待望の染織文化講座がはじまりました
歴史に残る講師陣!と「きものカンタービレ♪」でもご紹介させていただきましたが、
とても楽しみにいたしておりました~♪
第1回目講師の美しいキモノの富澤輝実子副編集長と
そしてこの度、講義中の撮影及び記録をご協力させていたただくことになりました。
講義内容のレポートは、講義2日目Bコースの終了から1週間ほどで、「染織文化講座」
のHPの【講座記録】にUPされる予定です。
染織文化講座の受講生の方は、染織文化講座のHPより写真をダウンロードできます。
会場の渋谷区大和田文化総合センターは渋谷駅から徒歩5~10分ですが登り坂。
渋谷駅は改装工事中でとてもわかりにくくなっています。私は迷子になりました(@@;
ハチ公前からでているバスですと1駅。渋谷の街を歩きたくない方にはこちらが便利です
バスを間違えそうになりまして、受講生の方にお声がけいただき助かりました。
ありがとうございましたm(_ _ )m
【7月26日の装い】東京◇晴れ(湿度高く蒸し蒸し) / 最低気温26℃ 最高気温32℃
紺色の茶屋辻文様風の絽小紋に川島織物の朝顔文様の夏唐織の帯をコーディネート。
茶屋辻の茶屋とは茶屋染という江戸初期(寛文)の頃に開発された模様染めの技法のこと
であり、辻とは帷子(麻の単衣)のこと。中級武家の女性に好まれた夏の正装のきものです。
麻地に藍染めを主として部分的に薄黄色が入ったもので、水辺の風景に橋や蛇籠、草花、
家屋(←実は昔コレが茶屋辻の茶屋だと思い込んでおりました)が総模様で描かれています。
大奥の衣服制度にも取り込まれ、中臈以下が着用していたそうです。
ちなみに御台所や御簾中が着用したのは本辻 ※参考文献「守貞漫稿」より
明治維新後、庶民にも格の高いきものとして受け入れられ、茶屋辻に染め上げられていた
模様そのものを「茶屋辻」というようになりました。
現代でも夏のきものの文様として染められることが多いようですが、袷の訪問着や振袖の
意匠にも見られます。
朝顔は平安時代に薬用として中国から渡来。種を下剤として使用したそうです。
※奈良時代に遣唐使が持ち帰ったとする説もあり
江戸時代になると観賞用として栽培され普及します。
朝顔の染め帯はよくありますが、これは夏唐織の絽なごや帯。
川島織物の夏唐織はあまり見かけないのですが、とても上品で気に入っています
鉄線文様の絽の帯あげは加藤萬、細めの帯〆は龍工房
A4の資料が入るようにバッグは大きめです。
燕文様の紗の裂地がつかわれた籠のトートバッグは松枝忍、ぞうりは菱屋カレンブロッソ
このところ、夕方からの局地的豪雨が怖くて麻でばかりでかけていたのですが、今日は
どうしよう…。悩みどころです( ̄_ ̄ i)
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染織文化講座がはじまりました! / 茶屋辻文様風の絽小紋に川島織物の朝顔の夏唐織の帯
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