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Channel: 朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba
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諏訪大社 上社の本宮にて初詣

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諏訪大社は信濃の一の宮。その起源は定かでなく日本で最も歴史が古いといわれています。
諏訪湖の周りに上社の本宮と前宮、下社の秋宮と春宮という四つのお宮があり、神さまが
移動するという説が今に伝わり生きています。元旦は上社本宮にて初詣をいたしました。

「御神渡り(おみわたり)」といわれる真冬に諏訪湖の湖面の氷の盛り上がる現象は、
上社の男神の建御名方命(たけみなかたのみこと)が、下社の女神である八坂刀売命
(やさかとめのみこと)に会いに行った足跡とも、ミシャグチ神が通った跡ともされており、
神が諏訪湖へ降り立ったといわれる諏訪市側を下座(くだりまし)、下諏訪町側の神が
岸へ上がったとされる部分を上座(あがりまし)といいいます。
年末年始は雪も少なく、氷は張っていませんでした。

諏訪大社上社に祀られているのは、出雲大社の大国主命(おおくにぬしのみこと)の息子である
建御名方命(たけみなかたのかみ)とその妻の八坂刀売命(やさかとめのみこと)です。
古事記によると、建御雷神(たけみかずち)を恐れて出雲から諏訪に逃げ延びてきた建御名方命は
諏訪の守矢一族に勝ち、この地で現人神(あらひとがみ)となったとあります。その子孫が諏訪氏です。
武田勝頼の母の湖衣姫(由布姫)の実家でもあり、武人と神官の顔をもつ特異な家系となります。
建御名方命は二度と出雲には戻りませんと建御雷神に誓った為に、10月出雲にいかないので、
諏訪周辺も出雲同様に神無月でなく神在月というらしいです。

諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。上社は御山を御神体として拝しているそうです。
古代の神社には社殿がなかったといわれていて、諏訪大社はその古くからの姿を残しています。
社殿の四隅には御柱があり、七年に一度、平安時代以前から行われている御柱祭があります。

樹齢1000年以上になる贄掛けの欅。古くは贄や御狩の獲物を掛けて祈願したのだそう。

1827年(文政2年)建立の神楽殿。四方吹き通しの入母屋造。
龍神が描かれた大太鼓は大晦日から元旦にかけてのみ打たれます。

1773年(安永2年)建立された五間廊。廊下様式切妻造です。

1690年(元禄3年)に創建。格子障子の建物。

駒形屋といわれる神馬舎。中には幣帛を背負った馬の像がニ体あるようです。
中が暗くて見えませんでした汗

1829年(文政12年)建立された入口御門

御門からつづく参道は布橋といわれます。

明治以前は大祝(最高神官)のみが通行を許された神の通り道であったとか。←異説あり
遷宮の際も布が敷かれたそうです。

御柱祭の目処梃子(めどてこ)。男の神を表すシンボルとされています。
上社の全ての御柱には角(つの)のような柱がV字型になるよう柱の前後についています。

このめどてこに氏子がしがみつき、左右にゆらしながら、おんべを振る姿が御柱祭の特徴。
日本三大奇祭のひとつである勇壮な神事。毎年死傷者がでていますが、古代から現在まで
受け継がれているもののひとつ。

1828年(文政1年)建造の摂社末社遥拝所

大国主社。建御名方命の父である大国主命が祀られています。


境内に向かいます。

普段はひっそりしていますが、元旦はさすがに人がたくさん。

昔は神社に参拝していても、誰が祀られているのかさえも理解しないままに、
ただ願をかけておりましたが、染織にまつわる文化を学ぶようなると、伝承の裏に脈々と
伝えられてきたものについて深く考えるようになりなりました。
そして日本人であることを自覚する元旦です。

おみくじは吉でした。諏訪大社のおみくじの項目には養蚕があるのが特徴ビックリマーク


きもの姿の人はほとんどいませんでした。雪がチラチラ舞う天気だったこともあるかな汗

鳥居までは、鵺のごとくきものにコートに帽子。
しかしこのスタイルは今ひとつでやめました汗きものに似合う帽子探さなくっちゃ(-_☆)


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