瀬底島の紅型工房「べにきち」へ / 琉球染織巡りの旅 その12
のつづき
瀬底島に別れを告げひたすら南下。沖縄本島って広いんですね…。
途中、国際色豊かなアメリカンなハンバーガー屋さんにてランチ
いよいよ、琉球絣の生産量の90%を占める南風原の町です。
琉球絣事業協同組合が入っているかすり会館へ
絣の技法はインドからはじまったといわれています。東南アジアを経由して14~15世紀頃
に琉球に伝わってきました。琉球王朝の交易時代でもあり、中国や日本本土の影響を受け
ながら、琉球の自然と風土にあった絣が各地でつくられるようになります。
平良美恵子先生が「琉球絣は昭和のはじめまでは、オロククンジーだったのよ」と、おっしゃって
いたので、オロククンジーとは何ぞや?と謎だったのですが、後で調べてわかりました
オロククンジー=小録紺地。小禄(オロク)でつくられる紺地(紺色はクンジーといわれる)のこと。
琉球王朝の産業を築いたとされる儀間真常が薩摩から木綿の種を持ち帰って、木綿栽培と
織物を育成したとありました。
儀間真常はさつま芋を中国から広めたり、黒糖の製法を伝播したことで有名。
昭和10年頃までは、小禄、豊見城、垣花の三つの村で琉球絣が盛んに織られていて、
藍染の木綿に白絣が特徴だったのだそう。沖縄では三村節として歌い継がれています♪
現在の琉球絣は90%以上を南風原にて生産しています。素材は絹が90%。
こちらは夏ものの琉球壁上布。上布という名がついていますが、絹です。
琉球絣の模様は約600種類あるといわれ、モチーフは自然や生活道具、鳥などから。
図案は琉球王朝のころから伝わる「御絵図帳(みえずちょう)」から職人がアレンジし
オリジナルをつくりあげています。御絵図帳とは琉球王朝時代に貢納布として織らせるための
デザイン帳。琉球王朝には絵図奉行という職があり、模様や染色にも指定がありました。
琉球絣の工程は32工程。 ※写真は琉球絣事業協同組合のパンフレットより
大雑把にいうと、図案をつくり、糸を括り、染め、織るのですが、絣がズレないように糸を糊で
固める「糊づけ」、絣模様になる部分を木綿糸で括る「手結」、経糸の地糸と絣糸を同時に
筬に巻き取る「巻取り」など、琉球絣の特徴となる工程があります。
琉球絣事業協同組合では後継者育成のための研修制をされていて、公募によって
集まった研修生は7ヶ月間琉球絣について学ぶことができるのだそう。
ああ、色とりどりの琉球壁上布が織られている~(≧▽≦)♪
絣の模様が設計図案とあうように筬通し幅でつけられる印を「耳じるし」といいます。
これも琉球絣にみられる特徴のひとつ。あ~、こちらもモロ好みだわ~(〃∇〃)
奥では絣分けをされていました
染色室
キツネノマゴ科の琉球藍。 水飴や泡盛を入れるそう。
糸繰り機。
糸の整経台。糸がかかっていないのでわかりにくいのですが…
綜絖にかける前に図案と照らし合わせながら経糸の地糸と絣糸を同時に筬に巻き取る
巻き取り。
綜絖掛け。分業制である琉球絣の綜絖掛けはある一族の方が一手にされているのだそう。
2階ではプロの方々が織られていました。
♪~シャートントントン、という機音が研修室と違う! とっても軽快でリズミカル(ノ゚ο゚)ノ
琉球絣の高機は木製で竹筬そして糸綜絖なのも特徴。
テッシュカバーが琉球絣の口織りでした。口織りとは、産地や制作者を織り込むこと。
これは口織りの練習用に織られた反物でつくられたようですね(゚ー゚;
こちらが琉球絣の製品検査場です。
検査基準の解説に興味津々。
項目は長さ、幅、織り密度、傷、わずかなツレなども見逃されません。
この厳しい検査基準があるからクオリティーの高い作品をつくりつづけることができるのでしょう。
合格すると証紙シールが貼られて市場にまわります。
琉球かすり会館の中にはショップも併設されています。
琉球絣がズラリ~。私、テンションがあがり過ぎて、全体を撮影し忘れました(x_x;)
二玉の絣が欲しかったのですが、やはり今はほとんどつくられていないそう…
今回は色がキレイな琉球壁上布を。
あと、織っていらした琉球壁上布を予約させていただきました~♪
琉球絣事業協同組合の皆さま、大城拓也さん、解説をありがとうございましたm(_ _ )m
琉球絣、きもの文化検定1級問題で出題しやすそうですね(-_☆)
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琉球かすり会館へ / 琉球染織巡りの旅 その13
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