本来ならば祇園祭山鉾巡行の日。 春に山鉾巡行と神輿渡御の中止が決定された時は、いくらなんでも夏には収束しているのでは…と思っていたのですが、甘かった…。 疫病を鎮めるための祭礼の行事が、2020年(令和2年)は疫病によって中止となるという、なんとも皮肉な状況となってしまいました。 長刀鉾「注連縄切り」 お稚児さんの装束は雲龍文様の金襴赤地に四季に二陪織物の表袴。二陪織物地の襷掛けをしています。 つかわれる太刀は江戸時代末期、左行秀の作。刃渡り70cmの本物です。二人羽織のように後ろに介添えの方がついていらっしゃいました。 祇園祭は869年(貞観11年)に疫病が流行しそれを鎮めるための御霊会を神泉苑にて行なったことが起源。日本全国の当時の国の数であった66の鉾を立て、祇園神(牛頭天王•素戔嗚尊)を祀り、神輿を送って疫病の平癒、災厄の除去を祈願したことにはじまりまます。 八坂神社の祭礼として明治までは祇園御霊会といわれました。八坂神社が行なう神幸祭と山鉾町が行なう山鉾巡行があり、山桙巡行は重要無形民俗文化財とユネスコ無形文化遺産に指定されています。 八坂神社のご祭神は、祇園精舎の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)。日本では蘇民将来説話の武塔神(むとうしん)と同一視され素戔嗚尊(すさのおのみこと)とも習合されています。蘇民将来の説話武塔神は旅の途中で宿を乞いますが、裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)は断り、貧しかった蘇民将来はもてなしました。後に武塔神は再び蘇民将来を訪ねて茅の輪を渡し、その茅の輪をつけているものは疫病の役を免じされると約束します。ゆえに、祇園祭では「蘇民将来子孫也」記した粽が授続きをみる
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