ひろいのぶこ先生「樹皮と草皮の布、その可能性」at 喜如嘉公会堂 / 琉球染織巡りの旅 その9
のつづき
ひろい先生の講演会の後は、自然布の生産者でもある古代織産地連絡会の方々を
パネリストとしてシンポジウムが開催されました。
布の原点である自然布。麻を栽培し繊維を取る以前、遥か昔の話(縄文時代から)ですが、
古代の人々は野山に自生する靭皮繊維から布を織っていたといいます。
植物繊維は大きく3つにわけられます。
◎種子繊維(木綿)
◎靭皮繊維(大麻、苧麻、亜麻、葛、科など)、
◎葉脈繊維(芭蕉、マニラ麻、パイナップル、竜舌蘭など)
自然と共存し昔からつづく糸から取り出し布を織る人々のお話は、各産地の布の特色から
新しい取組までが紹介され、さらに新しい展開、自然布学会(仮名称)の設立へ向けての
天望のお話もありました。
以下、今回の自然布ツアーでお聞きしたお話からザックリですがまとめますφ(.. )
【しな布】
新潟県村上市•さんぽく生業の里から國井千寿子先生
山形県関川•関川しな織協同組合から五十嵐千江先生
科の木が成木となるには15~20年。梅雨の時季に伐採し皮を剥ぎ内側の皮のみ乾燥。
夏に乾燥した皮を灰汁で煮て、柔らかくなった皮を石や竹棒で扱いて繊維を取り出す。
さらに米ぬかで発酵させ柔らかくし、冬になったら糸にしていく。糸には撚りを掛ける。
しな布は、水に強く、涼しく、軽い、樹の恵みの布。
ウエルカムパーティーで五十嵐先生が着ていらしたしな布の帯。
きものの格子もしな糸が入っていた?←後で確認します。
【丹後藤布】
京都府与謝野町の芙留庵 加畑兼四郎氏の後継者である小西暢子先生
藤布の材料になるのは丹後の山に自生する藤。5年ぐらい経ったものがベスト。
藤蔓は、鬼皮、中皮(アラソ)、芯の3層からできていて、藤布につかわれるのは中皮の部分。
原始布ともいわれるぐらい日本では古くから織られていたという藤布は、肌にも良いとされ
昔の文献にも記述がみられる。水に強く柔軟性がある。
藤布の帯はつかうほどに身体に沿うようになるとのこと。
【葛布】
静岡県島田市•大井川葛布から村井龍彦先生と村井良子先生
静岡県西部周辺でつくられている葛布は、経糸は木綿、麻、絹などをつかって緯糸は
撚りを掛けない葛の平糸で織られている。独特の光沢がある。
1712年(正徳12年)刊行の「和漢三才図絵」では葛布は芭蕉布や晒布とならぶものであり、
掛川の名産だったことが記載されている。
葛はつる性の植物なので糸にするときの天地の方向性(根のほう天のほう)は気にしない。
梅雨の時季に収穫して1年かけて糸にしていく。
直線的でバリッとしたカッコイイデザイン。公家の葛袴としてつかわれていた。
【大麻布】
栃木県那須•大麻博物館館長の高安淳一先生
大麻は昔から日本で盛んに栽培されていた農作物のひとつ。古来から日本で栽培されて
きた大麻草には麻薬成分をほとんど含まない。戦前までは自家用の衣類や縄などにもつくられ
つかわれたそうですが、第二次世界大戦後アメリカからの指示によって禁止され、現在では
許可制のみでつくられるようになる。
麻は成長が早い。※麻の葉文様が子供の成長を願う文様なのはここから。
繊維はチューブ構造になっているので、空気を含み湿気を放出する。夏涼しく冬は暖かい。
糸にするときの天地の方向を揃えることによって、植物が生きていた状態を封じ込めることが
できる。←苧麻、大麻、芭蕉など。
神事には大麻は欠かせないものであり、伊勢神宮の神宮大麻というお札にもなっていて、
お浄めの道具としてもつかわれている。
【宮古上布】
沖縄県宮古島•宮古織物事業協同組合から上原則子先生
1mに成長した苧麻を年に4~5回収穫。ミミ貝でしごいて繊維を取っている。宮古上布は
苧麻の栽培、糸績み、絣締め、絣締め、染め、砧打ちの全行程を宮古島で分業制で行なっている。
速乾性があり、風が身体を通り抜ける涼しい布。とても丈夫で三代はもつ。
最近は細い糸をつくる人が減ってきているというお話も。
【手紡ぎ木綿•和棉】
十絲の会から小峰和子先生と千葉県船橋から永井泉先生
種子繊維である和棉。棉は繊維が長く、断面が空洞になっていることにより速乾性があり、
通常の米綿と違って柔らかく着心地が良い。吸湿性、速乾性に優れて暖かいのが特徴。
米綿が入ってくるまでは、日本の風土にあった和棉がつくられていた。
棉栽培から糸紡ぎまで一貫して布をつくっている。春に種を蒔き秋に収穫。棉の実の周り
についている棉毛を紡ぐ。1kgの棉できもの1反。1人が毎日紡いでひと月かかる。
木綿には「木綿往生」という言葉があり、きものの後は襁褓、雑巾、最後は灰にしてつかいきった。
機械紡績と手紡ぎの違いは機械紡績だとタンパク質がなく草木染めがしにくい。
手紡ぎは繊維と繊維の隙間に空気を含み染料が入り染めつきが良い。
【芭蕉布】
沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉•喜如嘉芭蕉布事業協同組合から平良美恵子先生
糸芭蕉は成熟するまでに2~3年かかり、繊維を柔らかくするためには年に3~4回葉と芯を
切り落とし根と先の太さが一定になるようにする。きものの着尺1反をつくるのには約200本
の糸芭蕉がつかわれる。色が良く滑らかで軽くて涼しいが寒さと乾燥に弱く破れやすい。
しかし海水にはとても強い利点があり船をつなぐロープにつかわれていた。
喜如嘉では織りあがった芭蕉布の最後の仕上げの工程を洗濯という。精練し乾かした反物
をユナジに浸して中和させるとある。ユナジとは米粥に米粉と水を加えて発酵させたもので、
米酢でも代用できる。
「芭蕉布に作者はない。芭蕉布は生きつづけている。キレイに洗って解いて仕立て直して、
多くの方に見て欲しい」 と平良美恵子先生のお話にはありました。
近い将来、喜如嘉の地で再び見られることを期待しております!
経済だけを考えたら自然布は残らない。自然布は文化である。自然布に内包する知恵と
叡智を考えてみる。四季がある日本では、季節にあわせて柔軟に身体をつかって仕事を
してきたが、現在の日本人の生活では面倒なこと。しかしその面倒なことをやってみると
ものの捉え方も違ってくる。日本に根ざしている日本の心がわかる。ものを大切にする
心が得られる。
「服薬」という考え方は、薬となる染料で染めた布を纏うことで、肌から身体に
薬を取り入れると考えられていた。それでも効かない場合には煎じて飲むこと。
これが今日の内服薬の語源となっている。
自然布の歴史を知り、過去の技術を研究し、それを現代に応用し生かしていく。
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会場には、この会のために(この日は大雨で寒かった)芭蕉布を着ていらした方がいらっしゃり、
その方が「芭蕉布は着ているほどに身体に馴染んでくる。芭蕉布は着る人が育てる」と
お話しされたのが、とても印象的でした。
私は度々「きものを着倒す」という表現をつかっていたのですが…、反省
これからは着込んで育てたいと思います!ああ、芭蕉布が着たくなりました:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
ものは溢れている今の生活ですが、本当に必要なこと、大切なものは何か?
自然と共存し、先人たちの思いをつないでいく。深く考えさせられました。
考えられることも幸せなことですね。すべてのことに感謝しつつ…。
獅子舞演舞へとつづきます(^-^)/
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古代織産地連絡会シンポジウム「自然布の行方」at 喜如嘉公会堂 / 琉球染織巡りの旅 その10
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