会津鉄道「お座トロ展望列車」に乗ってみた♪ / 2018年GW 福島の旅 その8 のつづきです^^/ 茅葺き屋根の建物の街並、大内宿へ♪ 湯野上温泉駅からバスにのって大内宿へと向かいます。このレトロな車内は記憶にある…。っと思っていたら、ガイドさん曰く、神戸の市内観光バスでつかわれていたものだそう。2003年の阪神優勝パレードの時、このバスに乗って神戸市内をグルグルしていたことを思いだした(+_+)想い出がある乗り物なのです。再び乗ることができて嬉しい♪ 江戸時代の街並の青空には幟と鯉のぼりが悠々と棚引いていました。大内宿は下野街道の半農半宿の宿場町のひとつ。茅葺き屋根の建物の民家が今も受け継がれ重要伝統的保存地区に指定されています。江戸時代は参勤交代でもつかわれた重要な宿場町でしたが、明治以降は主要な交通網から取り残された山間にひっそり残る集落となっていました。道の両側に茅葺き屋根の建物が均等に並び、寄せ棟造りで妻側が街道に面している、という江戸時代の宿駅制度に基づいた形状。現在は民家で、ほとんどがお土産物屋さんとお蕎麦屋さんになっています。道の両脇の水路は山からの湧き水。 大内宿の名物は高遠のねぎ蕎麦。高遠そばをネギを箸としてつかって食します。ネギは箸であり薬味でもあるという。正直、かなり食べにくい…。会津藩主の保科正之は蕎麦好きで知られ江戸に蕎麦を広めたといわれます。徳川秀忠の庶子であったため信州高遠藩の初代藩主の保科正光の養子となりました。後に出羽、会津と移封となりますが、その地へ蕎麦職人をつれていき、蕎麦が広まっていきました。その名残りで、高遠そばといわれます。 南会津の名物、荏胡麻をつかったじゅうねん味噌を塗って焼く、しんごろうちなみに、こちらも諏訪地方の名物の五平餅によく似ています。大名の国替えはその土地の文化も移転して伝承することにな続きをみる
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