日御碕神社 ~ 旧大社駅 / 2013年GW 出雲の旅 その10
のつづきです(^-^)/
60年ぶりの大遷宮を迎えた出雲大社へ
今年のGWは奈良東大寺で聖武天皇祭の奉納式典に参列、その翌日に出雲入りいたしました。
空港より直ぐに出雲大社にて参拝。そして帰りも出雲大社に参拝後、空港へ。
※写真は両日のものを説明文にあわせてつかっています。よって撮影順不同。
GW真っ直中の5月3日は大遷宮前のこともあって例年にないという人の多さ( ̄□ ̄;)!!
八百万の神の国そして神話の舞台である出雲。
古事記に記される国譲り神話には、大国主大神が高天原の天照大御神に国を譲る際に、
大きな宮殿を建てて欲しい懇願したとあり、造営された天日隅宮(あまのひすみのみや)
が出雲大社の始まりといわれています。
大国主大神の住まうとされる本殿は「天下無双の大廈(たいか)」と称されます。
古代出雲大社は本殿の高さが16丈(48m)もあり日本一の高さだったのだそう。
現在の出雲大社の本殿は高さが24m。大社造りといわれる日本最古の建築様式です。
1744年(延享元年)の造営によるもの。
その後、1809年(文化6年)、1881年(明治14年)、1953年(昭和28年)と3度に
わたり御遷宮御修造が行なわれています。
まさにこの時が、60年ぶりに社殿を修造し、御神体や御神座を本来あったところから
お遷しして再び御神体にお還りいただくための大遷宮の式典の準備の真っ最中。
折しも今年は伊勢神宮の式年遷宮とも重なる特筆すべき貴重な年。
遷宮の目的には、木造建築の建物を維持していくため、古来より伝わる社殿の建築など
様々な技術を継承していくため、神社は清浄であることが不可欠でありそのためのもの、
といわれています。
天下無双の大廈と称えられてきた本殿の修造には、震災被害にあった東北地方の木材
なども使用され、銅板は130年ぶりにちゃん塗りと呼ばれる特殊な塗装を施されました。
約70万枚もの膨大な檜皮が敷き詰められた大屋根は素晴らしいです(ノ゚ο゚)ノ
この時準備されていた「本殿遷座祭」について、いただいた資料をもとに簡単にまとめφ(.. )
本殿遷座祭とは、大国主大神の御神体に新しくなった御本殿に御還りいただくこと。
2013年5月10日19時よりおこなわれ、遷座祭と翌日の奉幣祭には三笠宮彬子女王殿下、
高円宮典子女王殿下も御参列され、全国からは12,000人の参拝者が訪れたのだそう。
遷座祭は、宮司以下の神職が御仮殿へと参進、これより大神様を御本殿へと御遷座する旨
の祝詞の奏上、続いて天皇陛下の勅使が随員と共に御仮殿へと参進され御祭文が奏上。
そして境内の明かりが消され、新月の闇夜に包まれる中での御遷座となったのだそうです。
大神様の御神体が御神輿へ奉安されると、御神輿の周囲が絹垣に覆われ、御神幸行列が出発。
行列は神幸路の先々を祓い清める先祓の神職を先頭に、道楽や威儀物、八重榊、また大神様
の御装束が納められた唐櫃を担ぐ神職、御幣を捧持した供奉者などが続き、瑞垣沿いの神幸路
をゆっくりと進みながら御神体が御本殿へと遷座されました。
その後は、種々のお供え物が御神前へと進められ、宮司の祝詞奏上によって御皇室の弥栄と
国家の安泰、国民の幸せが祈念され、勅使により 御祭文の奏上がなされると、
三笠宮彬子女王殿下、高円宮典子女王殿下が立玉串を捧げられての御拝礼、奉拝者代表の
玉串拝礼がなされ、約2時間30分に及ぶ祭典だったとのこと。
三笠宮彬子女王殿下、高円宮典子女王殿下の装いは、ローブデコルテの正装。
翌日11日10時からは「本殿遷座奉幣祭」が斎行。
昨夜に引き続き勅使参向のもと、天皇陛下よりの御幣物が御神前へとお供えされました。
祭典後には境内の神苑に設けらたテント内にて直会の会が催されました。
直会の会に出席された参拝者の方々の装いは、男女共にスーツの方が多かったようですが、
五つ紋付黒留袖の方もいらしたとのことでした。
私が参拝した日の八足門の中は遷座祭の準備の真っ最中でした。
これも貴重な光景です。
直会の会が催された特設テントはこちら。
出雲大社レポつづきます(^-^)/
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平成の大遷宮 出雲大社へ その1 / 2013年GW 出雲の旅 その11
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