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祇園祭(7月14日) 祇園神と八坂神社 長刀鉾の稚児行列 / 2016年祇園祭 その12

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宵宵宵山から山桙巡行の日まで、八坂神社へ長刀鉾の稚児社参の提灯行列があるとおききして、八坂神社へ目 稚児行列を待つ間、かき氷を。めったにいただかないのですが、この暑さでとても美味しかった♪

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祇園祭は八坂神社の祭礼ですが、山鉾は四条烏丸付近に点在しているので、山鉾巡りや会所拝見では八坂神社へはいきません。14日の夕方の四条烏丸付近はすでに大勢の人で賑わっていましたが、祇園付近はいつもよりもひっそりしていました。


山桙巡行は神輿巡行の露払いのようなもの。今年は見ることが叶いませんでしたが、今度は神幸祭もみたいものですね♪


八坂神社のご祭神は、祇園精舎の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)。日本では蘇民将来説話の武塔神(むとうしん)と同一視され素戔嗚尊(すさのおのみこと)とも習合されています。

蘇民将来の説話
武塔神は旅の途中で宿を乞いますが、裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)は断り、貧しかった蘇民将来はもてなしました。後に武塔神は再び蘇民将来を訪ねて茅の輪を渡し、その茅の輪をつけているものは疫病の役を免じされると約束します。ゆえに、祇園祭では「蘇民将来子孫也」記した粽が授与され、この粽を飾っている家には1年間疫病を免じられるというご利益があるのです。


素戔嗚尊が牛頭天王が同一されていることには諸説ありますが、八坂神社の社伝では、656年(斉明天皇2年)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるといわれています。

牛頭天王は釈迦が説法したというインドにある祇園精舎の守護神。

〜祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し〜

言わずと知れた「平家物語」の冒頭ですが、江戸時代この祇園精舎はアンコールワットであるという間違った情報が日本には伝わっていたのだそう。実際のインドの祇園精舎には鐘がなかったそうで、2004年に日本国祇園精舎の鐘の会が鐘と鐘楼を寄贈しています。

稚児行列がやってきました。お稚児さんと禿さんは、ほとんどの神事で和化粧といわれる白塗りのお化粧をします。なので口元の化粧だけのほぼ素顔を拝見できるのはこの提灯行列でぐらいでしょうか。

お稚児さんを先導する禿は長刀鉾の肩上げした紋付に雲立涌文様の袴。

八坂神社で炊いた<をけら火>を、長刀鉾の提灯に移して稚児家に持ち帰り祭壇に供えるのだそうです。

お稚児さんは孔雀の羽根の蝶蜻蛉の冠

肩上げされた振袖は、花筏文様、裾濃いの暈しの袴には菊綴がついています。

皇室の男性皇族の着袴の儀の落滝津文様の振袖の上に前張の大口の袴に近しいもののように感じました。

足元は地面から高い、ぽっくりの下駄です。

長刀鉾の皆さまの集合写真。この後に摂社を詣られるようです。

そして、長刀鉾の会所まで行列がつづきます。いづ重で鯖寿司を買ったり、かづら清老舗に寄ったりしていたら、追いつきました♪ 鴨川を渡る提灯行列です。

暑い中での、慣れないであろう装束を纏ってのご奉仕。しかし汗も見せず立派なものですね〜。

四条通りは、片側通行になります。

このような光景も祇園祭ならでは。さすがは悠久の都といったところでしょうか。


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