天皇即位後のはじめての新嘗祭である大嘗祭が行なわれました。 天皇が行なう収穫祭であり、その年にとれた五穀を天神地祇に供え天皇自らも食し神の恵みを感謝する宮中祭祀。ほか皇位継承の秘技が行なわれます。 大嘗祭の大嘗宮の儀では、悠紀殿と主基殿がつくられます。 悠紀殿と主基殿の神座東側に神御衣(かんみそ)として祀られる布が「麁服(あらたえ)」と「繪服(にぎたえ)」です。 麁服は、大嘗祭のときに阿波国忌部氏直系の子孫の御殿人(みあらかんど)が調製を総括し供納する大麻織物のこと。麁服の調整を総括、管理し、大嘗祭に大嘗宮の神座へ供納する身分の人を御殿人、麁服を調整する人を御衣人(みぞひと)といいます。調進とは皇室から依頼されたものを調整して届けること。細目籠にいれて宮中に収めます。戦後はじめてとなった平成の大嘗祭では、徳島ではすでに大麻栽培の技術が途絶えており、伊勢神宮に奉納されている群馬県の岩島麻の種子を岩島麻保存会が、阿波忌部氏直系の麁服奉仕者の御殿人である三木家の畑へ出向き、栽培から麻挽きまで技術指導したことで大嘗祭に間に合わせています。 令和は平成の技術の伝承から可能となっています。 古くは応仁の乱ですが、戦争は文化の伝承を途絶えさせててしまうわけで…続きをみる
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