上巳の節句から一気に春本番を迎えたような暖かさでしたが、寒の戻りがやってきました。それでも今年の桜の開花は早そうですね。古来の日本では桜は再生の象徴でした。枯れ木のような木に葉よりも先に花をつける桜は、死んでしまったのに息を吹き込まれ再生したものとされ敬われたといいます。
5年前の3月は暖かい春の到来を心から待ち望み、咲いた桜がより愛おしく感じられたものです。
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2011年3月11日はサンフランシスコに滞在しておりました。
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サンフランシスコで転倒し殴られたような痣ができてしまい大きなサングラスをかけております…。
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サンフランシスコ湾と太平洋がつながる、金門海峡に架かる橋。ゴールデンゲートブリッジの真下。
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東日本大震災が起こったことを日本からの連絡で知ることとなります。翌日の朝はNYタイムスやウォールストリートジャーナルでも1面トップ記事として扱われ、CNNニュースでは原発事故に関して大きく取りあげられていました。
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原子力発電所がメルトダウンしている可能性があるので、福島原子力発電所の上空近くを飛ぶサンフランシスコからの帰国便は被爆する可能性があるから帰国を見合わせたほうがいいという連絡があったり、サンフランシスコ空港ではアメリカのテレビ局から取材され「あなた方は、あの国(放射能で汚染された死の国という表現)に帰ってこれからどうやって暮らしていくつもりなのか?」と聞かれたりしましたが、日本へ帰ることに迷いはありませんでした。人と人とのつながりを改めて考えさせられ、当たり前のように暮らしていることが当たり前ではないということに気づかされた日でもありました。
震災時にきものを着てサンフランシスコにいたことで、日本人としての心情吐露を求められた経験が自分が日本人であることを強く再認識することになったと思います。
帰国後の日本は、自粛一色できもので出掛けることは憚られ、あらためて今の日本人にとって「きものは贅沢品」であると認識せざるを得ない状況でした。私自身も染のきものに袖を通す気持ちには中々なれませんでした。ですが、ただ自粛していても何も世の中に還元できませんので、自分なりにできることをやりつつ、通常生活を送り、きものブログも更新しました。この当時たくさんの方からメッセージをいただいたことが、励みになっています。
現代の生活において、きものはなくても困らないものです。贅沢品かもしれません。しかし洋服のように流行を追いかけ使い捨てるようなことはなく、きものは1枚の反物に戻し再生することができるのです。きもの生活に慣れてしまえば、それが当たり前のこととなります。日本人にとってのきものは、ただ肌を隠すものでも寒さを凌ぐためのものでもありません。今の形になった歴史と伝統、そして製作に携わった多くの人や様々な人の想いを受け継いでいくものだと思います。
きものは日本人にとって大切なものですが、失いかけてから気がつくものとなりつつあります。私はつくり手にはなれませんが、きものを着る人でありつづけたい。そのために良さを知り、伝承していきたいと思っております。
あらためて哀悼の意を表し黙祷を捧げます。
朝香沙都子拝
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5年前の桜
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