共立女子大学は女性の自主性と自立を志して1886年(明治19年)に設立されました。以来、長年に渡って、教育の資料としてだけでなく、研究資料として幅広くさまざまな服飾品や工芸品を収集されています。それらがいよいよ、創立130年を記念し「共立女子大学博物館」が設立され、一般に公開されることとなりました♪
2016年10月10日(月) 開館です。
その前々日に行なわれた、開会式とオープニングレセプション、そして内覧会へ。
染織服飾史研究の第一人者である長崎巌先生と
共立女子大学博物館の初代館長でもいらっしゃいます。長崎先生の講座はできるだけ聴講しておりますので、私は追っかけのようなものですが…^^; (染織学界の片岡仁左衛門と密かによんでいる) その努力が実って!?この開会式にもお声がけいただきました。
開会式では博物館をオープンするにあたっては、これ以上望めないほど相応しい人が学内にいた!というお話もありました。
会場には、染織関係だけでなく、美術関係、服飾関係、出版関係の方々が多くいらっしゃり、久しぶりにお会いすることができた方や、以前からお会いしたいと思っていた方にもお目にかかれました。
竺仙五代目当主の小川文男社長と
共立女子大学博物館は2号館の地下にあります。女子大ですが男性も入館できます。
開館は月〜金 9:30〜16:30 入館料は無料です。
「三百年がはぐくんだ服飾美」が公開中(〜12月2日まで)
会場内は広くはないのですが…、所蔵品は素晴らしいものばかりです。
共立女子大学の所蔵品の中でも、メインとなる江戸時代の女性の小袖。身分制度があった時代は、社会の表に出るのは男性なので、武力支配から心理的政治支配によって男性は着るものは指定されていました。ですが奥にいる女性は自由であり、社会全体でみてみないふりをすることによって、裕福町人の贅沢な小袖が出現し美的方向性に多様さが生まれます。
綸子地に絞りに縫いの小袖。裕福な町人の女性のものですが、生地や技法は武家のものに近いと解説されていた小袖のアップ
かつて長崎先生から教わったことで印象深かったのは、「経済力の差は形や模様でなく、技法にでる」ということ。
桃山時代は、同じ絹の小袖でも、町人と武家の小袖は技法が明らかに違います。江戸初期は、裕福町人と武家の類似した意匠構成となりますが、技法だけが違う。江戸時代中期になると町人と武家の経済格差がなくなったことによって技法が同じになる。その後、友禅の発明によって絵画的表現ができるようになると、生地は縮緬をつかうように。武家のものは縫箔が多いので綸子が主流。
こういったポイントをつかんでおくと、小袖の見方も興味深いです。
武家女性の帷子の小袖に提帯
江戸時代の四つ身と明治時代の一つ身の子どもの着物
美しいものを身近で鑑賞できるところが増えたというのは、何より幸せです
※館内での撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載は、許可をいただいているものです。