古代織産地連絡会の主催による「喜如嘉の芭蕉布と自然布ツアー」へ♪
江戸時代に綿が普及するまでは布といえば麻のことでしたが、麻の栽培がされるまで、
古代の人々は野山に自生する植物から繊維を取り出して布を織っていました。
その代表的なものが藤布、科布、そして葛布です。これらは古代布といわれています。
羽越しな布、葛布、藤布、芭蕉布、宮古上布、大麻布の古代布の工房が所属している
古代織産地連絡会。何年か前に宮古島ツアーにもお誘いいただいていたのですが、日程が
あわず、参加できなかったことがとっても残念でしたので、今回は早くから日程を調整し、
喜び勇んで参加いたしました!
喜如嘉では、13世紀に起源をもつといわれる芭蕉布の戦前から戦後、沖縄本土復帰後、
そして現在の芭蕉布が一堂に展示された「芭蕉布今昔展」が開催中。(1月21日~27日まで)
これにあわせて、「日本の自然布展」も開催され、講演会とシンポジウムも開かれました。
このツアーでは、芭蕉布づくりのワークショップや平良敏子先生もいらしたパーティーもあり
とても充実した内容になっています。
おおよその時系列で、琉球染織巡りの旅レポートの中でご紹介していきます(^-^)/
沖縄へ向います!
東京◇晴れ / 最低気温3℃ 最高気温12℃
和装の欠点は着脱ができないこと。防寒は羽織やショールなど脱げるものですることにして、
下着は夏仕様、長襦袢は単衣か麻や爽竹のような夏物のほうが良いと思います。
(着替えの単の長襦袢を入れ忘れ袷の長襦袢で通しましたが暑すぎました)
沖縄◇晴れ / 最低気温16℃ 最高気温23℃
那覇空港につくなり暑さにビックリ(=◇=;) 春どころか初夏の陽気でした。
城間びんがた工房見学へ
ああ、沖縄の陽射しにはマングースがよく似合う…。
栄順先生はいらっしゃらなかったのですが、奥さまがいらっしゃいました。
お会いするのは2006年の冬にこちらの工房を見学させていただいて以来。
右はこの旅にお誘いしたマーブル•イン•ザ•ポケット主宰のガラス作家の小上馬香織さん。
城間栄順先生のご長男である栄一さんが紅型についてご説明くださいました。
東京との気温差で暑くてビックリしていたのですが、沖縄では寒いほうとのことで、何と
ダウンをお召しになっていました(・_・;)
明治政府による琉球併合、第二次世界大戦による焦土化によって紅型は衰亡の危機に
追い込まれますが、城間栄順先生のお父様の栄喜氏の紅型再生の取り組みによって甦り、
さらに本土との交流によって現代の形となっていったのだそうです。
紅型に大切なものは道具。すべて手づくりでつくられます。上からご紹介。
琉球料理ででてくるお箸に刃がついた小刀(シーグゥ)
色挿しの後の摺り込みでつかう差し刷毛。沖縄のヤンバル竹に若い女性の髪を通して
つくられています。顔料の上から天然染料を重ね塗りし色に深みをだす効果があり。
糊引き筒袋の筒先は銃弾を加工してつくられたもの。戦後、モノがない時代に落ちていた
銃弾を拾って筒先にしたというのは有名なお話。
右にある四角いものは、ルクジュウという島豆腐を乾燥させオイルにつけて作った台。
藍型の浸染について、気になっていたので質問してみました。
本土の藍(タデ科)の蒅をつかった藍染めは、冬のほうが良いときいているのですが、
沖縄の琉球藍(キツネノマゴ科)の場合はいつが適しているのか?
夏のほうが良いのだそうです。25℃以上が適温なので冬は石灰を入れて冬眠させるとのこと。
以前、きもの学で栄順先生が25℃以下になると藍が風邪を引くとおっしゃっていたことを
思い出しました!
【1月25日の装い】
今回の琉球染織の旅はできるだけ琉球ものでコーディネートと決めていました。
ティーヂンクン•ビーマ(拳固)柄の琉球絣に城間栄順の塔と梅文様の紅型の帯をコーディネート。
この琉球絣の作者は大城カメさんだということが判明。
無地の縮緬の帯あげは加藤萬、帯〆は伊藤組紐、根付紐は藤岡組紐
海馬ガラスの小鳥の根付はマーブル•イン•ザ•ポケット
この帯は地味~(゚_゚i) なのですが、梅の時季ならピッタリ!…。
しかし沖縄は桜が咲いていました(+_+)
A4サイズの書類も入る籠に古布がデコパージュされたバッグは松枝忍。
両面でイメージが全く違います。帯の色にリンクさせてみました。
あまりに暑かったので、城間びんがた工房にて扇子を購入しました!
なんでこんなにワルそうな顔しているんでしょう(゚_゚i)
ワルそうな顔が可愛いですが…。
さて、旅ははじまったばかり…。←いきなりお土産です
長いレポートになりそうな予感がしますσ(^_^;)
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喜如嘉の芭蕉布と自然布ツアー •城間びんがた工房見学 / 琉球染織巡りの旅 その1
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