しょうざん(友禅彩色、一珍染) / きもの文化検定工房見学 その3 のつづき
しょうざんといえば「生紬」といわれるぐらい有名ですが、
「生紬」はしょうざんの登録商標です。
生紬をつくることになったきっかけは、骨董市でみつけた古裂を復元したことなのだそうです。
おそらく、その古裂は生絹(すずし)だと思われます。
生絹(すずし)とは、夏の装束でつかわれた経糸緯糸ともに生糸で織られた平織の平絹。
蚕の繭からとられる「生糸」はセリシン(約25%)フィブロイン(約75%)のタンパク質でできています。
生糸を精練し(アルカリ性の溶剤で溶かす)、セリシンを取り除いたのが「絹糸」です。
セリシンを取り除くことによって柔らかく光沢のある絹織物になります。
生紬はセリシンを残すことによって、繭からとったままの自然の風合いをだしたもので、
それが名前の由来となっているとのこと。(ただし生繭ではなく乾繭)
生絹(すずし)の持つシャリ感をあらわすために、膠質のセリシンを残す、
そして玉繭から座繰りで糸をつくったのが、今の「生紬」となっているのだそうです。
しょうざんの生紬に関しては、以下のように説明されているところがほとんどです。
「上州赤城山麓で新芽の桑の葉を食べて育った春蚕の玉繭を座繰で手引きして製糸し
弾力のある素朴な玉糸を経緯使用し織り上げた素材」
しょうざんの工房でもこの説明文が書かれた赤城山麓の桑畑の写真付きの垂れ幕が飾られていました。
これは過去につくられたしょうざんの商品(現在も流通している)についている証紙の文面です。
この工房見学で、前々から疑問に思っていたことを率直にご質問させていただきました。
①生紬には「上州赤城山麓で新芽の桑の葉を食べて育った春蚕の玉繭」がつかれているのか?
●現在は中国産(ブラジル産なども混じっている)の玉繭。
生紬がつくられはじめた時は、上州赤城山麓で新芽の桑の葉を食べて育った春蚕の玉繭
がつかわれていたとのこと。(それはいつまでかもお聞きしたのですが、わからないようです)
②糸は上州赤城山麓で20軒残っているところで座繰りでされているとの説明だったのですが、
すべて上州赤城山麓の20軒で座繰りでつくられている糸なのか?
上州以外の他地域ではつくられていないのか?
●現在は他の地域でもつくられているとのこと。
※この2点の質問は、しょうざんの担当の方に、先日再確認させていただきました。
ちなみに今現在しょうざんでつくられる商品の証紙にはこう記載されています。
「上州赤城山麓の民家で伝え継がれている座繰りで手引きした玉糸を使用し織り上げる。
太細の節が独特の風合いと素朴な魅力をつくりだす素材です」
上州赤城山麓で新芽の桑の葉を食べて育った春蚕の玉繭であるとも、経緯糸とも玉糸とは
かかれていません。座繰りで手引きした玉糸ということのみです。
しょうざんでみせていただいた作品、素晴らしいものがありました。
工房見学ではつくり手の方がそれぞれに立派な仕事をされているところもみせていただきました。
きものはファッションなのです。着心地は着てみなければわかりませんが、
国産の繭であろうとなかろうと、どこでつむがれていようとも、素敵なものは素敵です。
しかしながら、着てみたい!と思っても、事実と異なった説明がされているというのは
(そしてそれは連鎖している)…、心から残念でなりません。
呉服屋さんやネットショップの生紬の説明は、昔の証紙の説明文がそのままつかわれている
からだと想像はつきますが、国産の絹が1%に満たない状況からしても、きものを売る立場の人が
ご存じないというのは、どういうことなのでしょう?
言われるがまま信じて購入した場合、信じていたものが違うと知ると、きものが嫌いになるぐらい
ガッカリすると思います。
きものには、ピンからキリまでありますが、大概のものは決してお安いものではありません。
なのにどうして、高級といわれるものほど、こう誤解を招くような不明瞭なことが多いのか…。
きもの離れの大きな要因のひとつです。
きものは着たい、欲しい、けれど…という、きもの愛好家の思いがきもの業界へは届くのでしょうか。
とても考えさせられる、工房見学となりました。
こういった機会を与えてくださる、きもの文化検定にとても感謝しております。
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しょうざん(生紬) 赤城山麓の桑畑の春蚕の玉繭? / きもの文化検定工房見学 その4
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