首里城を巡る 城郭と門 / 2016年GW 沖縄の旅 その1 のつづき
琉球には日本の鎌倉時代頃から按司といわれる地方豪族がいました。1429年に尚巴志が按司を統括し統一権力を確立したのが、尚家の琉球王国のはじまり。第一尚氏王統といわれています。1469年の金丸のクーデターによって開かれたのが第二尚氏王統。1609年に薩摩藩が首里城を占拠するとその後は清国に朝貢しつつ薩摩と徳川幕府にも従属するという独自の国交をし、1879年の明治政府の廃藩置県によって琉球王国は滅亡しました。
ちなみに琉球の正史である「中山世艦」には、初代琉球国王とされる舜天(1166~1237)は、保元の乱で敗れ伊豆大島に流された源為朝が琉球へやってきて、その地の豪族である大里按司の妹と結婚し生まれ後に中山王になったとあります。この逸話は滝沢馬琴「椿説弓張月」で描かれています。実在の史料はなく伝説の域ともいわれていますが、だとすると源頼朝の従兄弟が初代琉球王ということになります。
首里城の正殿
国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)。中国風でもあり日本風でもあり…。創建は14世紀末。現在の正殿は18世紀のものを1992年に復元したもの。
正殿の前の広場である御庭。
年間を通してさまざまな儀式が行われたところ。真ん中の道は浮道といわれ、国王や冊封使など限られた人のみ通ることが許されました。
地元のボランティア案内人の方は親分の装いでした♪
左奥が南殿。別名南風御殿(はえのうどぅん)といわれる日本風の儀式が行われたところ。
手前が番所。首里城へ登城した人の手続きを行なったところ。
現在は番所から入り、資料展示がされています。
正殿の二階は大庫理(うふぐい)とよばれ国王と親族と女官が儀式を行うところ。
御差床(うさすか)といわれる国王の玉座です。柱には龍と五雲が描かれています。
何か驚いて変な顔になっていますが、絢爛豪華な朱金の椅子に注目してください。
玉座の椅子は尚真王(1477~1526)の肖像画から再現されたものです。
一階は「下庫理(しちゃぐい)」主に国王自ら政治や儀式を執り行うところ。
真ん中の畳敷きが御差床といわれる玉座です。ここで国王は政務や儀式を執り行いました。
首里城正殿の遺構
今の首里城は遺構を残すために、70cm嵩上げして建築されています。この遺構こそが世界遺産。
ディナーは琉球宮廷料理と島唄と琉球舞踊がある首里天楼へ
琉球紅型と四つ竹
琉球舞踊の装束の絣は大きいものが多い。舞台映えするからかしら…。
そして、最後はやはり歌って踊る…。
つづきます(^-^)/
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首里城を巡る 正殿 〜 国際通り首里天楼 / 2016年GW 沖縄の旅 その2
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