まだつづきがあったの…?と思われそうですが、まだまだあるのです^^;
自然と同化したダイナミックな産業遺産! 北沢浮遊選鉱場 / 2017年GW 佐渡島の旅 6
のつづき♪
佐渡金山は1601年(慶長6年)に金北山で金脈が発見され開山されました。(それ以前に金山の金脈はみつかっておらず砂金程度) 1603年(慶長8年)に佐渡奉行所が置かれ徳川の天領地となりその後の江戸幕府の財源となりました。初代佐渡奉行は大久保長安。江戸時代初期の慶長〜寛永年間は年間の金の産出量は400kg、銀の産出量は40t強と、世界最大級。徳川264年の治世の平和は、豊かな金銀の産出から保たれたといっても過言ではないかも。1869年(明治2年)明治政府によって官営となり西洋技師が招かれ近代化されていきます。1889年(明治22年)に宮内庁御料局となって皇室財源に、1896年(明治29年)には三菱合資会社に払い下げとなりました。動力は蒸気から電気に。そして1989年(平成元年)に資源涸渇によって操業停止となります。今回の旅で、佐渡金山は平成の世まで稼動していたということに、実は驚きました^^;
佐渡金山のシンボルでもある「道遊の割戸」
パックリ割れているところは、江戸時代初期の人力の採掘後です。深さは74m、幅30m。
金山茶屋では、道遊の割戸をイメージした金箔入りの金山カレーが食べられます
金山の坑道巡り。まずは「道遊坑」のコース♪
近代化された明治32年から平成元年までつかわれていた坑道です。
鍾乳洞でなはいのですが、天井から水が落ちてきます。あとで調べたら酸性水だそう。手ぬぐいぐらいじゃ防げませんので、着物の方は雨コートを持参されたほうがよろしかと。
坑道の中は分かれ道もあり、トロッコのレールが残っています。
ここが道遊の割戸の真下!
坑道の中の気温は年間を通じて8℃〜13℃となっていて、アルコールの貯蔵に向いていることから、酒類熟成所がつくられています。
トロッコのレールがつづきます。
この壁面の写真が中々に面白い
もうすぐ出口です♪
金山でつかわれた機械類が展示されていました。
「宗太夫坑」のコース♪
江戸時代の手堀りの坑道と採掘跡をつかった資料館のような坑道。
「佐渡金山絵巻」に描かれた、江戸時代の金の採掘を人形をつかって再現しています。
水上輪といわれる水汲み作業
手堀りよる採掘作業
「やわらぎ」といわれる儀式。現在も神事としてつづいているのだそう。
金山の周りには搗鉱場跡もあります。
搗鉱場とは品質の低い鉱石を粉砕して水銀で金を回収する施設。明治期から建てられています。現存しているのは大正時代に建てられた建造物の基礎部分。
無機質な石でできている感じがヨーロッパの古代遺跡のようですが、近代産業遺産のひとつ。
佐渡は、その時代で固まってしまったような空間が所々にあって中々興味深いです。
つづきます。
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