古代織連絡会の「葛布と日本の自然布の旅 2017」古代織連絡会は、現代の日本において植物を栽培、もしくは採取し、自らの手で繊維をとりだし、糸の状態にして織るという自然布の産地と工房の集まりです。 麻を栽培し繊維を取る以前の遥か昔の縄文時代から、古代の人々は野山に自生する靭皮繊維から布を織っていたといいます。これらは古代織といわれます。 古代織連絡会には和綿も入っています。日本での木綿の本格的な普及は江戸時代のことですが、世界的にみると木綿は実は紀元前から栽培され織られていたからとのこと。なるほど。 今回の旅で最初に訪れたのは、弥生時代の集落の登呂遺跡! 登呂遺跡は第二次世界大戦中に軍事工場を建設する際に発見され、戦後になって日本ではじめて本格的に統合的な発掘調査がされた遺跡。 現在は登呂遺跡公園となっています。電線と普通の住宅地の中に無防備な状態であってびっくり@@; 登呂遺跡は竪穴式住居ではなく竪穴系平地式住居。竪穴式住居との違いは周りに掘られた排水溝です。地面を掘り下げるのではなくて周りに土手が築かれています。中から見た天井。明かり取りがあります。材料は藁でつくられているようでした。 水田では弥生時代の赤米も栽培されていました。穂先が赤いのがわかりますでしょうか。赤米を土器で続きをみる
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