節分祭 at 吉田神社 / 大元宮〜河道屋さんで年越し蕎麦〜本宮 のつづき この木からあそこまでがロープが張られるから、よく見えるのはココ!っと、教えていただいたベストポジションを確保できました。おかげさまで写真もバッチリ♪ ●追儺式(ついなしき)●方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を払う役目を負った役人と、脇に仕える侲子(しんし)と呼ばれる役人20人で、大内裏の中を厄払いで回った行事のこと。 ●方相氏(ほうそうし)●中国の古代王朝の周の時代の官職のひとつ。金色の四つ目の面をかぶり黒の小袖に朱の裳(奈良時代の礼服)のような装束をつけ矛と盾を持っています。なぜこの装束なのだろう…と思ったのですが、日本へ伝来したのは文武天皇の頃のようです。持統天皇の院政の御代ですね。 ☆.。.†:*・゜☆.。†.:*・゜☆.。.†:*・゜☆.。†.:*・゜ 笙の奏でられる中、吉田神社の追儺式の解説がはじまりました。 吉田山の山頂から陰陽師が方相氏を伴ってやってきます。陰陽師は吉田神社の宮司である澤井さんがつとめられました。 方相氏につづくのは侲子と松明を持った子供たち。 陰陽師によって祝詞があげられ榊で四方が浄められます。そして神饌が供えられました。 松明はどんどん燃えて落ちていくので、交換していくのですが、その手際が素晴しい。祭りによって子供たちが役割を果たし、礼に適った立ち振る舞いを身につけていく姿がよくわかります。 鬼がやってきます。赤い鬼は怒り。青い鬼は悲しみを…。打っ伏して嘆きます。黄の鬼は苦しみを…。はじめは威嚇しますがもがき苦しみだします。鬼は人の心に住むものなのでしょう。 様子を見ていた方相氏が動き出しました。 鬼が金棒で方相氏へ襲いかかります。「鬼に金棒」という諺がありますが、方相氏には敵わない。境内を戦いながら三周。弱って逃げ出そうとすると…桃の樹でつくった弓矢を射かけられます。 古来より中国では、桃は邪気を祓続きをみる
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