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第21回 沖縄工芸ふれあい広場 「沖縄の工芸展」at 時事通信社ホール

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つくり手とつかい手の相互交流を深めるコンセプトで開催されている
第21回 沖縄工芸ふれあい広場「沖縄の工芸展」へ(~9月7日まで)


喜如嘉の芭蕉布、読谷山花織、知花花織、首里織、琉球紅型、琉球絣、久米島紬、宮古上布、
八重山上布、八重山ミンサー、与那国織、ウージ染めの12の琉球染織の産地組合と
琉球漆器、琉球ガラス、三線の3つの琉球工芸の産地組合が出展されています。

●喜如嘉の芭蕉布
平良美恵子先生のお話
歴史的背景のお話の中には、宮城文著「八重山生活史」によると豊臣秀次の遺骸には
芭蕉布の羽織が羽織らせてあった(※その話のもとが何であるかの記載はないそう)、
毛利家伝来の史料には尚寧王と徳川家康の対面についての史料があり、琉球からの進物
には芭蕉布(はせを布)があることからも、かつては「はせを」といわれ、琉球がここぞという時に
差し出した布であるという話がいくつかありました。

漢方薬としてもつかわれ、幹の内側からは繊維が取られ、外側は紙になり、
葉は包むものとしてつかわれ、葉幹の汁は熱冷ましなど薬としてもつかわれた芭蕉布は
その姿も貴婦人のように美しいとされ、円山応挙が唐子と芭蕉を描いた襖絵があるという
お話もあったので、調べてみましたφ(.. )
兵庫県香住町にある大乗寺にある芭蕉の間の襖絵のことで、中国の故事となっている、
唐の皇帝につかえた郭子儀が芭蕉布の葉で遊ぶ子どもを見ている様子が描かれています。
芭蕉の葉が紙の代わりとしたという故事に基づいたもののようです。


●読谷山花織
池原栄子先生によるお話
琉球の大交易時代であった14世紀に読谷山花織の技法のもととなる絣や浮織が伝来し、
その後、独自に織られるようになった読谷山花織は明治以降衰退し幻の織物となりますが、
1964年有志によって復活し、現在は伝統的工芸品となりました。
現在107人が組合に属し、織り手は27歳~92歳まで。
色糸で浮きだす花織の模様にはそれぞれに意味があります。

紅露(グール)といわれる琉球染織ではよくつかわれる、サルトリイバラ

ゲッキツ(月橘)の名は花が蜜柑のような芳香を放つことからきているようです。


●琉球びんがた
屋富祖幸子先生のお話
琉球染織の中で唯一の染めのきもの。
紅型は型紙がつかわれる型染めのきものですが、白地紅型、染地紅型、返し型、朧型、藍型
と分けられています。

左が染地紅型の型紙◇模様に色挿しした後に、その上に糊伏せし、地を染める。
右が白地紅型の型紙◇地の部分に防染糊が置かれるので白地に仕上がる。その上から
模様部分に糊伏せをして、あらためて地を染めるのが返し型

琉球舞踊でつかわれる衣裳、化繊のプリントのものと絹地の本紅型を比べてみる。
観光施設などでは化繊のものが多く見られるが、実際に踊る場合は身体に沿う感が大事
となるので、踊りの大会では絹の縮緬地の本紅型がつかわれるとのこと。

↓左が本紅型、右が化繊のプリント


●ウージ染め
ウージはサトウキビから染められた織物

美しい色~。
きものや帯であったら素敵だと思うのですが、つくられるようになったのは近年のことで、
今は小物やタペストリーが主流だそうです。

サトウキビを刈り取る季節によって色が変化するのだそう。
深い黄緑色は太陽を浴びた後の季節の8月~9月の、黄色はその前の若い時季。
冬になるにしたがって、色は渋い色になります。


●美しいキモノ編集長の富川匡子さんの講演
琉球染織によるコーディネートの提案のお話でした。

琉球絣に花織の帯を若い方向けにご提案

こちらはシックに大人の女性向けに。

琉球絣に紅型の帯

この紅型に描かれている花は、サガリバナという、梅雨が明けた夏の夜に咲く花なのだそう。
どことなく神秘的で心魅かれました恋の矢

紅型のきものは帯あわせが難しいとされますが、琉球染織つながりで、シックな花織を
あわせるのも素敵。

美しすぎる編集長とカメラ


会場では、実演や体験もあり、琉球染織好きなら会期中ずーっといても見飽きない…。
もちろん販売もされています。←おそらくこちらが主
琉球染織のワンダーランドのようです:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

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