手挽きから座繰り、そして近代製糸へ 岡谷蚕糸博物館 その3
のつづき(^-^)/
岡谷蚕糸博物館の魅力は何といっても、現在も操業中である宮坂製糸所が動態展示として
見学できることです。
かつて岡谷は糸の都といわれ300もの製糸工場があり、3万人を超える工女が全国から
集まりました。
日本の生糸生産の3分の1を担っていたのですから、街の賑わいも相当なものだったのでしょう。
高い煙突が立ち並び繭を煮る独特の臭いが街中にあったといいます。
しかしそれらは精密機械工場にとってかわり(一昔前まで東洋のスイスといわれていた)、
その中で宮坂製糸所は唯一の製糸工場として存続しています。
宮坂製糸所は1928年(昭和3年)に創業。年間約1000反分のきもの地を生産されています。
伝統的な繰糸による生糸づくりがされている日本で唯一の製糸工場です。
宮坂製糸所の宮坂照彦社長よりご案内いただきましたヽ(゚◇゚ )ノ
●上州式座繰繰糸
中国からシルクロードを東周りで日本に伝来した手法を日本で改良したもの。
江戸時代後期頃からつかわれた手法です。玉繭で節のある玉糸をつくります。
繭糸の抱合があまく、それが素朴で軽い手づくりの良さをだすのだそう。
こちらは紬と壁紙の素材用の糸としてつかわれています。
右手にもっている大きな繭が玉繭です。2~3匹の蚕がひとつの繭をつくったもの。
繭からは2本以上の糸が絡まっているので繰糸が難しい。
玉繭からでてきた糸。
●諏訪式座繰り繰糸
中国の繰糸技術がシルクロードを経て西回りにヨーロッパに伝わってつくられた
フランス式とイタリア式繰糸機の利点をとって、1875年(明治8年)にここ岡谷の地で
武居代次郎らによって創業された中山社に開発された繰糸機です。
繰糸張力が低く柔らかい風合いの糸がつくられます。
染色性が良いので草木染めに用いられることが多いそうです。
この時は生繭から繰糸していました!
これはこの時季だけ繰糸する限定の生糸です。
繭は通常は熱風乾燥で処理し保存されますが、この生繭は生きた状態のまま
5℃以下で冷蔵することで蛾にならないようにされています。
生繭からとられた生糸は糸の色が白いため、美しい色に染めあがるのだそうです。
繭14~15粒からほぐれた繭糸を1本の生糸にしています。
お湯は80℃だそう。
現代の岡谷の工女さんは明るくて素敵
真っ白な生糸が生繭からとられた生糸です!
●自動繰糸(FR型自動繰糸)
諏訪式繰糸機、多条繰糸機から発達しオートメーション化された自動繰糸機です。
中国やブラジルで大量生産されている通常の生糸はほぼこの方式でつくられるのだそう。
宮坂製糸所では細繊度(14中、21中、27中)を中心に小ロットの注文生産をされているそうです。
1人の繰糸者は10~20の緒を担当して煮繭された繭から索緒機で糸口を見いだして
繰糸機手前の給繭部に移動させる作業、糸が切れた時に修復する作業を行ないます。
●銀河シルク繰糸機
300粒以上の繭からほぐれた繭糸を1本の生糸にする繰糸機。
低張力で繰糸して1000デニールの極太糸をつくります。
※主流は8粒から21デニールなので如何に太いかということです。
●極細生糸繰糸装置
世界一細く極めて高品質の超極細生糸を繰糸することができる繰糸機です。
極細系品種の繭4~5粒からほぐれた繭糸を1本の生糸にしています。
ロードセル(張力感知)による繊度管理、スラブキャッチャーよる節感知装置により、
節やむらのない極めて均質な糸をつくります。8デニールなど。
薄いスカーフ生地などにつかわれます。
見学させていただいた日が8月14日の盂蘭盆会だったので、夏休みの従業員の方が多く、
動いていない機械もありました。また近いうちに見学させていだきたいです~。
繭の種類だけでなく、繭の処理方法、繰糸方法によって生地の風合いに違いがでるということ
を教えていただきました。う~ん、何て奥深い( ̄□ ̄;)!!
レポートするのが大変遅くなってしまいましたが、岡谷蚕糸博物館の皆様、高林館長さま、
宮坂製糸所の皆様、宮坂照彦社長さま、ありがとうございましたm(_ _ )m
心より感謝申し上げます。
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宮坂製糸所 〜上州式座繰り繰糸、諏訪式座繰り繰糸、自動繰糸〜/ 岡谷蚕糸博物館 その4
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