衣紋道高倉流の上巳の節句行事へ
今年はリアルお雛様です\(゜□゜)/
お内裏さま◇御引直衣に赤い袴、御立纓の冠
お雛さま◇御五衣小袿長袴、紅梅の匂いの襲目
左大臣◇武官束帯の黒闕腋袍、巻纓冠に老懸、胡簶に鷲の矢羽
右大臣◇武官束帯の朱闕腋袍、巻纓冠に老懸、胡簶に鷹の矢羽
三人官女◇白の小袖に赤の大腰袴
宮廷装束が隆盛であった平安時代、武家が台頭しその後衰退していった江戸末期、
そして開国後の明治から平成の現在まで、時代背景と共に宮廷装束も変化しています。
衣紋道高倉流宗会頭の仙石宗久先生のお話は、装束のひとつひとつを紐解いていくもの。
すると、その時代背景と共に見えてくるものがたくさんあります。
古来の日本は左上位でした。なので、本来は左側(向かって右側)が玉座となります。
ですが開国後明治になって西欧の王室流儀にあわせて天皇陛下は右側(向かって左側)
皇后陛下は左側(向かって右側)となったので、関東の雛人形はお内裏さまが右側
(向かって左側)お雛さまが左側(向かって右側)で飾られることが多くなりました。
高倉流では古来の左上位の飾り方です。
左大臣と右大臣では左大臣が上位。帝からみて左側が左大臣、右側が右大臣。
なのですが…、こちらまで逆に飾っているところもあるような…
左近の桜、右近の橘というのも間違って飾られているのを見たことがありますσ(^_^;)
左右のお話では、左翼と右翼はフランス革命後の議会の席次で議長の左側に急進派、
右側に保守派だったことから。
左袒は味方することのことをいうのは、古代中国の漢で高祖の劉邦の后の呂后の死後に
起きた劉氏と呂氏の戦いで、「劉氏に味方するものは左肩を脱いでみせよ」
という故事からというお話も。加担は犯罪に加わることなので注意。
雛人形の装束のひとつひとつについても大変詳しく、その時代背景が興味深いもの
だったので、別記事で詳細にレポートしたいと思います(^-^)/
三人官女から甘酒を頂きました
お抹茶と長命寺の桜餅も
【2月27日の装い】東京◇雨時々曇り / 最低気温7℃ 最高気温12℃
丁字染めの紬に志ま亀の貝桶文様の染め帯をコーディネート。
帯あげと帯〆は京都きねや
雛祭りを意識して、ピンク色のきものにお道具の貝桶文様の帯をあわせました。
傘はHANWAY、バッグとブローチは松枝忍、ぞうりは菱屋カレンブロッソ
張り子の犬のブローチも雛祭りっぽい?
琉球染織巡りの旅、京都工房見学、大相撲初場所←ご指摘いただき思いだしました
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リアルお雛様 / 衣紋道高倉流の上巳の節句(桃の節句) その1
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