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歌舞伎座
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通し狂言「仮名手本忠臣蔵」 / 歌舞伎座新開場 杮茸落十二月大歌舞伎
今年の歌舞伎座は11月と12月で配役を変えて「仮名手本忠臣蔵」が上演されています。
11月はベテラン名優、12月は若手花形俳優による顔合わせ。
歌舞伎座新開場で盛りあがるこの年に、何故にふた月つづけて同じ演目を上演?
違う演目のほうが、より多くの客層による集客があるのでは…(・_・;)? 、、、っと、
余計なお世話なことを思ったのですが、これには古典歌舞伎の規範ともいえる作品
「仮名手本忠臣蔵」を次世代へ継承していくという大きな意図があるのだそうです。
なるほど~(ノ゚ο゚)ノ、本物の伝統芸能を継承していくための奥深さを感じました。
ベテランと若手を見比べるのはファンにとってもまた楽し♪ですしね。
通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の見どころのひとつ。「大序」
「大序」とは浄瑠璃作品の序段部分の総称のことですが、今では「大序」といえば
「仮名手本忠臣蔵」のように思います。初演が人形浄瑠璃であった名残でしょうか。
まず開幕に先立って、定式幕の中から裃姿の口上人形が登場します。
「えっへん、えっへん」と咳払いをしながら、役名と出演俳優を紹介し、
「お茶、お菓子などを召し上がりながら、ゆるゆるゆるゆるゆるゆる…、とご見物のほど」
っととぼけた顔で口上を述べます。
昔々の芝居小屋の雰囲気が伝わってくる今では「仮名手本忠臣蔵」のみの演出ですが、
はじめての歌舞伎鑑賞におすすめです
忠臣蔵といえば「時は元禄15年、…」言わずもがな江戸時代のこと。
1701年(元禄14年)3月14日、江戸城内において御勅使饗応役の赤穂藩主浅野内匠頭が
高家筆頭吉良上野介に刃傷に及んだ松の廊下刃傷事件、これによって内匠頭は即日切腹、
浅野家は改易断絶。翌年1702年(元禄15年)12月14日深夜に、元赤穂藩国家老大石内蔵助
率いる47人の赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、上野介を討ち取って亡き主君の恨みを晴らした
という、元禄赤穂事件を題材に脚色されたもののことです。
江戸時代は徳川幕府による風紀統制がなされていました。この類いの御家騒動はある面では
幕政批判に通じ兼ねないことから、人形浄瑠璃や芝居において違う時代や人物設定に置き換える
ことで免れていたのです。
「仮名手本忠臣蔵」も時代は南北朝、表向きは「太平記」の設定に置き換えられています。
しかし、松の廊下刃傷事件の引き金になったともいわれる装束の大紋や江戸小紋の裃などは、
もちろん南北朝時代にはないものです。
人間関係も「太平記」とは全く違ったもので…、まあ無理矢理なものです
なので、太平記の予備知識は必要なし。あると反って混乱するかもσ(^_^;)
【配役】
塩治判官(浅野内匠頭) → 尾上菊之助
顔世御前(阿久里のちの瑤泉院) → 中村七之助
大星由良之助(大石内蔵助) → 松本幸四郎
大星力弥(大石主税) → 尾上右近
斧九太夫(大野九郎兵衛) → 松本錦吾
加古川本蔵(多胡真蔭) → 中村勘之丞
薬師寺次郎左衛門(庄田安利) → 片岡亀蔵
石堂右馬之丞(多門重共) → 市川染五郎
桃井若狭助(亀井茲親) → 市川染五郎
足利直義(柳原資廉) → 坂東巳之助
高師直(吉良上野介) → 市川海老蔵
鷺坂坂内(吉良家の家来) → 河原崎権十郎
早野勘平(萱野勘平) → 市川海老蔵
おかる(おかる) → 坂東玉三郎
南北朝のころのことです。
鎌倉幕府打倒を志し後醍醐天皇の下で戦った足利尊氏と新田義貞ですが、尊氏は
征夷大将軍となり室町幕府を開き、のちに藤島の戦いで新田義貞を敗ります。
そして鎌倉鶴岡八幡宮を造営し、弟である足利直義をその勅使として差し向けます。
その饗応役として命じられたのが、塩治判官と桃井狭之助、そして儀典指導は足利家の
執事である高師直という設定。
義貞は源氏の嫡流なので義貞の遺品の兜を八幡宮に奉納し人心をまとめようとする
尊氏の考えに基づいて、義貞の兜を検分するところから物語ははじまります…。
高師直(吉良上野介)の海老蔵…、こういった役もこなせるのかと意外!?。
塩治判官(内匠頭)の菊之助の纏う空気感が素晴らしい…。瞬きひとつに無駄なし。
「通さん場」といって客席の出入りを禁止する緊張感ある、切腹シーンは空気が張りつめていました。
そして、玉三郎の美しさ
重ーい、昼の部が一気に華やか。海老蔵よりもお若く見える!
この日はマスコミ取材日だったので場内には記者や演劇評論家の方が大勢いらしてました。
大学時代の親友の某新聞社文化部記者に再び遭遇!立場違えど色んなところで会ってしまふ。
事件を追って(事件じゃないけど)元恋人(違うけど)とはち会わせる話が漫画かドラマにあったような…
歌舞伎座地下の木挽町広場では忠臣蔵祭りが開催中
浅野内匠頭が無念の切腹を遂げた田村町屋敷跡にある新正堂の切腹最中。
お詫びのお品としても大願成就のお品としても、話題性もあっておつかいものにおすすめ
風さそふ 花よりも猶 われはまた 春の名残を 如何にとやせん
浅野内匠頭の辞世の句
子供の頃から時代劇が好きで、中でもとくに忠臣蔵は好きでした。
そして浅野内匠頭の辞世の句を書の練習で書いたりしてました。
判官贔屓というか、男の生き様(死に様?)に憧れてしまふ日本人の典型かしらん。
この時期になると、瑤泉院の着ていた被布衿の道行を思い出したように欲しくなります…(・_・;)
コーディネートは別記事で(^-^)/
歌舞伎鑑賞のきもの 歌舞伎座にちなんだ装い / 歌舞伎座新開場 杮茸落十二月大歌舞伎
歌舞伎にはガラコンサートのような決まりごとのドレスコードはありません。
歌舞伎史上、歴史的な幕開けの日であった新開場初日にはお祝いの気持ちを込めて
一つ紋付訪問着という準礼装にいたしましたが、通常の観劇では役者さんにちなんだ文様や
演目にあわせた装いにするなどして楽しんでいます。きものならではのお楽しみですね♪
さて、この日の演目は忠臣蔵。
忠臣蔵といったらまず思い浮かぶのは、火事装束の黒地に水を表す白い三角の山形文様。
もしくは大石家の家紋の二つ巴紋でしょうか
惜しいことに、三つ巴文様の入っている小紋はあるのですが、う~む
なので、歌舞伎座の鳳凰にちなんで、鳳凰文様の帯にいたしましたヾ(@°▽°@)ノ
鳳凰の形は違うのですけど、鳳凰つながり~。
エントランスの絨毯は平等院鳳凰堂中堂母屋に描かれている繧繝菱形の咋鳥文。
花喰鳥も良いですね
または、川端龍子の「青獅子」にあわせて獅子に牡丹とか…。名画と共に
歌舞伎座は日本画の名画鑑賞スポットでもあります。
3階には額装された色紙や署名落款があるのでお見逃しなく。
紅白のお餅が入っている、めで鯛焼きもおすすめです
歌舞伎座の中でお気に入り場所になりつつある喫茶室の檜。
大倉陶園のセットが落ちつく~。歌舞伎座限定和栗モンブラン。ごちそうさま
【12月4日の装い】東京◇晴れ / 最低気温9℃ 最高気温15℃
千總の横菊文様の小紋に龍村美術織物の鳳凰紋の織なごや帯をコーディネート。
古典柄の華やか小紋は歌舞伎鑑賞にあいます
帯あげは京都きねや、帯〆は龍工房
白地に金の鳳凰紋はあわせやすく万能。準礼装の軽い訪問着や付けさげまで合わせられます。
雪の結晶のバッグは、かづら清老舗
ぞうりは神田胡蝶。太めの花緒と大きな台がぼってりしてるのですが、それもまた良し。
歌舞伎座のきもの率は東京で一番ぐらいに高いと思います。
そして「きものカンタービレ♪みてます!」っとお声がけされるのも東京では歌舞伎座がダントツ。
あわあわ…(°д°;)してしまいましたが、見てくださっていることに感謝いたします
ありがとうございます!←きちんと御礼がお伝えできたかしらんと気になっておりました。
これからも宜しくお願い申し上げますm(_ _ )m
「きもの•装いの美 百選会•上品會の歴史 〜髙島屋コレクション〜」 at 佐野美術館 / 百選会
静岡県三島市にある佐野美術館にて開催中の
「きもの•装いの美 百選会•上品會の歴史 ~髙島屋コレクション~」へ
(2013年10月12日~12月23日まで。展示替えあり。11月22日~より後期展示)
1831年(天保2年)に飯田新七が創業した「たかしまや」は当初は古着木綿商。
蛤御門の変にて店舗を焼失したことをきっかけに古着屋を廃業して木綿呉服商となります。
その後、1888年(明治22年)バルセロナ万国博覧会を皮切りに、優れた技の染織作品を
発表し数々の賞を受賞。下絵を竹内栖鳳はじめとする京都画壇の画家に依頼し、卓越した技
を持つ千總や龍村などとの親密な関係を築き、素晴らしい染織作品を残していきます。
染織文化講座での髙島屋呉服DV部長 池田喜政さんによるお話にもありましたが、こちら☆
髙島屋は松坂屋、白木屋、三越、大丸などと比べると後発だっただけに、新しい感覚の
デザインを打出していて、「ウルトラモダン」「アバンギャルド」とも評されます。
それはどんなものだったのか?
昭和30年~50年頃につくられた百選会の作品群。私的にはストライクど真ん中の好み
百選会は1913年(大正2年)にはじまり戦争で一時中断した後、1994年(平成6年)まで
つづいていました。今はもうないのが本当に残念…(_ _。)
美術史家の中井宗太郎をはじめ、与謝野晶子や堀口大學文化人を顧問とし、毎回流行色と
テーマと標準図案を提示し、全国の産地から染織品の新柄を募集して、髙島屋が審査し、
展示即売する会でした。これによって髙島屋は新しい意匠の流行を仕掛けていきます。
今展示会では、百選会の歴史を写し出した写真やテーマと募集する新柄傾向が解説
された趣意書、標準図案なども展示されていました。
流行の変遷と時代背景を照らし合わせてみるとさらに面白いです。
歌人の与謝野晶子は1818年(大正7年)から百選会に関わり顧問となります。
歌心を触発されたのか、きものや染織の技などを題材に読んだ歌453首が今年になって
明らかになっています。これらはどの歌集にもおさめられてません。
春の衣 京の工人 色糸に たそがれを織り あけぼのを織る
ひんがしの 日の出の色を わが帯の 一端にだに 置かまほしけれ
花いかだ 花ぐしのごと 美くしき 京染の袖 誰れ振るならん
わたつみの うしほの色を 上に着て 風流男(みやびお)たちに もの云ひてまし
百選会の選定色にも「平和色」「聚楽紅」「慶長紫」「月の出色」など286色に名前を
つけています。平和色は淡い緑色、月の出色はマスタードのような色でした。
百選会の最大の特徴は、髙島屋が色とデザインのテーマを設定したことにあります。
そのテーマや趣意書の内容は大正末期より「婦人画報」に掲載されています。
作品の制作側だけでなく雑誌媒体をつかって着る側にもアピールすることによって、
百貨店が流行を牽引していました。
【百選会審査の流れ】
•三都(東京•大阪•京都)の髙島屋が顧客の意向持って。
•髙島屋の海外視察員は(巴里•紐育•倫敦•伯林)から世界の流行を報告、
•当代の文芸家、書家、学者、詩人、流行評論家、などから意見をもらう。
●「百選会趣意書」がつくられます。
選定色(流行色)の見本裂が添付された小冊子で、公募対象になる染織業者に配布。
•全国各産地に係員が出張して流行趣意の徹底を図る。
•京都において「趣意書発表会」が開かれる。
●三都の髙島屋衣装部を通して「標準図案」がつくられる。
設定されたテーマ、趣意にそって髙島屋社員が制作。社外からの公募図案を含め千点に
及ぶ図案、入選図案を改めて標準図案として発表。標準図案集を配布。
•そして公募作品作品は全国から京都へ。
●百選会の顧問、三都店舗の代表審査員によって「百選会審査」。
●三都の髙島屋にて百選会が開催され、お客様のもとへ。
訪問着「新車試乗」 1960年(昭和35年) 第96回秋の百選会
自家用車が国民に普及していくころです。テーマは「第二の自然」
スバル360の発売がこの頃だそう。そういえば車もこの頃の形が好みだなあσ(^_^;)
訪問着「近代設計」 1958年(昭和33年) 第90回秋の百選会
高度経済成長登り坂の頃です。この年の百選会のテーマは「第三の美」。
これは、「第三の火」といわれた原子力にかけた言葉で、当時は未来への希望であった
あたらしい原動力たる第三の火に相応しい創造力が求められたようです。
「未来といえども現在の継続であり、創作といえども熟練の成果である」
科学的事象も染織で表現することが提唱されています。
訪問着「スリーランホーマー」 1961年(昭和36年) 第99回秋の百選会
テーマ「イルミナション(発光調)」
スリーランホーマーって野球用語ですよね…・長島や王が現役で活躍したころでしょうか?
絵羽羽織「野の娘」 1976年(昭和51年) 第142回春の百選会
テーマ「リナシータ きもの 対比の美」
きものらしいきものからの脱却の時代だったと注釈されていましたが、保守的ではないも
のの美しい。
訪問着「スーパーカー」 1978年(昭和53年) 第150回秋の百選会
スーパーカーブームの頃でしょうか。スーパーカー消しゴムをボールペンのノック力をつかって
進ませる遊びが流行ったなあ…っと沁沁。
テーマ「美しきメッセージ あなたによるあなたのためのあなた自身のきもの」
百選会は1994年(平成6年)をもって最後となってしまい、とっても残念なのですが、きもの
を着るだけで特別感?のようなものが生まれてしまう今では、モダンで革新的な新柄意匠と
いうのはムズカシイのかもしれません。
きものを着ることが自然であったら、時と場合に応じて古典的なものからモダンなものまで
装いを着分けるという楽しみがあるのですが…。
呉服の髙島屋がもつ、もう1つの柱。今では大黒柱となっていると思います「上品會」。
長くなり過ぎましたので、別記事でご紹介します(^-^)/
※展示会場内での写真撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載は佐野美術館さまより
許可をいただいているものです。
「きもの•装いの美 百選会•上品會の歴史 ~髙島屋コレクション~」at 佐野美術館 / 上品會
静岡県三島市にある佐野美術館にて開催中。
「きもの•装いの美 百選会•上品會の歴史 ~髙島屋コレクション~」へ
(2013年10月12日~12月23日まで。展示替えあり。11月22日~より後期展示)
きもので来館するとお土産がいただけます。この日はクリアファイルを頂戴しました
百選会のレポ(こちら☆
)につづいて上品會です(^-^)/
上品會は1936年(昭和11年)に染織美の極みを追求することを目的としてはじまります。
同人と呼ばれる老舗呉服業者が、織、染、繍、絞、絣の染織五芸
を競い合う会のことです。
当初「染の千總」「帯の龍村」「織の矢代仁」の3社が出品していましたが、戦争を挟んで一時中断。
1953年の再開後は、東西の名匠であった、秋場、川島織物、大羊居、大彦、龍村美術織物、
千切屋、千總、ちた和、林、矢代仁、山本の11社が参加。
現在は千總、龍村美術織物、矢代仁、岩田、秋場、川島織物、大羊居、千切屋の8社が参加しています。
上品會の「上品」とは上質なだけではなく、官の等級や種類の上下を表しています。
仏教用語のひとつでもあり、最上に位置するのが「上品」なのだそうです。
百選会との大きな違いは、流行に左右されることなく染織の最高峰を目指した結果を
展示会として発表するというもの。
制作する立場の人が伝統の技の極みを惜しまず最高峰の作品をつくるにはどうしたら良いか…?
制作するのに惜しみなく最高の材をつかい技術をつかっても、その作品が売れないのでは
つくることはできません。
上品會を上品たらしめている最大の特徴は、入選作すべてを高島屋が買い取るという制度
によるもの。それによってつくり手は、妥協することなくクオリティの高いものを産みだすこと
が出来るのだと思います。技の極みといっても過言ではない作品群です
振袖◇千總「満天豊来」 1961年(昭和36年) 第9回上品會
まるで火の鳥のよう\(゜□゜)/ 千總製というのは意外でした!
手描きに刺繍で鳥や空気の動き、躍動感が表現されています。
黒留袖◇矢代仁「ハプスブルク王冠」 1994年(平成6年)
1720年(享保5年)創業時は西陣織着尺、白亀綾縮緬、ビロードを扱う呉服商でした。
生糸から一貫制作する名門。矢代仁といえば御召が有名ですが染めの素晴らしい作品も
つくっています。
黒振袖◇大羊居「聚楽豊春」 1957年(昭和32年) 第5回上品會
鶴に立涌、扇子には四季草花、立浪にも文様がたっぷり。染めも縫いも贅を尽くした作品。
「もしもどれか1つ頂けるなら~」っという、いつもの勝手な妄想ですが、こちらを頂きます!
どこをとっても素晴らしい~
左から
御召◇千切屋「コザック繍花」 1954年(昭和29年) 第2回上品會
大島紬◇秋場「楊貴妃大島」 1961年(昭和36年) 第9回上品會
色振袖◇ちた和「延命菊寿文」 1953年(昭和28年)第1回上品會
振袖訪問着◇大彦「美韻交響」 1966年(昭和41年) 第14回上品會
今は無き大彦の作品。西洋風の要素が入った意匠が多く芸術品です。
世界中にコレクターがいるようで大変 私もボチボチ集めています。
きものという衣裳には、歴史と四季のある風土に培われた伝統と卓越した日本人の美意識と
それを体現する技が生きています。
それを次世代につなげていくためには、つくり手の方に妥協することなく作品づくりをして
もらう他にありません。
※展示会場内での写真撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載は佐野美術館さまより
許可をいただいているものです。
「きものを身近に…」的な考えだけで本物を伝承することは不可能だと思っています。
浅い考えに付加価値をつけたようなものが大量につくられ、着付けとセットで売られることで
本物が消えていく…という現在の状況に危惧を抱かずにはいられないのですが、それでも
一人でも多くの方に着てもらわないことには、どうしようもないのも現状ですね( ̄_ ̄ i)
上品會のきものは、つくり手の方にも、きものを売る方にも、是非みていただきたいです。
絵画や茶道具もですが、本物をみていれば偽物は自然とわかるようになりますが、
偽物になれてしまうと本物を見極めることはできないように思います。
静岡県というと遠い気がいたしますが、東京~三島間は新幹線こだまで約1時間。
晩秋の回遊式庭園の散策もおすすめです
鴨もたくさん泳いでいました(≧▽≦)
佐野美術館は、武具甲冑そして日本刀のコレクションでも有名です。
実は昔、こちらの刀剣教室にも通っていました。
ミュージアムショップでは日本刀の手入れにつかう打ち粉や油もミュージアムショップで
扱っています。
髙島屋のポスターを絵葉書にしたもの、龍村美術織物の小物なども。
隣接するお食事処「松韻」では地元のお魚や野菜をつかったお料理も楽しめます♪
写真撮り忘れ…(>_<)
【12月6日の装い】三島◇晴れ(富士山がクッキリ) / 最低気温3℃ 最高気温16℃
上品會にも加盟している秋場の結城紬です。秋場は織元ではなく織物問屋。私好みの
ものがたくさんあるので要チェックしています。
これは重要無形文化財指定は受けていないものなのでお手頃価格でした
松にカラスのアンティーク刺繍の帯をコーディネート
帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房
バッグはRADLEYのシグネーチャーシリーズ
ぞうりはカレンブロッソのカフェぞうり。シマウマの花緒のもの。
羽織は志ま亀のようで志ま亀でないっと思っていたのですが、やはり志ま亀らしいです。
母はあまりどこで購入したのかこだわらないので不明だったのですが、この羽織の文庫紙が
志ま亀だったと最近判明
里山の紅葉〜智恩寺の文殊堂 / 2013年秋 丹後〜京都の旅 その1
京都のタクシーに置き忘れたカメラが戻ってきました。
届けてくださった方、本当にありがとうございましたm(_ _ )m
11月の終わり、紅葉を求めて西へと向かいました。
牛田織物さまよりご縁をいただいて以来、何度か訪れている丹後。
有名な景勝地ですが、ほとんど観光地化していないのでとっても安らぎます。
時がゆったりと流れる地です。
手つかずの山々の自然の彩りが美しい~
ガードレールもない一本道がつづきます。側面は崖です。落ちたら大変
対向車がほとんど来ない…、っと思ったらやってきました(><;)
しかし、牛田会長は慣れたものでバッグもスイスイ。流石です
京都の紅葉とはまた違った、優しい光と空気をまとった美しさです。
宮津温泉の茶六別館にて丹後名物のランチをいただきました
冬の味覚の蟹も美味しいですが丹後はお米や野菜も美味しい~
天橋立の南端にある知恵の文殊でしられる、智恩寺へ
808年(大同3年)に平城天皇によって創建され、延喜年間に醍醐天皇よる勅額を下賜された
と伝えられているそうですが、あまりはっきりとしていないようです。
智恩寺に伝わる九世戸縁起には、この地で暴れる龍を千年かけて文殊菩薩さまが諭し改心
させ人々を守らせるようにしたとあります。
当初は真言密教の寺院でしたが、南北朝以降は禅宗の寺院となります。
知恵の輪といわれる輪灯籠
みやび流宗家の牛田さまと
この輪をくぐると文殊さまのご利益があるそうです!
境内には文樹という霊木がありました。
人生を知恵で飾るものには幸い訪れる。この樹はタブの木。
樹液からは霊力を発し上質のお線香につかわれるのだそうです。
鐘楼と鐘楼門
ご本堂に昇殿します。
本堂に標的射撃の的が飾られていました。火縄銃を貫通させた後だそうです。
扇子形のおみくじ。「大吉」を引き当てました
扇子がぶら下がる光景というのも面白いですね♪
1501年(明応10年)に落成されたといわれる重要文化財の多宝塔
冬の丹後には松葉蟹を食べにくる観光客がたくさん。
この時季はお料理屋さんはどこも予約でいっぱいなのだそうです。
こんどは天の橋立の松林の中を歩いてみたい♪
丹後のパワースポットへ向かいます(^-^)/
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冬の雨の日の装い / 鉄紺地の板締め文様紬に射手座の染め帯 / お茶のお稽古
お茶のお稽古へ
台子点前、台子での濃茶付き花月
ふかしたての蕎薯蕷饅頭が美味しかったです~
赤穂浪士が討ち入りの際に蕎麦屋に集結したことから、この時季はこの主菓子が
でることがおおいのだそう。赤垣源蔵の逸話にも蕎麦があったような…。
東京は久しぶりの雨でした 乾燥していないので気管支は少し楽~♪
【12月10日の装い】東京近郊◇大雨のち晴れ時々小雨 / 最低気温7℃ 最高気温11℃
未明より降りだした冷たい雨、そして朝方は雷を伴う激しい雨となりました(T_T)
西陣の繻子織地雨コートにラビットファーのショールで防寒。
雨ぞうりは伊勢神宮参拝の時に購入した神職の方ようの雨ぞうり。
コルクでできているので軽くて歩きやすい。しかも足袋よりもお安かったという超優れもの
たぶん板締めの紬? 鉄紺地に水色が入っていて帯び合わせによっては粋になりすぎてしまうもの。
このブルーの射手座の冬の夜空の帯にはピッタリで嬉しい(≧▽≦)
青い稲妻のようにみえなくもない(゚ー゚?
水色に線と木の葉が入った帯あげ、帯〆は伊藤組紐。
このブルー系の色合わせ、気に入ってます
きものが地味な時には、帯あげの色を明るくすると顔色も明るくなります。
小物づかいでいかようにもなるのが、きものコーディネートの良いところ。
面積が小さい帯あげ、帯〆による印象は大きい
射手座は夏の夜空にでるものなので、冬景色の夜空にはないものです。
話のきっかけになりやすいので、つくって良かったと思います。この季節のお楽しみです♪
バッグは松枝忍
青というと春夏のほうが季節としてあいそうですが、冬の青系コーディネートとても好きです
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丹後一の宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ) / 2013年秋 丹後〜京都の旅 その2
里山の紅葉~智恩寺の文殊堂 / 2013年秋 丹後~京都の旅 その1
のつづき
天橋立の北方にある丹後一の宮の籠神社(このじんじゃ)へ
神代の昔に豊受大神が天降られ、五穀と養蚕を丹波地方に伝えられました。
丹波という地名は豊受大神が豊かに稔る田をご覧になって、「あなにえし田庭!
(なんとすばらしい田の庭よ!)」と喜ばれたという伝承から名づけられたといいます。
豊受大神は真名井原の地(現在の奥宮・真名井神社)に鎮座されます。
その地は「匏宮(よさのみや、与佐宮・吉佐宮・与謝宮)」と呼ばれたのだそう。
元伊勢籠神社御由緒略記によると、天照大御神が営んだとされる「吉佐宮」にあたる
とされています。
垂仁天皇の御代に天照大御神は伊勢へ御遷座されます。そして雄略天皇の御代に
豊受大神が伊勢へ御遷座されました。
以来、この地は元伊勢といわれています。
※奥宮の真名井神社 この春に丹後に行った際に訪れました。レポはこちら☆
671年(白鳳11年)彦火明命から26代目の海部伍佰道が、祭神が籠に乗って雪の中に
現れたという伝承に基づいて社名を籠宮(このみや)と改め彦火火出見尊を祀ったされます。
その後719年(養老3年)真名井原からこの地に遷座し、27代海部愛志が主祭神を海部氏祖
の彦火明命に改めて、豊受・天照両神を相殿に祀り天水分神も合わせ祀ったと伝えられています。
籠神社の宮司の海部氏(あまべうじ)の系図は日本最古の家系図ともいわれ、初代彦火明命
を始祖として現宮司82代までの名が伝えられています。2000年の歴史がある家です。
籠神社の裏社文は六芒星であることから、日本とユダヤの繋がりがあるとされる神社のひとつ
でもあります。諏訪大社と似てますね。神代の昔の話を調べると壮大なロマンがあります。
本殿は檜皮葺の神明造り。欄干には五色の擬宝珠があるそうなのですが、この時は改修の
ためにみることはできませんでした
たらたらと したたる真名井 かそけくて はっと思ゆる 神のみあれか 海部光彦
さざれ石の産霊岩
パワースポットとしては奥宮の真名井神社がより強力に感じました。(私、霊感はないです)
真名井の御神水で点てたお茶は身体が浄められそうな気がしました~♪
紅葉の丹後の山々を背にした天橋立の松林。
伊邪那岐命が伊邪那美命のもとに通うためつくった天から地へ渡る梯子(ハシゴ)なので、
天橋立といわれるようになったのだそう。寝ている間に梯子が倒れてしまい今の形に
なったのだとか。天の橋立の松林は3,6kmで8000本の松があります。
里山の紅葉、天橋立の南から北まで、知恵の文殊から神代の昔につながるパワースポット探訪、
丹後の冬の味覚こっぺ。美味しかった!堪能させていただきました。ありがとうございましたm(_ _ )m
次は錦秋の古都へ向かいます(^-^)/
タケミツメモリアル 東京オペラシティ
東京オペラシティ/絵羽の道行と染の北川のパンジー小紋に龍村美術織物の鳳凰丸紋の織なごや帯
新国立劇場&東京オペラシティへ♪
日本で唯一の本格オペラ劇場がある新国立劇場。
主舞台と奥と左右に舞台がある四面舞台で本格オペラの場面転換を可能にし常設の
オーケストラピットは120人のフルオーケストラでの演奏もできる広さを備えています。
オペラシティとは別の建物で隣接しています。
ギャラリーでは新国立劇場で上演されたオペラやバレエの演目の衣裳が展示されています。
↑手前はドン・キホーテ、奥に見えるのは眠りの森の美女
↓天守物語
東京オペラシティにはアートギャラリーとコンサートホール、リサイタルホール、そして
東京フィルの練習室でもあるリハーサル室があります。
アートギャラリーでは「五線譜に描いた夢」が開催中
これが素晴らしかったヾ(@°▽°@)ノ ←別記事にてレポします。
コンサートホールではクリスマス恒例のサンクトペテルブルグ室内合奏団のコンサート♪
ホールはピラミッドのような天井と天窓が落ちつく空間をつくりだしています
シューボックス型で天然木の内装は音がよく共鳴
コンサートホールの名称はタケミツ メモリアル。
ホールの設計から舞台監督として関わった作曲家武満徹の名を冠しています。
カッチーニ、バッハ、シューベルトの三大「アヴェ・マリア」に加えて、マスネ「タイスの瞑想曲」、
ヘンデル「ハープ協奏曲」、モーツァルト「アヴェ•ヴェルコム•コルプス」…etc。
聴きやすい馴染みの名曲揃い。クリスマスコンサートらしい選曲です♪
しかし、どの曲も妙にテンポが速かった気が…(-。-;) スケジュールが押していた?
この日は「ロシア文化フェスティバル 2013IN JAPAN」のクロージングコンサート。
前にはセレモニーが後にはパーティーがあり、元総理をはじめ色んな方がいらしてました。
【12月11日の装い】東京◇晴れ / 最低気温7℃ 最高気温13℃
染の北川のパンジーの小紋に龍村美術織物の織なごや帯をコーディネート。
洋花のパンジーは冬の花壇に咲く花なので、冬に着ることが多いでしょうか。
北川の花の総文様の小紋はクラシックコンサートやレセプションパーティーで重宝します。
地色が見えないほど花でおおわれているので、帯はシンプルなもので、帯あげと帯〆は
きものの文様の色からとりました。雲取りの帯あげは加藤萬、帯〆は龍工房。
龍村美術織物の鳳凰丸紋の帯は古典文様のきものからモダンなものまで万能
絵羽文様のこちらの道行もヘビロテで着ている大のお気に入り
バッグはジャマン•ピュエッシュ。カジュアル過ぎる気もしますが色であわせました。
ぞうりは神田胡蝶
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パルメット文様の本塩沢に椿をデフォルメした染め帯 / リーガロイヤル東京
この季節はあちこちでクリスマスツリーがみられるので楽しい♪
幼い頃に住んでいた家には煙突があったからでしょうか、わりと大人になるまで
サンタクロースの存在を信じていましたσ(^_^;)
リーガロイヤル東京のクリスマスツリー
こちらのティーラウンジはゆったりできるのでお気に入り
隣の大隈庭園は、4月~12月早稲田大学の授業実施期間の月火木金土(11時~16時)まで開園。
庭園内には広い芝生があって開放感ある穴場スポットです。
【12月12日の装い】東京◇晴れ / 最低気温8℃ 最高気温13℃
パルメット文様の本塩沢に椿をデフォルメした文様の染め帯をコーディネート。
パルメット文様とは、古代オリエントに起源を持つ、棕櫚の葉を扇状に広げた装飾文様のこと。
古代エジプトのロータス(蓮)文様から派生し、パルメット(棕櫚ナツメヤシ)から
アカンサス(ハアザミ)、アンテミオン文様になりギリシアやローマの建築装飾にみられます。
日本へは唐を経由して伝わり、唐草文様、宝相華文様に発展していきます。
有職文様はパルメットを起源とするものがあります。昔の上流貴族は渡来もののモダンな
文様を好んだのが面白い。
帯あげはシンプルな無地にすれば良かった…と反省
帯〆は龍工房。帯の椿の色からとって紫色にいたしました。
パルメットがランプの灯りのようでもあり、デフォルメされた椿の枝がクリスマスツリーのよう
でもあるので、クリスマスを意識してチョイスいたしました。
このショールは大活躍。顔の近くに明るい色を持ってくると顔色がよく見えます。
バッグは松枝忍、ぞうりは菱屋カレンブロッソのお誂え。
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越後三産地(小千谷•塩沢•十日町)合同新作発表会 へ
鈍色の空が特徴の雪深い越後は、その湿度の高さと越後人の勤勉な気質から伝承され
つづけてきた伝統工芸があります。ユネスコ世界無形文化遺産にも指定された小千谷縮、
越後上布をはじめ伝産法(伝統的工芸品産業の振興に関する法律)によって定められた
伝統工芸品としての織物が7品目。
日常きもの生活するものとしてはとても魅力的な土地なのです
越後三産地合同織物新作発表会へ
今回は取材ということで、小千谷の樋口隆司先生よりご招待いただきました。
新作は単衣の時季から着やすそうな絹縮の素敵なものがありました。
地球温暖化の昨今、夏衣といわれる麻を臨機応変に着ましょうというスーパークールビズが
提唱され、小千谷縮や越後上布の着用期間の目安が広がっています。
そもそも「衣替え」というものが、明治政府の定めた役人の制服の衣替えに倣ったものであり、
日本人がきものを日常で着なくなってしまった戦後、着付け教室なるものがでてきたときに、
わかりやすいルール(教えやすいルール)としてつくられたものです。礼装はまた別の話ですが、
日常着として着るものは、その日の天候や気温によって変わるのが自然だと思います。
麻は速乾性に優れ清涼感がああり、湿度が高い日本の春から秋までの気候に適しています
何より麻は水に強く洗えるのですそして繰り返しの洗濯にも耐えうる強さを持っています。
重要無形文化財の指定条件を兼ねそろえた小千谷縮を日常着として着倒す…なんてことは
おいそれとできませんが、摺込捺染で絣つけしたものやラミーの糸をつかったお手頃価格の
小千谷紬もつくられています。
新作発表会なので、今の小千谷の織物はすべてここにあるというパラダイス♪
紺仁•樋口織工芸社•高三織物•上信織物•おだきん•杉山織物•山岸織物•山恭織物工場•織田工房
の9社。(すべて敬称略)
お写真を撮らせていただきそびれてしまったのですが…
織田工房の折田強先生の小千谷縮は好みど真ん中(≧▽≦)でございました。
樋口先生と小千谷織物同業協同組合の理事長でもある紺仁の松本均先生と
紺仁は普段きものとして重宝する片貝木綿をつくっている工房です。
片貝木綿は微妙な凹凸があり柔らかくシワになっても元に戻りやすい、着やすい木綿きもの。
卓越した技をつかった工芸品としてのきものの伝承だけでなく、日本の気候にあった、きもの
生活を送るに可能な価格帯のきものづくり。これからもつづけていっていただきたいです。
「2020年の東京オリンピックとパラリンピックのユニホームに小千谷縮を!」という活動を
展開されています。ニュースにもなっていました。
ユネスコ世界無形文化遺産でもある小千谷縮。
清涼感があり体感温度が5℃下がるといわれるほど夏に着心地良い素材です。
個人的には、洋服よりも、民族衣裳のきものとしてユニフォームにしていただきたいと思って
ますが、夏素材として世界に小千谷縮の良さをアピールできるのも素晴らしいですね♪
滑り込みで塩沢会場へ
小河織物•桑原織物•酒井織物•中田屋織物•南雲織物工場•林織物•星野織物•やまだ織
の8社。(すべて敬称略)
本塩沢(塩沢御召)は全国の産地きものの中でも、私特に好んで着ているきものです。
一昔前に盛んにつくられていた絣で総柄文様たっぷりのものが好みなのですが、無地や縞
のものが主流の今となっては中々みかけません。
しかし、ここには新作も含めてありました(-_☆) あるところにはあるんだなあ…。
きもの学会研修旅行で一目惚れしつつ諦めた、林宗平工房の有栖川文様の本塩沢、
やまだ織の新作の本塩沢も素敵でした~
本塩沢は越後で織られていた麻縮の技法を応用してつくられた絹織物のことで、八丁撚糸と
いわれる強い撚りをかけた右撚りと左撚りの緯糸を交互に織りあげて、湯もみによって撚りを
戻して生地を縮ませシボをだしたシャリ感のある織物です。
独特のシャリ感と纏ったときの裾への落ち感、そして身体に沿う感じが着心地が良いのです
閉会の時間で片付けなければならないところを、皆さまご親切に説明してくださいました。
越後上布の中島清志先生と
いつか着たい憧れでございます。まるで絣見本帖のような越後上布に釘付け
思わず似合うかどうかより絣技の結集度に魅かれてしまいました。←きものオタク
十日町会場はすでに片付けられていてみれなくて残念(_ _。)
機会があったらぜひ宜しくお願いいたします。
小千谷と塩沢の産地の方々には2012年2月にきもの学会研修旅行でお世話になりました。
その際のレポートがご縁でお声がけいただきました。まとめリンク→ こちら☆
ありがとうございましたm(_ _ )m
『きものカンタービレ♪』の新たな展開としては、和文化記録人として、各産地の工房見学、
展示会等をご紹介し、産地マップをつくっていくことを視野に入れております。
工房見学、産地新作発表会、産地求票会、お声がけいただきましたら、できる限り参ります
どうぞ、今後とも「きものカンタービレ♪」を宜しくお願い申し上げます(^-^)/
百貨店呉服売り場のイベント / テラコッタ色信州紬に帯屋捨松のスウェーデン裂文八寸帯
昨日アメヤ横丁付近を歩いたのですが人の多さにビックリしました(@@);;
その後、日本橋三越へ。こちらも人が多かった~。
老舗百貨店のいいところは、その道の超一流の先生方の実演や講演があることでしょうか。
押し売りされることもなく、直接お話を聞くことができて、さらに技も見せていただけます。
きものについて見たい知りたい確かめたいのワタクシにとっては、最大のアミューズメントパーク。
小宮康孝先生、康正先生の「江戸小紋展」が開催中(~24日まで)
「江戸小紋」という名称は、初代小宮康助が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
ときに従来の小紋染めと区別するためにつけられたものです。
康正先生から江戸小紋ならではの染めのお話もお聞きすることができました!
染めの匠として知り得た絹の特性について、フィブロインの非結晶領域の吸収性のお話、
糊のお話、うーーーん、まだまだ知らないことばかりっと実感(゚_゚i)
重要無形文化財保持者である小宮康孝先生の作品。
小宮先生の江戸小紋の最大の魅力はその色。
堅牢度が高く絹本来の光沢を活かした染めを実現するための合成染料をつかった色糊の実用化。
それを可能にしたのは弛まぬ探究心なのだと…。
絹地で洗える長襦袢や絽のコート地などもつくられています。
数種類の型紙をつかって絵羽文様に染められた訪問着がたくさん展示されていました
小宮康正先生と
江戸刺繍の竹内功先生による実演(~12月17日まで)
熟練の技を間近でみることができます
東京友禅作家の染谷洋先生(~15日まで)
古典的なものからユーモア溢れる作品づくりもされています。
みせていただいた下絵、魅力的なものばかり。提案されるお客様のアイディアも面白いです。
東京には素晴らしい職人がたくさんいる! 素晴らしい~ヾ(@°▽°@)ノ
1階のバッグ売り場では、イギリスのRADLEYフェアーが開催中
偶然通りがかり、お声がけしていただきましたヽ(*'0'*)ツ
「きものカンタービレ♪」にお問い合わせいただくことも多いRADLEY。
昨年の秋、ついに日本に上陸しました。上陸記事はこちら☆
。 コレクションはこちら☆
。
昔は直接ロンドンから購入するしか手段がなく、苦労したものです。
RADLEYはきものにも合うと思います
【12月14日の装い】東京◇晴れ / 最低気温5℃ 最高気温11℃
テラコッタ色の信州紬に帯屋捨松のスウェーデン裂文八寸帯をコーディネート。
この色は似合わないと敬遠していたのですが、先日の私らしくない色千總小紋の評判が
思ったより良かったこともあって、袖を通すことに。
帯屋捨松のスウェーデン裂文はクリスマス文様っぽい。
無地のちりめんの帯あげは加藤萬、帯〆は五嶋組紐。
きものにも水色が入っているので、帯の文様の色とリンクさせました。
合わせやすくしかも軽い八寸帯なので旅先でも重宝しています。
赤、水色、ベージュ系の色あわせはきものの色合わせにはあってもお洋服では少ない。
こういった色づかいがRADLEYがきものに合う要因でしょうか。
ニットケープはあむあむふわわ。
テラコッタ色は今ひとつ好きになれないので、白いものの分量を多くして散らしています。
似合う似合わないというより、自分らしくない気がして落ちつかない色ってありますよね(・_・;)
「五線譜に描いた夢 〜日本近代音楽の150年〜」at 東京オペラシティアートギャラリー
東京オペラシティアートギャラリーにて開催中「五線譜に描いた夢 日本の近代音楽の150年」へ
(~12月23日まで)
黒船の来航によってもたらされたものは、文明だけでなく五線譜に描かれる旋律も。
それまでは宣教師によってもたらされたもの、天正遣欧使節が秀吉の前で演奏したもの、
シーボルトが江戸に持参したピアノ、蘭学者宇田川榕庵による西洋音楽用語解説本、
というものはあったようですが、徳川幕府による徹底的な鎖国政策以来、日本の民衆が
はじめて耳にした西洋音楽というのは、1853年(嘉永6年)浦和に来航したペリーに
随行していた楽隊による行進曲の演奏でした。
※その曲は「ヤンキードゥードゥル」、日本では「アルプス一万尺」として歌われている曲。
「ヤンキードゥードゥル」はアメリカでは独立戦争時の愛国歌として親しまれています。
もとはイギリスが植民地のアメリカを蔑んで歌ったものらしいのですが、アメリカでは
原曲とは反対の替え歌をつくり愛唱歌となります。
その後、開港地につくられた外国人居留地で西洋音楽が奏でられるようになります。
美術展なので、展示物としては史料、書簡、楽譜、絵画などなのですが、これらが興味深い(-_☆)
日本人がはじめて耳にした西洋音楽に対する驚きが見てとれる、楽隊や楽器の絵図がありました。
明治政府は欧米列強の脅威にさらされつつ、近代国家を目指します。
薩摩藩は、廃藩置県前に薩摩バンドという軍楽隊をつくりました。日本国国家の「君が代」は
大山巌がイギリス軍の軍楽隊隊長より、国際的に国歌の必要性を説かれつくられてたという
説があります。※異説もあり
音楽は政治的影響につかわれたという背景もみえてきます。
①幕末から明治へ ②大正モダニズムと音楽 ③昭和の戦争と音楽 ④「戦後」から21世紀へ
という構成となっていて、資料展示だけでなく、音源や映像でも楽しめました。
ノスタルジックなものについ魅かれてしまう…
「宵待草」で有名な竹久夢二の楽譜の装幀画
大正ロマンの象徴でもあります。これらの楽譜はセノオ楽譜。
宮城道雄の箏や萩原朔太郎が愛用したギター(燕が象嵌で描かれてました!)も展示
●音源として良かったもの:*:・( ̄∀ ̄)・:*:♪
宮城道雄の箏、ルメ•ショーメーのヴァイオリンによる「春の海」
久野ひさののベートーベン「月光」
貴志康一「日本組曲」
そして、戦後の近代音楽への歩みも必見
サントリーホールの誕生、日本オペラ、そして国内オーケストラ。
世界に羽ばたいた武満徹。前衛的な音楽の印象が強い方も多いと思いますが、日本の邦楽
とオーケストラを融合させた作品もつくっています♪
展示されていた五線譜を脳内で再現しようにも、映像の音が邪魔だったのがことだけが残念…(_ _。)
音楽に関するこういった歴史的展示はとっても新鮮
今までにはなかったのではないでしょうか…?
時代背景に五線譜の旋律が流れてくる♪
眼だけでなく耳に残る美術展です。
東京オペラシティのツリーは夜になるとイルミネーションが灯ります。
巨人の像と同じく見上げてみました(ノ゚ο゚)ノ