富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産となり、日本の近代化の立役者となった「日本の絹」
とその産業遺産に注目が集まっています。
そして今年の夏には岡谷蚕糸博物館がリニューアルオープンしました。これは偶然?
こちらは別記事で詳細にレポします。
岡谷は諏訪湖畔にある市で明治から昭和はじめにかけて、製糸業が栄え世界に糸の都
「シルク岡谷」として名を馳せました。
最盛期には、大小200を超える製糸工場と煙突が立ち並び、3万人を超える女工が各地より
集まったといわれています。そして岡谷の製糸家(岡谷では製糸工場の経営者を製糸家といいます)
により生産された生糸は、日本の1/3を占めたのだそうです。
製糸で隆盛を極めた痕跡が今も街のあちこちに見られ、近代化産業遺跡群として認定されています。
地元の人も知らない(というか興味がない人がほとんど…)の近代化産業遺産巡りレポです。
●丸山タンク●
まるでローマの遺跡のようですが、1914年(大正3年)に製糸場への給水のためにつくられました。
上から覗き込むと三重の円筒型になっています。外周38m高さ2m壁の厚さ60cm強。
約650m離れた天竜川よりポンプで水を引き、タンクの中で不純物を沈殿させてから
各工場に水を供給しました。
絹には水質が大事というのは、京都や金沢など軟水の川が流れるところで友禅流しが
行なわれていたことからも明白。糸づくりの煮繭や繰糸も中性の軟水が良いのだそうです。
総量は50tで約3500個の釜に対応できたといわれています。
この丸山は古墳であったともいわれ、勾玉などが出土したと伝わっています。
ちなみに今では地元の方でもここに給水タンクがあったということを知っている人は少なく、
場所も個人宅の庭先のようなところを通らないと辿り着きませんσ(^_^;)
●金上繭倉庫●
かつて岡谷の街は煙突と繭倉庫だらけだったそうで、昭和初年は105棟の繭倉庫があり、
白壁の五層造りの建物は黒い煙をあげる1000本の煙突とともに岡谷の象徴だったのだそう。
岡谷に残る数少ない繭蔵で明治初期に建築されたもの。
木造三階建ての土蔵で切妻造りに鉄板茸、全体に白の漆喰塗り仕上げとなっています。
繭は蛾となってしまう前に乾燥させることになります。そのため一括で繭を乾燥させて
貯蔵する倉庫が必要でした。漆喰なのは火災よけ。
●旧岡谷市役所●
諏訪湖畔にあった小さな村からは機械製糸による生糸の大量生産を可能にする製糸家を
たくさん生み出します。そして急速に発展したことにより村から町を経ず岡谷市となりました。
これは製糸家の尾澤福太郎によって寄贈された庁舎でした。
現在は何と!消防署としてつかわれています。
糸繋がりで富岡市とは姉妹都市、庁舎前には富岡市から贈られた石があります。
そういえば、富岡製糸場も近くに川が流れ大きな給水タンクがありました。
●旧山一組製糸事務所・守衛所●
1879年(明治12年)創業の山一林組の事務所。
「あゝ野麦峠」にもでてくる山一争議の舞台となったことでも有名です。
この日は、岡谷の太鼓祭りの次の日だったので周辺は提灯が飾られたままで櫓が解体中。
なので過去の写真より流用
2年前も見学させていただきました。こちら☆
ノスタルジックな建物と機械がそのままに。
今では岡谷絹工房として絁絹(あしぎぬ)をつかった岡谷絹が織られています。
つぎは、旧林家住宅のレポです。 ←ここが素敵なの~(〃∇〃)
「きものカンタービレ♪」のFacebookページ
↧
丸山タンク〜金上繭倉庫〜旧岡谷市役所庁舎〜旧山一林組 / 岡谷近代化産業遺跡群巡り その1
↧