大衆絹織物として、明治末~戦前の日本の和装文化の全盛期を彩った銘仙の魅力が満載♪
「きものモダニズム」展が泉屋博古館分館にて開催中(~12月6日まで)
当時の銘仙は、生地が弱く一生ものとなりにくかったことと、低コストで織りあげられることなどから、最先端の流行をとりいれた前衛的なものが次々とつくられました。それはアールヌーヴォーの装飾的なデザインからアールデコの幾何学図形意匠や色の対比表現といったモダニズムへ移り変わった時代背景とともに発展していきます。
長野県須坂市にある須坂クラシック美術館所蔵の銘仙コレクションから選りすぐりの100点の展示。須坂クラシック美術館開館20周年を記念しての展覧会です。
須坂クラシック美術館の建物は須坂藩御用達の呉服商で明治期には須坂銀行を創設し山一製糸を興した牧新七によって建てられたもの。大正時代には、製糸業、銀行、中部電力の創設で活躍した越寿三郎が、昭和時代には酒造業の本藤家が譲り受けたのだそうです。須坂クラシック美術館レポはこちら☆
こちらには日本画家の岡信孝先生が寄贈した銘仙が多く収蔵されています。岡信孝先生は川端龍子のお孫さんでいらっしゃいます。
写真右から外谷育美さん(須坂クラシック美術館学芸員)、須坂クラシック美術館館長、日本画家の岡信孝先生、朝香沙都子、森下愛子さん(泉屋博古館分館学芸員)
銘仙は北関東の養蚕地帯で形の良い正繭でない出荷できない玉繭や出殻繭からとった節糸を染めて自家用のものとしてつくっていたのがはじまり。明治末期からは工場で大量生産、大量流通の量産品の絹織物としてつくられ、経糸は生糸、緯糸に絹紡糸をつかって力織機で織りあげられました。工程の特徴は、経糸を仮織りし捺染で型染め、それを織機にかけ仮織りした糸をほぐしながら緯糸を入れ織りあげるというもの。
学芸員のお二方は秩父の新啓織物が復刻した秩父銘仙をお召しになっていました。
この写真が銘仙の魅力が一番伝わる
元になったのは、こちらの銘仙
銘仙にインカムというのが何とも良い感じでした(-^□^-)♪
ちなみに現在織られている秩父銘仙は昔と違って絹練糸がつかわれています。
新啓織物さんへ工房見学へいったレポはこちら☆とこちら☆
銘仙は今みてもとっても斬新!
大柄の絣を織りだすには、ほぐし織による捺染がリスクが少ないということは、現在は他産地でその技が実は生かされていることからもわかります。大胆な配色は古典的で三代着られるというようなものではありませんが、ファッションとしてとっても面白い。
こちらは昭和初期の伊勢崎銘仙
経糸と緯糸に型紙捺染をして織りあわせた併用絣です。色の数だけ型紙をつかっています。
銘仙を楽しむポイントは、絣足がつくりだす柔らかな境界線。これが何とも味わいがあるのです。
ぜひ肉眼で古き良き時代のモダニズムを堪能してみてくださいませ。
会期中は、監修の長崎巌先生をはじめ学芸員のギャラリートーク、新啓織物の工程撮影をされた東京文化財研究所の菊地さんと新啓織物さんの対談もあります♪
※会場内での撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載を主催者さまより許可いただいております。
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「きものモダニズム」内覧会 at 泉屋博古館分館
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