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諏訪大社 神長官守矢資料館へ 高過庵•空飛ぶ泥船

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神長官守矢資料館へ

 

諏訪大社上社の神官長を古代から明治のはじめまで勤めてきた御家があります。太古の昔よりあるミシャグジ信仰の洩矢神(もりやしん)を祀った守矢一族の末裔です。

守矢氏は、出雲からやってきた建御名方命に敗北しますが、建御名方命を現人神の諏訪大社の大祝(おおほうり)として崇めつつも、守矢氏が筆頭神長官として神事を司ることで実権を握り、ミシャグジ信仰の洩矢神(もりやしん)を祀った祭祀をつづけてきたといわれています。

ミシャグジ信仰の祭祀は秘伝として口伝でのみ守矢家に一子相伝で伝承されていましたが、1871年(明治4年)の太政官布告により神職の世襲制が廃止され神長官職はなくなりました。残念ながら守矢家の現ご当主である78代目の守矢早苗さんには伝承されていないのだそうです。秘伝の神事は途絶えてしまいましたが、神長官家に関することを伝承されています。守矢家の敷地の一部は茅野市が管理し、神長官守矢資料館として一般に公開されています。

 

洩矢神の祭祀は真夜中にこの祈祷殿で伝承されたといわれています

 

資料館の建築は建築史家の藤森照信先生のデビュー。藤森照信先生の実家はこのすぐ近くで守矢早苗さんとは幼馴染のご縁でつくられたのだそう。

企画展「真田と諏訪 信濃の武将たち」(〜10月10日まで)が開催中でした。

 

旧武田領を巡る争い天正壬午の乱のときに真田昌幸が守矢氏にだした書状をはじめ、織田信長、武田勝頼から守矢氏宛の書状も。

 

常設展示は、毎4月15日(江戸時代までは旧暦の3月酉の日)に行われる御頭祭の供物が
再現されています。かつては75頭の鹿をお供えしたとのことですが、今は鹿肉と剥製の鹿の頭を供えるのだそうです。

75頭の鹿の中には必ず1頭耳が裂かれている鹿がいて、それは高野の耳裂き鹿といわれる諏訪の七不思議のひとつ。

御頭祭は、かつては御神(おこう)と呼ばれる8歳くらいの紅の着物を着た子供を御贄柱に縛りつけ神官が小刀を振ると馬に乗った使者が現れ開放されるという神事があり、この神事と守屋山が古代イスラエルの話に相似していることから様々な説があります。

 

資料館から奥にある原っぱへすすむと、ミシャグジを祀っているミシャグジ社があります。

自然の中にキリッとした空気感があります。この感覚、アイヌの二風谷に近いように感じました。あの時は冬、こちらは真夏、なのに不思議です。

 

さらに丘を登ると、宇宙船のような不思議なものが浮かんでいる…(゚_゚i)

藤森照信建築の茶室、空飛ぶ泥舟と高過庵です

こちらが空飛ぶ泥船のにじり口

ジブリにでてきそう…

脚が塔のようです

 

高過庵はやっぱり高すぎるということかと

 

太古の神の末裔が住むところに、ジブリの世界観。

いつみても不思議な光景ですが、和みます。

 

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