平成の大遷宮 出雲大社へ その1 / 2013年GW 出雲の旅 その11
のつづき(^-^)/
出雲大社のご祭神は大国主大神。ちなみに七福神の大黒さまは、ヒンドゥー教のシヴァ神
のマハーカーラと大国主大神(大国主命)との習合によってできた神様です。
縁結びの神、富の神様としても知られ、旧暦10月の神無月(かんなづき、出雲では神在月)
には全国から出雲に八百万の神々が集まり神議が行われます。これに参加するのは
国つ神系のみであるとか天つ神も出雲へ出向くとか、諸説あります。
「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」
時に海を照して依り来る神あり。吾在るに由りての故に汝その國造りの大業を建つるを得たり。
吾は汝が幸魂奇魂なり。大國主神これ吾が幸魂奇魂なりけりと知りぬ。
大国主大神はこの幸魂奇魂をいただいて神性を養われ「ムスビの大神」となったとか。
生きとし生けるものすべてが幸福になる縁を結ぶ縁むすびの神と慕われる由縁なのだそう。
天照大御神は「目に見えること」を、大国主大神は「目に見えないこと」を司っている
といわれています。
日本書紀の本文によると大国主大神は素盞嗚尊の息子。古事記では素盞嗚尊の6世の孫
であり、娘の須勢理毘売命の夫。…だと思うのですが、諸説あります。
因幡の素兎のお話などから慈愛の深い神様として記されています。
古事記に記される国譲り神話には、大国主大神が高天原の天照大御神に国を譲る際に、
大きな宮殿を建てて欲しいと懇願したとあり、造営された天日隅宮(あまのひすみのみや)
が出雲大社の始まりといわれています。
天照大御神は子の天穂日命を大国主大神に仕えさせたと伝えられ、その天穂日命の子孫が
代々「出雲國造」と称して、出雲大社宮司の職に就いています。
現在は第84代出雲国造 千家尊祐宮司がその神統と道統を受け継いでいます。
もう一家は出雲教の北島家。こちらは79代目 北島英孝氏が現ご当主です。
出雲大社の神苑を流れる素鷲川
松並木の参道がつづきます
社殿が立ち並ぶ荒垣の入口。青銅製の鳥居は1666年(寛文6年)毛利綱広によって寄進。
平成の大遷宮前のこの時は、御仮殿にての参拝
出雲大社では「2拝•4拍手•1拝」
本殿前の八足門
八足門の彫刻は左甚五郎の作と伝わっています
中にはテントが張られて遷座祭の準備中
天下無双の大廈と称される本殿
出雲大社では吉のおみくじも持ち帰らずに縁結びを願って結びます。
神楽殿
どっしりとした注連縄は長さ13m、太さ8m、重さ4.5t
出雲大社の注連縄は左縫いといわれる通常みられる注連縄とは逆になっています
神楽殿の脇にある鏡の池では藤の花が満開でした
大遷宮を記念して神苑の特設ステージでは奉祝行事が開催されています。
奉祝祭は6月9日まででした。
出雲地方には神楽が多く伝わっていて、この日は見々久神楽。
起源は江戸時代の寛政年間(1789~1801)、出雲大社の末社の神官からの伝授による
と伝えられています
演目は「蛇切」
素盞嗚尊の八岐大蛇退治の話?
神楽や伝承によって伝えられている知られざる史実があるのかもしれません。
古事記は眉唾ものの印象でどうにも好きになれなかったのですが、舞台となった地を
巡ってみると、やはり何かがあるような。古代史は壮大なロマン。伝承の裏に脈々と
伝えられてきたものをあらためて探ってみたいものです。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
今回の滞在では行くことができなかったところもたくさんあります。
出雲はまた近いうちに訪れたいところとなりました。
ぜんさいのルーツは出雲の神在餅(じんざいもち)なのだとか
縁結びにかけて甘~いぜんざいを
次は葵祭レポです(^-^)/
未来設定による自動更新記事です。
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