いしかわ伝統工芸フェアへ 東京ドームシティ プリズムホールにて(2月5日~7日まで)
加賀前田家は徳川幕府体制下における外様大名という立場から、加賀藩の文化政策に力を入れ軍事放棄を表明したといわれています。そのおかげで、金沢をはじめとする石川県には、加賀友禅、加賀繍、金箔、加賀蒔絵、九谷焼、加賀水引、輪島塗、山中漆器、など今に伝わる伝統工芸品が多くあります。
コレは何につかわれるもの…(・_・;)?
なんと…!山中塗の輪ゴム銃です!
●山中漆器●
石川県加賀市山中温泉地区で生産される漆器。天正年間に越前より木地師が移住しその挽きものの技が伝わったといわれています。山中温泉の湯治客の土産物としてつくられていたものが、江戸時代後期から蒔絵、糸目挽き、加飾挽きの名工が誕生し、山中漆器の発展へとつながりました。
手にしたときの漆塗りの重厚感が気持ち良い
しかし輪ゴム銃にこの価格…(°д°;) ?っと驚いたのですが…。需要はあるとのこと。
調べてみたら、日本ゴム銃射撃協会というものがあり、公式競技にもなっていました。
ちなみに私、大学時代は、エアライフル射撃とクレー射撃をやっておりまして、日本ライフル射撃協会、日本クレー射撃協会に入っていました。現在はクレー射撃のみ。
で、試しにやらせていただきましたが…、照準をあわせる照星もなく、思ったよりも難しい。
どうやらゴムの掛け方にコツがありそう(-_☆)
射撃の世界も絶滅危惧が危ぶまれていますが…。まだまだ私の知らない世界があるようです。
●能登上布●
かつては京都でも夏のきものといえば能登上布という、能登上布隆盛の時代があったそうですが、昔は140件あったという織元も今は山崎麻織物1件のみです。伝統工芸フェアの中でも「希少伝統的工芸品」として出展されています。
山崎麻織物の山崎隆先生と 工房見学させていただいた時の詳細レポは こちら☆ と こちら☆
能登上布は昭和になってから、ラミーといわれる紡績による苧麻糸がつかわれています。ラミーの糸の利点は糸の太さが均一であり手績みの苧麻よりも丈夫であること。能登上布につかわれるラミーの糸は蒟蒻糊で固めることによって、毛羽立ちがなくしなやかに織りあがり、尚且つシャリ感があります。
能登上布の絣の特徴は、絣糸はロール捺染、櫛押し捺染による捺染絣。
●牛首紬●
平治の乱で敗れた源氏の一族が技を村人につたえたのがはじまりといわれています。この地方は山間地で畑が少ないため養蚕で生計をたて、品質の良いものは売りに出し、残りのくず繭といわれる玉繭(ひとつの繭に2個の蚕)で織られた反物が牛首紬です。
糸繰りの歴史には中国に端を発し東周りの日本古来の座繰りの形式とヨーロッパを経由した西回りの座繰りがあります。牛首紬は東周りの日本古来の伝統的なやり方。そして玉糸からつくられる緯糸は「玉糸機(たまいとばた)」で織られます。
主に玉糸は緯糸につかわれますが、経糸も玉糸をつかった牛首紬もつくられています。ふっくらとした風合いになり節の十字が現れます。そして軽くて薄く着やすい牛首紬をということで従来の3分の2の細さの玉糸づくりに取組み2割りほど軽くなった牛首紬も開発されたのだそう。
●加賀友禅●
加賀友禅の起源は約500年前の加賀独特の染め技法であった梅染といわれています。梅染とは梅の樹皮や芯材を細かく砕いて炊きだした染液につけ石灰などで媒染する無地染めのこと。梅染の染法で黒味を帯びた色に発色させたものは黒梅染と呼ばれました。模様が施されるようになったのは加賀御国染めとよばれる兼房染や色絵、色絵紋が確立された17世紀中頃で、この頃に現在の加賀友禅の基礎が確立されたようです。
加賀友禅はこの加賀御国染を基に京友禅の創始者といわれる扇絵師宮崎友禅斎が、晩年金沢の太郎田屋に身を寄せ、加賀御国染にデザインを持ち込み確立した染色技法とその作品といわれていますが、この友禅斎の出世譚が岸駒に酷似していること考察され、現在では宮崎友禅斎はあくまでも扇絵師でありデザイナーであったとされています。現存するもので、宮崎友禅斎の手によるものと確定しているものは扇1本のみです。
6年前に日本きもの学会の加賀産地研修にて大変お世話になりました。懐かしい~♪
柿本市郎先生と
展示されている中で、コレ欲しい!!!と思った「加賀友禅師事系図」
加賀友禅の組合がつくったものではなく、京都の問屋さんがつくられたものなのだそう。
囲われているのは故人というわけではなく、加賀友禅の組合に入っていないということのようです。加賀友禅の作家の息子が京友禅や東京友禅の師匠につくということもよくあるのか、ややこしいですが、一覧にすると師弟関係がわかって良いですね。
次は体験レポです♪
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