今日は節分旧暦では立春が新年の始まりとされ立春の前日の節分は大晦日にあたります。季節の変わり目には邪気が生じると考えられ、それを祓うために宮中で行なわれていたのが「鬼やらい」といわれる追儺式(ついなしき)です。追儺式を古式に則り伝承しているのが京都の吉田神社。 吉田神社は、859年(貞観元年)に藤原山陰(藤原北家、魚名の玄孫)が奈良春日大社の四座の神を歓請し、平安京鎮護の神として創建したことにより始まります。藤原山陰は料理の才にたけ、あらゆる食物を始めて調理調味づけた始祖、古来包丁の神、料理、飲食の神とされています。鎌倉時代以降は卜部氏が神職を相伝するようになり、室町末期に吉田兼倶が吉田神道を創始し、吉田神社境内に大元宮、末社を建立しました。「徒然草」の著者である吉田兼好の父である兼顕は吉田神社の神職であったことが知られています。吉田家は全国の神社の神職の任免権など所持し明治まで神道界に大きな権威を持っていました。吉田神社宮司の澤井隆男さんより節分祭のお話をお聞きし、前々からいってみたいと思っていました。今年はようやく実現!吉田神社の節分祭は例年50万人の人出があるそうで「吉田神社の追儺式に行きたいんです〜。」と京都の人に告げると「あかんあかん、あすこはえらい人が多くて、夜は寒くて寒くて、2日は交通規制もあって歩かなあきまへん。よういきまへんわ〜」と地元の方も敬遠していらっしゃるよう^^;うーん、でもいってみたい(。-人-。)「なら表から屋台を抜けて上まであがるのは大変やさかい、早めの時間にタクシーで遠回りしてもらって大元宮の脇までいってもらい、帰りは今出川へでられたらよろし。途中、河道屋さんで年越し蕎麦食べて暖まっていきなはれ。追儺の後は順正さんの湯豆腐やな。山秀の恵方巻きも忘れんといて」と、さすがのアドバイス!吉田神社、広いんです…。そして節分祭では800店の露店が並びます。話にでた河道屋さんも、順正さんも節分祭に露店で出店されています。というわけで…。大元宮の入口近くの某邸までタクシーで向かいそちらから吉田神社へ向かうことに続きをみる
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