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新田 紅花染め きもの文化検定工房見学会 その1 / 2014年秋 米沢染織巡りの旅 その8

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宮坂考古館 / 2014年秋 米沢染織巡りの旅 その7  のつづきです(^-^)/

全日本きもの振興会主催による、きもの文化検定の工房見学会。
今まで京都で開かれる合格祝賀会の前日の工房見学はありましたが、地方は初です。

米沢駅で皆さまと合流し、2班に分かれ、私たちは紅花染めの新田へサーチ


5代目新田源太郎さんにご説明いただきましたφ(.. )

新田家は上杉家とともに越後から移封した武家の家。
16代目新田留次郎が1884年(明治17年)に機屋として新田を創業。
袴地の生産は現在でも米沢が市場占有率で全国1位ですが、新田も創業時は袴地の
生産が主流だったそうです。

直江兼続からはじまる米沢の殖産興業としての染織の歴史。(おさらい)
上杉鷹山は桑の栽培と養蚕に力を入れ、青苧の麻織物から絹織物への転換をはかります。
越後からは縮織り職人を呼び縮役場を設け家中の女子に技術を習得させ殖産興業へと
結びつけました。武士の必需品であった袴地を生産したことで収益をあげ、米沢藩の
財政基盤となります。現在でも袴地の90%が米沢で生産される米沢織です。

上杉鷹山公が奨励した最上紅花の栽培。
「紅一匁(もんめ)金一匁」といわれるぐらいの高級品で、最上川から京都へ
つながる紅花を摘んだ北前船は紅花舟といわれます。
紅花染めは化学染料の普及により衰退し、戦後には幻の花となってしまいますが、
1963年(昭和38年)新田3代目米沢秀次が途絶えていた紅花染めの復元に着手し、
米沢織に生かすことに成功。そして今に至っているのだそう。


紅花餅と烏梅をつかった紅花染めの実演。
染めの良し悪しを決める紅花餅。
春先に種を蒔いて初夏に収穫した紅花からつくられます。

紅花には黄色と紅色の色素が含まれています。紅色は1%だそう。
黄色は水溶性ですが、紅色は水には溶けないアルカリ性。
つかったのは1%の紅色の染液と米酢です。

ここに布をくぐらせても染まりません。

ここに「烏梅(うばい)」を1日つけておいた液を入れると発色し定着します。
烏梅とは、梅のみを煤をまぶして燻したもの。奈良県の月ヶ瀬村でつくられています。
烏梅は媒染剤でなく、中和剤とのこと。
紅色そのものがアルカリ性で、烏梅(酸性)をつかって「中和」させることによって発色し定着するひらめき電球

こんなに鮮やかな紅色に発色しました~。

ひとつの染液で時間で染め分け、さらに重ね染めした紅色のグラデーション。
紅花、一斤(約600g)で絹一疋(きもの2反)を染めた時の色が一斤染であり、平安時代の
紅色の聴色(ゆるしいろ)の上限です。薄い~。いかに紅花が貴重であるかがわかります。

植物染料の仕様部分と媒染の表もありました。

掛けられている綛糸は、紅花に藍や刈安で重ね染めしたもの。
紅花は呉の国から来た染料ということで、呉藍(くれあい)ともいわれ、※くれないの語源
蓼藍×紅花で染められた紫色は二藍(ふたあい)といわれます。


つづきます(^-^)/

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