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首里城を巡る 城郭と門 / 2016年GW 沖縄の旅 その1

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2016年のゴールデンウィークは沖縄本島で過ごしました。その旅の記録です。家族の意向を汲んでの観光旅行ですので染織巡りは予定せずの旅。琉球染織の地にいて染織巡りをしない…というのは、大好物が目の前にあるのにお預けをされている状態でもどかしくもあるのですが、産業資源となっている観光名所を知るということも興味深い。そして歴史的背景や風土は染織について知ることにもなります。

というわけで、久しぶりの首里城へ♪
琉球王朝の王城(グスク)です。創建は不明。第二次世界大戦で破壊されてしまい城壁と一部の建物のみが残っています。現在のものは戦後に復元されたもの。染色家の鎌倉芳太郎の尽力によって再建されました。鎌倉芳太郎は戦前より琉球文化を研究し「紅型」の名づけ親でもあります。芳太郎の琉球芸術や文化の資料があったことが、琉球染織そして首里城の再建を可能にしたといわれています。ユネスコの世界遺産には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として登録。登録されているのは首里城跡であり復元された城壁や建物は世界遺産ではありません。

首里城は第二尚氏王朝時代の15世紀後半~16世紀前半にかけてつくられた外郭と、第一尚氏王朝時代の15世紀前半につくられた内郭という二重の城壁に囲まれています。まずは門巡り♪

首里城外郭の北側にある「久慶門」 別名「ほこり御門」
第二尚氏の尚真王の時代(1477~1526)につくられましたが、第二次世界大戦で焼失。1983年に復元されました。主に女性の通用門であったといわれています。琉球石灰岩が積上げられたアーチ状が美しい~♪


第一の正門である「歓会門」 別名「あまえ御門」

歓会とは歓迎するの意味で、冊封使といわれる中国皇帝の使者などを歓迎し招き入れることから名づけられています。首里城への正式ルートのひとつで国王をはじめ男性がつかう門。

久慶門と同じく、尚真王の時代につくられましたが焼失し1974年に復元されます。

魔除けのシーサーが迎えてくれます。口を閉じたシーサーは雄。


首里城内郭にある第二の門「瑞泉門」 別名「ひかわ御門」
門の手前に龍樋といわれる湧き水があり、それにちなんで瑞泉と名づけられています。久慶門や歓会門ができるまではここが正門でした。1470年頃に創建。焼失後1992年に復元されます。

首里城の城郭の角の部分は丸みがあって上を向いています。これを隅頭石といいます。

角には悪い気が溜ると信じられていて、角を無くすことでそれを無くすということのようです。諸説あります。

瑞泉門には櫓が乗っているのが特徴。これは日本の城門に似ています。


御庭(うなー)からの出口「右掖門」 別名「寄内御門」へつづく石段。


御内原への表門である「淑順門」 古称は「うなか御門」
御内原は国王と家族の住まいがあるところ。創建は不明で2010年に再建されました。なので新しい。


首里城の城郭の特徴はなだらかな曲線を描いているところ。

日本の城郭よりも中国の影響のほうがありそうです。

龍のようにもみえなくもない。


世界遺産に認定されている「園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)」
尚真王が1519年に創建。竹富島出身の西塘が築造。2010年に復元。

国王が各地の巡行前に道中の安全を祈願した拝所。 聞得大君(きこえおおぎみ)が斎場御嶽での即位式の前に祈願した聖地でもあるそうです。


首里城のシンボル的な大手門である「守礼門」
第二尚氏時代、中国からの冊封使が着いたときには守礼門前まで国王が迎え三跪九叩頭の礼で迎えたといわれます。創建は尚清王(1527~1555)の時代。1958年に再建。沖縄県指定有形文化財です。


首里城御庭、正殿につづきます(^-^)/

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