今は街中がクリスマス…ですが、ワタクシが子供の頃は、12月14日といえば忠臣蔵でした。 歌川国芳「忠臣蔵十一段目夜討之図」 忠臣蔵といえば、言わずと知れた「時は元禄15年、師走半ばの14日…」と語られたものですが、今の時代はもはや「言わずと知れた」といえるかどうか…。 東山天皇の勅使への饗応役であった浅野内匠頭が、礼儀指南役であった高家筆頭の吉良上野介へ刃傷に及んだことが発端となった元禄赤穂事件。喧嘩両成敗でなかったことが遺恨を残し、家臣が主君の仇をとったという義の美談から脚色化され、後世にまで語り継がれていたもの。 犬公方といわれる徳川綱吉の治世、東山天皇の御世での出来事です。 時は元禄、泰平の世。 綱吉の治世の前半は天和の治といわれる善政です。東山天皇の大嘗祭を復活させています。綱吉の実母である桂昌院は従一位という最高位を与えられていま続きをみる
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