「円山応挙から近代京都画壇」展 の後期展示が東京藝術大学博物館にて開催中(〜9月30日まで) ザックリといってしまうと、円山応挙の描いた花鳥風月の空気感は京都画壇へ受け継がれ、友禅の世界へとつづいています。 江戸時代、友禅の下絵は画工といわれる職人の手によって描かれていました。明治になり西欧化が進む中で京都画壇の日本画家を画工の顧問として迎え、友禅の下絵を描かせたのが、千總12代目の西村總左衛門です。 「友禅の祖といわれる宮崎友禅斎の出世譚は岸駒に酷似している、このことが明治期の友禅ブームつくりだした背景にある」 これは染織研究家の丸山伸彦先生の考察によるものですが、すでに定説となりつつあります。 岸駒の孫娘と結婚し岸派の後継者となったのが岸連山であり、岸連山の娘婿は岸竹堂です。西村總左衛門は岸竹堂に日本画を習っていたといわれています。 この展示会は、円山応挙からその流れを汲む岸派の作品、そして呉春から髙島屋呉服部の下絵画家としても活躍した四条派の竹内栖鳳、そして上村松園と、染織続きをみる
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