7年前、街は自粛ムード一色で、木綿や紬の普段着であっても、着物を着て歩くというのは後ろめたいような心苦しさがありました。 着物は洋服と同じように、ジーンズのような普段着からドレスのような礼装まで、TPOにあわせた格があります。 着物は形が定型であるがゆえに、格は素材と織、そして文様と加飾表現で表します。 着物を着ることが当たり前の時代は、誰もが知っていたことも、今の時代では、そうした環境で育つか、もしくは興味を持って学ばなければ、わからないものとなってしまったがゆえに、木綿や紬であっても着物を着るというだけでも特別視されてしまう。着物は贅沢品であると認識せざるを得ない状況でした。着物を着ることが非日常となってしまい、着つけをしなければ着ることができないという不便さと、慣れない人は動きようによっては着崩れるという不安定さ、何よりも着物業界が着物の過剰な特別感(文化的価値や希少価値)ばかりを売り物としたことが、「こんな時にまで着物着て〜」と白い目で見られてしまうような状況をつくりだしてしまった…、そう感じていました。 着物を着ないことが被災地のためになるというのは、違う…。何よりも着物にも色々ある。それを伝えるべきでは…?続きをみる
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