衣紋道高倉流東京道場の上巳の節句
●仙石宗久宗会頭による、雛祭りの由来のお話のまとめφ(.. )
今は雛人形は上巳の節句が終わるとしまっておくものですが、かつては雛人形も夏の装束がつくられました。源氏物語や紫式部日記にでてくる「ひひな遊び」、ひひなと人形(ひとがた)の混同、それによって生まれたのが現在の「雛祭り」なのだそうです。古代中国(三国志の魏の国)であった上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣の上巳の祓の考え方と日本古来のみそぎによる祓いの考え方、雛人形の起源となった人形はもともとは水に流して厄を祓う粗末な人形(ひとがた)でしたが、遊びに用いる華麗な装いのひひな人形(にんぎょう)が混同され、流し雛の風習や雛人形を飾る風習へと発展していったとのこと。
【上巳の節句の装い】
志ま亀のふくら雀文様の小紋に貝桶文様の染め帯、帯あげ、帯〆も志ま亀のトータルコーディネート
雛飾りのお道具にあわせて貝桶文様。
あれ、この方たちは…。
つづきます(^-^)/
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上巳の節句 / 上巳の節句の装い 志ま亀のふくら雀小紋に貝桶文様の染め帯
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