葵祭 路頭の儀 近衛使代列 at 京都御所建礼門前観覧席 / 2013年 京都葵祭 その3
のつづき
●近衛使代(このえつかいだい)●行列中最高位。四位近衛中将。殿上人級の武官です。
黒の闕腋袍に表袴。武官ですが天皇陛下のつかいの代役なので巻纓冠でなく垂纓冠
銀面の馬に騎乗しています。カッコイイ~(〃∇〃) この姿が見たかったのです
先日、江戸時代に描かれた葵祭の祭礼絵巻を國學院大学博物館にて鑑賞いたしましたが、
装束は今とは違ったような…。近衛使代の馬にも銀面はありませんでした。
現代皇室の装束も時代を経て変わっていますので、祭礼の装束も変化するのが自然なの
かもしれません。
素襖のところにも書き加えましたが、葵祭は応仁の乱以後に中絶してしまいます。
約200年後、徳川幕府の太平の世になった1694年(元禄7年)に後水尾天皇の息子で
有職故実の神様といわれた霊元法王によって東山天皇の代に再興されるのです。
徳川家の葵の御紋は賀茂氏との関係に由来し、幕府からの援助がされます。
明治初期には1943年(明治4年)~1952年(明治16年)の間も西南戦争や佐賀の乱の
影響により中絶することとなります。
近衛使代は右腰に銀製の「魚袋(ぎょたい)」を石帯から下げています。
左側にいたので見えませんでしたが、前日に仙石先生からこういうものとみせていただきました
原型は中国の律令で定められた魚に似た形の割符と皮袋に由来。
日本では節会参列の公卿・五位以上の官人や賀茂祭の勅使にのみ装飾としてつかわれました。
通常の束帯にはつかわれません。近代では即位でもつかわれなかったので、葵祭の勅使
と近衛使代のみがつかうものとなりました。←きもの文化検定1級問題向き
馬は唐鞍で飾馬といわれ、輪鎧を用いて尾袋をつけ唐緒に結ばれています。
●手振(てぶり)● 飾り馬の馬具や近衛使代の調度品をもつ人
●牽馬(ひきうま)● 近衛代使の替え馬
帰途はこちらの馬に乗り換えるのだそうですが、現在は乗って帰ることはないのだそう。
●小舎人童(ことねりわらべ)● 緑色の水干の童
●風流傘● 祭列を豪華にする傘。大きな傘に紺布を張り、錦の帽額総(もこうふさ)などを
掛け造花で飾られたもの。
●陪従(べいじゅう)● 濃葡萄色の蛮絵文様の闕腋袍、紫裾濃の指貫、巻纓冠
雅楽奏者でもある武官です。
●内蔵使(くらづかい)● 赤の縫腋袍
内蔵寮の五位の次官。御祭文を捧げもつ人です。
●風流傘● 4人の取物舎人が2人で交代でもつのだそう。
本列である近衛使代の最後尾を飾ります。
この後、斎王代列がつづきます。
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葵祭 路頭の儀 近衛使代列 at 京都御所建礼門前観覧席 / 2013年 京都葵祭 その4
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