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喜如嘉の芭蕉布と自然布ツアー•ウェルカムパーティー /琉球染織巡りの旅 その2

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城間びんがた工房を後にして宿泊先のJALプライベートリゾートオクマへ向かいます。
喜如嘉の更に北にあり那覇からは約2時間。遠い~(°д°;)
沖縄には何度も来ているのですが、ここまで北に来たのははじめてです。

この日はウエルカムパーティーが開かれました。

ツアーを取り仕切ってくださった大井川葛布の村井龍彦先生と良子先生とカメラ

良子先生の装いは、シルクラブの「いとなみの自然布展Ⅱ」にて拝見した葛布のきものに
黄檗と紫鉱(正倉院御物にもあるラックカイガラムシの樹脂)で染められた葛布の女袴。
葛布の独特の光沢は経糸には綿や絹をつかい緯糸の葛布は撚らずに織られることから生まれます


平良敏子先生です。重要無形文化財保持者(人間国宝)でいらっしゃいます。
敏子先生は戦争中は女子挺身隊として倉敷で働いていらっしゃいました。
戦後、沖縄に帰る際に旧倉敷紡績社長であり大原美術館2代目理事長の大原総一郎氏と
民芸運動の外村吉之助氏から「沖縄の織物を守り育てるように!」と叱咤激励されたことにより、
今日まで喜如嘉の人たちと芭蕉を育て、芭蕉布づくりの技を高度なものへ確立させ、かつては
庶民のきものであった芭蕉布を工芸であり芸術の域まで高められます。


乾杯のご発声は平良美恵子先生ビール
喜如嘉芭蕉布事業協同組合理事長であり沖縄県立大学非常勤講師でもいらっしゃいます。
敏子先生のお嫁さんに当たる方です。このツアーでは美恵子先生のお話を聴く機会が
たくさんあったのですが、ユーモアがあり明瞭な説明と芭蕉布に対する真摯な想いに感銘を
受けました:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


古代織産地連絡会の皆さまによるご挨拶。詳しくはシンポジウムのレポートにてご紹介します。


このツアーの参加者はきもの愛好家というよりも、つくり手の方が多かったです。
初期のきもの学会に似ているのかも…。
この日のパーティーには、きものの方がたくさんいらしたのですが、仕事としているのでは
なくても、ご自分で染められたり織られたものをお召しになっている方がいらっしゃいました。
若いキレイなお嬢さん方もご自身の作品を着ていらしてとても素敵でした!

きものを着た人は壇上で自分の着ているきものについての説明することに。
私は今回の沖縄旅行は琉球ものでコーディネートを考え用意しました。
パーティーのために着替えたのは、久米島紬に故知念貞男先生のグンバイヒルガオの紅型の帯。
絣の名称については美恵子先生がご説明くださいました。


京都市立芸術大学美術部教授のひろいのぶこ先生とカメラ
久米島紬つながりです~♪ 次の日にはひろい先生の講演会がありました。


素敵にお年を重ねた方々ですが、お召しの芭蕉布はさらにお母さまやおばあさま
から譲られたものだそうで、超年期が入っているものも。
これだけの本物の芭蕉布の着姿をみることは貴重な機会。

触らせていただくと、張りはあるけれど柔らかい。
浮き立つような感じも折れてしまいそうな危うさもなく着心地はよさそうでした。
しかしやはり対丈向きですね。
生地アップを撮らせていただきました。




芭蕉布をお召しになられた喜如嘉の方々によるエイサー。
エイサーは絣文様の芭蕉布を着て女性だけで踊るもの。三線はなく歌と小太鼓だけです。

最後はみんなで踊って。


【1月25日夜の装い】 きもの生活していると1日3回は着替えます(^_^;)

久米島紬に故知念貞男先生のグンバイヒルガオの紅型の帯。
瀬底島ではグンバイヒルガオをみることができました!

縮緬無地の帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房

砂浜に咲くグンバイヒルガオ。葉っぱが軍配に似ているからだそう。なるほど!
沖縄の方言ではアミフィーバナ、ハマカンダーともいうそうです。
※べにきちさんからメールで教えていただきました。拓也さんありがとうございます!


旅はまだまだつづきます(^-^)/
初場所レポートのつづきは把瑠都の断髪式のあとぐらいに。

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「日本工芸会」×「美しいキモノ」60周年記念作品展 at 日本橋三越

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「日本工芸会」×「美しいキモノ」60周年記念作品展へサーチ
日本橋三越本店呉服特選サロンにて開催中
(~2月4日まで)


美しいキモノ2013年冬号に掲載されている、日本工芸会の先生方が60周年のお祝いに
制作された作品が展示そして販売されています!

画像ではこの素晴らしさが伝わらないのが残念ですが、ガラスケース越しでないゆったり
とした展示なので、ぜひご自身の肉眼でみてください。

左◇齋藤孝子先生の型絵染「なでしこ•勝利の花」 
右◇小宮康正先生の江戸小紋(突き彫り小紋)「角紋入連子」

左◇小倉淳史先生の絞り染辻が花袋帯「白頂紅雲」
右◇秋山眞和先生の貝紫染「貝紫に想う」

右◇樋口隆司先生の絹縮絣「祝祭」
中◇小林敬子先生の草木染紬織「彩」
左◇新垣幸子先生の八重山上布花織帯「華風」

右◇木原明先生の友禅•絞り「昇化牡丹」
中◇築城則子先生の小倉縞帯「歓Ⅱ」

大城一夫先生の琉球絣「南十字星のように」


先日工房というかご自宅に伺った伊藤峯子先生の首里花倉織のきものを羽織らせて
いただきました。
琉球王家の妃の正装であったという花倉織は品格が漂います:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
この生地アップは先日、伊藤先生の工房にて撮影させていただいたもの。
詳細は琉球染織巡りの旅レポートであげます。


百貨店では価格が明瞭に表記され、電卓を叩いて交渉?のようなよくわからない状況
もないので、気になるものがあったら今後のことも考えてじっくり見ておくことが宜しいかと。
工芸会の先生方のおおよその価格はとても参考になりましたビックリマーク 
おそらくこれは企画ものなので、お買い得なのだと思いますけど…(ノ゚ο゚)ノ

初日には佐々木苑子先生、秋山
眞和先生、小倉淳史先生、樋口隆司先生、
今日は岩井
香楠子先生、甲木恵都子先生、小宮康正先生がいらっしゃっていました。
憧れの先生方から直接お話がお聞きできるチャンスかも(-_☆)

美しいキモノ編集部の吉川明子編集長代理とご一緒に小宮康正先生に
善哉をごちそうしていただきました(≧▽≦) 
貴重なお話もお聞きすることができ幸せですドキドキ


展示会はたくさんありますが、こういった機会はお見逃しなく!

※撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載を主催者さまより許可いただいております。

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小山憲市紬織展 at 銀座清月堂ギャラリー 

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銀座清月堂ギャラリーにて開催中の小山憲市紬織展へサーチ (~2月2日まで)
小山憲市先生とカメラ

上田紬といったら縞や格子柄が特徴で、表地1枚に裏地を3枚取り替えるほど丈夫なこと
から三裏縞とも称されました。結城紬、大島紬と共に日本の三大紬ともいわれたこともあります。
玉繭から手引きされた糸や座繰りの糸をつかってザックリと織られた素朴な織物というイメージ
だったのですが、小山先生の作品は艶艶の透明感がある美しさでした!

一見単一な色目のようなのですが、経糸だけでも数十色の色がつかわれています。
そこに太い緯糸が織り込まれているのが独特の地風を生み出しています。

とにかく糸の1本1本が美しい!
糸の精練から染色と織りまで小山先生の工房でされているそうですが、今は中々良い糸を
手に入れることがむずかしくなっているとのこと。真綿は中国からも仕入れていたそうですが
それすらも難しくなってきているのだそうです。

太い緯糸が入った風合いは紅梅織のようでもあり、しなやかな弾力もあって着心地がよさそう。
着ていらしたお客さまにお聴きしたところによると、小山先生の紬はシワにもなりにくいのだ
そうです。

段熨斗目文様のようにもみえるこのような凝った紬もありました。


透明感あるものも素敵ですが、深く艶のある色にも魅かれました~。


小山先生の作品をお召しになられたお客さまが何人もいらしていたのですが、
皆さまとても素敵に着こなされていました。そして着心地が良さそう~。

ギャラリーのスタッフの方は流石の着こなしでいらっしゃいます合格
一見単色のようでありながらグラデーションのように色が多彩で、糸の太さによる陰影が
あって、反物でみるよりも着姿を拝見したほうがより魅力的でしたドキドキ モデル力?

日本には各地に伝統的な織物があり、それを現代にあうようさらに磨きをかける人がいます。
美しいものを生み出す力、素晴らしいです~♪
私も来年は1枚つくってみたいと思いました。着心地試したいんですもの~。


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芭蕉布づくりワークショップ•苧剥ぎ at 喜如嘉の糸芭蕉畑 / 琉球染織巡りの旅 その3

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喜如嘉の芭蕉布と自然布ツアー•ウェルカムパーティー /琉球染織巡りの旅 その2  のつづき♪

喜如嘉滞在中の2日間、「芭蕉布今昔展」「日本の自然布展」両展示のギャラリートーク、
ひろいのぶこ先生の講演会、古代織産地連絡会のシンポジウム、芭蕉布づくりのワークショップと、
盛りだくさんの内容で、どこからどうレポしたらいいものか…。

きもののことをよくご存じない方にも「芭蕉布」をよく知っていただくため、時系列にこだわらず、
わかりやすいように芭蕉布づくりのワークショップからご紹介することにしました(^-^)/

芭蕉布は糸芭蕉の茎の繊維を取り出してつくられます。
琉球王朝時代には沖縄全域のどこの家にも糸芭蕉の畑があったのだそう。
今回私たちが入ったのは畳み1500枚(約800坪)の世界最大の糸芭蕉畑です。

糸芭蕉はバナナと同じバショウ科の多年草。こちらは糸芭蕉の花です。

こちらが実芭蕉の花と実。島バナナといわれ美味しいのだそう。食べてみたかった!


畑仕事のための野良着スタイル!?
久米島紬に読谷山花織の帯。この水屋袴はお太鼓の中を1本の紐で通すようになっている
ので、着脱がとても楽なのです。後ろ姿が奇妙ですが上から割烹着など着てしまえば大丈夫。

糸芭蕉からでる汁は絶対に落ちない!血痕のような茶色になるとのことで二部式雨コートを着用。
このコートは衿周りと袖口がしっかり閉じられているのでスコール対策に購入したものです。


平良美恵子先生の先導で糸芭蕉の畑に向かいます。

糸芭蕉は成熟するまでに2~3年かかり、繊維を柔らかくするためには年に
3~4回葉と芯を切り落とし根と先の太さが一定になるようにするのだそう。
きものの着尺1反をつくるのには約200本の糸芭蕉がつかわれます。
「苧倒し」は10月~2月に行なわれます。


いよいよ「苧剥ぎ(ウーハギ)」ですビックリマーク
糸芭蕉の茎の幹の切り口は25から27枚のグルグルの輪層になっています。
この幹の外側から4種類にわけて繊維を取り出します。
内側にいくほど繊維は柔らかく白くなっていきます。

一番外側で緑が残っているところが「ウヮーハー」。座布団やテーブルセンターになります。
二番目に剥いだところは「ナハウー」。帯になります。
三番目が「ナハグー」。これが上質な繊維できものの着尺になるところです。

四番目の芯に近いところが「キヤギ」。真っ白で美しいですが、ナハグーと混ぜて織ると
キヤギの部分には茶色に変色してムラになるので染色用の糸としてつかわれるのだそうです。


外側の茶色い皮を取り除き、グルグルのはじまるあたりから小刀で切り込み10cm
ぐらいを入れます。

3~4つぐらい入れるでしょうか。口割というそうです。←後で調べた

引きはがして自分の右側に置きます。

どんどん剥いていくと真っ白な皮が現れます(ノ゚ο゚)ノ


さて、私もチャレンジビックリマーク
しかし…、まずグルグルのはじまるところが中々みつけられない…(@_@)
そして口割りが揃わない…。剥がすとき、絶対に折ってはダメなのですが折っちゃう汗
タマネギの皮むきのようにスパッと簡単に剥けるかと思いきや、きれいに剥けてくれない(T_T)

しかし、芯に近づいていくと現れる、糸芭蕉のこの美しさキラキラ 
瑞々しさにウットリ~(〃∇〃)
シュパーっと剥けて汁が飛び散ったら快感恋の矢
羽越しな布の方が科の木を剥がしていくと現れる木の芯の美しさに魅せられて、しな布の産地
に嫁いでしな布を織っているという話で後ほど盛りあがったのですが、←しな布織姫物語?
(科の木は梨の味がするらしいです)、繊維に魅せられるというのがわかります。

わけた皮は1枚ずつ足の先で先端を抑えて右手で表を左手で裏を持って2枚にわけます。
裏側は芭蕉紙の原料になるのだそうです。

両端をもって取った皮で束ねます。印も皮をはさんでつけます。

ご一緒したガラス作家はとても上手で、私の指導係に任命されてました(゚ー゚;
自分の不器用さにズドンと凹みましたが、サンサンと照る太陽のもと、糸芭蕉の芯の
美しさに出会う作業は楽しかったです~♪ しかし二人とも日焼けしましたね(゚_゚i)

帯になるナハウーまでさせていただきました。着尺地になるナハグーはプロにおまかせ。
次の工程である「苧炊き(ウーダキ)」の釜まで運びます。


苧炊きは芭蕉布会館の2階で行なわれていました。
わけられた4種類の繊維の柔らかさが違うため別々に苧炊きされます。
大鍋に木灰汁をいれて沸騰させた鍋底には縄がしいてあるのだそう。
そこに苧剥ぎした束ねられた繊維を入れむらなく煮ます。


次は「苧引き(ウービキ)」です(^-^)/

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芭蕉布づくりワークショップ•苧引き at 芭蕉布会館 / 琉球染織巡りの旅 その3

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芭蕉布づくりワークショップ•苧剥ぎ at 喜如嘉の糸芭蕉畑 / 琉球染織巡りの旅 その3 のつづき

「苧引き(ウービキ)」ですビックリマーク 芭蕉布の良し悪しに大きく影響する重要な工程。


苧炊きし束ねた皮は水洗いをして木灰汁を落とし竹ざるにいれて水分を落とします。
束ねてある皮を解いて、根のほうを右にして膝前に横に流して置きます。
根のほう、天のほうという、植物が土にあった姿のこと。お茶の炭点前に似ているひらめき電球

苧引きでつかうエービーといわれる竹ばさみはやんばる竹を二つ割りにしてつくったもの。
不純物がキレイにとれるかどうかは、このエービーによって違うようです。


ご指導してくださったのは、若い女性でした。

まず1枚の皮を2~3枚に裂きます。

裂いた皮を指に引っ掛けて安定させるようにして右手に持たせます。
この動作がお茶の袱紗さばきにとても似ているひらめき電球

左手に持ったエービーでしっかり挟んで、

根の方向に向かってしごきます。

2~3回しごいて、繊維についている不純物を取り除きます。

さらに持ち替えて反対側も2~3回しごきます。

整えるために最後にもう1回しごいて根のほうを頭にして自分の左側へ。
しごきながら、固くて色が残っているものは経糸に柔らかいものは緯糸にわけます。


手早く不純物を取り除くことが要されるこの作業に無駄な動きはありません。
美しいものをつくるときはその所作も美しい…。
苧引きはお茶のお点前ととても共通することが多かったです。


次は「苧績み」です(^-^)/

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芭蕉布づくりワークショップ•苧績み at 芭蕉布会館 / 琉球染織巡りの旅 その5

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芭蕉布づくりワークショップ•苧引き at 芭蕉布会館 / 琉球染織巡りの旅 その4 のつづき

「苧績み」ですビックリマーク 芭蕉布の工程の中で最も時間と技を必要とする作業です。
斜め後ろでは 、平良敏子先生が黙々と作業中…(+_+)


苧引きされた繊維は経糸用(固くて色が残っているもの)と緯糸用(柔らかいもの)に
わけられ、風邪の当たらない日陰で竿に掛けて乾燥させます。

感想した繊維は苧績みをするためにドーナツ状に繊維を巻いてチングをつくります。
繊維を2~3本ずつ根から(これが重要)左手の親指に巻付けるのだそう。
これを「チング巻」といいます。


「苧績み」をするときはチングを水に30分ぐらい浸しておきます。
軽く絞って繊維を取り出します。この時も根と天のほうの方向が重要となります。

繊維の根のほうから指先と爪で繊維の筋に沿って裂いていきます。

手早くやらないと毛羽だってしまうようです。

裂き過ぎて細くなりすぎちゃいました…汗

糸の太さが均一になるように太いものは裂き、細いものは合わせていきます。

根と天のほうをつないで、機結び(はたむすび)で結んでいきます。 

またこれが不器用なもので…、絡めちゃう(x_x;)

きもの1反でつかう糸の長さは約16km。
70~80cmごとに22000回結ぶことになります。気が遠くなりそう…(@_@)

「なんでそんなに前屈みなの?」と指摘され、平良敏子先生の人生のまだ半分も
生きていないのに、自分の姿勢の悪さにハッとしました…( ̄□ ̄;)!!

結び目は出来るだけ小さく目立たないようにして短く切ります。


これらの作業を平良敏子先生は右手に小刀を持ったまま、すごいスピードでこなされていました。

できた糸は苧桶(ウンゾーキ)に入れられます。
小豆は糸がもつれないようにするために置かれているのだそう。


ご指導してくださった喜如嘉の方は皆さん明るくてとっても楽しそう♪
「苧績みは狭いスペースでもいくらでもできるのよ」と笑ってらっしゃるのも長寿の秘訣でしょうか。


芭蕉布は樹皮繊維からつくられるものなので、絹や木綿と比べたら身体に沿うもの
ではありません。だからこそ沖縄の暑さを凌げる蜻蛉の羽のような衣となりえます。
そして、つくり手による、よりしなやかに着心地よくするためにと、丁寧に績まれる
その糸づくり、そして織られる布づくりにとても魅力を感じます。

芭蕉布のきもの1反をつくるには、約200本の糸芭蕉が必要。そして23もの工程があり、
反物になるまでには半年以上かかります。
繊細な手仕事で根気がいりますが、その作業工程には無駄がなく、とても洗練されたもの
だと感じました。
貴重な体験をさせていただきましてありがとうございましたm(_ _ )m


次は「芭蕉布今昔展」です(^-^)/

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芭蕉布今昔展 at 大宜味村農村環境改善センター / 琉球染織巡りの旅 その6

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芭蕉布づくりワークショップ•苧績み at 芭蕉布会館 / 琉球染織巡りの旅 その5 のつづき

「芭蕉布今昔展」「日本の自然布展」両展示とギャラリートークを、喜如嘉滞在中2日間の
講演会とシンポジウムそしてワークショップの前後に堪能いたしました。

「芭蕉布今昔展」は大宜味村農村環境改善センターの2階にて開催サーチ


昨年の夏と秋に東京と那覇で開催された芭蕉布展の集大成ともいえる展示。
前評判も高く、きもの雑誌の編集の方が日帰りでも行きたい!とおっしゃっていたぐらい。
会場では東京や京都でよくお会いする産地問屋さんや作家の先生方にもお会いしました。

芭蕉布づくりの工程や道具も展示。


※展示会場内の写真は平良美恵子先生より許可をいただき撮影及び解像度を下げて
掲載しています。転載は固くお断りいたします。

さてこの展覧会、どこを見ても芭蕉布だらけ(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)!!
知ってはいても感嘆せずにはいられない…、
芭蕉布のきもの110点を含む250点、充実の展示でした。

以下、平良美恵子先生によるギャラリートークからまとめましたφ(.. )

この展覧会の特徴としては、戦前の上物芭蕉布などは解いて洗い張りをし、修繕して
現状元通りになるよう仕立て直しをしてあるということ。
博物館などに寄贈されたものだと、手を入れることができないそうですが、仕立て直したこと
によって、当時の暮らしとともにあった芭蕉布がわかるようになっていました。


江戸時代の武士の裃にも芭蕉布がつかわれていて、復元品もありました。
昔は貢納品をつくるために沖縄全域のどこの家にも芭蕉畑があったといいます。
琉球王朝時代の献上品であった芭蕉布はとても糸が細く今ではつくれないそう。
糸づくりのワークショップの後では、その貴重さと大変さが実感できます。
芭蕉布というと折れ目のようなシワが気になりますが、糸が細かった頃は
シワになりにくかったのかもしれません。


マニラ麻との交織布の着尺や御殿柄(ウドゥン)柄の着尺、芭蕉布瀬名派型染め、
自慢着といわれる様々な絣が入ったツギハギの着物etc…。絣柄も豊富で見飽きません。
紺地(クンジー)の芭蕉布は祝い事の時に着るもの、下前の衿先に別の布が継いであるもの
は「布が足りません、私にもっと着物をください」という神への願いが込められたものという
お話もありました。わかりやすいようにあえて左前が見やすい展示になっていました。


絣の大きさの説明では、絣の大きさは身分を表していて一幅に二つの絣文様があるものは
身分の高い人が着ていたもので、二玉(フタタマー)といいます。
御殿柄(ウドゥン)も二玉で琉球の王侯貴族の柄だったのだそう。
この日私が着ていた琉球絣はこの二玉だそうです。身分が低くなるにつれ絣は小さくなります。
現在の琉球絣は絣が小さいものが多くて、二玉のものは中々見つけられないのですが、
私は大きな絣が好みドキドキ二玉の琉球絣、芭蕉布今昔展を機に流行らないものかしら…。


戦前、戦後、沖縄復興後、そして現在のさまざまな芭蕉布。
芭蕉布の花織や花絽織など垂涎の作品もありウットリ~:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
煮綛芭蕉布帯地の復元品、福木で染められた花絽織のもの欲しかった~恋の矢

着物以外にも平良敏子先生が戦後、芭蕉布を復興させようと模索しつつつくられたという
座布団やテーブルマット、ブラウス、バッグなども展示。材料を大量に仕入れて喜如嘉の
人とともに芭蕉布を産業として軌道にのせ、後に芸術の域に達するまでが見てとれます。

琉球王朝時代の絵師である仲宗根嶂山(しょうざん)が芭蕉布に描いた山水画、
1712年(正徳12年)刊の百科事典「倭漢三才図会」←葛布と芭蕉布がでてくる
糸車の枠に芭蕉布づくりの道具が描かれた、城間栄喜氏の藍型の芭蕉布の暖簾、
金城次郎氏が芭蕉布にマジックで魚を描いた軸などもあり、それぞれの逸話のお話も。

芭蕉布今昔展のパンフレットはカレンダーになっていました(ノ゚ο゚)ノ


これだけの芭蕉布の展示、東京で開催したらさぞかし話題になるのでは…?と思ったのですが、
美恵子先生は「ぜひ喜如嘉にきてこの空気の中で芭蕉布を感じて欲しい」とおっしゃっていました。
さらに、喜如嘉の地の今に受け継がれる芭蕉布を喜如嘉の方にも見て欲しいということでしょうか。
糸芭蕉からの糸づくりの困難さをチラッとですが体験し、やはり感じることは大切ビックリマークと実感した私。
芭蕉布に興味をもったら、ぜひ喜如嘉の空気を体感されることをおススメいたします。


きものの産地はどこも後継者不足で次世代への継承が危ぶまれています。
喜如嘉も芭蕉布づくりに携わる方々はご高齢の方ばかりで難しいとお聞きしていたのですが、
皆さまご高齢には違いなくとも、(何せ平良敏子先生ですらお年寄りの入口らしい)
芭蕉布づくりは平良美恵子先生がいる限り大丈夫!と確信いたしました。
あとは、きものを着ることが非日常となってしまった現代において、どれだけ売れるのか?
ということでしょうか。何せ高級品です。
芭蕉布の自然の風合いは繊細な手仕事の賜物。それでもサラッと纏ってみたいものです。

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喜如嘉の七滝と長寿弁当 / 琉球染織巡りの旅 その7

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芭蕉布今昔展 at 大宜味村農村環境改善センター / 琉球染織巡りの旅 その6 のつづき

ご長寿の村として知られる喜如嘉。
そこには村の方々が神聖な場所として大切にされているところがあります。
芭蕉布づくりのワークショップの日、昼休みに平良美恵子先生が案内してくださいました。

喜如嘉の七滝です。


芭蕉布会館から歩いて15分ぐらいだったでしょうか。集落の奥地にあります。

歩いていると糸芭蕉に良く似た実芭蕉といわれる島バナナがあったり…

野生のシークワーサーも。熟したシークワーサーは甘かった(ノ゚ο゚)ノ


入口には鳥居があり、その奥には礼拝所があります。
喜如嘉の七滝は四神相応の地であり知る人ぞ知るパワースポット。
清涼な空気が流れる地でした。

七滝とは滝の流れが7回変わることから名づけられたそうで、高さは20m。

風水では、背後に山があって左右の山とその内側を流れる川が土地を抱きかかえるように
囲んで前方に開けているような土地を「蔵風得水(ぞうふうとくすい)」というそうですが、
喜如嘉の地は名水にも恵まれていて、まさにそんな場所です。


帰り際に鳥居の向こうに見えた緋寒桜も美しい桜**

沖縄北部ではちょうど緋寒桜が見頃を迎えていて、さくら祭りの真っ最中。
一足先に春を満喫した日でした。


さすがご長寿の村! 老いた美人多しキラキラ だそうです(^_^;)


そして今回のツアーでいただいたランチの長寿弁当は両日とも、とても美味しかった(〃∇〃)

これもご長寿の秘訣なのでしょう、身体の内側から美しくなれそうな気がしました。

ボリュームがあったので、デザートはお土産に持って帰ってきたのですが、これがまた美味!
どれも抜群に美味しかったのですが、ドラゴンフルーツのサーターアンダギーはほんのり
酸味があって、今まで食べたサーターアンダギーの中で一番美味しかった!!
これはまた食べたい~。


琉球染織巡りの旅レポート、まだまだつづきます(^-^)/


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いしかわ伝統工芸フェア2014 at 東京ドームシティ•プリズムホール

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一面の銀世界です…(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)
本日はこれからお茶会なのですが…汗 昨日のレポートを。

いしかわ伝統工芸フェア2014へサーチ (~2月9日まで)
オープニングには大地真央さんがいらっしゃってテープカットをされだのだそう。


お誘いくださった加賀友禅PR大使の鶴賀雄子さまとカメラ


加賀友禅の起源は約500年前の加賀独特の染め技法であった梅染といわれています。
梅染とは梅の樹皮や芯材を細かく砕いて炊きだした染液につけ石灰などで媒染する
無地染めのこと。梅染の染法で黒味を帯びた色に発色させたものは黒梅染と呼ばれました。
模様が施されるようになったのは加賀御国染めとよばれる兼房染や色絵、色絵紋が確立され
た17世紀中頃で、この頃に現在の加賀友禅の基礎が確立されたようです。
京友禅の祖といわれる扇絵師の宮崎友禅斎は金沢の紺屋棟取の太郎田屋に身を寄せ
斬新なデザインの模様を創案し友禅糊の技法を定着させ加賀友禅の発展に大きく寄与しました。
加賀友禅の特徴は加賀五彩といわれる臙脂(蘇芳)、藍、黄土、草(緑)、古代紫(墨)を
基調とした落ち着きのある写実的な草花模様を中心とした絵画調の柄。
外を濃く中心を淡く描く先ぼかしや木の葉の虫食葉(わくらば)の技法がつかわれます。
仕上げに金箔や絞り、刺繍などがつかわれないことも特徴です。

※↑2010年日本きもの学会金沢研修旅行で学びました。詳細はこちらのまとめリンク

会場にいらしていた加賀友禅の上田外茂治先生より作品をみせていただきました。

上田外茂治「里山に秋」
山里に秋の到来を知らせるソバの花畑を描いたという作品


柿本市郎「秋明菊」


杉村典重「インカの百合」


由水煌人「藤」


白坂幸蔵「しだれ梅」


特設ステージのイベントでは、加賀友禅PR大使である鶴賀雄子さんによる、
加賀友禅の魅力について語られるコーナーもありました。

金沢には犀川と浅野川というかつて友禅流しが風物詩であった川があり、現在も友禅流し
が見られるのは浅野川。浅野川は友禅に適した軟水であること。
友禅は冬の寒い水で糊を落とし生地を引き締め染料をピシッと定着させる。
虫食葉(わくらば)といわれる写実的な自然描写の表現があること。
加賀友禅の文様は日本画調の着る絵画であることなどなど。
加賀友禅の魅力についてたっぷりお話されました。

ミス加賀友禅のお二人。日本画調の加賀友禅の振袖とっても素敵ですね~ドキドキ


作家色の強い加賀友禅は、私の中では美人でないと着こなせない、美人きものだと思って
おりまして、自分では着こなすことができないと、なかなか手が出せずにおります汗
いつかは鶴賀さんのように美しく着こなせるようになりたいものです~。
年齢というより素材の問題でムズカシイでしょうかね…(・_・;)

でも、こんな加賀友禅のショールならいいかも~っと、こちらをいただきました(〃∇〃)ドキドキ

春先のお出掛けに重宝しそうです(^-^) 

無地の道行にサラッと羽織ると華やか度があがりそう。華美でなく上品なのが合格


加賀友禅伝統産業会館の紙袋は日本の色名と浅野川での友禅流しが描かれていました。


加賀友禅のぞうりの花緒も素敵ですねドキドキ


牛首紬もありました! こちらも見応えあり。
ご一緒した方は素敵な夏牛首を見つけてました。産地直下ならでは~。


加賀友禅の手描き体験や加賀刺繍、九谷焼の絵つけ体験のワークショップもあります。

お茶席もあり。


明治中期から後染め加工のきものになっていく牛首紬。
こちらは、小紋染めされた牛首紬の羽織。

制作は明治時代に織られ、大正時代に染められたもの。


こちらは、刺繍や箔の加工も施された加賀友禅。

やはり時代とともに移り変わっていくものですね。それもまた楽し。


加賀前田藩は外様大名であったため、徳川幕府に警戒されないよう芸術系の産業や工芸を
奨励しました。それは加賀友禅の発展の礎となり今日に伝わっています。

雪景色の東京です。
皆さま足元をお気をつけ下さいませ。私も気をつけます…(・_・;)

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日本の自然布展 at 大宜味村農村環境改善センター / 琉球染織巡りの旅 その8

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喜如嘉の七滝と長寿弁当 / 琉球染織巡りの旅 その7 のつづき

「芭蕉布今昔展」と併設して「日本の自然布展」が開催されました。


今回のツアーを主催された古代織産地連絡会の羽越しな布、大麻布、手紡木綿、葛布、
藤布、芭蕉布、宮古上布の工房が出展。生産者の方によるギャラリートークもありました。

芭蕉布の産地である喜如嘉で開催することによって、喜如嘉の方にも他の産地でも脈々と
つづけられている自然布の継承を知っていただく趣旨があったように思われます。

【大井川葛布】
葛布の特徴は緯糸につかわれる葛糸に撚りがかかっていないこと。
気品がある独特の光沢は他の繊維にはないもので、いつかは纏いたいと憧れているもののひとつ。
葛布をつかったボディタオル、夏の汗取りとしても良さそう←買いそびれました汗

傘フェチの私としてはやっぱり日傘が気になる。この琉球藍で染められた藍色も素敵でしたが、
自分の肌色とは今ひとつ合わないような気がしたので、緋色で染めていただくことにしましたビックリマーク


【羽越しな布】
科の木から皮を剥ぎ取り1年以上かけその繊維を糸にして織りあげる、しな布。
水に強く丈夫なことから、古来から日常的なものにつかわれてきたといいます。

私は夏のぞうりは科布のものを愛用しています。

新潟県村上市のさんぽく生業の里の國井千寿子先生
第1回の自然布ツアーはしな布の旅だったそうですが、皆さんが川を登る鮭に気を取られて
いたという話を盛んにされていました。大井川葛布の村井良子先生が「あれは絶対に宿が
飼っている鮭よ!」と力説していたのにはウケました。


【丹後藤布】
藤の蔓の皮からつくられる藤布。
藤布の帯はつかうほどに、しなやかに身体に沿うようになるのだそう。


【大麻布】
大麻は日本人の生活と密着したもので、戦前までは自家用の衣類や縄などにもつくられ
つかわれたそうですが、第二次世界大戦後GHQからの指示によって禁止され現在では
許可制のみでつくられるようになります。

栃木県にある大麻博物館館長の高安淳一先生。
この旅では撮影にたくさんご協力をいただきありがとうございましたm(_ _ )m
こちらは伊勢神宮の神宮大麻といわれるお札。神事には古来より大麻は欠かせないもの。

大麻で織られたストール。夏は水に浸して羽織っていると涼しく気持ちが良いのだそう。
とってもしなやかで柔らかい質感です。


【宮古上布】
宮古上布の糸の原料は、イラクサ科の苧麻。
苧麻の繊維(生ブー)を指や爪で細く裂き、結び目をつくらずに指先で撚りつないでいきます。
経糸は2本撚り、緯糸は1本撚りで分業制。撚りつないだ糸は10ヨミくらいになると、
(長さにして6,000m)糸車で撚りかけをして仕上げます。

宮古織物事業協同組合の専務理事でいらっしゃる上原則子先生とカメラ
いつか上原先生の織られた宮古上布が着たいです~。


【手紡木綿】
和棉は断面が空洞になっていて速乾性があり、通常の米綿とは違い柔らかく着心地
が良いのだそうです。


小峰和子先生と永井泉先生。若い世代にも自然布は継承されています。


喜如嘉公民館にて開催された、シンポジウム「自然布の行方」のレポートにて補完します。

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ひろいのぶこ先生「樹皮と草皮の布、その可能性」at 喜如嘉公会堂 / 琉球染織巡りの旅 その9

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日本の自然布展 at 大宜味村農村環境改善センター / 琉球染織巡りの旅 その8 のつづき

「芭蕉布今昔展」の会期中に講演会とシンポジウムが開かれました。


前評判も高く大勢の方がいらっしゃることが予想されましたが、朝は那覇にあった雨雲が、
ちょうど講演会がはじまる頃に喜如嘉にやってきてしまったらしく、土砂降り雨
あまりの雨足の強さに足が遠のいた方もいらしたかもしれず、残念ですね(ノ_-。)

会場となった喜如嘉公会堂は芭蕉布会館の向かい側にあります。
芭蕉布会館の裏山は彼岸桜が満開でした*さくら*


京都市立芸術大学美術部教授のひろいのぶこ先生による講演会
「樹皮と草の皮の布、その可能性」

ひろい先生は日本だけでなく世界中の染織の産地を直接訪問し、つくり手の方から話を
聞き克明に記録をされてきました。時には自身も体験し、つくり手と同じ方向から見ること
によって、素材や技、そしてつくり手の想いを知ったのだそう。
芭蕉布との出会いが染織の研究を志すきっかけともなり、この地でこういう機会を与えられた
ことに縁を感じられたとのこと。


丹波藤布の藤の採取から糸づくり、大麻布の栽培から糸づくりなどの記録のお話や
世界各国の織物の原風景を訪ねられたお話などから。


お話の中から、いくつか印象に残った文言をφ(.. )

日本で靭皮繊維がつくられつづけているのは、平均寿命が伸びたことによって可能となって
いることもある。(喜如嘉のつくり手の方々の平均年齢を考えるとまさに…。)
日本列島は南北に長く文化も長い。
そして自然に多様性があることによって、他の国と比べると植物の種類が豊富。
自然布は首都圏から一定の距離がある交通の便が悪いところに残っている。
(喜如嘉は那覇から2時間、丹後は京都から1時間半、しな布はどこからも遠そう…)
豊かな暮らしはものの量ではない、ものの質である。


ひろいのぶこ先生著 人は何をまとってきたのか「織物の原風景~樹皮と草皮の布と織~」
植物の根と先端という部位による繊維の方向性に視点をすえて制作工程を現地調査した
記録の集大成。植物の採取から糸づくり、機織りまでの工程がイラストで解説されています。
韓国、中国、フィリピンの織りの風景の様子にも興味津々(-_☆)


amazonから購入できます矢印
織物の原風景―樹皮と草皮の布と機


染織文化講座の開講にあたって、自分が寄稿した文からの引用ですが、
~現代の生活ではきものはなくても困らないものですが、私たち日本人にとってのきものは、
ただ肌を隠すものでも寒さを凌ぐものでもないはず。
私は作り手には なれませんが、世界に誇れる民族衣裳であるきものを着る人でありつづけたい、
そしてそのためにきものの良さを知り、次世代へ伝えていきたいと願っています。

ー 朝香沙都子 「きものカンタービレ♪」主宰 ー

染織文化振興会のHPがリニューアル されています。

ひろいのぶこ先生の「つくり手の代弁者であり記録人」という姿勢は、私の目指すところ。
遠く果てない道ですが、光明も見えたような…。この旅はとても有意義なものとなりました。
染織どっぷりで美ら海もほとんど見ていない旅ですが、沖縄滞在3日目の海でみた夕日は
絵に描いたよう。


次はシンポジウム「自然布の行方」です(^-^)/

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古代織産地連絡会シンポジウム「自然布の行方」at 喜如嘉公会堂 / 琉球染織巡りの旅 その10

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ひろいのぶこ先生「樹皮と草皮の布、その可能性」at 喜如嘉公会堂 / 琉球染織巡りの旅 その9 のつづき

ひろい先生の講演会の後は、自然布の生産者でもある古代織産地連絡会の方々を
パネリストとしてシンポジウムが開催されました。


布の原点である自然布。麻を栽培し繊維を取る以前、遥か昔の話(縄文時代から)ですが、
古代の人々は野山に自生する靭皮繊維から布を織っていたといいます。

植物繊維は大きく3つにわけられます。
◎種子繊維(木綿)
◎靭皮繊維(大麻、苧麻、亜麻、葛、科など)、
◎葉脈繊維(芭蕉、マニラ麻、パイナップル、竜舌蘭など)

自然と共存し昔からつづく糸から取り出し布を織る人々のお話は、各産地の布の特色から
新しい取組までが紹介され、さらに新しい展開、自然布学会(仮名称)の設立へ向けての
天望のお話もありました。


以下、今回の自然布ツアーでお聞きしたお話からザックリですがまとめますφ(.. )

【しな布】
新潟県村上市•さんぽく生業の里から國井千寿子先生
山形県関川•関川しな織協同組合から五十嵐千江先生

科の木が成木となるには15~20年。梅雨の時季に伐採し皮を剥ぎ内側の皮のみ乾燥。
夏に乾燥した皮を灰汁で煮て、柔らかくなった皮を石や竹棒で扱いて繊維を取り出す。
さらに米ぬかで発酵させ柔らかくし、冬になったら糸にしていく。糸には撚りを掛ける。
しな布は、水に強く、涼しく、軽い、樹の恵みの布。

ウエルカムパーティーで五十嵐先生が着ていらしたしな布の帯。
きものの格子もしな糸が入っていた?←後で確認します。


【丹後藤布】
京都府与謝野町の芙留庵 加畑兼四郎氏の後継者である小西暢子先生

藤布の材料になるのは丹後の山に自生する藤。5年ぐらい経ったものがベスト。
藤蔓は、鬼皮、中皮(アラソ)、芯の3層からできていて、藤布につかわれるのは中皮の部分。
原始布ともいわれるぐらい日本では古くから織られていたという藤布は、肌にも良いとされ
昔の文献にも記述がみられる。水に強く柔軟性がある。
藤布の帯はつかうほどに身体に沿うようになるとのこと。


【葛布】
静岡県島田市•大井川葛布から村井龍彦先生と村井良子先生

静岡県西部周辺でつくられている葛布は、経糸は木綿、麻、絹などをつかって緯糸は
撚りを掛けない葛の平糸で織られている。独特の光沢がある。
1712年(正徳12年)刊行の「和漢三才図絵」では葛布は芭蕉布や晒布とならぶものであり、
掛川の名産だったことが記載されている。
葛はつる性の植物なので糸にするときの天地の方向性(根のほう天のほう)は気にしない。
梅雨の時季に収穫して1年かけて糸にしていく。
直線的でバリッとしたカッコイイデザイン。公家の葛袴としてつかわれていた。


【大麻布】
栃木県那須•大麻博物館館長の高安淳一先生

大麻は昔から日本で盛んに栽培されていた農作物のひとつ。古来から日本で栽培されて
きた大麻草には麻薬成分をほとんど含まない。戦前までは自家用の衣類や縄などにもつくられ
つかわれたそうですが、第二次世界大戦後アメリカからの指示によって禁止され、現在では
許可制のみでつくられるようになる。
麻は成長が早い。※麻の葉文様が子供の成長を願う文様なのはここから。
繊維はチューブ構造になっているので、空気を含み湿気を放出する。夏涼しく冬は暖かい。
糸にするときの天地の方向を揃えることによって、植物が生きていた状態を封じ込めることが
できる。←苧麻、大麻、芭蕉など。
神事には大麻は欠かせないものであり、伊勢神宮の神宮大麻というお札にもなっていて、
お浄めの道具としてもつかわれている。


【宮古上布】
沖縄県宮古島•宮古織物事業協同組合から上原則子先生

1mに成長した苧麻を年に4~5回収穫。ミミ貝でしごいて繊維を取っている。宮古上布は
苧麻の栽培、糸績み、絣締め、絣締め、染め、砧打ちの全行程を宮古島で分業制で行なっている。
速乾性があり、風が身体を通り抜ける涼しい布。とても丈夫で三代はもつ。
最近は細い糸をつくる人が減ってきているというお話も。


【手紡ぎ木綿•和棉】
十絲の会から小峰和子先生と千葉県船橋から永井泉先生

種子繊維である和棉。棉は繊維が長く、断面が空洞になっていることにより速乾性があり、
通常の米綿と違って柔らかく着心地が良い。吸湿性、速乾性に優れて暖かいのが特徴。
米綿が入ってくるまでは、日本の風土にあった和棉がつくられていた。
棉栽培から糸紡ぎまで一貫して布をつくっている。春に種を蒔き秋に収穫。棉の実の周り
についている棉毛を紡ぐ。1kgの棉できもの1反。1人が毎日紡いでひと月かかる。
木綿には「木綿往生」という言葉があり、きものの後は襁褓、雑巾、最後は灰にしてつかいきった。
機械紡績と手紡ぎの違いは機械紡績だとタンパク質がなく草木染めがしにくい。
手紡ぎは繊維と繊維の隙間に空気を含み染料が入り染めつきが良い。


【芭蕉布】
沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉•喜如嘉芭蕉布事業協同組合から平良美恵子先生

糸芭蕉は成熟するまでに2~3年かかり、繊維を柔らかくするためには年に3~4回葉と芯を
切り落とし根と先の太さが一定になるようにする。きものの着尺1反をつくるのには約200本
の糸芭蕉がつかわれる。色が良く滑らかで軽くて涼しいが寒さと乾燥に弱く破れやすい。
しかし海水にはとても強い利点があり船をつなぐロープにつかわれていた。
喜如嘉では織りあがった芭蕉布の最後の仕上げの工程を洗濯という。精練し乾かした反物
をユナジに浸して中和させるとある。ユナジとは米粥に米粉と水を加えて発酵させたもので、
米酢でも代用できる。

「芭蕉布に作者はない。芭蕉布は生きつづけている。キレイに洗って解いて仕立て直して、
多くの方に見て欲しい」 と平良美恵子先生のお話にはありました。
近い将来、喜如嘉の地で再び見られることを期待しております!


経済だけを考えたら自然布は残らない。自然布は文化である。自然布に内包する知恵と
叡智を考えてみる。四季がある日本では、季節にあわせて柔軟に身体をつかって仕事を
してきたが、現在の日本人の生活では面倒なこと。しかしその面倒なことをやってみると
ものの捉え方も違ってくる。日本に根ざしている日本の心がわかる。ものを大切にする
心が得られる。

「服薬」という考え方は、薬となる染料で染めた布を纏うことで、肌から身体に
薬を取り入れると考えられていた。それでも効かない場合には煎じて飲むこと。
これが今日の内服薬の語源となっている。

自然布の歴史を知り、過去の技術を研究し、それを現代に応用し生かしていく。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*

会場には、この会のために(この日は大雨で寒かった)芭蕉布を着ていらした方がいらっしゃり、
その方が「芭蕉布は着ているほどに身体に馴染んでくる。芭蕉布は着る人が育てる」と
お話しされたのが、とても印象的でした。
私は度々「きものを着倒す」という表現をつかっていたのですが…、反省汗
これからは着込んで育てたいと思います!ああ、芭蕉布が着たくなりました:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

ものは溢れている今の生活ですが、本当に必要なこと、大切なものは何か?
自然と共存し、先人たちの思いをつないでいく。深く考えさせられました。
考えられることも幸せなことですね。すべてのことに感謝しつつ…。

獅子舞演舞へとつづきます(^-^)/


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勢理客の獅子舞 at 喜如嘉公民館 &琉球料理 &最終日の夜/ 琉球染織巡りの旅 その11

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沖縄の伝統芸能のひとつ、浦添の獅子舞。

獅子舞は旧暦八月十五夜の村遊びの行事として古くから伝わる伝統芸能。
浦添の獅子舞は舞の種類が多く、勢理客13種、内間、仲西9種が伝えられていて、
勢理客の獅子舞は国無形文化財にも指定されています。 ※浦添市観光協会HPより参照

こちらは子供による獅子舞。あとででてくる大人との大きさを比べてみてください。

勢理客の獅子舞は400年つづく歴史があります。
大きく踏み込む足運びに特徴があるのだそう。

とてもユーモラスな動きで可愛いドキドキ


で、こちらが大人による獅子舞。デカっ( ̄□ ̄;)!!

獅子頭を支える前の人は足を90度まで上げる豪快な歩き方。

後の人は腰を半分に折った状態で足踏みをつづけ尻尾を振り続けます。


獅子の毛はどちらも芭蕉の糸で出来ていますビックリマーク 「芭蕉布今昔展」でも展示されていました。
芭蕉は沖縄全土でつくられていた名残でしょうか。

動きで芭蕉の毛が飛び散ってました(゚_゚i)


この日の夜は、名護にある琉球料理のお店で懇親会。

琉球料理にオリオンビールそして泡盛

三線ライブで琉球民謡を歌ってくださいました。
琉球絣の柄は琉球舞踊の演目によっても決まったものがあるようです。

懇親会では、芸に秀でた方がいらっしゃり楽しかった♪ 
即興で獅子舞をされた方々、最高でしたо(ж>▽<)y ☆


喜如嘉の芭蕉布•自然布ツアー最終日のホテルでの夕食会の写真は撮り忘れました(-。-;)
日中の芭蕉布ワークショップで力を使い果たしたかな汗
なのでこの時のコーデの写真もありません。→久米島紬に城間栄順先生の紅型帯。
大井川葛布の村井良子先生が歌った「糸」に感動して涙しました。

二次会では、このツアーの皆さまと別れてからの琉球染織巡りの案内をお願いした
「ぬぬぬパナパナ」主宰の浦令子さんと琉球絣の大城拓也さん、喜如嘉の芭蕉布工房
「風苧」の平山ふさえさんも合流して自然布について熱く語った夜でした~。

そういえば、JALプライベートリゾートオクマではあまり写真を撮っていなかった(・_・;)
宿泊先ホテルに入るとスイッチが切れるのか、写真がないことに後で後悔する私。


琉球染織巡りの旅、まだまだつづきます(^-^)/

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瀬底島の紅型工房「べにきち」へ / 琉球染織巡りの旅 その12

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勢理客の獅子舞 at 喜如嘉公民館 & 琉球料理 & 最終日の夜/ 琉球染織巡りの旅 その11 のつづき

「喜如嘉の芭蕉布•自然布ツアー」の古代織産地連絡会の皆さまを、名残惜しくお見送りし、
ここからは別行動で琉球染織巡りの旅へビックリマーク

免許はあれどペーパードライバーの私、沖縄は何度も来ているけれど、いつもリゾートホテルで
ゆったりくつろぎ旅行なので、土地勘は全くない…。
そこで、沖縄に詳しいぬぬぬパナパナの浦さんにご相談すると、ご一緒くださるとのこと!
しかも琉球絣の大城拓也さんが車の運転をしてくださいました~。何て贅沢な案内(〃∇〃)ドキドキ

まずは前々から行きたいと願っていた瀬底島の紅型工房を目指します車

オクマから喜如嘉を通り、絶景のドライブコースの古字利大橋を通って瀬底大橋を渡りました。
こちらは瀬底島のビーチ。何て美しい~キラキラ


紅型工房の「べにきち」。工房の前は紅白のブーゲンビリアが花盛りでした。


「べにきち」さんを知ったのは、2年前ぐらいだったでしょうか。沖縄旅行前に何かのパンフの
沖縄土産特集に載っていた、小さな紅型の髪飾り?をみたのが最初だったと思います。
とっても小さいながらに、これは私好みだビックリマークっとピンひらめき電球と来るものがあり、この時は工房へ
は伺えなかったのですが、後日、日傘を注文させていただきました。

ブーゲンビリアの日傘

Flowerの日傘


さて念願の訪問です。ちょうど工房を改装され新ギャラリーがオープンでしたビックリマーク


あ、素敵な日傘がある~♪

可愛らしい小物もビックリマーク


紅型作家の吉田誠子さんとカメラ
伝統的な紅型の技法をつかった独自の世界観をお持ちでいらっしゃると思います。ファンですラブラブ

前々からお願いしたいと思っていた「木立」の帯。
ヘゴの葉の中に、アカショウビン、アカヒゲ、サンコウチョウ、リュウキュウキンバト、
メジロ、キビタキ、さまざまな鳥たちが染められています。でも虫がいる…(゚_゚i)

虫が苦手の私…。この帯は全通だったので私は6通のタレ無地で(全通のほうがお高い)
虫が目立たないように染めたものをつくっていただくことにしました(^-^)/
こちらの帯は、浦さんがお買い上げ。やったー、浦さんとお揃い♪

私は毘沙門亀甲文様の懐紙入れと月桃の名刺入れをドキドキ


こちらが工房になっています目

色挿しされるところもチラッとみせていただきました。後にいるのは拓也さん。


紅型工房「べにきち」の前でパチりカメラ
この訪問がご縁で、べにきちさんは「ぬぬぬパナパナ」に出展されることになりました。
べにきちさんの作品を肉眼で御覧になりたい東京と関西の方はチャンスひらめき電球
私も布と纏う人の端々をつなぐお手伝いができたかしらんっと、ちょっと嬉しい♪

撮影してくださたったのは、吉田さんのご主人。
海の男で、何とテントを背負って沖縄1周泳いだのだそうです。すご~い。
食事はどうしたのかお聞きすると、食料は事前に砂に埋めといたとのこと( ̄□ ̄;)!!
お持ちのカメラは水中撮影ようのものでした。


瀬底島を後にする前に、瀬底ビーチへ。

透き通った美ら海です!

そしてこちらが、グンバイヒルガオ。
グンバイヒルガオの中でグンバイヒルガオの紅型の染め帯を里帰り。

砂浜に咲くグンバイヒルガオ。葉っぱが軍配に似ているからだそう。なるほど!
沖縄の方言ではアミフィーバナ、ハマカンダーともいうそうです。


さあ南へ向かいますビックリマーク
今回の旅の着回しはまとめて記事にすることにしました(^-^)/

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琉球かすり会館へ / 琉球染織巡りの旅 その13

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瀬底島の紅型工房「べにきち」へ / 琉球染織巡りの旅 その12 のつづき

瀬底島に別れを告げひたすら南下。沖縄本島って広いんですね…。
途中、国際色豊かなアメリカンなハンバーガー屋さんにてランチナイフとフォーク 

いよいよ、琉球絣の生産量の90%を占める南風原の町です。
琉球絣事業協同組合が入っているかすり会館へサーチ


絣の技法はインドからはじまったといわれています。東南アジアを経由して14~15世紀頃
に琉球に伝わってきました。琉球王朝の交易時代でもあり、中国や日本本土の影響を受け
ながら、琉球の自然と風土にあった絣が各地でつくられるようになります。

平良美恵子先生が「琉球絣は昭和のはじめまでは、オロククンジーだったのよ」と、おっしゃって
いたので、オロククンジーとは何ぞや?と謎だったのですが、後で調べてわかりましたひらめき電球

オロククンジー=小録紺地。小禄(オロク)でつくられる紺地(紺色はクンジーといわれる)のこと。
琉球王朝の産業を築いたとされる儀間真常が薩摩から木綿の種を持ち帰って、木綿栽培と
織物を育成したとありました。
儀間真常はさつま芋を中国から広めたり、黒糖の製法を伝播したことで有名。
昭和10年頃までは、小禄、豊見城、垣花の三つの村で琉球絣が盛んに織られていて、
藍染の木綿に白絣が特徴だったのだそう。沖縄では三村節として歌い継がれています♪

現在の琉球絣は90%以上を南風原にて生産しています。素材は絹が90%。
こちらは夏ものの琉球壁上布。上布という名がついていますが、絹です。


琉球絣の模様は約600種類あるといわれ、モチーフは自然や生活道具、鳥などから。
図案は琉球王朝のころから伝わる「御絵図帳(みえずちょう)」から職人がアレンジし
オリジナルをつくりあげています。御絵図帳とは琉球王朝時代に貢納布として織らせるための
デザイン帳。琉球王朝には絵図奉行という職があり、模様や染色にも指定がありました。


琉球絣の工程は32工程。 ※写真は琉球絣事業協同組合のパンフレットより
大雑把にいうと、図案をつくり、糸を括り、染め、織るのですが、絣がズレないように糸を糊で
固める「糊づけ」、絣模様になる部分を木綿糸で括る「手結」、経糸の地糸と絣糸を同時に
筬に巻き取る「巻取り」など、琉球絣の特徴となる工程があります。


琉球絣事業協同組合では後継者育成のための研修制をされていて、公募によって
集まった研修生は7ヶ月間琉球絣について学ぶことができるのだそう。

ああ、色とりどりの琉球壁上布が織られている~(≧▽≦)♪


絣の模様が設計図案とあうように筬通し幅でつけられる印を「耳じるし」といいます。
これも琉球絣にみられる特徴のひとつ。あ~、こちらもモロ好みだわ~(〃∇〃)恋の矢


奥では絣分けをされていました


染色室

キツネノマゴ科の琉球藍。 水飴や泡盛を入れるそう。


糸繰り機。

糸の整経台。糸がかかっていないのでわかりにくいのですが…汗


綜絖にかける前に図案と照らし合わせながら経糸の地糸と絣糸を同時に筬に巻き取る

巻き取り。


綜絖掛け。分業制である琉球絣の綜絖掛けはある一族の方が一手にされているのだそう。


2階ではプロの方々が織られていました。

♪~シャートントントン、という機音が研修室と違う! とっても軽快でリズミカル(ノ゚ο゚)ノ

琉球絣の高機は木製で竹筬そして糸綜絖なのも特徴。


テッシュカバーが琉球絣の口織りでした。口織りとは、産地や制作者を織り込むこと。

これは口織りの練習用に織られた反物でつくられたようですね(゚ー゚;


こちらが琉球絣の製品検査場です。

検査基準の解説に興味津々。
項目は長さ、幅、織り密度、傷、わずかなツレなども見逃されません。

この厳しい検査基準があるからクオリティーの高い作品をつくりつづけることができるのでしょう。
合格すると証紙シールが貼られて市場にまわります。


琉球かすり会館の中にはショップも併設されています。
琉球絣がズラリ~。私、テンションがあがり過ぎて、全体を撮影し忘れました(x_x;)

二玉の絣が欲しかったのですが、やはり今はほとんどつくられていないそう…汗
今回は色がキレイな琉球壁上布を。

あと、織っていらした琉球壁上布を予約させていただきました~♪


琉球絣事業協同組合の皆さま、大城拓也さん、解説をありがとうございましたm(_ _ )m
琉球絣、きもの文化検定1級問題で出題しやすそうですね(-_☆)

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きもの文化検定 パーティー at 京都ホテルオークラ @なう

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きもの文化検定 合格者表彰式&記念パーティークラッカー

日本工芸会60周年を意識して、今年はこちら。
故森口華弘氏の蒔糊友禅の訪問着に北村武資先生の経錦の袋帯をコーディネート
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おめでとうございます^_^
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琉球染織巡りの旅レポートの途中ですが、京都に滞在中。
しばらく「なう」と Facebookページ にて記事をあげます(^-^)/

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