の裏に貼る裂のこと。直接肌に接するところなので、麻地になっているのだろう。
文様は有職文様であることから、紋織物に変わるものとしてつかわれた可能性が高い。
浅葱色地に藤巴模様は、型紙をつかって糊を置いて藍に浸したものと考えられる。
型紙染の登場と公家社会から武家社会へ移っていく時期がリンクしているのが興味深いです
武家社会に入り成り上がった武士が公家と同じ装いをしようとすることによって、
さらに型染めが普及。型紙染は武士が支配者としての身分表現としてつかうようになっていく。
意匠の変遷については、きもの学公開講座のまとめで書いています。こちら☆
型染めは格が高く、絞りは庶民のものであったため、人から見えないところは絞り、
見える部分は型染めという武士の装束が肖像画で確認できる。
長谷川等伯が描いたとされる「伝•武田信玄像」←等伯の父が仕えた畠山義続像の説あり
直垂は型染め、中に着ている小袖は辻が花の絞り染め、というわかりやすい例。
型染めは武士の公服である素襖や裃の加飾表現としてつかわれるようになる。
型染めの成り立ちが、紋織物の代替品であり、元々は上流階級のものであったということが、
理路整然とわかりやすいお話でした。
あ、この日は型染めがテーマだったので、受講生の方も型染めの帯をした方がみられました。
雨でしたので、石下結城紬に知念貞男先生のグンバイヒルガオの紅型の帯で。
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「祐宮(後の明治天皇) 御深曽木の儀 」の再現 at 明治神宮
衣紋道高倉流による、祐宮(後の明治天皇)の御深曽木の儀の再現が、4月23日に
明治神宮参集殿にて行なわれました。
以下、高倉流宗会頭の仙石宗久先生の解説よりまとめますφ(.. )
御深曽木の儀とは? 七五三のルーツとなった儀式のひとつであり、
4~5歳になって伸びた髪をもう一度切りそろえる儀式のこと。曽木は削ぎの当て字。
現在の皇室では5歳の祝いだけが残り、男女共に御深曽木の儀だけが行なわれます。
男性皇族はこの日にはじめて袴を身につけることになるので、同時に着袴の儀となります。
1860年(万延元年)閏3月16日未の刻より、祐宮(後の明治天皇)の御深曽木の儀が
執り行われました。これは予定よりも2年遅れてのこと。予定された年に泉涌寺で火災
があり、祐宮は8歳で御深曽木の儀を迎えました。
北野恒富◇「万延元年閏3月16日御深曽木」 明治神宮外苑聖徳記念絵画館蔵
御深曽木の儀は京都御所御三間にて行なわれます。
役送(儀式の重要なお道具を運ぶ役)
四位右近衛中将櫛筍隆韻は黒の衣冠、五位侍従中山忠光(祐宮の叔父)は赤の衣冠。
議奏(天皇に近侍し儀式を監督する人)
参議侍従飛鳥井政典は黒の衣冠、権中納言裏松高光は紅梅の直衣(正月15日まで
着る特殊な直衣)、権大納言中山忠能(祐宮の母の中山慶子の父)は夏の直衣、
権大納言徳大寺公純と厳中納言久我建通は冠直衣。
武家伝奏(武家の奏請を朝廷に伝える人。儀式の場がどうであったか報告する関白につぐ職)
厳中納言坊城俊克は黒の衣冠、権大納言広橋光成は冠直衣。
参議侍従飛鳥井政典が左大臣を呼びにいきます。手には中啓という扇を持っています。
左大臣一条忠香は冠直衣。北面に座します。
「おーしー」という仙石先生の声(「おなーりー」のようなもので、天皇のお出ましの声です)
天皇付女官の新掌侍(しんのないしのじょう)豊国が守り刀をもって現れます。
孝明天皇はお引き直衣、天皇の裾をお直しするのは、天皇付女官新大典侍勧修寺徳子。
女児は天皇からのつかいの役をします。
役送の二人が碁盤を運び、吉方(巽の方角)に向けて置きます。
御髪を削ぐお道具も運ばれます。
祐宮は前張の袴の半尻姿で、左手に小松と山橘、右手に横目扇をもって現れます。
※ちなみに、皇女は逆で、左手に横目扇、右手に小松と山橘
碁盤の上には鴨川で拾った青い石が二つあり、これを左右の足の爪先で踏んで碁盤の上に。
大尚侍中山績子、宰相典侍庭田嗣子(皇女和宮に仕え江戸城に入ったあの庭田)、
少将掌侍今城重子
祐宮を碁盤の上に。碁盤の高さは髪をお削ぎするのに大人の目の高さになる手頃。
左大臣一条忠香による、髪削ぎが行なわれます。
ゆするという整髪料をつかって、上から下へ髪を上げ左右中と削いでいきます。
削がれた髪は少将掌侍へ渡され三帖に分けて奉書紙に包まれます。
祐宮は吉方に向かって碁盤から降ります。
「えいっ」と飛び降りる印象が強いですが…。
う…、タイミングが早くて、シャッターチャンスを逃しました(T_T)
そして、退出となります。
武家伝奏、議奏、役送も退出します。
祐宮は髪を鬢の緒で括って現れます。
鬢親である左大臣一条忠香も呼ばれて参進し祐宮と対座します。
手長は命婦押小路と命婦鴨脚(いちょう)。
手長とは宮中や貴人の家の酒宴で膳を隣の次の間まで運び取り次ぎをする役のこと。
一献の儀、二献の膳とある。昆布、干鮑、饅頭など。
大尚侍中山績子より左大臣一条忠香に謝辞があります。
中山績子は祐宮の大叔母にあたる。
祐宮の半尻を下げる。
男子皇族は落滝津文様の振袖の上に前張の大口の袴。
落滝津は千載和歌集にある「落滝津やそ宇治川のはやき瀬に岩越す波は千代の敷かも」
という御歌からきています。
これから祐宮は孝明天皇のお住まいの常御殿の一間に向かい対面します。
天皇陛下にお会いするために、装束は織から縫の装束へと着替えるのです。
衣紋道高倉流仙石宗久宗会頭と衣紋道高倉流東京道場の皆さま。
仙石先生のお話を聞き逃すまいとメモを取り、撮影をし…。
碁盤から飛び降りるところのシャッターチャンスを逃したのが残念(x_x;)
平安絵巻のような世界ですが、こういった儀式は現在の皇室にも受け継がれています。
とても貴重なものを見せていただきました。ありがとうございました!
※撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載の許可を主催者さまよりいただいております。
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五事式の茶事 / 千總の熨斗目文様の小紋に双鴛鴦文様の唐織のなごや帯
早いもので4月も終わり、炉から風炉の季節を迎えようとしています。
炉のお稽古納めは五事式の茶事でした。
五事式の茶事とは?
七事式(花月、且座、廻り炭、廻り花、茶カブキ、一二三、員茶)からの5つを
組み合わせた茶事のこと。
千家茶道中興の祖とされる、表千家7代目如心斎と裏千家8代目又玄斎(ゆうげんさい)が、
大衆化していく茶の湯の新たな修練の方法として創案し広めました。
(如心斎は表千家6代目覚々斎の長男、又玄斎は三男、二人は兄弟です)
その後裏千家では、花寄、仙遊、雪月花、法磨、三友、唱和が創案され、七事式に
準ずるものとされています。
これらの式は、禅の七事がもとになっているようです。(これから調べます)
参加する人が度に役札を引いていくものなので、札の行方によって役が様変わりしていきます。
これも一期一会のもの。
修練を重ねたもの同士が阿吽の呼吸でササッとできると、この上なく楽しいものなのだろうと
想像できます。もともと修練のために生みだされたものですが、皆さまの足手まといに
ならぬように稽古を重ねななくては…と、修練する意を身を以て学んだ日でありました。
廻り炭
炭点前の修練を目的としたもの。亭主が炉中の炭をあげ、正客から順に炭をついでいきます。
前の人の方の炭をあげ、また炭をついでいく。あげることとつぐことをするということが、修練。
炭の入れ方は自由でよく、今回は各自がその風情にテーマを決めてつぎました。
如意宝珠の紫交趾の香合が美しい。
廻り炭のあとは懐石。
今回は先生がつくってくださった碗ものとお弁当。
主菓子をいただいて中立。
廻り花(今回は花寄せ) 先生が沢山のお花をご用意してくださいました。
正客から順に花をついでいきます
茶事の後に撮影
且座
正客が香をつぎ、順に聞いていきます。
濃茶は正客が点て皆でいただきます。(このお点前が一二三で点数を入れることとなります)
お薄は花月で。(四畳半につめます)
一二三
薄茶の後、十種香札が乗ったお盆がまわってきます。
亭主の濃茶にふさわしい点数の札をとって折据に入れます。
堪能させていただきました。ありがとうございましたm(_ _ )m
【4月22日の装い】東京近郊◇晴れ時々雨(4月中旬だというのに肌寒い日)
/最低気温5℃ 最高気温14℃
お稽古の茶事でしたので、紋付でなく小紋の装いにいたしました。
千總の熨斗目文様の小紋に双鴛鴦文様の唐織のなごや帯
帯あげは加藤萬、帯〆は五嶋組紐
この鴛鴦の唐織は一番のお気に入り
バッグはかづら清老舗
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吉岡幸雄先生のお話「更紗 美しいその魅力」at 東慶寺
新緑が眩しい晴れの日に北鎌倉の東慶寺へ。
白山吹が咲いていました。
東慶寺にある松岡宝蔵にて「吉岡コレクション 更紗展」が開催中(~6月8日まで)
染織家の吉岡幸雄先生が収集していらっしゃるコレクションが展示されています。
17~18世紀の古渡更紗を中心に、インドのマハラジャがつかっていた豪華な金雲母更紗、
そして洋画家の児島善三郎が所蔵していた大津の大名の赤星家の99種の更紗手鑑も。
東京国立博物館蔵の井伊家伝来の彦根更紗とおなじものもあります。
インド製の白地雲鳥文様更紗
白地草花文様更紗 こちらもインド製のインド更紗からお仕覆に仕立てられたもの。
※上記の写真はフライヤーより
この日は吉岡幸雄先生による講演会がありました
事前申込みはあっという間に満席になったそうで、この日は2回転でされていました。
吉岡幸雄先生のお話からざっくりとですが…φ(.. )
更紗はインドで古くから染色された茜色の華やかな布。生地は木綿であり、木綿だからこそ
開発された布である。
インドは綿の国。紀元前から綿の栽培が行なわれている。
綿は北半球ではインド、南半球ではペルーといった熱帯性地方の植物であった。
日本に綿が入ってきて定着したのは江戸時代。
ヨーロッパにインド更紗の存在が知られるのは、大航海時代から。大ブームを巻き起こす。
インド更紗は後に輸出先にあわせたものをつくるようになっていく。
茜の発色が良いものは高い技術者がやっていてVOC(東インド会社)の刻印が裏地にある。
木綿は丈夫で耐久性があり保温性もある衣料の生地としては優秀な繊維だが、木綿は
色が入りにくい(染まりにくい)。天然染料による鮮やかな赤や紫が染まりにくいという性質がある。
(藍と茶色以外は染めにくく、多彩な色使いは難しい)
インドでは紀元前後には、インド茜をつかった極めて科学的な方法で染めることが考えられていた。
インド更紗は大別すると二種類。
細くて繊維の長い目の詰まった糸を強く打ち込んだ目の詰まった布に、カラムペンで手描きで
繊細な文様表現しインド茜染で染めて、さらに臈伏せして藍で浸染したもの。
太い糸を粗く織った厚手の木綿布に、主として木版をつかって型押しし染色したもの。
インド更紗の染色実演もありました
乾燥したミロバランを煮沸した抽出液に木綿布を浸して薄く染める。(タンニン酸の下染め)
ミロバランとは正倉院御物にもある、訶梨勒(かりろく )のこと
カラムペンで図案を書く、もしくは木版で鉄液を捺印
インド更紗でつかわれる木版
輪郭の枠内で茜色にしたいところに明礬(ミョウバン)を
紫色にしたいところには明礬と鉄液の混ぜたものを塗る。
実際に茜の染液に入れての実演。
残念ながらほとんど見えず、、、… ←後のほうだったので(_ _。)
もう一度講演を聞きたかった(見たかった)のですが、次の予定があったので諦めました
60℃のインド茜の染液に浸して発色。
藍色にしたいところを残して、全体に臈を塗る。(臈防染)
藍の染液に浸す。
インドでは最後に化学染料をつかい、さらに木版で色挿しするとのこと。
原始的な木版による臈防染、よくわかりました!
講義のあと、ぜひ近くでみて触ってみてくださいとのことだったので、
じっくり鑑賞させていただきました。
17~18世紀の古更紗の状態の良いものが残っているのは日本だけ。
吉岡先生は端切れを残すという文化がある日本ならではのこととおっしゃっていました。
金の盛りあがっているところは陶器の粉末をつかった金泥
こちらの本に詳細が載っています。 2014年5月1日より発売。フライングゲット♪
amazonより購入できます。
更紗―Sarasa,printed and painted textiles (日本の染色)
吉岡幸雄先生と
貴重なお話と実演をありがとうございました。
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「超絶技巧! 明治工芸の粋」展 内覧会 at 三井記念美術館
三井記念美術館にて開催中の「超絶技巧! 明治工芸の粋」展 (~7月13日) 内覧会へ
三井記念美術館の建物は、昭和の洋風建築の代表。1929年(昭和4年)に竣工されました。
重厚感ある内装が好み
重厚感あるライト
古き良き時代を思わせる暖炉
織田有楽斎が建仁寺境内につくった茶室如庵の再現
さて、明治の超絶技巧の粋をつくした工芸のお話です。
明治になると日本の美とそれをつくり出す職人技はヨーロッパに知られることになり、
ジャポニズムのブームを引き起こします。
今回展示されている工芸品は、当時の技の粋をつくし主に海外輸出用につくられたもの。
日本でみられることはほとんどありませんでした。
これらは四半世紀の間にオークションなどで、海外から買い戻したひとりの日本人コレクター、
京都清水三年坂美術館の館長、村田理如氏の所蔵品。
これでもか!っという精緻な技は、今ひとつ日本人好みではないような気もするのですが、
かつて、ヨーロッパの人々を驚かせた明治の職人の技には、現代の日本人もビックリです。
今回は作品の1点撮りやアップもOKとのことでしたので、鳥シリーズでご紹介します。
瓦に鳩が乗っている香炉
金工の花鳥図の香炉
鶏がたくさん!の香炉
金工なのに羽の質感までリアルです。
象牙や海泡石のパーツでつくられた家鴨の手箱
1910年日英博覧会出品作なのだそう。
印籠には鷺
刀の小柄には鷺、目貫は鶯と鶉
刀の鍔に鶴
刀の鍔に煙管の芝山細工には鸚鵡と軍鶏。
芝山細工は19世紀の万国博覧会で世界に知られることとなり輸出用のものが盛んに
つくられました。レリーフ状の彫刻と象嵌が特徴です。
孔雀の刺繍屏風 作者は無名でしたが千總製となっています。
この孔雀、何だか悪そうな顔してますね。
藤の花に雀と何の鳥だろう…。これ七宝です!
こちらは薩摩焼。梅に小禽、紅色が美しいです~。
鯉の染め帯で鯉を見る図
※撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載の許可をいただいております。
鯉の染め帯は、端午の節句の頃に活躍します
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「バルテュス 展」内覧会 at 東京都美術館
東京都美術館にて開催中の「バルテュス 展」(~6月22日)の内覧会へ
世界中から集められたという、孤高の画家故バルテュスの大回顧展。
まだ見ぬ作品との出会いとなる鑑賞はもちろんですが、この日の内覧会には
バルテュス夫人の節子•クロソフカ•ド•ローラさんがいらっしゃるということで、
とっても楽しみにいたしておりました♪
節子夫人は大学時代にパリのプティ•パレ美術館で開かれる日本古美術展の選定のために
来日したバルテュスと出会い、恋に落ち、そして結ばれ、ヨーロッパで暮らしていらっしゃいます。
有名なお話ですが、日本文化をこよなく愛していたバルテュスは節子夫人に
「日本女性に一番似合うのは着物、なのになぜ着物を着ないのか」と問いかけたといいます。
以来、節子夫人は、海外でもほとんどの生活を着物姿でされることとなり、その暮らしぶりを
随筆として書かれ、様々なメディアで紹介されています。
自国の歴史や文化を知らず、今時のファッションという大きな波にさらわれて、
(それが流行の波に乗っているということなのかもしれませんが…)、周囲の人とあわせて
浮かないように、そして何より効率的にと考えてしまうのが、日本で暮らす今の日本人の姿。
節子夫人は多くの日本人が見失ってしまったたくさんのものを、異国の地で大切にされ
丁寧に暮らしつつ体現していらっしゃる方です。お会いできて嬉しい~(〃∇〃)
《日本の少女の肖像》
「節子のために 友の思い出に バルテュス」とフランス語で書かれています。
バルテュス初来日の時に節子さんと出会い、モデルになって欲しいと懇願し描いた作品。
節子夫人の随筆の中に「バルテュスは中々思うような作品が書けず、帰国を3度も延ばした」
とあったのですが、きっと別れ難かったのでしょうねぇ…。
《朱色の机と日本の女》
右側には作品の習作が同時展示されています。
そこには「浮世絵」の文字。外国人が日本語の漢字を書いたのではなく、
漢字の字体を絵として真似て書いたもののようです。
はだけた着物は右肩だけを残して腰紐だけが残っている…。モデルは節子夫人。
モデルや室内調度だけでなく、逆遠近法の画面構成も日本美術の影響が見られる作品。
《「トルコ風の部屋」の習作》
こちらもモデルは節子夫人。どちらも髪に鉢巻をしていらっしゃる。なぜだろう…。
ん?こんな作品もあるのね~と楽しませてもらったのはこちら。
《地中海の猫》
パリのオデオン広場にあるシーフードレストラン「ラ•メディテラネ(地中海)」
のために描かれた作品でレストランの店内に掛けられていたのだそう。
海から虹を伝って魚が猫の前にやってくるという構図が面白い。
このレストランの魚介類はとっても美味しそうに思えます。
もちろん、バルテュスの真骨頂といえる作品もたっぷり。大回顧展ですから。
そして今展覧会の見どころでもある、スイスのグラン•シャレのバルテュスのアトリエの再現。
今でもバルテュスの息づかいが聞こえるようです…。
未完成の「黄色い着物をきた日本の女」
この黄色のきものは、節子夫人が庭先の手入れや授乳時期に着ていた日常着なのだとか。
バルテュスの写真や愛用品も展示されています。
それにしても、きものが似合いすぎます。何て素敵なのでしょう…:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
バルテュスが着ている夏のきものと帯は俳優の里見浩太朗さんからの贈られたもの。
バルテュスは独学でどの流派にも属さず孤高の画家といわれました。
見失いかけている大切なものは、時として異国の地に残り伝承されていたりします。
節子夫人との美しい生活そのものが、バルテュスの作品のように思われました。
※撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載は主催者の方より許可をいただいたものです。
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ガラディナーの装い / 正装、準礼装、平服の違い
「婦人画報」「美しいキモノ」「25ans」共催による特別ガラディナー。
10ヵ国の大使夫人によるガーデニングの中、ドレスコードはきものという、この上なく
華やかな一夜でした~♪
さて、ガラディナーに相応しい装いとはどういったものなのでしょう?
ガラディナー、海外ではよくあるのですが、日本ではあまり馴染みが無いかもしれません。
ガラとは祝祭、祭典のフランス語。正装を求められる式典ではありませんので、格式に
とらわれない華やかな装いがあうような気がします。
ヨーロッパでは昼夜でドレスコード(服装規定)が変わりますし、レストランでもディナーは
男性のジャケット着用が義務づけられるのが普通ですが、日本はその辺りは曖昧なので、
会社帰りはスーツでも、休日はゴルフに行くような装いの方もみられます。
夜のコンサートやオペラも同様で、カジュアルな装いの方が大半かもしれません。
式典の招待状で「平服でお越し下さい」と招待状に明記されていることがありますが、
それは「正礼装•フォーマル(燕尾服、タキシード、礼服)でなくてもよろしいですよ」
という意味であって、本来は平服=準礼装•セミフォーマル(スーツ)ぐらいの意味合いです。
ですが今は、平服=普段着(ジーンズも可)と解釈する方もいらっしゃるとお聞きしました
ということは、きもの=普段着ではない=全てのきものはセミフォーマル以上
と解釈される方もいそうですね。
もしかして、今後はこういった考え方が主流になっていくのでしょうか…。
紬は現在では昔のように生糸を引き出せない屑繭の行き先といったようなものでなくなって
いるので普段着とは言い切れませんが、やはり式典に相応しい装いではないように思います。
きもののルール(しきたり)は面倒と思い込んでいらっしゃる方が多いような気がしますが、
突き詰めて考えれば、本来は洋装にもルールがあります。しかも昼夜で着替える厳密なもの。
しかし身分社会がなくなった時代の装いというものは、楽な方へ大多数の方に流れていく…、
といったところなのかもしれません。
話がそれましたが、ガラディナーの装いです。
ラグジュアリーなファッション雑誌の読者が参加、10カ国の大使夫人のガーデニングを鑑賞
しつつのガラディナー、木村孝先生のトークショー、衣紋道高倉流による十二単着装実演、
そして会場はホテルオークラ東京の平安の間。しかもドレスコードはきもの。
この上なく華やかでございました~。 遠目からチラッと
皆さまの古典的な訪問着から作家ものの型絵染めや贅を凝らした刺繍のきもの。
お写真撮らせていただきたいなぁ…と思いつつも、キリがないので…自粛(^_^;)
美しいキモノ2014年秋号に詳しく掲載されるそうなので、楽しみにいたしております。
10カ国大使夫人のガーデニング、そしてガラディナーの様子は後ほど別記事で。
【5月2日の装い】東京◇晴れ(蒸し暑かった!) / 最低気温17℃ 最高気温26℃
たくさんの洋花に囲まれることを考えて、鳥が飛んでいる訪問着を選びました♪
ガラディナーの前に躑躅が満開のホテルオークラの散策路を歩きつつ美術館へ。
こちらも別記事でレポートします。
野口の唐花文様に鳥の刺繍の訪問着に龍村美術織物の清韻唐草帯をコーディネート。
ヘアセットと着付けはホテルオークラ内の与儀美容室でお願いしました。
帯あげは京都きねや、帯〆は龍工房
こちらの龍村美術織物の袋帯、漆が入っているそうで重厚感もあり独特の光沢があって
気に入っていますが、自分では着付けることができません。
重たいですしお皿の柄あわせも難しい…。
バッグはかづら清老舗
ぞうりは四谷•三栄の十二段グラデーション
※撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載は主催者の方より許可をいただいたものです。
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「大使、大使夫人による10カ国のガーデニング」 at ホテルオークラ東京
第14回「大使、大使夫人による10カ国のガーデニング」(~5月6日まで)
このイベントは世界10カ国の大使、大使夫人による自国の花をつかった理想として
思い描く庭園をホテルオークラの宴会場の中に再現し、各国の営みや文化を表現するもの。
「ホテルは人々が集い、文化、芸術が交流する場」
ホテルオークラ創業者の大倉喜七郎氏の志を受け継ぎ、ホテルオークラでは、ホテルのもつ
公共性と社会性を活用し、社会に還元する文化活動として、チャリティーの展覧会が企画開催
されています。今年で第14回を迎えたこちらのイベントもそのひとつです。
この日は特別に美しいキモノでお馴染みの老舗の訪問着や振袖が展示されていました。
華やかな百花の訪問着は千總。
インドのガーデンは灌仏会の花御堂のよう。星形の池に花祭壇が浮かんでいます。
アイルランドのカントリーガーデンにて。アイルランドにも藤の花が咲くのですね~。
きものライフプランニングオフィス主宰の富澤輝実子さんと
「絵画を人が纏うという国は日本だけ」と、木村孝先生がトークショーでも
おっしゃっていましたが、こちらはまさに一幅の絵画ですね。製作は大羊居。
窓辺からみる美しい風景の構図。
イタリア式野菜ガーデンの前で。美しいキモノ富川匡子編集長と。
南アフリカのガーデンにはピアノが♪リサイクルの文化の象徴なのだそう。
鳥かごが可愛い チュニジアのガーデン。
ラトビアのガーデン。夏至祭(ヤーニスの日) 花冠をつけた民族衣裳が可愛らしい。
ブラジルのガーデンはグリーンのみでつくられていました。
生の百花の中にあっても負けずに美しい凛とした花。制作は矢代仁。
ジャマイカのブルーマウンテンのコーヒーガーデン
音楽が聞こえてきそう~♪ オーストリアのガーデン。
トロピカルなタイのガーデンにて、ハースト婦人画報社イヴ•ブゴン社長と
ブゴン氏のチラッと見えた芹沢銈介の型絵染の羽裏を見逃しませんでした(-_☆)
大使、大使夫人が思い描く理想のガーデンを形にするランドスケープデザイナーの
白砂伸夫さん。出身は京都だそうで、この日は会場がきもの姿で埋め尽くされたことを
とても喜んでいらっしゃいました。
ガラディナーの様子は別記事であげます(^-^)/
※撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載は主催者より許可をいただいたものです。
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