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三重展で松坂木綿を織ってみた / 秋のきもの紀行 at 日本橋三越

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全国のすべての染織の産地を巡り、自分の眼でみて、つくり手から直接話を聞くことを、生涯の目標としております。そしてすべての染織に袖を通したいというのが願望です。←夢は大きく♪

しかしながら、目標値の設定が高過ぎて、中々に難しい…。それでも、コツコツとそれに近いことはできるのです。それは百貨店の催事巡り目。百貨店で度々開催される観光物産展の中には染織関連があり、ときには実演もあります。

日本橋三越では「三重展」が開催中(~19日まで)
染織関連では、伊勢木綿、伊賀組紐、松坂木綿、伊勢型紙が出展しています。

松阪木綿の手織り伝承グループゆうづる会の方による実演がありました。


●松阪木綿●
松阪木綿は伊勢神宮と深いつながりがあります。江戸時代にお伊勢参り土産として全国に普及しました。室町時代に綿が渡来すると(普及したのは江戸時代)木綿織が盛んとなり、三井高利の越後屋(のちの三越)、太田利兵衛の上野松坂屋など、江戸に店を構えた松阪商人の手で売り広められます。

『倭姫命世記』によると「倭姫命は垂仁26年(紀元前4年)飯野高丘宮に機屋をつくり、天照大御神の御衣を織らせた。そこに社を建てて、服織社(はたとりのやしろ)と名づけた。神麻績氏の住む麻績郷(おみのさと)で荒衣を織らせた。」とあることから古代からこの地方に絹と麻の高度な織の技術が伝わっていることがわかります。7世紀頃から松阪にある神社の機殿で織られた布が、神御衣祭(かんみそさい)で天照大御神の御衣として奉納されています。これが神御衣の奉職、地元では「おんぞさん」といわれる行事のこと。この機殿がある松坂地方は、御糸郷(みいとごう)といわれ、そのことから御糸郷で織られた松阪木綿を「みいと織」というようになりました。

後に伊勢平野での木綿の栽培が普及すると古来より伝わった織技術と相まって、松阪地方は木綿織物の生産地として発展しました。ちなみに、松阪木綿の縞柄は、鎖国前に安南(ベトナム)に渡った松坂出身の角屋七郎兵衛からもたらされた安南の柳条布を見た松阪商人が日本風にアレンジしたものといわれています。


試しに織らせていただきましたヾ(@°▽°@)ノ

足で踏んで開口させたところに杼を通します。

杼は西陣の長谷川杼製作所のもの。流石にすべりが良かった! ←なかなか体験用の織機ではない

筬打ちは意外にも軽い印象

織りだすと楽しい~♪

貴重な体験をさせていただき、ありがとうございましたm(_ _ )m


●伊勢型紙•突き彫り●
伊勢型紙伝統工芸士の内田勲先生が実演されていました。

型彫りは集中力がいる仕事なので、百貨店での実演でしているものは型紙としてはつかえないそうです

突き彫り用の板には穴があいていています。この上に地紙を置いて、刃先を上下させ前方に刃を押し出しながら彫り進めます。

細かい仕事ですね。。。


そして、呉服売場では「秋のきもの紀行」が開催中(~10月27日まで)

山岸幸一作品展(~10月27日まで)
赤崩草木染めの山岸幸一先生とカメラ

染と繍きだ 截金きもの特集(~10月20日まで)


秋のきもの紀行は、後半も充実しています♪

今回は案内の冊子がきものの形になっていて可愛い(〃∇〃)ドキドキ

思わず広げたくなります♪ 


三越は先にご紹介した松阪木綿が源流です。「訪問着」という定義を生みだしたのも三越。
きもの好きには染織アミューズメントパークのようなものですね:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


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