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養蚕〜近代製糸業と岡谷〜岡谷の工女 岡谷蚕糸博物館 その1

お待たせいたしました!

シルクファクト岡谷こと岡谷蚕糸博物館レポートです(^-^)/

日本の近代化に貢献した製糸業。その業績を後世に伝え、今後の産業発展に役立てるようにと
1964年(昭和39年)に市立岡谷蚕糸博物館が開館しました。製糸機械や史料を約3万点を所蔵。
その中には、1872年(明治5年)富岡製糸場の創業時に導入されたフランス式繰糸機もあります。
そして開館から半世紀を経た、2014年8月に旧蚕糸試験場の跡地に場所を移し、
製糸工場(宮坂製糸場)を併設し動態展示をすることで、絹と製糸業の真実を発信する
世界にも類のない博物館としてリニューアルオープンしました。
シルクファクトとは、factory(工場)とfact(真実)を追求し発信することから。
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駐車場にある枝垂桑の木。
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中では蚕が飼われていて桑の葉をあげることもできます。
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●回転蔟(かいてんまぶし)●
蚕は1マスずつ中で繭をつくります。蚕には上に登ろうとする修正があるので、
吊り下げられている蔟は上に登っていった蚕の重みで自動的に回転します。
これを生かして、蔟の全体に均質に繭をつくらせているのです。
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●絹の起源と伝播•蚕から絹製品になるまで●
きもの1反(680g)=桑の葉 約70g、蚕 約2,300頭、繭 2,200粒(4.7kg)、生糸900g。
養蚕、製糸、染織、生糸から絹織物までをわかりやすくパネル展示。
先練りと後練りの違いと特徴も詳細に説明されていました。
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●近代製糸業と岡谷●
1859年(安政6年)に横浜が開港されると、日本から大量の生糸と蚕種が輸出されるようになります。
当時ヨーロッパでは微粒子病といわれる蚕の病気が大流行し、養蚕は壊滅状態であったため、
大量の蚕種と生糸が必要とされました。

日本の製糸は座繰りによって行なわれていました。
座繰り製糸は養蚕農家ごとに蚕の品種や座繰りのやり方が違い、生産量も少なく、品質の向上
と生産能率をあげるために西洋式の機械と技術の導入が試みられます。
そして岡谷では、イタリア式とフランス式の繰糸機の折衷式ともいえる、諏訪繰糸機がつくられます。

1873年(明治6年)片倉市助が10人繰り座繰り製糸を開始。
1875年(明治8年)武居代次郎が諏訪式繰糸機による中山社を創業。
1878年(明治11年)片倉兼太郎が垣外製糸(32釜)を創業。
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第一次世界大戦の影響によりヨーロッパの織物産業が衰退し、アメリカ向けの輸出が主流になる。
1932年(昭和7年)アメリカの絹業界の生糸93%を日本が占め、世界一の生糸供給国となる。
1938年(昭和13年)アメリカのデュポン社のナイロン製造がはじまり、急速に絹の輸出が
なくなっていく。ちなみにナイロンのキャッチフレーズは「鋼鉄よりも強く蜘蛛の糸より細い」
そして、戦時体制となり製糸工場の多くが軍需工場となり製糸産業は衰退の一途を辿ります。
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●岡谷の工女●
岡谷の工女といえば、山本茂美の「ああ野麦峠」が有名。
1979年(昭和54年)に、大竹しのぶ主演で映画化され大ヒットとなりました。
「女工哀史」と「ああ野麦峠」の印象があまりにも強いので、劣悪な労働条件のもとで
苦労ばかりさせられたと思われがちですが、あながちそうともいえません。
ちなみに、野麦峠とよばれる街道には熊笹が生い茂っていて、熊笹の実は粉にして食する
ことができ野麦のようだったということから、野麦峠といわれるようになったとか。
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最盛期の工女は約3万人ともいわれ、岡谷の人口の3分の1が地方から出稼ぎにくる
工女だったといいます。
熟練の工女には100円工女といわれる、年収が100円を超える人もいたそう。
当時100円あれば、畑1反付きで家が立つといわれていました。
労働条件は過酷だったようすですが、寄宿舎での生活は、外出許可をもらって買い物する
ことも可能であり、お米も白米であったのだそうです。
「ああ野麦峠」には実話も含まれていますが(山一争議)、完全ルポタージュではなく
ある層からの共感を得やすいよう書かれたフィクションと捉えた方がよさそうです。
ですが、映画で描かれたその時代背景と繰糸シーンの再現など興味深いもの。
アメリカに不況が訪れ生糸の輸出がなくなり国内用の生糸生産で労働条件が悪化という
あたりは、生糸の歴史を学ぶとでてくるところです。
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工女の仕事は、煮た繭から糸口を引き出して一定の太さの生糸になるように手で繭糸を
たすというものです。繰糸にできない繭を分ける選繭、出来上がった生糸を大枠に巻き返す
揚げ返しを行なうという作業もありました。
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次は、繰糸機についてまとめますφ(.. )

※岡谷蚕糸博物館内での撮影及び掲載の許可をいただいております。
撮影は学芸員の方、立ち会いのもとでさせていただきました。

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