「西洋更紗 トワル•ド•ジュイ展」がBunkamura ザ•ミュージアムにて開催中(〜7月31日まで)
「更紗(さらさ)」とは、インドが発祥の地(諸説あり)である木綿の染め布地のこと。インドでは2000年以上も前から更紗染めがあったといわれています。
更紗が世界に広がるのは大航海時代の東インド会社の設立によって交易でヨーロッパにもたらされ、木版プリントが実用化されていきます。日本へは明(中国)から勘合貿易によってもたらされ、茶人に名物裂と銘々され珍重されました。
「西洋更紗 トワル•ド•ジョイ展」でも展示されていた更紗の襦袢。※2点とも染織文化講座の講座記録として撮影。
「寄裂半襦袢」江戸時代後期(19世紀初頭)
身頃は錦や更紗、繻子地、紅絞り、格子、モールなど多様な裂が継ぎ合わされているもので、袖はヨーロッパ更紗。
「更紗寄裂下着」江戸時代(19世紀前半)の男物の長襦袢。
古渡更紗と称されるヨーロッパ更紗の裂地がつかわれています。
インドから西洋にもたらされてた木綿の更紗は、絹よりも丈夫で織りよりも量産ができたことから爆発的な流行を生みだします。しかしそれによって織物の生産者からの反発を買うこととなり、フランスではルイ14世の治世1686年から73年に渡って、綿の栽培、更紗の製作、そして更紗の着用が禁止されます。亜麻、羊毛、絹の織物の産業の保護が目的。しかし罰則も効果をださず木綿の捺染染の流行は広がることとなります。禁止令が解除されるとフランスでは多くの捺染工場がつくられました。
「トワル•ド•ジョイ」は、オーベルカンプによって創立されたパリから30kmのジュイ=アン=ジョサスにある
捺染工場で染められた木綿布地のこと。木版プリントから筒書きのような防染、銅板プリントと新たな技術を取り入れて卓越したデザインで、マリーアントワネットをも魅了し世界の人々を夢中にさせたのです。
プリント技術がプリントされているテキスタイル
マリーアントワネットのドレスの断片がブックカバー地になっていました。
綿のドレスはリラックスできるから好まれたと推測されていますが…、ドレスの形状で着心地の良さを考えるなら絹に勝るものはないように思います。マリーアントワネットが木綿ならではの風合いや堅牢度や水洗いできるかどうかを考慮して木綿地を好んだとは考えにくいので、やはり「トワル•ド•ジョイ」のデザインに魅せられたのではないかな…と、勝手に予想。
そしてこの銅板プリントに描かれている女性はマリーアントワネットだといわれています。1785年製作のものなので、フランス革命前につくられたもの。
絹ではなく木綿、織りではなく染め、という染織の新しい素材と技法。捺染(プリント)技術によって量産も可能となります。
「トワル•ド•ジョイ」の鳥の顔が個性的なのも染めのなせる技かと
フランス革命後、「トワル•ド•ジョイ」は衰退し83年で歴史を閉じます。その間につくられた布は幻となったのです。しかし西洋更紗はウィリアム•モリスなどに受け継がれ、今もファッションやインテリアに生きています。
フランスで更紗禁止令の時代には、日本でも国産木綿栽培が普及し、友禅という染めの技法が流行を生みだしているということも興味深い。染織の学びは尽きることなくどんどんつながっていく。深い…。
ドゥ•マゴ•パリでお茶…ではなく、モヒート。夏だなあ…。
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「西洋更紗 トワル•ド•ジュイ」展 at Bunkamura ザ•ミュージアム
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