昨日の東京は32℃の真夏日でした…(x_x;)
いわゆる衣更えの目安といわれるものに従っていたら袷の装いなのですが、現実的に考えてそれは難しいのではないでしょうか。それはもう「日常ではきものを着るな」といっているようなものです。
先日も申しあげましたが、日常着は気候と場所にあわせれば、とくに決まりはないと考えています。
きものも洋服と同じく着るものですから、機能性や利便性を重視するのが当然のことです。
きものだからといって、日常の自分のための装いを、誰かの決めたわかりやすいルールのようなものに縛られて無理をする必要性を感じません。
衣裳は時代の変遷によって変化していくのが当たり前のこと。それは歴史が物語っています。
準礼装、礼装が求められるシチュエーションでは、自分の楽しみのためのオシャレではなく立場とその場に調和した装いが求められます。
現在では第一礼装が求められる結婚式でも、婚礼衣装や黒留袖のレンタルが袷に統一されつつあることから、式典でもいわゆる衣更えの目安とは異なる場合が多いです。
フォーマルな装いも、周りとの調和を考え臨機応変の装いとなっていくように思います。
2013年9月8日の伊勢ヶ濱親方理事就任と照ノ富士十両昇進祝賀会。
いわゆる衣更えの目安でいったら、透け感のある絽の訪問着は違和感があるように思われますが、力士の方々のは絽の五つ紋付羽織袴。角界は行司装束も五月場所、九月場所どちらも夏装束です。
パーティーなどでは男性に準じた装いになるようにしています。
~ 衣更えの変遷 ~
衣更えの習慣はかつては更衣といわれ平安時代の宮中行事として始まったとされています。
当初は中国の慣習に倣い旧暦の4月1日と10月1日に夏装束と冬装束の衣更えが行われていました。
装束は重ね着であり重ね色目には四季通用の雑と春夏秋冬があります。
重ね色目には、袷の表と裏の生地の配色を楽しむ重ね色目、五衣のように重ね着をしたときのかさね色目、経糸と緯糸の色で表す織色の重ね色目、があります。
江戸時代の武家社会になると、端午の節句と重陽の節句を区切りに年4回行われるようになり、
旧暦4月1日~5月4日は袷(表地に裏のついているきもの)
旧暦5月5日~8月31日は帷子(裏のない麻織物)、単衣(裏をつけない絹,もしくは木綿のきもの)
旧暦9月1日~9月8日は袷(表地に裏のついているきもの)
旧暦9月9日~3月31日は綿入れ(表地と裏の間に薄綿をいれたもの)
綿入れの着用期間が長いことからも、現代よりも寒かったであろうことがわかります。
明治に入ると西洋化政策がすすみ、明治5年11月9日には改暦が発表され23日後の
明治5年12月3日を明治6年1月1日と改めて、グレゴリオ暦(太陽暦)に改暦されます。
明治政府は、役人.軍人.警察官の制服の衣替えを新暦の6月1日~9月30日を夏服、
10月1日~5月31日を冬服と制定しました。
現在のきものの衣更えの習慣は、明治政府の定めた洋服の衣替えに倣ったものです。
6月1日~30日、9月1日~30日は単衣(裏地のないきもの、絽ちりめん、紗あわせ)
7月1日~8月31日は薄物(麻、絽、紗、透ける織物)
10月1日~5月31日は袷(裏地のついているきもの)
戦後になって洋装化が進み、着付教室なるものができたことによって、衣更えのルールがマニュアル化されたように思います。全国規模の教室ですと地域の気候を考えるよりも、指導要項で統一が求められるとかあったのかもしれませんね。着付教室の歴史については調べていないので断言はできませんが…。
五節句と照らし合わせるとよくわかりますが、グレゴリオ暦にあわせてしまうと、桃の節句である3月3日に桃の花は咲いていません。端午の節句の菖蒲、重陽の節句の菊も同じです。
現在でも宮中の装束は祭祀とともにあるゆえに旧暦にあわせられています。
現在の暦よりは旧暦にあわせたほうが無理がないとは思いますが、それよりも現在の地球温暖化を鑑みて各々が臨機応変な装いをしていくことが自然だと思います。
誰からも後ろ指を指されたくないという気持ちが、わかりやすいマニュアルに従うことになっているように思いますが、それに縛られてきものを着ることができなくなってしまう…というのは文化の損失であるように思います。ファッションも文化であり、そしてオシャレは楽しむものです。
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